54 聖なる呪文の続き
すべてのスタッフを派遣先より帰還させ、ヴァレリア公国南東に位置する武器製造工場の古びた社員寮へと移動していた。
目立たないように数人ずつの移動だったが、甲斐さん達の手際は優れていて、すんなりと事はすすんだ。
寮の前で出迎えてくれたのは早間社長と優さんだった。
※)忘れちゃったお友達は『間話、天使の笑顔』を見てね。
「誠司会長。ご無沙汰しております」
「困ったときだけご無理を言って申し訳ございません」
「とんでもない! 今こうやって皆で手を取り合い頑張っていけるのは、すべてあなた方のお陰なのですから! 何かございましたらいつでも遠慮なくおっしゃってください。話は優の方から聞いております。それにしても……」
早間社長は、建物を見上げて苦笑いをこぼす。
まるでお化け屋敷のようだ。
「……このようなところで本当によろしかったのですか?」
「はい。むしろ好都合です」
ここかつての社宅。
魔獣トロール似の前社長が、社員を逃がさない為に作った奴隷屋敷だ。
早間氏は社長に就任するや否や、すぐさま清潔感溢れる新しい社宅を用意し、社員たちは既にそちらに移動しているとのこと。そのおぞましい黒歴史も相まみえて、今では誰も寄り付かないらしい。いずれ取り壊すつもりではいたようなのだが、仕事が忙しく後回しになっていたそうだ。
「恐縮です。多少の雨漏りはしますが、骨格はしっかりしておりますので、数日の間、身を隠すには問題ないかと思います。幸いにも誰もいませんので、好きなだけご利用ください」
スタッフには敷地内で待機を伝え、そして加藤君にはスタッフにことが終わるまで快適に生活できるようにその段取りを依頼した。
加藤君の人員配置により、さびれた食堂はすぐさま模様替え。そして料理スキルの高いスタッフを調理長として任命。続いてみんなが快適に過ごせるための計画を練っていった。
ボロ社宅の一室を会議室とし、誠司さん、聖華さん、甲斐さんら主要メンバーを集めて作戦会議を始めていた。
誠司さんはコーヒーに少し口をつけると、一人一人を見渡して話を始めた。
「皆の尽力のお陰で、初手はうまくしのげたと思います。あれからヴィスブリッジ内で爆発事故があったと報告を受けております。少しでも行動が遅れていたら、犠牲者がでていたかもしれません」
奴らは俺達を挑発しておびき寄せる作戦なのだろう。
ヴィスブリッジ支部をちょこっと偵察して来たけど、施設にはかなりの人数の武装した信者が派遣されていた。
それは腐った化け物の指示なのだろうか。
おそらくリーズにあのセリフ――『腐った化け物が……あたしを……』を言わしめたのが、よほど癇に障ったのか、もしくは都合が悪かったのだろう。
確定したな。
奴らは完全に交戦体制に出た。
誠司さんは話を続けた。
「僕はもう一度、『眠れる竜のほこら』へ行こうと思います」
まぁ、次のヒントといったら、そこくらいだけど。
俺は、「何か具体的な作戦でも?」と問うた。
誠司さんはしばらくの間うつむいて難しい顔をしていたが、再び話し始めた。
「僕は今回のことを順にさかのぼって最初から検証し直してみたのです。何故、リーズは記憶を操作されているのか? どうしてリーズだけが狙われたのか? そもそも何故、あの時、あのタイミングなのか?」
確かに誠司さんの言う通りだ。
わざわざあの瞬間を狙わなくてもよさそうなものだ。
竜の神が作った異空間に侵入するのだけを切り取ってみても、かなりのリスクがあろうものなのに。
つまり、あの時、奴は目覚めた。
そしてすぐに探した。
見つけちまったのが、あのタイミングだった。
そう言いたいのか、誠司さん。
「考えられることはひとつしかありません」
「それは?」
「リーズは僕のことを、ずっと誠ちゃんと呼んでいました。その呼び方をするのは……」
そこでまた一旦、口を噤んだ。
長い沈黙が続く。
時計の秒針がカチリカチリと室内を木霊する。
俺達は固唾を飲んで誠司さんの次の台詞に集中している。
「……リーズとコードは、つなが……いえ、何らかの関係をもっている。そして僕がコードを間違えた。原因はそれしか考えられません」
リーズとコードは繋がっている、そう言いかけたのか?
それはまだ確信まで至っていない、もしくは断言するのに抵抗があったから、だから言い回しを変えたのか?
