シルエットー勇者と聖女と魔王と
「ふは。ふはははははっ!はーっははははははは!
勇者よ。死んでしまうとは情けない」
天高く黒いマントを靡かせて哄笑する声。
黒地に金が縁どられたそれは、端正な顔立ちの彼に良く似合っていた。
血を大地に染め上げ、赤く染まった瞳で澄み切った青空に低い彼の声はどこまでも響き、
ゴロリと転がる勇者だったものを見下ろす。
「この程度。この程度の実力で我を倒そうなどと、片腹痛いわっ」
まるでそれを悲しんでいるかのように男は黒いマントを翻して空間に溶けた。
洞窟内は日が差さない為か、ひんやりと冷たい。
それでもなお迷うことなく進めるのは、光るコケがあちこちに生えている為だ。
時折自然に出来た水たまりを飛び越えながら人影が進んでいく。
「はぁ~…だっりぃ……ありえねぇー」
面倒そうな声を出す金髪碧眼の青年。ガリガリと暫く洗っていないであろう髪を乱暴にかくのを
嫌そうな顔で少女は見つめる。
「ちょっと、フケが飛びそうだからやめてよ」
青年の見た目はどこの王子様と言わんばかりの端正さなのに、仕草が全て粗暴すぎて、台無しだと少女は思う。
対する少女は甘そうな桃色の髪に緑目。
両耳の上で縛った髪の白いリボンも幼げな顔立ちも、可愛らしさを演出しているが、青年に突き付けられたメイスがそれを裏切っている。
「あー…何で勇者の剣とか抜いちゃったかなー。べっつに冒険の旅とか興味ねぇしー」
「ちょっ、やだ、わざわざこっち来て頭かかないで!リュートこの馬鹿っ」
「はぁ……可愛いおねぇちゃんはいねぇし、ツルペタしかいねぇし、この際、ツルペタでも良いかなって趣旨替えしそうだわぁ俺」
溜息をつきながら桃髪少女の目の前で手をワキワキさせる青年――リュート。
にたぁりと笑う口元も、少女の大きくなり始めた胸元を見続ける視線は卑猥だ。
「~~~っ。死ねボケ今すぐにぃいいい!」
ゴッスン。
「うごふっ」
少女のメイスが金髪碧眼青年の無駄にキラキラしい髪にめり込む。
「うむ!今日もアンヌ殿は元気だな!はっはっは」
「……元気ですませて良いのかあれは」
脳みそまで筋肉で出来て居そうなことを言う縦にも横にも大きい赤髪赤目の男が笑い、白いローブで全身を覆った青髪青目の女は半眼で溜息をついた。
勇者が選ばれた。
選んだのは聖剣と呼ばれる100年も前に丘に封じられた剣だ。
『時が動き出すとき、剣が選ぶのだ』とは、王の言である。
その他にも装飾されたなにやら古の言葉を延々と聞かされたが、着なれない服装にも豪華な室内にも初対
面の貴族どもにも疲れ果てていた田舎者たちはよく覚えていない。
勇者は15歳の青年である。
辺境の村出身だという金髪碧眼の彼は端正な顔立ちをしており、いかにも勇者ですというにふさわしい容貌をしている。
更に、同じ村出身の桃髪緑目の少女にも人を癒す『聖女』としての能力がある様子で、これは好都合と国は彼らをセットで魔王退治に向かわせることにしたのだ。
勿論、彼らを拾って育てた孤児院には多額の寄付がされ、
2日に一食程度の食事しか食べれない子供たちにたっぷりの食事と洋服。
教育を施していくことを約束した為、勇者リュートと聖女アンヌは魔王退治に出たのだ。
彼らの冒険はこれからだ。
「……という夢を見た訳だが」
「夢ではない上にたんこぶ一つせぬとは、流石勇者殿よなっ。はっはっは!」
狭い上に良く響く洞窟内で大きい声を出す赤髪男にもう一度気絶しそうになりながら首を振るリュート。
聖騎士団団長だという35を超えたか超えてないか位の大男は旅の最初からついてきているメンバーであり、恐そうな顔に反して何にでも笑いまくる朗らかな人柄だ。
短い髪はツンツンと天に向かって生えており、大剣を振り回す二の腕は女性の腰回りほどありそうだが、彼は軽々と担いで歩く。
「笑いごとではないだろうデュラン。大丈夫か勇者殿」
白いローブを被った釣り目の女性が声をかける。
青い前髪と吊り上がった青い瞳により冷たそうな印象を受けるが、その声は心配した色を含んでいる。
