2 天使の笑顔1
もうちょっとだけ閑話が続きます。
物語の視点は、この世界に迷い込んだとある少女になります。
ここは小さなレストラン。
店長さんと数名のウェイトレスだけで、店を切り盛りしています。
店長さんは言葉数の少ない頑固者ですが、味は一級品。だからお昼時のこの時間帯になると、店の外まで行列が続いています。やっとの思いで働き口を見つけた私は、朝から一生懸命お料理を運んでいます。
――ガッシャーン!
その音で、お客様の視線が私に集まってきました。足元には、私がドジをしてできた残念な結果が散乱しています。割れたお皿や崩れたオムライスを見ると悲しくなってきます。だけどこういう状況に陥ると、必ず自分の特記事項が私に意地悪をするのです。
――でも、とにかく頑張るしかない……
「またやったのか!」
「あ、店長さん。すいません。すぐ片付けます」
「……その前に、ちょっといいか?……」
え?
「お前、まったく反省していないだろ!」
「そんなことはありません」
店長さんは、厳しい顔つきで私をにらんでいます。
「とても信じられん。また失敗するに違いない。だってお前は、いつもそうやって笑ってごまかしてきたんだ。今回だって……」ギロリ。
「ち、違います」
されど窓に映った私の顔は、こんな時でもニコニコ笑っているのです。
頬の筋肉にいくら力を込めても、自然と唇の両端が上がってしまうのです。
これは私にかけられた呪い。
私は特記事項に『どんなに辛くても絶対に笑顔を絶やさない』と書いてしまったのです……。
店長さんは厳しいまなざしで、私に視線をぶつけてきます。
そりゃ、どんなに優しい人だって、失敗をしたのに笑っているとおもしろくないと思います。
私の呪いを知って貰おうと、言葉だけでなく文字や身振り手振りまで使って伝える努力を何度もしましたが、いつも失敗に終わります。
この特記事項には更に続きがあるからです。
それは『――失敗しても絶対に言い訳なんてしない』です。
言い訳ではなく、状況説明なの。そう心の中で叫んでも、この縛りが解けることはありませんでした。
そう――私はこのような状況下になると、ただただ「あはは、あはははは」と笑うしかできなくなるのです。
他のウェイトレスもやってきました。
「優ちゃん。どうしていつもヘラヘラしているの。早く謝りなよ」
「……あは……、あはははは……」
店長さんは、とうとう真っ赤な顔になりました。
「どうしてお前は、いつも、いつも、そうなんだ!!」
「あは……」
「確かに俺は不器用な性格かもしれねぇけど、この仕事に情熱をかけているだ。俺の料理で喜んでくださるお客様に全力で向き合っている。もちろん俺のことを応援してくれるお前たちにもだ。仲間のみんなにも幸せになって欲しいと心から願っている。俺は失敗を怒っているんじゃない。失敗なんて誰にだってあるさ。失敗した時、どうして失敗したのかを考え、その後、改善していくことで、より良いものが生まれる。そうやって一歩ずつ確実に前進していけば、必ず道は開かれると信じている。だが、お前はそれを乱しているのだ! どうしてそれが分からない!? 何が不満なんだ!?」
不満などまったくありません。いつも気にかけてくれて本当にありがとうございます。それなのに、ごめんなさい。これが私の特記事項なのです。いくらそう心の中で叫んでも、表面上の私はヘラヘラ笑っているのです。
「……あは……。あは、あははは……」
「そうか……。分かったよ。金輪際、お前の顔など見たくない。出ていってくれ!」
また追い出されてしまいました。
これで何度目になるのでしょうか……。
荷袋を背負い、トボトボとレンガ道を歩いています。
あのレストランの店長さんは良い人だったと思います。今までお世話になった人の中でもトップスリーに入るクラスです。
ヘラヘラ笑っている私に、別れ際、今日までのお給金をくださったのですから。それだけに、私は自分の特記事項を呪いました。悔しい気持ちでいっぱいです。でも、今、この瞬間でも、私はヘラヘラ笑っているのです。
そういえば、その昔、冒険者を目指そうと思ってギルドに通い詰めたこともあります。とにかく笑顔だけには自信があります。それ以外、あまりできることもないのですが。
そんな私は、いつも序盤だけは順調でした。
ちょっと前の話になりますが――
パーティを組んでくれたリーダーの男性に、
「優ちゃん、元気なその笑顔に癒されるよ」
と言ってもらい、うれしい気持ちいっぱいで、彼らとの冒険はスタートしたことがあります。
リーダーの男性は、真一と名乗りました。
盾や法衣などの装備を分けてもらい、プリーストとして後方支援にあたることとなりました。
「まだ、あまり魔法が使えませんが」
「大丈夫! 俺達には、まるで蒼天のように雲一つなく突き抜けている君の笑顔が必要なんだ。うーん、そうだな。君のコードネームはスマイルエンジェル」
その言葉で、ますますうれしい気持ちになりました。
だけど旅の途中。
