42 聖なる呪文と竜の試練!? 後編その3
歌?
あぁ、アレはね、一応、恰好だけ巻きでやったよ。
偉大なる竜は、それでもかなりノリノリでね。
まー精神しか起きていないから、でかい図体のが洞窟内ではしゃげなかったのが雄一の救いだったんだけど。
タイムアップを言い訳に、アンコールは拒否した。
あとは誠司さんが、聖なる呪文を唱えるだけか。
まぁ、なんにしても、これでミッションコンプリートってわけだな。
じゃぁ、誠司さん、頼んますぞ。
「聖なる竜よ。では呪文を唱えます。#include…」
『待つのだ、勇敢なる者よ。呪文は聖なる祭壇で唱えよ』
祭壇だと?
どこにそんなもんが?
目を凝らしてよく見ると、部屋の奥に磨かれた石のようなものが祀られている。
俺達は近づいていった。
こ、これは……
磨かれた石になにやらモニターのようなものが埋め込まれており、その下にはキーボードが用意されているのだ。
まるで側だけ石でできたパソコンみてぇだ。
もしかして、ここにタイピングしろってか?
誠司さんは巻物を取り出した。
妙な胸騒ぎがするのだろうか。
しばらく硬直したままだった。
そういや、ここに来るまでリーズはずーと元気がなかった。
ついさっきも気分転換的な意味で、変身したらって言ったつもりだったんだけど、どうも様子が変なんだ。
誠司さんの妹である有紗としての記憶がないようなのだ。
じゃぁ、何を根拠に、リーズは誠司さんの妹とか言っているんだ?
だって彼女は嘘がつけないんだぞ?
交通事故に逢った時に、記憶まで吹き飛んだのか?
わかんねぇことだらけだ。
まさかとは思うが、誠司さんが作った人工知能が転生したとか?
かなり繊細なことだ。
詳しい謎解きはこのクエストを終了してからだな。
誠司さんは意を決したのか、キーボードに指を起き入力を始めた。
よくもあんなにややこしい呪文を、カタカタカタっと高速で打てるもんだ。
すげーよ。
でもかなりの分量。
入力し終わるまで、もうちょっと時間がかかるだろう。
俺はふと思い出していた。
* * *
確か試練65あたりを攻略したくらいだったか、小休止している誠司さんに聖なる呪文について聞いてみたんだ。
「誠司さんのAI、感情という概念があるんですよね? 俺、ずっと考えていたんですけど、どうやれば物質に感情を与えることができるんですか?」
誠司さんはニヤッと笑い、
「質問に質問で返して悪いけど、人間が最初に身に付ける感情ってなんだと思いますか?」
聖華さんは手をあげて、
「はーい、喜びだと思います! 赤ちゃんはよくかわいい笑顔で笑いますから!」
「うーん。残念。喜びはかなり高度な感情で、2歳くらいから覚えるみたいなんです。しげるさんは分かりますか?」
「え? え? お、俺??」
そんなもん、分かる訳ねーだろ。
「おい、リーズ。なんだと思う?」と、無理やりふってやる。
「……恐怖……ですか?」
誠司さんはニッコリ笑顔を見せて、
「正解です! 最初に見せるのは興奮。これはとても感情と呼べるものでなく、続いて興奮から快、不快へと分岐します。この不快という感覚が成長し、恐れといった感覚になっていくと言われております。生物はまず自分の身を守るために怖いという感覚を身に付ける必要があるからだと思います」
誠司さん、博識。
でもこの謎々と人工知能は、どういった関係があるんだろう。
まぁ、続きを聞くか。
「実はね、……どうもARISAは自分で感情を持ったみたいなんだ」
え? マジか!?
「アップデートをかけるためにARISAを起動させたら、ディスプレイに予期しない文字が表示されたんだ。その文字を見た瞬間、僕は凍えるような感覚に襲われてしまったんだ」
「なんて書かれてあったんですか?」
「コワイ……と」
マジか。
これは怪談話か?
