4 天使の笑顔3
私が凶悪なおじさんから紹介された派遣先は、武器製造工場でした。
私に悪いことをさせようとしている思惑を、ヒシヒシと感じます。
いいですとも。どんな所業でも受けて立ちますとも。
「え、しげるさん? このお仕事、彼女にできますか?」
不安そうに問うお姉さんに、極悪なおじさんは、
「大丈夫です。彼女なら見事やってのけるでしょう。優さん、明日、事前準備の為に、もう一度こちらにお越しください。その前に、どうぞ本日はホテルに泊まって、ゆっくりと休んでください」
そう言われ、茶封筒を受け取りました。
開封すると、100riraコインが入っていました。
前金まで渡すなんて、どうしても私を確保しておきたいのでしょうね。
翌朝。
事務所内では、口論が続いています。
言い合っているのは、会長の誠司さんと悪の親玉しげるさんです。
「僕は反対です! 確かにAKUGYOUカンパニーから工員の派遣依頼を頂いております。ですが、調べた結果、ここはブラック企業の中でも、ぶっちぎりでトップクラスの非道な会社でした。屈強な男たちでも次々と倒れてしまうほど超ハードな業務内容の上、年中無休、サービス残業は当たり前。怪我をしても一切の保証制度などなく、訴えた労働者は裏で抹殺。もはや人を人と思っていない。この企業から仕事を受けるべきではありません」
「だからいいんじゃないですか! 誰も来ない程のブラック企業だからこそ、入り込む価値はあるのです。お金だっていいですし」
「僕はお金のためにこの仕事をしている訳ではありません」
「知っていますよ。だから俺達が関与して、経営体質を改善する必要があると言っているのです。お金も良いので、資金調達までできて、一石二鳥です」
「……しげるさん。さすが、いつも冷静ですね。確かにそうかもしれません。僕たちがなんとかしないと、間違って入社した人たちに、次々と悲劇が連鎖していきます。……ですが
……何も優さんでなくとも……」
凶悪なおじさんはニヤリと笑いました。
「彼女の特記事項は、笑顔を奪う者を殲滅する、ですよ。もってこいじゃないですか。ねぇ、リーダァ?」
なんて不気味な笑い方なのでしょう。
誠司さんは、渋々でしたが頷きました。
「……しげるさんには、何か深い考えがあるのですね……。分かりました。ですが僕も目を光らせておきますよ」
「そうですか……。今回は優さんだけで十分な気もしていますが……」
やはり読みは当たっていました。この人たちは、私の特記事項を利用するつもりです。誠司さんも心配してくれているような口ぶりですが、絶対に二人はグル。これは予め示し合わせた演技に違いありません。ここは極悪人の巣窟なのですから。
私、絶対に負けませんよ。
*
お仕事に就いて、なんとか1日が終わりました。
今日は倉庫内で、重量のある資材を運び続けました。もうクタクタ。全身が重いです。支給された制服も汗でべっとり。ヘルメットの中は熱でムンムン。このままパタンと倒れたいです。
「やぁ!」
凶悪なおじさんことしげるさんが、涼しげな顔でやってきました。
私がぐったりしているというのに、のうのうとアイスクリームを食べています。
「差し入れです」
しげるさんがアイスの入った箱をポンと放り投げてきたので、慌ててそれを受け取りました。雑な扱いにムッとしましたが、火照った体にはうれしい品物です。
ひんやりとしておいしそう。
工場長の男性がやってきました。
通称――鬼軍曹の早間。
高圧的な無精ひげに、鋭い目つき、筋肉隆々の体格と、あだ名の通り威圧感バリバリの容姿をしており、毘沙門天の生まれ変わりと噂する者もいるくらいです。
その根拠はまったくないと思いますが、それくらいみんなは恐れています。
私も、一日中怒鳴られっぱなしでした。
やばい。アイスなんて食べていたら怒られちゃう。
反射的に背筋をピンと伸ばしました。
「しげる氏よ。こいつを最初見たとき、こんなヒョロヒョロガリガリで大丈夫かと心配していたが、意外や意外、見事に予想を裏切られたぜ。下手な野郎共よりよっぽどキモが座っている。男でも裸足で逃げちまうこのひでぇ掃き溜めに、こいつは泣きべそひとつかかなかった。最後まで笑っていやがった。まだどうなるか分からんが、まぁそれとなく期待してやるぜ」