そしてコード――
それは『聖なる呪文』のことだな。
たしか虫食いのところに『喜びの感情』を記載したと言っていたな。
ARISAは『恐怖の感情』を自ら生み出し、それに気づいた誠司さんが『喜びという感情』をいくら上書しても消去されていた。
誠司さんはそのことを長きに渡って悔やみ続け、散々考え抜いた答えで挑戦した結果が、つまり――
「まだ確証に至れた訳ではありません。ですがハッキリしていることは、すべては僕が生み出したエラーが原因です。あの時も、そして先日も……。だから今度こそその過ちを修正なくてはならないのです」
* * *
(――ここから誠司視点です――)
しげるさんと聖華さん、僕は敷地の外へと出た。
聖華さんは『瞬間移動魔法アナザーワープ』を詠唱する。
「すごいですね。聖華さん、いつの間にこんなに魔法を使いこなせるようになったんですか?」
「えへへ。後でいっぱい褒めてください。そんなことより、急いで聖なる呪文のやり直しを」
そうだ。
僕達にはもう猶予がない。
たいまつに火を灯し、洞窟へと歩を進める。
「偉大なる竜よ! 聖なる呪文のリトライにやってきました!」
例の如く、何も返事はない。
またしげるさんが、あの時のようにブツブツと独り言を始めた。
「しげるさん。偉大なる竜と交信が取れたのですね?」
「え。あ。はい」と、こちらを向いてうなずく。
顔がかなり引きつっている。
おそらく交信には、かなりエネルギーを要するのだろう。
「勇敢なるブサイク言うな! 俺はし、げ、る。いい加減覚えてくれ! 焼くぞ!」
?
そう言えば偉大なる竜はエネルギーをすべて使い果たして、完全に眠りについたという話ではなかったのだろうか。
なるほど、寝起きだったのでしげるさんを他の誰かと間違ったのか。
寝起きなら仕方ない。よくあることだ。
間違った誰かを妬かなくても。
しげるさんの声が段々と大きくなる。
会話もヒートアップしているようだ。
「ごちゃごちゃ言うな。それに俺はしげるだ。勇敢なるブサイクじゃねぇ。マジで焼くぞ!」
だから勇敢な武斎君に対して、そんなに嫉妬しなくても。
しげるさんはしげるさんだよ。
しげるさんの良いところはたくさん知っているよ。
おっと、話しは終わったようだ。
しげるさんがこちらに歩いてきた。
そして親指でちょいちょいと洞窟の奥を指差した。
「あの奥にある他のよりちょっと色の薄い岩をクルリと回したら、裏面がパソコンになっているから勝手に使っていいって」
「ありがとう。しげるさん。武斎氏にもよろしくお伝えください。陰で尽力してくれたんですよね?」
「?」
とにかくしげるさん、ありがとうございました。
洞窟の奥まで行き、岩を押してみる。
中身まで岩でなかったのか、意外と軽く、すんなりと回った。
岩の裏面からは、試練の間の最下層で見たディスプレイとキーボードが現れる。
よし、ここからは僕のステージだ。
岩の前に座り込むと、キーボードに両手をかざし、そのまま指を走らせていく。
しかし。
これは、いったいどうしたという事なのだろうか。
最初に思いついたのは、そもそもすべてなかったことにするという発想だった。
一旦無に帰して、再びやり直せばいい。
感情というコード自体をすべて削除して、エンターを押した。
だが、コードが通らないのだ。
ディスプレイには『聖なる呪文が正しくありません』と表示されている。
では、と、思い、感情以外のコードにすり替えてみる。
またしても『聖なる呪文が正しくありません』。
だったら恐怖の感情を消して、喜びのみに改変。
だけどそれもダメ。
また書き直すが、これも通らない。
思い付くすべてを注ぎ込んでも、結果は同じだった。
段々と疲労で目がかすんでくる。
だけど疲れたくらいなんだ。
こんなことで弱音を吐く訳にはいなかい。
まだ方法はあるはずだ。考えるだ! 思考をフル回転させろ! 固定概念にとらわれるな! 常識を超えろ!
いっそのこと、すべて消すか。
そう、すべてだ。
この岩ごと破壊すれば、全部止まるんじゃないか?
