5 ロビー
異世界での一日が過ぎた。
時刻は正午前。
場所は宿屋のロビー。
丁度先程チェックアウトを済ませたところだ。
俺以外の三人は、背の低いテーブルを囲みソファーでくつろいでいる。
今日の計画をしているのだろう。
俺はというと、遠巻きにその様子を見ている。
いずれソロで行くつもりだ。
だけど、どうもこのお嬢様が心配なのである。
おそらく近い将来、確実に詰む。
一文無しの俺なんてほっとけばいいのに、夕食、そしてここの宿代まで支払ってくれたのだ。
それだけではない。
昨日は、武器屋で矢をアホのように買いあさっていた。
そんなものその辺の小枝からいくらでも量産できるので止めようと思ったが、既に時遅し。
持ちきれない程の矢を、嬉しそうにリュックにつめていた。
武器屋のおっさんに「返品できないのか」と問うと、「売値の半額で下取りはできる」と言われた。
それは大損だから、そっとしておいた。
相場が分からないうちに派手な買い物をしてはいけないというのは恐らく常識と思うのだが、その辺をよく理解していないようだ。
街をうろうろしてみて分かったのだが――
riraは日本円の100分の1換算が妥当なのだろう。
この宿屋が50riraだった。
地方のビジネスホテルが大抵5000円前後。
昨日のハンバーガーショップの商品が、1~5riraだった。
つまり100円~500円ということになる。
お嬢様は、ほとんどのメニューが1や2と表記されているので、めちゃくちゃ安く感じたのだろう。
散々お金持ちだと自称していたのもうなずける。
お嬢様の財布を勘定しても仕方ないのだが、
最初の所持金、600rira。
6万円持って冒険をスタートしたことになる。
これを大金と捉えるか、こづかい程度に感じるかは人それぞれだろうけど、このように考えてみたらどうだろうか?
長期地方出張に置き換えてみる。
生活費でいうところの6万円は、あっという間に溶けてしまう。
宿代で計上すれば一目瞭然なのだが、一日をうまくやりくりしても55riraは必要になるだろう。
俺のような無敵なおっさんなら野宿も可能だからもっと安くは済むだろうが、お嬢様にそれは無理だ。
それだけで考えても、10日以内に金の算段をしなくてはならない事になる。
なぜこれほどシビアに考えているかと言うと、昨日のゴブリンの群は金を落とさなかったのだ。
敵を倒しても金を落とさない仕様なのかもしれない。
考えてみれば、魔物が人の金を持っていること自体が不自然なのである。
そこのところは、この世界がどの程度作り込まれているかにもよるが、もしかして金を入手するには地味に就職する必要があるのかもしれないのだ。
まぁそこはゲームらしく、イベントを攻略して報酬を貰えるような気もするが。
ログハウスは無人だったから泥棒できたが、この街でそれをやるとどうなるのだろう。
その辺を知った上で、計画的に使うべきである。
お嬢様は、昨日の段階で既に422rira使っている。
残金178 rira ÷ 一日の最低生活費55rira =3.23……
ざっと計算して、お嬢様の寿命はあと3日。
それなのに、お嬢様はのんきにソファーに座って、ニコニコと談話しているのだ。
掲示板のメッセージを忘れたのだろうか?
『俺は失敗した。寿命の半分を使って帰還する』とあった。
ボーナスパラメーターの配分が悪いように書いてあったが、それは原因であって、結果ではない。
仮に前に進めなくなっても、どこかに滞在して生きていくことだってできそうなものだ。
なにも寿命の半分まで使わなくてもいいだろう。
生活費で詰んだのか、それ以外の点で詰んだのかは不明なのだが、相当ひどい状況に陥ったのだけは確かだ。
つまりこの世界は、無理ゲー要素を含んでいるのだけは間違いない。
まぁ他人の人生だからどうでもいいのだが、彼女には二食分の飯と宿代の借りがある。
『貧窮負荷』のかかっている俺が、なぜこれほど余裕なのかといわれると――
もちろん大金では困るだろうが、最低限の生活だけならできることが分かったからだ。
そうなのだ。
半値だけど、矢は売れる。
俺には『弓矢生成』のスキルがある。
だがそのまま金を受け取ったんじゃぁ、『入金率:1/10000』が発動する。
だから相当矢を注ぎ込まないと、金を手に取った瞬間に消滅してしまう。
実は早朝、こっそり宿から抜けて色々と実験をしてみたのだ。
その一つが、生きる術の確保だった。
それだけは抑えておかないと、チートの意味がない。
まずその辺の枝から矢を作り、武器屋に行き、おっさんに交渉してみた。
「通常なら半値だが、4掛けでいいから、その代わりとして、宿屋で宿泊回数券のようなものを発行してもらい、そいつを俺にくれないか」と言った。
つまり買い物を代行してもらう行為だ。
最初は「面倒だから」と断られたが、コミュ症とはいえ、元営業職。交渉事は散々やってきた。だから強気にこう言ってみた。
「俺には『弓矢生成』のスキルがあるから、矢なんて作りたい放題だ。あんたの店の前で客をつかまえて8掛けで売るけどいいな?」という具合に。
おっさんは青い顔をして「店が空いた時なら、買い物代行してやる」という約束までこぎつけた。
だが不思議そうに、こう付け足した。
「そんなハイスキル所有者が、えらく小さなビジネスやっているんだな?」
一見単純そうに思えた『弓矢生成』だったが、どうやらそうでもないようだ。
考えてみればそうかもしれない。
序盤から『弓矢生成』できるのなら、店で矢を売っても仕方ない。
在庫の場所だって無駄に食うだろうし。
きっと小銭で悩む事のなくなった中級者以上が身に付けるスキルなのだろう。
そんな俺のリュックには、おっさんに買わせたチョコクッキーやらバナナやらがある。
三人のいるテーブルに「今朝方、道端で乞食のマネをしていたら恵んでくれました」と言って置いてやると、お嬢様は疑いもせずクッキーの箱を開封してバリバリ食べだした。
まぁハゲ散らかした醜いおっさんの俺だ。ホームレスだと言っても違和感ゼロか。
お嬢様はチョコクッキーを口に含み、
「しげるさん、貧乏だからってはしたないですわよ。お金に困ったらお金持ちの私に言いなさい」
とか言っている。
とりあえず、借りはひとつ返した。
……て、お嬢様。あんた、確実に詰んじゃうよ。