第二十話 松尾景亮一世一代の啖呵
景虎が出奔して二日後、俺を含む春日山に来ることができる全ての将が集まって話し合っていた。
俺はわざと最初の方は喋らないようにしていた。
将の中では三つの派閥が出来上がっていた。
斎藤朝信、村上義清らを中心とした景虎の養子である山浦景国を新たな国主に据えようとする景国派。
上野家成、本庄実乃らを中心とした綾さんの夫である政景さんを代理の国主に据えようとする政景派。
色部勝長、直江景綱ら二つの派閥を抑える中立派。
憲政さん、政景さん、定満さんそして大熊朝秀は静かにそれを見ていた。
俺も作戦の手前何も言わずにいるが、これ程までに仲が悪いというか、纏まりがないとは思わなかった。
しっかしホントイライラする。誰も景虎のことを心配してない。こいつら誰のせいで景虎が家出したのか分かってんのかよ?
派閥の対立はより激化し、怒号が飛び交う。
その余りの酷さに俺は抑えきれないものをとうとうぶちまけた。
「全員いい加減にしろよ!」
その場にいた全員がこっちを向くが、それでも俺は止まらない。
「なんで誰も景虎の事を心配しないんだよ!? この越後をあの人以外の誰かが、あの人よりしっかり納められると思ってんのか!? あの人がいたからここまで纏まったんだろ? 居なくなったからはいそうですかで終わりにすんのかよ? 俺はあの人の下でまだ戦いたい。あの人のために戦いたい! 俺の大将はあの人だ。俺はあの人に惚れてる。人としても、大将としても···あんたらだってそうだろう!? なのにあんたら全員景虎の義を仇で返すのか!?」
俺の言葉に思うところはあったのか、場が一気に静かになる。
そんな中で、政景さんが口を開いた。
「お前たち、口々に言いたいことは終わったか? まったく、新参の景亮が一番忠義があるではないか。いいか? こやつの言う通りこれまでも、そしてこれからも、この越後の国主は景虎であるべきだ。この越後に景虎以上の才あるものはおらん。国人衆がこれでは毘と龍の旗が、越後の大地が、民が泣いておるわ」
その言葉に反論はなかった。
そして政繁さんが俺に問いかける。
「松尾はどうするつもりか?」
俺は立ち上がりながら答える。
「当然、景虎を追いかける!」
するとそれに呼応して政景さんが立ち上がる。
「無論! 景亮の言う通り。今から急げば高野山より手前で追い付くはずだ。越後の忠義深きの猛虎達よ、我らの大将は長尾景虎である! 異はあるか!?」
その言葉に一部の将が立ち上がり答える。
「「「「「異議なし!!」」」」」
忽ちその声は大きくなっていく。
すると政繁さんが横に長い紙を持ってこさせ、紙に筆を走らせる。
"我ら越後の家臣一同、以後は謹んで、二心を抱かず、景虎様に臣従せん"
そう書くと、自分の名前を書き、用意させた小刀で指を切り、溢れ出る血で染まった指を名前の下に押し付ける。
それに習うようにそこにいたほぼ全員がそれを行う。
俺は最後に同じことをすると、紙を巻物のようにまとめ、懐にしまう。
すると部屋に一人、案内され入ってきた。
俺と景虎が出奔の相談をした師匠光育その人だった。
「皆様纏まったようで何より。馬は下に用意してあります、急ぐといいでしょう」
そう言うとにこりと笑う。
師匠まじかっけー! さすが景虎の師匠!
「ありがとうございます! 必ず連れ帰ってきます!」
そう言って部屋を出る。
「景亮に続けぃ!」
政景さんや政繁さん、ほぼすべての将が俺に続く。
それを横目に俺は見逃さなかった。
一人だけ動きもしない男、大熊朝秀の姿を。
やっぱりか···さっきの誓紙の時も署名をしてなかった。
さあ、動けよ大熊! 景虎を連れ帰ったら次はお前を倒しに行くからな!
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全員が部屋を出ると一人の男ものらりくらりと立ち上がった。
男の名は大熊朝秀。長尾家中の段銭方を務め、景虎の擁立を行った重鎮である。
長尾氏のもと付き従っていたが、それも自らの領地拡大ための足掛かりにすぎなかった。
しかし、長尾景虎は戦働きの褒美について領地には触れることなく、いつまでたっても領地は増えない。やきもきしていた朝秀に近づいてきた男がいた。
長尾家中を切り崩したい武田晴信である。
晴信から大熊、蘆名に使者が来て、隙を見て長尾を攻撃すべしという書状がきた。
なかなか隙がない景虎にいらいらが募っていく朝秀であったが、天が味方したのか、領地争いと景虎の出家問題がおきる。
これ幸いと晴信と蘆名に使いを出し、兵を動かす準備を行う。
出家騒ぎの影にかくれ、一人の梟雄が空の越後に狙いを定める。
「神の化身を名乗るうつけ者、長尾景虎よ。お前の首と越後の地、この大熊朝秀がいただこうぞ!」
越後に巻き起こる騒動はまだまだ終わりを告げることはない。