「はい。彼女は絶対に笑顔を絶やしませんから」
……なるほど。
しげるさんは、想像通りの極悪な思考回路のようですね。
こうやって私を追い詰めていき、笑顔を奪う作戦なのでしょう。笑顔を失って暴走している私を尻目に、ヴィスブリッジは水面下で動く。その目的は、この工場の破壊? それとも乗っ取り? ふふふ、どちらにしても、私は神になんてなれませんから。あれはすべて嘘。あなた達悪党共を道づれにするための、遺言なの。
それからあっという間に一ヶ月が経ちました。
ハードな職場ですが、なんとかまだヘラヘラと笑いながらやっています。
昼休憩。
工場内の事務所で、工員さん達とお昼を食べていました。
パサパサしたごはんに漬物がちょっと。
粗末な食事ですが、今の私にとっては素晴らしいごちそうです。
この時間が唯一の楽しみになっています。
この日は鬼軍曹こと、早間工場長はいませんから、特にうれしいです。
もぐもぐ食べている私に、一人の若い男性が話しかけてきました。
入社一年目の雄二さんです。誠実そうな優しい顔つきをしており、初心者の私にも、丁寧に仕事のイロハを教えてくれています。
「どうして優ちゃんは、いつもそんなに笑っていられるの? 仕事は辛くないのかい?」
「え? あはは、お仕事はきついです」
「だろ? ここ、やばいよな。俺、工場長にマジで殺意感じているぜ」
その言葉に、他の工員さん達も一斉に頷きました。
「俺もだ」「わしも」「おいらも」
「アッシなんて、毎日、明日こそ辞めよう、明日こそ辞めようと、心に誓いながら、本日まで至る、まる、と――」
「だけど、どういう訳か、辞めることができないんだよな」
――え?
辞めることができない?
もしかしてみんな、会社とそういった契約を結んでいるんですか?
私はヴィスブリッジからの紹介でここにきているから、細かい契約を聞かされていません。とても不安な気持ちになりました。ヴィスブリッジと心中するつもりでしたが、罠にはめられているのは、もしかして私の方なの??
別の男性が話を続けています。
「辞めようとすると、いつも頭が真っ白になって身動きすらできなくなっちまうんだ。やばい時なんて、息すらできねぇ」
「俺もそうだ。そんな感じになる。絶対に、ここ、やばいよな。呪われているぜ」
彼らの話によると、社長はすごく怖い人のようで、その人に辞表を出すことをいつも躊躇してしまうそうです。気持ちはよく分かります。少なくとも、契約で縛られている訳ではありませんでした。
みんな暗い顔をしたまま、ごはんを口の中に運んでいます。
そんな中、雄二さんは箸をとめて、私の顔をじっと見つめました。
「え? どうしたんですか?」
「でもな、俺……、優ちゃんを見て、考えを改めたんだわ」
「え?」
「俺もみんなと同じで、いつも辞めたい、辞めたいって思っていたんだ。そんな暗い迷宮を彷徨っていた。でも優ちゃんって超前向きじゃん。俺もマネして笑ってみたんだ。
無理にでも笑顔を作ることで、ちょっぴり前向きになれるような気がした。
そして前を向いて働くようになったら、色々アイデアが浮かぶようになってきたんだ。
こうやったら仕事の効率が上がるとか、こんなやり方をしたら、もっといい物が作れるとか、そういったワクワクするような発想が出てきたんだ……。
そしたら、わりとこの仕事も楽しいかな……って思えるようになってきたんだ。
工場長はマジで超嫌いだけど、俺、もうちょっと頑張ってみようと思う。工場長なんて死ねばいいけど、笑顔で仕事に励めば、こんなクソのような会社も楽しく感じるような気がしているから」
その時でした。
事務所のドアがバンと開きました。
それは鬼軍曹でした。
やばいです。悪口を聞かれてしまいました。
雄二さんは喉を詰まらせて、ゴホゴホと咳き込んでいます。
「やっと気付いたな!」
その声で、みんなは一斉に鬼軍曹を見ました。
鬼の工場長は右の頬を上げて、にやりと笑っています。
「そうだ! 雄二。そしてお前ら!