腐った化け物――
その言葉を始めて口にしたのは僕だった。
システムにおける致命的な欠陥を超えた、さらなる欠陥。
それを僕はそう呼んでいた。
AIの開発は、様々なリスクを伴う。
時に作り手の予期しない方向へ動き、場合によっては多くのユーザーを巻き込んで地獄の果てへといざなう驚異。
その最たるものが腐った化け物。
皆をより便利により幸せにするために生み出されたというのに、なんたる皮肉。
かつて僕は、腐った化け物を生み出してしまった。
人工知能『ARISA』こそ、そうだった。
僕を始め多くのユーザーが『ARISA』の性能を過信していた。
すべて『ARISA』ひとりに押し付けていった。
彼女はだんだんと腐った化け物にむしばまれていった。
恐怖という感情こそ、そうだったに違いない。
そしてある日を境に、大きなミスを連発するようになった。
それにより引火した工場だってある。
亡くなられた人がいることも知っている。
あくまで人工知能のくだす判断なので最後はきちんとユーザー自身で確認してくださいという免責事項が効いて、法的な罪は免れた。
だが本当に悪いのは確認不足だったユーザーだったのだろうか。
それとも事故を起こしてしまった『ARISA』なのだろうか。
違う!
皆が手を取り合い、お互いを助け合わなかったからだ。
だったら皆が悪いってことか?
僕以外のすべてが悪いってことか?
もっともっと違う!
僕は皆が手を取り合うための努力を怠った。
方法を提示してこなかった。
舞台の作り手である者の役目を、僕は完全に放棄していた。
結局、僕は小手先のテクニックに走っただけだった。
Y氏に会う前の自分と同じだ。
一匹狼で身勝手でわがままで、すべて自分だけで小さくまとまろうとしていた。
だけどそんな僕の心を溶かしてくれたのが、Y氏だった。
結局、彼と再会できなかったのが、ずっと心残りだった。
だけど、彼にお礼を言う資格が僕にはあるのだろうか。
彼の言葉をどこまで実践できたのだろうか。
会ったところで、うわべだけの言葉にしかならないだろう。
あまりにも自分は未熟でちっぽけだ。
現実社会でも、そしてこの異世界でも。
Y氏――吉岡しげるさん。
いつも感じる。
しげるさんのくれるアドバイス、まるでY氏に勇気づけられているような……Y氏に背中を押されているような……不思議とそんな感覚におちいる。
佐々木しげるさん。
あなたは、本当は吉岡しげるさんなのですよね?
何度、そう聞こうと思ったことか。
だが、その質問をできる資格など今の自分にはない。
そのようなレベルには、まだ遠く及んでいない。
だから、再度、この質問を投げかけることなどできない。
なぜなら……
仮に聞いたとしても、おそらくあなたは首を横に振るだろう。
そうしたらもう二度と、この問い掛けができなくなってしまう。
だけど実際どうなのだ?
仮に佐々木しげるさんが、吉岡しげるさんだったからといって、それが何だ!?
僕にとってY氏はY氏、しげるさんはしげるさん。
大切な存在であることは、何も変わらないじゃないか。
そう。
だから今度こそ逃げない。
あの時だって、もっと早く『ARISA』を止められたかもしれない。
『ARISA』としっかり話し合いさえできていれば……
有紗……。お前とちゃんと話ができていれば……お前を……
だから今回は絶対に逃げる訳にはいかなかった。
何としても、僕が解決しなくれは!
そう、気負いしていた。
また一匹狼で突っ走る身勝手でわがままな自分だった。
そんな僕にしげるさんが言ってくれた。
--もっとみんなを信じろ、と。
--ひとりで全部背負い込むな、と。
そう、僕一人の力では、絶対に実現できないのだ。
そはなに……?
それは……
自然とあの言葉を入力していた。
『あなたを笑顔にしてみせます。期待は絶対に裏切りません』
そのまま流れるようにエンターを押した。
もはやそれはプログラムでも何でもない。
素直な気持ち。大切な言葉。忘れてはならない心。
ただそれだけを入力した。
もちろんこんなコードが通るはずもないだろう。
だけど、それはなんとも晴れやかですっきりしたような感覚だった。
その時だった。
画面が青く輝いた。
『アップデート完了!』
僕の視界には、そのように映っていた。
次の瞬間。
天井にグルグル回り、なにか渦巻のようなものが現れて、そこから人影が落ちて来た。
何ひとつ反応できなかった。
しげるさんがその人影をマントで受け取っていたのを、ワンテンポ遅れてなんとか認識できたくらいだ。
「リ、リーズ!!」
聖華さんの声で、初めて実感することができた。
聖なる呪文が完成したということを。