桃髪少女よりも高い背とローブの上からも分かる発達した胸元にセクシー系美女だと思った青年は悪くないだろう。
「ああ、悪いなミュニュエル」
噛みそうな名前だよなぁと金髪頭を掻きながら言うリュートに、肩をすくめるミュニュエル。
少し動くだけで一緒に動きそうな胸元に青少年の喉がコクリと動けば、ジロリと緑目が睨んできた。
「リュート、このどすけべがッ」
ブンとメイスを振り回した聖女……もとい、幼馴染であるアンヌは
両耳の上の髪の毛も一緒に振り回せそうな勢いで近づいてくる。
その表情は硬く怒ったように見えるものの、青年にとってそれは少女の悪い癖のように見えてならない。
それは本気で殴るつもりではないのに当たってしまったが素直に謝れないというような、罪悪感からの顔だと。
生まれた時からの付き合いである青年に彼女の心理は手に取るように分かる。
リュートは、ふぅっとわざとらしくため息をついた。
「うっせぇよツルペタ。もっとこう、ナイスばでぇ~的に成長しないもんですかね。
こう。こう。なんなら俺がモミモミ致しましょうかね。モミモミ」
小さい体を怒らせて歩いてくるアンヌに、リュートは立ち上がりながら軽口を叩く。
その節ばった掌をアンヌの方に向けてわきわきと動かす動きで挑発すれば、眉を八の字にしていた少女は真っ赤になった後、メイスを振り回し始める。
「このっ、手加減するんじゃなかったわ!死になさい馬鹿勇者っ」
「や~だ~よ~。つーるぺたっつーるぺたっ」
「~~~っうっさいうっさい馬鹿!避けるな馬鹿っ」
「うっへぇ~。つるぺた聖女っ。つーるぺたーつーるぺたっ」
囃したてながらヒョイヒョイ避ける勇者と、ヒュンヒュン良い音を響かせる聖女。
それに肩をすくめるミュニュエルと、笑うデュラン。
剣士であり勇者なリュート。
聖女であり癒し手のアンヌ。
聖騎士団長であり大剣使いのデュラン。
神官であり魔術師でもあるミュニュエル。
彼らは村から町へ。町から街へと旅をしながら魔物退治を続けるパーティだ。
既に数か月を共にした為に、勇者が聖女を憎からず思っていることも、またその逆もしかりだと分かっている派遣組は、彼と彼女のやり取りを止めることは無い。
彼らは穏やかに、そして緩やかに実力をつけながら魔王の元に向かっていた。
「よぉ。アンヌ」
「……なによ」
エリュアール街が一望できる門の上。城壁ともいえそうな石造りのそこは、普段ならば一般人が入ることが出来ないエリアだろう。
あちこち焦げた跡と大穴の空いた城壁はその凄惨さを伝えるかのように彼らの前に鎮座している。
魔王軍の襲撃があった。
それもかつてない大規模な軍団が、この西の王都と呼ばれる街を襲ったのだ。
少なくない数の人間が亡くなり街は火の海になった。
急いで大穴を塞がなくてはと駆り出された人達が動いているが、その目には疲れも見えている。
それでもなお彼らが希望を捨てずに居られるのは勇者と聖女がいるからに外ならず、彼らの仲間であるミュリュエルが言った一言によるものが大きい。
「『こんな子ども達に全部託すな』ってなぁ。ミュニュエルが言うなって感じだよな。
最初っから俺らを聖女殿、勇者殿って呼んじゃー呆れた目で見てたくせによぉ。
いーまーさーらー? みたいなー」
神官であるミュニュエルが勇者や聖女という伝説に一番詳しく、そしてその理想から外れる度に溜息をついていたような印象がある為に出てきた言葉だった。
それに反応することなく、緑目で美しかった街並みを見下ろす聖女にリュートは苦笑する。
そんなリュートの頬も腕も腹も足も、あちこち傷が残ったままだ。
ガリガリと掻く髪すら半分が焼け焦げてしまった為に中途半端に短い。
ちんまりと座ったまま街を見下ろす聖女の右横に座り、青年はぽむぽむと小さな頭を撫でる。
「聖女、やめたいか?」
夕日を受けて赤く染まった白い肌が綺麗だなと少しだけ大人になった横顔に問えば、桃色の髪が揺れゆっくりと緑目と青目が見つめあう。
あれから2年。
小さな妹にも見えた少女は丸みを帯びた顔立ちから頬の肉が減り、体つきも少しばかり女性らしくなった。
