29 リア
その後リアが向かったのは、別の高利貸しだった。
そこにもまるで絵に描いたように典型的な借金苦に悩む少年が泣きべそをかいており、そして先ほどとまったく同じ光景が再現された。
高利貸しの強欲なデブの前で土下座するススだらけの少年。
借金が膨れ上がっており、リアは彼にも高飛車な仕草で1000万円相当のriraを貸して悪魔召喚の契約を結んだ。
随所で自らを悪女と名乗るリアではあるが、彼女の行動は、俺の目には行き詰った子ども達を助けているようにしか見えなかった。
本当に悪い女は、自らを悪女と言わないような気がする。
真の悪女は、自分が世界の中心だと勘違いしているから。
確かにリアは俺に暴言を吐きやがった。
その言動は、俺を嵌めやがったクソ女に酷似しているように思えた。
あの女――俺の人生を滅茶苦茶にした白鳥京子は、俺に向かって臭い息を吐く豚だとぬかしやがった。
リアも近いことを口にした。
目が腐るとほざいた。
だから俺は猛烈に怒りを覚えた。
もしかして、こいつ……あいつなのか。
そうとまで思えた。
だけど、おそらく違う。
格が違う。
俺を嵌めたギャルは、明らかに小物。ただのわがままなガキだ。
リアの性格は気にいらねぇが、ひとつハッキリと分かることがある。
悪魔召喚のために生贄が欲しいと言っていたが、本当の悪女なら金に困っている子を誘わない。
金を立て替える意味がない。
メシで釣る、色気で釣る、言葉巧みにたぶらかす、いくらでも手があるはずだ。
少なくとも俺が悪い女かつ美女なら、そうする。
そもそもリアには、バカや阿呆をたぶらかすスキルがあるのだから、尚のことだ。
*
陽が落ちる頃、ようやくリアは帰路へついたのか、先程までの気品ある行動をやめ、ハイヒールからスニーカーに履き替え――なんと走り出したのだ。
努力ができない負荷があるのがよく分かった。
走るとすぐに顔色が悪くなるのだ。
2、3分走ると、土気色の顔になる。
時折、建物の壁や木に背中を預けて「はー、はー」と呼吸を整えるとじきに、シャキッとすました美人お姉系の顔つきに戻る。
そしてまた走り出す。すぐに「はー、はー」と息を荒げる。
魔法で帰れば良さそうなものなのだが、わりと転移は、魔法力、そして体力まで消耗する。異空間に全身をぶっこんで高速移動するんだから、大抵の奴なら翌日は筋肉痛だ。まぁ俺にとっちゃぁ毛ほどもねぇが、レベル67の魔道士ならかなりでかいダメージだろう。
だからって走って帰るのと天秤にかければ、リアなら転移の魔法を使いそうに思えたのだが意外だった。
急がないと海堂との契約期間が来ちまうからか?
それとも魔力を温存しているのか?
俺は後者に思えてしかたなかった。
なんだか必死なのだ。
努力できない、泥臭いことをしない女が、形振り構わず必死に走っている。
生贄を使って悪魔召喚しているんだろ?
だったら翼の生えた悪魔でも呼び出して、背中に乗っけて貰えばよさそうなものだ。
ふと、気付いた。
リア、あいつの目、蒼かったんだ。
それは良く見ないと分からない程度ではある。
変なことを言うようではあるが、月明かりのもと真剣に走っているあいつの目はとても綺麗に感じた。
今まで人を小馬鹿にするように半眼で斜め上から見下ろしていたから気付かなかった。目を大きく見開いて無我夢中で走っているから分かった。
とにかく俺はリアが何者なのか、どういう奴なのか、気になってしかたなかった。
こんな奴、どっかで見た気がする。
そんな気がしてならねぇんだ。
不器用で言葉数少なく、よく嘘をつき、自分を偽り、だけど純粋で……
かつての俺が話すことができた数少ない女。
俺を幾度となくバカと呼んだ女……
顔はまったく別人。
それにここまで捻くれてねぇ。相手を手玉にとれるような奴でもねぇ。
むしろ逆だ。
あいつは男を恐れていた。他人を恐れていた。
それなのにあいつは夜の蝶を目指していたんだ。
その子の名は、菊名Lear。
ロシア人の母と日本人の父を持つハーフ。
父は失踪、日本語の不自由な母は、父が残した多額の借金を背負っていた。
Learはお金が必要だった。
でも……
あいつは幸せになれた。
夢を叶えて羽ばたいて行った……
こんなところにいるはずはない。
ただの思い過ごしだ。
なんとなく似ているだけ。
しいて言うなら、目……かな。黒い瞳孔の中、よく見ると蒼い輝きを放つ、そんな瞳。
だけどあいつは、人を蔑むような目はできない。
涼しい一陣の夜風が、俺の前を通り過ぎる。
*
暗い林を抜け、ようやくリアは自宅にたどり着いた。
意外だった。
あの容姿、そして偉そうな態度や言葉遣いから、もっとゴージャスなゴシック調の洋館にでも住んでいるのかと思っていた。執事や召使をはべらかして悠悠自適に暮らしているものとばかり思っていた。
彼女の家は深い森の奥、太い大木の上に作られた簡素な小屋だった。周りにはコケやつるが張っており、まるでおとぎ話に出てきそうな孤独を愛する魔女がひっそり暮らすような、そんなたたずまいだった。
リアはスニーカーを脱ぎ捨てて裸足になると、木によじ登り、小屋の中に姿を消した。