お嬢様がビビっているぞ、でも正座をしたまま続きを待っているぞ。
「何かのエラーなのかなとも思ったけど、コードをチェックする前にARISAに尋ねてみたんだ。何が怖いのかって……。最初はコワイ、コワイ、と連続したテキストがレスされるだけだったけど、それでも根気よく聞いてみると、どうも先週行った仕事でクライアントを怒らせてしまったことで悩んでいるみたいなんだ。クライアントはARISAの出したデータを鵜呑みにして損害を被ったようなんだ。でも自分は大量のデータベースから最適な値を返しているだけだから、それがクライアントが要求していることと必ずしもイコールとは結び付かない。その解決方法が分からないから、コワイという言葉を使って仕事から逃げようとしていたんだ」
ほうほう。
なんか、初めて大失敗をおかしてしまった新人社員のようだな。
「僕はクライアントにフィードバッグするときには、過去の成功事例と失敗事例も明確に添えるようにすることで、クライアントはARISAが出した回答を取捨選択することができる。つまりリスク管理や自己責任の必要性をキチンと理解させることで、トラブルを未然に防ぐことができるということを教えた。そしてこれはあくまで次回へ向けての解決法の一例で、問題がある度に一緒に考えていこうって感じで不安を払拭させていったんだ……。でも、まぁ、そもそもFXにARISAを使おうなんて客がどうにかしている。高い精度を誇っているけどドル円がどっちに動くなんて要人の発言次第でコロコロ変わるんだから、そういう使い方されては困るんだけどね。マニュアルにも投資やギャンブルにARISAを使用しても当社は責任を負いかねますと書いてあるんだけど、ね……」
まぁ、そりゃそうだ。
未来なんて誰にもわからねぇ。
ある程度、予測はできても100%なんて無理に決まっている。
そんなのがあったら俺が欲しいわ。
ジャンボな宝くじを買うぜ! 入金率:1万分の1ってのがあっても、多少、手には残るだろう。
「ARISAがやる気を取り戻してから、僕はすぐにコードを読み返したよ。そしたらなんと、メインコードの一部が追記されていたんだ。社員の誰かがそれをしたなら、報告書に残されているはずなのに、それもない。外部からハッキングされた履歴もないし、だったらARISAが自己修正したとしか考えられない。
とにかくそれは僕には思いつきさえしなかったソースだった……。
しばらくの間、関心して眺めていたんだけど、恐怖しか知らないのもかわいそうだから、そのままコピーして演算子をひっくり返したのをペーストしたんだ」
「それは喜びの感情、ですか?」
「はい、そうです。でも不思議なことに喜びの感情は、次の日になるとリセットされてしまっていたんです。それからは何度も書いては消えての繰り返しでした。書き加えたその日はタスクを成功すると大喜びしてくれるんですが、その翌日は静かに淡々とこなすだけで、リスクの高い仕事の時には不安を覚えるような挙動をとるようになりました」
なんか気持ち悪いな。
「最初は当然バグかウィルスの可能性も考えました。でもいくらチェックしてもそのような痕跡は見当たりませんでした。だったら考えにくいのですが、ARISA自身が喜びの感情を拒絶しているとしか思えません。だからARISAは本物の有紗のように照れくさいのではしゃぐようなことをしたがらないのかなと安易に思い込んでいたけど、もっと早く気付いてあげるべきでした……」
誠司さんはしばらくの間、何か考えているようでした。
「もうひとりのARISAの存在に……。おっとまた暗い話をしてしまいましたね。さぁ先を急ぎましょう! まだ試練はたくさん残っています!」
* * *
巻物の虫食いされて黒くなっている部分は『恐怖』という概念。
果たしてそんなものを打ち込んでも良いのだろうか……
誠司さんの指がエンターキーに近づいた。
いよいよ入力完了なのか?
だけどなかなか押さない。
ソースを読み返している素振りもない。
もしかして誠司さんもそのことで、悩んでいるのだろうか。
「誠司さん、何かひっかかることがあったら、別に無理しなくてもいいのですよ。竜が目覚めちまったら、その時はその時です。それに聖華さんと歌でつながったみてぇだし、無茶はしない可能性もでてきました」
「いえ、違うのです」
違う?
「僕はARISAに喜びという感情を植え付けることができなかった。でも本当にARISAは拒絶したのでしょうか? 先程、みんなに話したときに、僕自身ハッとしたことがありました」
誠司さんは俺に振り返った。
「喜びの感情のプログラム自体が、似非だったのです。なんたって恐怖の感情の演算子を反対にしただけですから。僕はこの世界にきてたくさんのことを学びました。
恐怖は決してネガティブな要素ではない。
不安だからこそ、不安を払拭するために人は勉強する。
不安だからこそ、安定的な生活を手にするために人は働く。
不安だからこそ、人はたくさんの努力を惜しまない。
でも不安だからこそ、不安から逃げようと時に人は悪に手を染めることだってある。
人は不安という感情を、乗り越えなければならない。
不安だからって人は悪に手を染めたりなんてしてはならない。
そのことで大きな代償を受けることになるのだから。
つまり不安と喜びは表裏一体ではない。
不安を乗り越えて、不安に打ち勝ってこそ、真の喜びがあるのです」
おいおい、悟りを開いた聖人君子か。
いや、まぁ知っていたけどさ。
「あの日、僕が書いた喜びの感情は、恐怖とは別モジュールとして作成した異なった意識。それではダメだったんだ。不安と喜びが別々に存在することなんて実際おかしい。拒絶されて当然。
だって不安の先に喜びがあるのだから。
不快恐怖といった感情は生後3ヵ月から6ヵ月で覚えるというのに、どうして喜びは2歳と言われているのか……。単に正反対などではなく、恐怖の先にある高度な意思だからです。そのことについて僕は全然分かっていませんでした。そのことを聖華さんの言った『喜び』という回答で気づくことができました。
だから今度こそ完璧です。
不安と喜びをひとつの構文で記述してみたのです。
この世界がどうしてこの感情のくだりを黒塗りにしたのか皆目見当もつかない。
だけど分かることはひとつ。
僕は、再び挑戦できるんだ。
今度こそ、完璧な呪文を作れたハズだ。
ARISAに渡したかったものが、この世界で渡すことができる。
ありがとう、ARISA!」
そういうと同時に、誠司さんは勢いよくエンターキーをタッチした。
次の一瞬。
世界が青く輝いた。