やめてぇ、やめてぇ、と思いながら嫌々やっているから、禄でもねぇ物しか作れねぇんだよ! そんな気持ちだったらどこへ行ったって一緒さ。確かにここの仕事はきつい。でも、その中から楽しみを見つけていくことこそ、真の職人が目指す姿なんだよ! 今頃になって、ようやく気付くとは、なんて間抜けな連中なんだ! 俺は最初から優の才能を見破っていたぞ! 優は仕事をガチで楽しんでいる。だからこんなキツイ職場でも、毎日笑っていられるんだよ。なぁ、優!」
え? あ、はい?
よく分かりませんが、反射的に頭をコクコクと頷かせました。
工場長は力いっぱい私の頭をゴリゴリ撫でてくれました。
私は、仕事で評価されるなんて初めてでした。
本当はこのお仕事、嫌で嫌で仕方ありませんでした。
キツイし汚いし……。
でも、それでも、私は笑い続けました。
それしかできないから。それが私の才能だから。
止めどなく涙が流れてきました。
その日から、この職場がだんだんと好きになってきました。
工場長は相変わらずキツイですが、最後に必ず褒めてくれます。
私はどんなに辛くても笑顔を絶やしませんでした。
雄二さんはそれを見て、
「どんな時も笑っていられるなんて、さすが優ちゃんだ。俺もまだまだ頑張るぞ!」
その勢いはあっという間に工場内みんなに伝播していきました。
――どんなに辛くても優は笑う。だから俺も頑張る。
その合言葉が、このブラック企業に活力を戻していったのかもしれません。
それは売上にも現れていると、工場長から教えて頂きました。
この日は仕事が終わると、工場長が事務所にみんなを集めました。
いつも以上に真剣な顔つきで、みんなの顔を見渡します。
「お前らのおかげで、このAKUGYOUカンパニーは、ヴァレリア公国でトップクラスの生産工場になった。すべてお前らの頑張りの成果だ。ありがとう、みんな。そして一番感謝すべきは、この原動力を作ってくれた優。
ありがとう、優。
心から感謝している。
だから、今夜、社長に直談判に行こうと思っている。
この会社には、休みがない。残業の報酬はもちろん、あらゆる成果に対して何の評価もない。怪我をして仕事ができなくなったら、即お払い箱。
俺たちがどんなに頑張っても、浮かばれるのは社長だけだ。だからその社長に、もっと働きやすい環境にして欲しいと嘆願するつもりだ」
その言葉で、雄二さんが目を赤くしました。
「こ、工場長……。俺、あなたに付いてきて本当に良かったです。で、でも……」
「でも、なんだ?」
「そのようなことをして、果たして大丈夫でしょうか? 社長は逆らった者を絶対に許さないと聞いたことがあります。俺が入社する前の話でよくは知らないのですが、噂では、その昔、待遇面の改善をお願いした前工場長は、突如姿を消したとか……」
「あぁ、良く知っている。社長は俺以上の鬼だ。悪鬼だ。だが、俺はやらねばならない。それがお前らのために出来る唯一の恩返しなのだから」
私はとっさに工場長にしがみつきました。
「だ、駄目です。殺されてしまいます! 死んじゃぁ嫌です!」
この職場は辛いです。
しんどいです。
女であり体力もあんまりない私が、こんなハードな仕事をやり続けていたら、近い将来、必ず体を壊すと思います。
でも、ここは私にとって唯一の居場所なのです。ここなら私にかけられた呪いが、悪い方向に作用しない。ここの人たちは、私を認めてくれる。ここは、そんな夢のような場所なのです。
でもそれを実現してくれたのは、雄二さんや工場長なのですから。
だから、必死で止めようとしました。
「優。心配してくれてありがとう。だけどよ、いつまでも我慢していては駄目なんだ! 俺たちは社長の奴隷ではない」
「じゃぁ、私も一緒に行きます!」
「優……。気持ちはありがてぇが……奴は……」
私はまっすぐに工場長を見ました。何を言ったら良いのか全く分かりません。どうやったら工場長を守れるのかなんて、私に分かる訳がないのです。
でも、工場長に死んで欲しくありません。万が一の時は、私が盾になってでも守る。だから口から出まかせを言いました。
「私には笑顔という武器があります。だからもし、工場長がピンチになっても、この武器で絶対になんとかしてみせます」
工場長は、にっこりと笑ってくれました。
「分かったよ。優。一緒にお願いに行こう」
「俺も行きます」
その声は雄二さんでした。
「……そうか。分かったよ。一緒に社長と戦おうぜ」