第八十四話 時代は動く
ちょっと年をすっ飛ばしました。黒の章と合わせるためです、ご容赦ください。
永禄四年/西暦1561年
婚姻の儀から二年の間は長尾家の長男である槻一くんが病で亡くなったり、関東出兵に出ていた上杉軍が敗走したりなどの問題もあったものの、越後国内や同盟国は攻めこまれることもなく過ぎていった。
幾度に渡る関東出兵に追われていた俺達だったが、武田が突如小競り合いをやめ、畿内の方へ行軍を開始したという情報を得て一度関東出兵を中止し、武田の動きに注視することにした。
それから数ヶ月後、武田軍は織田軍と戦闘開始。
多くの大名豪族は武田の勝利を確信していたがその下馬評は外れ、織田方が勝利したのだ。織田は史実と異なり石山本願寺、根来衆、雑賀衆だけでなく大和国の松永弾正久秀を味方に率いれ、鉄砲と兵の数を増やしていたのだ。武田は三ツ者や歩き巫女など情報収集に長けているからそれについては知っていてもおかしくないのだが···晴信は正面衝突で挑んだ。慢心か、焦りか。そして破壊された。
長良川の戦いは、その数数千とも言われる大量の火縄銃による攻撃で天下に名を轟かせる騎馬軍団を撃ち破り、織田の名と新しい戦と武器を世に広めた戦となった。
武田の死者はどれくらいかは分からないが、武田の猛将"赤備え"山県昌景が死んだと聞かされたとき、貞興兄はどこか寂しそうな顔をしていた。
甲斐へと撤退した武田は、当分の間は動くことはないだろう。兵力の減った武田は同盟を破棄し、織田と組んでいる今川やその縁戚であり、小田原攻めの時に同盟を組んでいた北条にも目を向けなければならない。
北条や今川は兵を構えるだけではなく、海に面していない甲斐にとって手が出るほど欲しい塩を売る商人が甲斐に行くのを塞き止めているようだ。
上杉家臣の中にはそれに呼応してこちらも塩を止めるべきだという声が上がったが政虎は、
「塩を止めてまず被害を被るのは甲斐の民だ。戦でなら未だしもこの様なやり方で甲斐武田を倒すつもりはない。決着は闘争にて決めるべし」
とその進言を却下。逆に商人の行き来をより増やさせ、海津城に兵糧や弓矢などを贈った。
一方織田はその勢いに乗って摂津の三好を撃破。越前まで侵攻し、朝倉浅井と対峙、撃破した。
半年の間で義昭の挙兵の命に名乗りを挙げた反織田勢力はこれで崩壊したのだった。
織田の最後の目標は足利義昭だ。これを倒せば畿内を支配下に置くことになる。
そして次は越中越後、中国地方にその手を伸ばすだろう。
しかしこちらも準備は万端だ。俺と政虎は、河田長親を魚津城に送り、そこを畿内と織田の情報の統括拠点とした。
武田の出来なかった戦を、俺たちで成し遂げるのだ。上杉軍に、そういう熱気が渦巻いていた。