野宿はつらかったけれど、それは村の孤児院とてそう変わらない。
この旅で色んな町で困った人を助けたし、魔獣も倒した。
ありがとうと感謝され、聖女様、勇者様ともてはやされる毎日だった。
だが、その2年。
一度としてこんなに大量の人間が目の前で死んだことはない。
救えなかった命もあった。聖女と言えど、万能ではない。
末期の患者を診てくれと言われて治しても、元々の治療力をあげる聖女の力では及ばない。
それは重傷者にも言えることであり、この戦いにおける聖女の役割は看取ることに近かった。
心優しい者にしか聖なる力は宿らず、また、その力を行使することによって
相手の辛い過去や憎しみが伝わってしまう。
感受性が強い為に、癒しながら傷ついていくのだ。
何度やめろと、もう良いんだと言っただろう。
冗談交じりのそれらを受けても、幼馴染である少女は微笑んでいた。
『私にしか治せないから』と。
聖魔法を使いこなせる者は少ない。
その事実を知った心優しい幼馴染は、勇者についてきてくれたのだ。
「……やめたいって言ったら?」
泣く前の顔で笑うアンヌ。
柔らかな桃髪を抱き寄せて腕の中に閉じ込めるようにするリュート。
「もう良い。辞めて良い。お前は、元々勇者じゃねぇんだ。単なる村娘に戻ればいい」
ギュッと小さな体を抱きしめる。
小さな頃から一緒に苦楽を共にした少女。剣を抜いて動揺した自分の背を押してくれた家族。
どうしようもなく大事で、苦しめたくない。
「他のどいつがどうなったって知るかよ。村娘が苦しむ必要なんかねぇよ。
だから……」
帰れ。
帰れないならば、それなりの金を渡すから好きな所に行け。
勇者はそう告げなければならないと思いながらも、妙に喉が渇いて声が出なかった。
離れたくない。嫌だ。
戦わなくていい。回復なんかしなくていい。傍にいてくれたらいい。それだけで良い。
好きだから。
笑ってほしい。好きだからそばに居てほしい。好きだから。
眉根を寄せて続きを言おうとする勇者の唇を細い指先が止める。
下を向いたままだった金髪が夕日色に染まる中で勇者が見下ろす。
そこには幼く頼りなかった幼馴染ではなく、2年で逞しくも慈愛に満ちた聖女がいた。
「馬鹿ね……勇者は本当に馬鹿」
「……何でだよ」
クスリと笑う聖母のような笑みに気恥ずかしくなって横を向くリュート。
2年で背が高くなった。声も低くなった。
肩幅だって腕だって、少年じみていた体格は全て大人に変化した。
それでも、初恋の君に対しては変わることが出来なかった。
不器用な少年のままの彼を、17年見てきた少女は大人の顔で笑う。
「私は聖女よ。2年前から、村娘アンヌじゃなく、聖女アンヌ。
王様に言われたからじゃないの。私が、勇者の傍に居たいから。
私は聖女アンヌ。
貴方の心を守る盾であり、剣なのよ」
にっこりと笑う桃色の髪の少女。
その言葉に思わず泣きそうになる涙腺を堪えて眉根を寄せるリュート。
怒っているかのようなその表情を愛しげに撫でて、ギュッと抱きしめる聖女。
「リュートは寂しがり屋のくせにいっつも意地張ってばっかりなんだから」
「…はっ、別に俺は1人でだって生きていけるっての」
両親と違う金髪碧眼で生まれてしまった彼を初めて抱きしめてくれたのがアンヌだった。
綺麗だと素敵だと言ってくれたのも、ついてきてくれたのも。
「馬鹿ね。寂しがりのリュートが泣かないでいられるわけないでしょーに」
見透かすような言葉に自分の弱さを受け入れてくれる歓喜を覚えながら、
リュートは念を押すように呟く。
「必要なのは、魔王を倒す『勇者』だ。聖女はおまけなんだからな」
「はいはい」
「いいか。重くなったら逃げろよ。全部放り出して逃げろよ」
「あー、もうはいはいって」
「お前が無理することねぇんだからな!?」
「あー、もううっさい!馬鹿リュートっ。本当馬鹿リュート!」
ヒュンヒュンと聖女としてはどうかと思う見事なメイス捌きで勇者を殴りかかるアンヌ。
それにいつでもパーティから抜けて良いと避けながら言うリュート。
