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第百十七話 望月千代と高坂昌信その二

 

「もし菊様の身に何かあったら···某は御館様に顔向けできませぬ! 松尾殿、どうか···どうか!」


 頭を床につけ、涙を流しながら嘆願してくる。


「顔をあげてください···武田の皆さんのことは俺が責任もってなんとかします。まずは菊姫、そして護衛の方々を助けなければ」


「あ···ありがたい! 何卒宜しくお願い致します!」


「では、上杉の忍衆に菊姫の居場所を探させましょう。上杉軍も戦線を押し上げ、いつでも救援に向かえるようにします」


「ぜひ、こちらもそれに加えさせて頂きたい!」


「えぇ···でもまずは輝政や家臣と情報を共有しなければなりません。俺の命に掛けて上杉家臣に手出しはさせませんから、共に善光寺へ。輝政の元へ行きましょう」


「それは···ーーっ」


 それでもやはり躊躇する。何とも焦れったいが、仕方ないことだ。向こうは生死がかかっているといっていいのだから。敵である上杉に自らの全てを預けることがどれだけ胸を痛めることであるかは俺の想像を絶するものだろう。この人達はそれでもそのプライドを捨て、主家の血を守ろうとしている。


「高坂様、松尾様を信じましょう。菊様の、護衛してくださっている皆様の為に早く手を打たなければ」


「輝政は禍根に囚われずただ目先に救うべき者があれば救う。そういう人です。もし俺の事を信じてくださるのなら、俺の信じる輝政の事も信じてはくれませんか?」


「しかし···いや、そうですな。松尾殿、某等が命、預かっていただいてもよろしいか?」


「えぇ、任せてください!」


 ようやく高坂さんが決心を固めて俺に付いてきてくれることとなった。


 高坂さんが支度をする中、望月さんが近付いてきた。


「松尾様、感謝致します」


「いえ、高坂さんの強い思いに動かされただけですよ。高坂さんは信玄公の余程敬愛されていたんですね」


「はい。高坂様は元は百姓の出、そこから使番に足軽大将、城代と御館様に取り立てられましたから」


「···そっか」


 百姓から出世し城代まで登り詰めた。そこまで取り立ててくれた主家への、信玄への恩義は人一倍感じているだろう。


「お待たせいたした···参りましょう」


 高坂さんが戻ってきた。顔には既に迷いが消え、覚悟した顔をしている。


「望月殿、ここをお頼み申します」


「はい。松尾様、どうか···宜しくお願い致します」


 望月さんに見送られ、俺は高坂さんを連れて善光寺へと向かった。


 見張りの兵に高坂さんを連れてきたことを軍議をしている輝政に伝えるように言うと、緊張したように「はっ!」と返事をして善光寺中へと駆けていった。暫くしてその兵が戻ってきた。


「輝政様以下将の皆様がお待ちです。どうぞ」


 許可が出た。高坂さんと頷きあって中へと入る。


 高坂さんに敵意やら疑惑やらの視線が浴びせられる中、俺と高坂さんは憮然とした態度で輝政の前に座る。


「···景亮、その隣にいるのは?」


 輝政が聞いてくる。それに反応したのは俺ではなく高坂さんだった。


「某は武田家臣、海津城城代を務める高坂弾正忠昌信にございます」


 その場にいた全員の敵意が上がったような気がした。やはり敵は多いか···対上杉の前線にいたためか全員に顔を知られているし、当然憎らしく思う人は多い。


「私が越後国主、上杉輝政である。高坂殿、よくぞ参られた」


 その中でも凜は変わらず、出来る限り優しげな声で高坂さんに語りかける。


「はっ!」


「輝政、皆、まずはなぜ武田が菊姫を上杉に保護してもらいたいという書状を送ることになったのかを全員に知ってほしい。高坂さん、さっき俺に語ってくれた事をそのまま全部話してください」


「はっ! それでは···」


 高坂さんが語り始める。最初はいつ襲いかかるか分からないくらい前のめりになっていた将達も、姿勢を元に戻していた。


 全てを語り終えた高坂さんが一礼する。


「そうか···信玄公はそのような事を···高坂殿、安心なされよ。菊殿含め、上杉を頼ってくる者は全員受け入れよう」


 誰も反論はなかった。


「景綱、全軍に通達。戦線を押し上げよ! 他の皆も同様に兵を動かせ! もし織田が攻めてきたら遠慮することなく追い返せ! 景亮は中島と共に伏嗅衆を采配、菊姫とその護衛の行方を調べよ!」


「「「「「はっ!」」」」」


 輝政の言葉に全員が動き出す。忙しくなる中、俺と高坂さんは輝政に頼む。


「輝政、もし菊姫の行方が分かったら俺達松尾衆と高坂さんの隊で救援に行かせて欲しい」


 凜が腕を組んで悩む。思案顔も綺麗だなーと思いつつ。いい加減俺がこういうこと言ったら許可されなくても勝手に行くことを分かっていただきたい。


「···利益と段蔵を連れていき、尚且つ高坂殿が景亮の身を守ると誓うのならば許可しよう」


 どうやら分かってくれたようだ。


「···かたじけない! もし景亮殿の身に危機が迫ったならば我が身をとしてお守りしまする!」


「では海津城は代わりに景持を置くがよいな?」


「はっ! 構いませぬ!」


「景亮、頼んだぞ」


「おう! 任せてくれ、皆つれて戻ってくるよ。じゃあ俺達は行くよ」


 高坂さんを連れて一度海津城へ戻るため背を向ける。そこで一つ、気になっていたことがあったのを思い出した。


「そうだ、俺が今乗ってる馬って輝政の馬だろ?」


「あぁ、そうだな。それがどうかしたか?」


「馬の名前って何?」


「あぁ···"栓"だ。放生月毛の栓だ」


「栓ね。ありがとう!」


 俺は軍議の場を後にすると、集まっていた伏嗅衆に新たな任務を言い渡して海津城へと向かった。


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