7 誠司さん
誠司さんは、最初出会った時に「自分はコミュ症です」と言っていた記憶がある。
とてもそういう風には見えない。
俺は黙って彼の話を聞いていた。
「僕は学生時代、何もかもが嫌になり、家を飛び出しました」
いじめられていたのかな?
そうは見えないけど。
俺の学生時代?
も、もちろんいじめになんてあっていないさ。エッヘン。
それ以前にこんなブ男、誰も相手にしなかっただけかもしれんが。
まぁいいか。聞こう。
「二十歳になった僕は、みんなを見返してやりたくて会社を作りました。
会社名は、絶対に勝利するという意味を込めて『サクセスライフ』」
……知っている。
たった5年でマザーズに上場したスゲー会社。
出来たてほやほやの頃、飛び込み営業したことがある。
そういや、似てる、似てる。
若い社長さんだったけど、更に若くしたらこういう感じだ。
イケメンIT社長だった。
と、誠司さんの顔を見て頷いた。
あんた、ルックスいじっていなかったのね。
だけど、この人、超ドケチ。
コピー機を売り行った時、デタラメに叩かれた記憶がある。
「創業時は経営がかなり厳しかったです。
だから必要な仕入れは、とことん値切りました。大抵の場合、値切れば安くなりました。
しかし、一人だけ値引き交渉に応じない人がいました。それはAKUTOKU商事という会社の営業マンでした」
俺?
「コピー機には、かなり利益が乗っています。まぁ、それは当然です。
そこから営業マンの給与が出ているのですから。
みんな厳しい経営環境の中でやりくりしている。
相手だって身を削れば、幾分かは安くできるはずです。
だから僕の会社の見積書を見せたのです。相場が分からないと思ったから、他社と比較してね。
大抵300~500万円のところを、僕は半値以下の150万円で作っていると。
それだけ切り詰めてやっているのです。
そんなに安くしているのに、散々断られてきました。
負けたくない意地で会社を始めたのです。後に引くことなんてできません。
ですが、その人――Y氏と呼びましょうか。
見積もりに書かれている数字の後ろに、0を一つ増やしました。
1500万。
彼は、自分ならこの金額で売ると言うのです。どれだけ欲深な人かと思いました」
だって会社に怒られるんだもん。
うち、AKUTOKU商事だよ?
まんまだよ?
「そして彼は、見積もりの備考欄に『あなたを笑顔にしてみせます。期待は絶対に裏切りません』と付け加えました。すでに暴利なのに偽善者ぶって、何をくさいセリフまでつけているのだろうと心中で笑いました」
いいじゃん。カッコいいだろ?
「冗談のつもりで、その見積書も持っていきました。あとでY氏を笑ってやろうと思って。しかし相手企業の社長さん――初老の男性ですが、彼が選んだのは、僕の作った150万の見積もりではなく、Y氏の方でした」
マジか!?
「ニッコリと笑って、その見積書を眺めながら、
――君は、本当に私を笑顔に出来るのかね?
と問われました。
頷くしかありません。
そうしたら社長さんは僕をじっと見て、今の君だと無理だ、そうハッキリと断言されました。
からかわれたのでしょうか?
とにかくY氏と会い、この見積もりの根拠を問いただしました」
あった、あった、そんなこと。
根拠なんてねぇよ。
安く仕入れて高く売るのがビジネスのコツだろ?
ボランティアじゃないんだから。
「何と言ったと思いますか?」
なんだっけ? 鼻くそホジホジ。
「アプリは社員に作らせて、あなたは遊びなさいでした」
あ、言ったな。
だってあんた、社長でしょ?
社畜を飼えるんだよ?
社員の金は俺の金。俺の金はおねーちゃんの金、って種族だよ?
「その言葉でハッとしました。
一匹狼だった僕でしたが、急いで優秀なスタッフを揃えました」
そうそう、社畜をこきつかえ。
社長は儲けた金で豪遊。
そうやってAKUTOKU商事はでかくなった。
「そうだったのです。
相手の社長さんは、『笑顔にします』という心意気は気に入ってくれたのですが、僕の会社が一人なのが心配だから、注文できなかったのです。
この会社のシステムは、絶対に止まっては駄目なのです。
真意を問うと、その通りでした。
社員を入れ、その家族までしっかりと面倒が見られると約束できるのなら、君のソフトを導入するよ。もしそれが良かったら、うちの取引企業も紹介する、と約束までしてくださいました。
そしてY氏の言った『遊ぶ』
それはもっと外へ出て行けというメッセージです。
代表の僕が、現場の業務をしていては会社が大きくなりません。
業務は社員に任せ、僕はどんどん外へ攻めていくようになりました。
これからでした。
僕の快進撃が始まったのは」
そう捉えちゃう?