そんな二人の声は門の下まで聞こえており、復旧作業に関わっていたミュニュエルやデュランは、
どこかホッとしたように苦笑していた。
「……何でだよ……何で何で何で何で何で……ッ」
汗で濡れた金髪を顔に張り付け、碧眼をこれでもかと見開かれた彼は目の前の光景に
何を言っているのか意識せずに叫んだ。
「デュラン……ッ!」
魔王退治という名の旅は実に5年がかりだった。
山を越え野を超え雪をかきわけ、マグマを抜け、およそ人が通る場所ではない所ばかりを通った上で
ようやくたどり着いた魔王の住む土地。
常に薄暗い空。氷山の上に立つ城の魔物を退治し、城の中心部であろうと予想できる巨大クリスタルの前。
高級な青ガラスのようなクリスタルは剣山のように天に先を向け輝いている。
シャラランと時折透き通った音を鳴らすそれは美しい芸術のようだ。
青ガラスの中に長い金髪の女性が入っていてさえ、その美しさは変わらない。
近づくまで気づかなかったそれに最初に気づいたのは魔術師のミュニュエルだった。
驚いた拍子にクリスタルに触れた彼女の身体に下から氷が這い上がる。
「ミュニュエル!くそっ、焔よ。我が手に来たれ ファイアーボム!」
咄嗟に炎系の技を放つリュート。
まっすぐに進んだ炎は、バシュッと軽い音を立ててクリスタルにはじかれる。
「神よ。我が手の届く庭にありし者を守りたまえ! フェアリーサークル」
アンヌの放つ黄色みを帯びた守護の光がミュニュエルを包むが、すぐに消えていく。
まるで何かに吸い取られているかのような動きだと気づいたアンヌと、
第二撃を放ったリュートがその魔法が効かないことに気づくのは同時だった。
「……くそっ、なら……。我が血を捧ぐ!光よッ」
剣の柄を撫でるよな仕草をした勇者は、光を帯びたその剣と共に空に飛び、
クリスタルを横切りにする。
ミュニュエルと謎の女性を包んだクリスタルは青い輝きを増すようにきらりと光るが、
特に変化することなくミュニュエルの青い髪の先まで飲み込んでしまった。
「くっ」
リュートの魔力を注ぎ込んだ剣は、彼自身が思っていたよりも多くの魔力を彼から引き出し
体中の力が抜けていくのをリュートは感じた。
何かがおかしい。
「ど、どうしたら……っ」
歯噛みし片足をつく勇者とクリスタルを見た後、背後に近づく影に気づき、
こんな時、頼りになる仲間がいたのだと振り返るアンヌ。
大きな体に大きな剣。赤い短髪と赤い瞳。豪快に笑う頼りになる大剣使い。
にかっと笑う彼の笑みに、ニコリと笑みを返す。
そして、聖女はクリスタルに向かって突き飛ばされた。
「……えっ」
「………っ!?」
ぱちくりと大きな緑目が瞬いたのが先か、碧眼が見開かれたのが先か。
信じがたい光景に、リュートの跪いたままだった体が咄嗟に受け止めようと両手を差出しながら前に進む。
いつもであれば走って数秒もかからない距離。
その距離も、さっき繰り出した剣による魔力放出も、全てが彼の敵だった。
パキパキパキ……。
氷が彼女の身体を這い上がり、氷像を作り出すかのようにクリスタルに取り込まれていく。
もつれる足が地面に吸い込まれたかのように動かない。
顔面から滑ってこけたのだと自覚はある。
リュートは動こうと踏み出す足が自分のものではないかのようだと思いながら立ち上がる。
聖女を取り込んだクリスタルは喜ぶように歓喜の歌を歌う。
シャラララ。シャラララ。
光が薄暗い城の中心から注ぎ込み、冷風しかない室内に暖かさが吹き込み、
クリスタルを中心に緑が芽生え始める。
小さな種が芽吹き、暖色の花々が地面を埋め始める。
まるで天上の絵画のような光景だ。
だが、知ったことかとリュートは思う。
魔力は空だ。むしろ、このクリスタルに魔力は通じない。
そう本能で理解している勇者は剣を構え、筋力をバネに空に飛ぶ。
「あぁあああああぁぁぁぁッ!!」
ガキンッ!
はじかれ飛ばされながら回転し、体制を整え再び空に飛ぶ。
「アンヌッ……!アンヌゥゥゥッ!」
ガギンッ!バキンッ!ゴッゴッゴッ!
「返せッ!返せッ!ふざけんなぁぁッ!」
ゴッゴッ!ガキンッガキンッ!