モンスターの出る深い森で、最初のいざこざが起きてしまったのです。
デビルスネークという大型の毒蛇に囲まれ、その一匹が私に襲い掛かってきたのです。咄嗟にパーティのひとりが私の前に立ちはだかって、鋭い牙からかばってくれました。狩人のエレナさんです。腹部が赤く染まっています。噛まれてしまったのでしょうか。すぐさま真一さんが斧で斬りつけて、デビルスネークの群れを蹴散らしていきます。
「スマイルエンジェル。早く解毒を!」
え、解毒魔法は、まだ覚えていないよ。
あたふたと慌てていながらも、私はヘラヘラ笑っていたのです。エレナさんは苦しそうにうずくまっているというのに。
「笑っていないで、早く解毒を! 毒が全身に回ったら一巻の終わりだ!」
――え? え? だって、私……
解毒魔法がないから……と、それを言おうとすると、例の特記事項が勝手に暴走し、私の行動をすべて規制してしまうのです。
「あは……。あははははは……」
「もういい。俺がなんとかする。横になれ、エレナ」
真一さんはエレナさんの服を破ると、傷口に口をつけ、血を吸い取り、ペッと吐き出しました。私はその様子を、ヘラヘラと眺めているくらいしかできませんでした。
真一さんは怪訝な眼差しで、私を見つめていました。
これ以降、私たちの関係は、だんだんと悪化していきました。
パーティが苦しいときや悲しいとき、悔しくて泣いている時も心の底から怒っている時でも、私だけがヘラヘラ笑っているのですから。
とある宿屋。
パーティのみんなで作戦会議をしている最中、真一さんがぽつり言いました。
「スマイルエンジェル、君の笑顔は気持ち悪い……」
エレナさんは軽く私に視線を流すと、フッと笑ってすぐにそっぽを向きました。
それでも私はヘラヘラと笑っていました。
もうここにはいられないことを悟り、その日の夜、こっそりとパーティから抜ける決意をしました。
綺麗な満月を見上げ、笑いました。私は笑顔という仮面の奥に、感情を押し殺すようになっていきました。顔では笑っているけど、何も思わないように努力を続けました。正直とてもつらいです。でも、それしかできない。そうしないと自我を失ってしまいそうでした。
* * *
レストランを解雇された私は、数日の間、職を探そうと街を放浪しました。
店舗の前に張られている求人の紙を見つけて、条件を読みます。
『必要スキル、笑顔と接客能力だけ。あなたのやる気を200%評価します!』
――これなら、私にもできるかも……
でも、いざ、店のドアに手をかけようとすると、今までの失敗が走馬灯のように蘇ってくるのです。
何時間も店の前に立ち尽くしました。
ギィと店の戸が開きます。
ひょっこり顔をのぞかせたのは、この店舗のオーナーさんでしょうか?
「君。何か用かい? あ、もしかして店の求人を見て?」
「あ、いえ」
「君、笑顔が素敵だね。良かったら、うちで……」
とても雇ってください、と口にすることができませんでした。だって、この笑顔は毒されているのですから。それも猛毒です。そのうち毒が頭に回って、私を殴りつけたくなります。逃げるように、その場から立ち去りました。
それから6日が経ちました。
遂にはお金が底をつき、路上生活を余儀なくされました。
道端に座り込み、それでもヘラヘラと笑っています。
何日もお風呂に入っていないので、髪も体もベトベトに汚れています。服だってボロボロ。通り過ぎる人たちには、私がどのように映っているのでしょうか。考えると悲しくなるので、思考をすべて放棄して、じっとしていました。おなかは既にペコペコを通り過ぎて、よく分からない感覚に陥っています。
――このまま飢え死にしちゃうのかな……
何度もそのようなことが頭をよぎりました。
茶色い髪をしたお兄さんが、私の方をジロジロ見ています。
私なんかが珍しいのでしょうか?
「どうしたんですか? 私を見て、面白いですか?」
「失礼かもしれないけど、もしかして、君、特記事項で失敗したんじゃないですか?」
――え?
うん、と言おうとしたけど、私には特記事項『失敗しても言い訳ができない』があります。だから、『失敗したんです、助けてください』と言おうとしたら、いつものようにヘラヘラと笑い声が出てしまいます。何を聞かれても、無意味にニコニコするくらいしかできませんでした。
「良かったら僕の会社に来ないかい? どんな人でも安心して仕事ができる会社を作ったんだ。僕は絶対に裏切らないから」
「あは、あはは……」
「君、名前は? おなかが空いているんだろ?」
そう言ってお兄さんはパンを差し出してくれました。
「……あはは……、私、優です。パン、ありがとうございます」
「素敵な笑顔だね」
お兄さんはそう言って、ニッコリ頷いてくれました。
みんな最初は私の笑顔を良く言ってくれます。だけどいずれ、この笑顔が私から幸せを奪い去るのです。だからもう、期待などしていません。
でも、このお兄さんを見ていると、胸の奥が熱くなります。
――もしかしたら……
少なからず、そういった期待があったのは間違いありません。