そしてそうなっちゃう?
いや、あんた、スゲーよ。相手企業のじーさんも。
AKUTOKU商事とは大違いだ。
企業理念『奪えるところから根こそぎ奪え』だぜ?
「たった5年で上場まで果たせました。
これもY氏のおかげです。
マスコミ関係の記者達がやってきましたが、すべて断り、真っ先にY氏にお礼を言おうと彼の会社を尋ねました。
しかしその時は退職しており、自宅を聞いたのですが個人情報だから教えてもらえず。
でも、あれほどのスーパー営業マンです。引く手あまたでしょう。きっともっと大きな舞台で活躍しているに違いないと思い、名のある企業に聞いて回ったのですが、どうしても再会を果たすことができませんでした」
その頃、ニートでした……
「心の中でY氏に誓いました。
『あなたを笑顔にしてみせます。期待は絶対に裏切りません』を実践し続けると。
その言葉を企業理念に掲げ、毎朝、社員全員で唱和しました」
ありがとう。
「しかし、僕はY氏を裏切ってしまいました。
どうしても商売には波があります。
悪い時期が続き、コストダウンの為に、エラーチェック業務を海外の安い企業に委託してしまったのです。
もちろん最初は念入りにチェックをしていました。特に問題が見受けられなかったので、フル稼働させました。
その結果、金額に見合わないエラーまみれの粗悪品を大量に作りだし、それに気づかず売ってしまったのです。
そのせいで多くの企業の業務をストップさせてしまいました。損害額だって少なくありません。それで会社が傾いたところだってありました。
その海外の委託業者が悪い訳ではありません。
その頃やっていたのが、主に医療、介護、製造系のシステム。
日本語で書かれた難しい専門用語がたくさんあるのです。
勘違いもたくさんあったでしょう。
デバッグは、今まで自社で総力を上げてやっていた業務。
絶対に手を緩めてはならない要。
そこを安く済まそうとした罰があたったのです。
一時は脚光を浴びた僕の会社でしたが、それから間もなくして倒産。
そして自己破産まで追い込まれました。
ただ自己破産をしても、すべてがチャラになった訳ではありませんでした。
僕はたくさんの企業に迷惑をかけたのです。
その社員、家族にまで。
笑顔とか裏切らないとか言っているが、口だけだったのか? そう後ろ指をさされるようになりました。
それからでした。
人と会うのが怖くなったのは。
精神的に病み、通院生活を余儀なくされました。
妻子がいないのだけは幸いでした。
僕はもう何もできない。
誰にも必要とされていない。
僕は二度負けました。
学生時代。そしてビジネスで。
折角Y氏にチャンスを貰ったのに、それが返せないまま僕は負けたのです。
だからこの世界では、絶対に誰も裏切らない!
そう誓ってエントリーしたんです!
どれだけ出来るか分かりませんが、どうか僕を信じてください」
あんたは立派です。
ちょっと感動しちゃったよ。
でも駄目だよ?
まさか『絶対に誰も裏切らない』とか、特記事項に書いていないよな???
だってここ、負けたヤツらの最終ラウンドみたいなところだぜ?
プレーヤーは、娑婆で裏切りまくられた連中だと思うよ?
大抵、捻くれているぜ?
お嬢様も心配だけど、あんたも心配だ。
だってこれから来ちゃう海賊風オヤジ。
かなり悪そうだけど?
そんな誠司さんは、俺に顔を向けた。
「しげるさん。もしよかったら苗字を教えてもらえませんか?」
俺はうつむいてボソボソと、
「佐々木」
と呟いた。
「佐々木しげるさん。
先程の話しに出てきたY氏も『しげるさん』というお名前です。彼はユニークでエネルギーに満ち溢れた方でした。
あなたは自分をコミュ症と蔑まれましたが、絶対に大丈夫です。
きっとY氏のような立派な人間になれると思います。
だから、頑張りましょう」
誠司さんはニッコリと笑って、握手を求めてきた。
Y、つまり吉岡……
とてもY氏が俺だとは言えなかった。
あなたのY氏が、けがれてしまいます。
俺は、誠司さんの手を握るのが精いっぱいなハゲた豚だった。