子どもの癇癪のようにひたすら攻撃を加えるが、クリスタルは傷一つつくことが無い。
「あああああああッ!」
声を張り上げて突き刺し、叩き下ろし、横に薙いで、それでも動きの無いそれ。
体力の限界まで繰り返した動きを止めるように、大剣に受け止められる。
「……何でだよ……何で何で何で何で何で……ッ」
汗で濡れた金髪を顔に張り付け、碧眼をこれでもかと見開かれた彼は目の前の光景に
何を言っているのか意識せずに叫んだ。
「デュラン……ッ!」
血を吐くような思いで仲間の名前を呼ぶ。
見上げる長身も赤髪も、彼にしか持てないほど重たい大剣もデュランでしかありえない。
それなのに、彼はミュリュエルを助けるどころかアンヌをクリスタルに放り込んだ。
魔力の通じない、魔力を吸い込んでいるとしか思えないその怪しげな物体。
それを知っている人物が目の前にいる。
剣を構えたまま睨みあげれば、いつもの豪快さは潜めて聖騎士団長は言う。
「疑問を持ったことは無いか」
「……何をっ」
笑った顔と眉尻を下げたような顔しか見なかった男は、こんな端正な顔だっただろうか。
「魔獣は理性を持ちえず、世界の半分以上では水も無く、人は常に貧しく、
暮らせる土地は痩せた土地ばかり。
少なくとも50年前はこうではなかったと文献ではある」
「……だから、どうした」
「魔王という統治者がいるならば、もっと大量に襲ってきても良いはずだろう?
唯一、襲って来たエリュアール街でも、連携が取れているとは言いがたかった」
「だからっ、それがどうしてッ」
味方である魔術師を、聖女をクリスタルに放り込んだままにする理由になるのか。
そう告げようとしたリュートの前で、聖騎士団長は歪んだ笑みを浮かべた。
「世界は、魔力の強い生贄を捧げることで維持されている」
ぽつりと告げられた言葉は何を意味しているのか、リュートの中ですり抜けていくように消える。
口を開けたまま瞬きを繰り返すリュートに刷り込ませるように低声が続く。
「魔王を倒すわけではない。魔王という存在自体が居ないのだから当たり前だが。
魔王を倒すという名の元に行われる聖なる封印、それがこの世界の中心たる宝玉だ」
魔王はいない。
封印。
世界の中心。
ぱちり、ぱちりと皿が割れる音のようなものが内側から聞こえる。
ゾワゾワと腹の底から湧き上がる憎悪が目の前を赤く染め上げる。
「魔力の強い生贄を取り込み、世界を正常に維持する装置。
選ばれるのは平民であることが望ましく、いなくなった所で魔王と刺し違えたのだと後世に残る。
それが勇者と呼ばれる者な訳だが、聖女であってもそれは同じ。
いわゆる、名誉の死扱い……」
「あぁぁぁぁあああああああッ!!!」
死んでしまえ。
叫びながら飛んだリュートの剣を避けることも受け流すこともなく、両手を広げた体制で聖騎士団長は受け入れる。
ズブリと差し込まれる使い慣れた剣。
赤く飛び散る命の欠片は金髪を赤く染めあげながら、彼の目にも入っていく。
それがどう影響したか、平民でありながら聖騎士になった彼の半生や、人質に取られた妻子、
彼の知識を受け継ぐ羽目になった元勇者は咆える。
「何がッ何が勇者だッ何がッ何がぁぁぁぁッ」
世界の維持に、魔力の強い聖女を捧げさせてしまった。
今更、勇者の身体を捧げた所でクリスタルはアンヌを手放さない。
ならばやることは一つだと、金髪に一部赤を宿し、赤い瞳に変化したリュートは嗤う。
「ゆ、許してくれぇぇっ。仕方がなかったんだッ世界の為に……ウゴフッ!」
「わ、我を誰だと思っておる!この国の王……っ」
「何でも好きなものをやろう。金か、女か、地位……ひぃあぁぁぁぁッ」
悲鳴怒号命乞いにつぐ命乞い。
小さな国、大きな国、沢山の国々があった。知り合った人たちがいた。
だが、それが何だと言うのだ。
大切だったもの。すべてはもう影のように見えなくなった。
「全部、全部滅ぼそう。アンヌ。お前に負担がかからないように。
アンヌ。俺が―――我が、お前の盾で剣だ」
今日も男は独り、赤い涙を一筋流しながら嗤う。