22 聖華さんの過去
天井にライトニングボルトを最小限にして放ち、梶田の屍に落とす。
天井が崩れて下敷きになったという事にして、事件は幕を閉じた。
アルディーンはラスボスに一撃すら与えずに終了したこのあっけない幕切れに、少々物足りなさを覚えているようだったが、これでまぁ一件落着だ。
アルディーンは、俺達を打ち上げに誘ってきた。
*
この国に来て以来、いつも利用している宿屋の一室。
ビールやシャンパン、ジュース、スイーツ、スナック、肉や魚や果物まで買い込んで、勝利の宴なんてやっている。
なぜか誠司さんがいる。
打ち上げに誘ってきたのは、アルディーンだった気がする。
そして誘われたのは、エルカローネと悪魔っ子だった。
だけど部屋にいるのは、聖華さんとリーズ。
おい。
お前ら、腹痛で救急馬車に乗っていたことになっているんだぞ。
ほら、リーズ、つっこんでやれ。
普通に和んでいる。
スナックの袋を二つ開けたくらいになって、ようやく聖華さんが、
「あれ、勇者アルディーン様は?」
と、誠司さんに所在を問いただすと、
「あ、戦いの勝利を告げてどこともなく消えたよ。こういったのは苦手らしい。そういえばエルカローネは?」
「えーと、そうそう、あの人もこういう賑やかな場は苦手だからといって、お空へ飛んでいきました」とお菓子をつまみながら聖華さん。
「悪魔の人は?」と二人。
リーズは俺を見ている。
分かっているよ。代弁して欲しいんだろ?
「悪魔っ子は、下痢でお腹がビチビチになったから先に帰った」
おい、リーズ、睨むなよ。
数時間の楽しい談話も終わり、それぞれの部屋に帰ることになった。
まだ外は薄暗い。
さすがに丸一日活動したことになる。
みんなはすぐに熟睡するだろう。
俺はどうもすぐに眠る気にはなれず、缶ビールを持ったまま、近くの小高い丘にやってきて腰を下ろした。
柔らかい草が心地いい。
夜明け前の街を一望して、ビールに口をつける。
もうぬるくなっちまったな。まぁいいか。
ザッという足音で俺は振り返った。
「リーズか」
「横に座ってもいいですか?」
あぁ、と俺は頷いた?
いったいどうしたんだろう?
「おい、なんか飲むか? 高速移動できるから宿からすぐに取ってこれるけど?」
「いえ、大丈夫です」
何か特別な用があるんだろうけど、女の子とこういう所で話すのは苦手だ。
黙っているとリーズの方から切り出してきた。
「聖華さんのこと、まだ思い出せないのですか?」
「俺、彼女に会った事があるのか? ごめんだけど、まったく覚えていない」
「そうですか。聖華さんは『吉岡しげるさん』のことを良く知っています」
「……思い出せない。どこで会ったんだ?」
三角座りをしたリーズは、目を閉じて、口を重たく閉ざした。
少し風が出てきた。リーズの前髪が揺れている。
俺は腰をあげ、
「冷えてきたし、もう帰ろう。また話したくなったら教えてくれ」
「待ってください! あなたは知っておかなければなりません。
兄にとっての、『吉岡しげるさん』はY氏。
そして聖華さんにとっての『吉岡しげるさん』は、風の旅人」
?
「まだ思い出せませんか?
どういう訳か、誠司さんに、Y氏が自分だと教えなかったので敢えて何も言いませんでした。
ですが聖華さんは、近い将来、風の旅人があなただと分かってしまうと判断しました。何気に今日使っていた、太陽の聖女……。
あれも『吉岡しげるさん』が、彼女に付けた名です……」
俺が……?
「だから釘を刺しておこうと思いやってきました。
聖華さんの中には、恐らく四人の人間しか記憶に無かったと思います。
その中の一人が、風の旅人です。
聖華さんには、ご両親はいません。
まだ幼い時に火事に遭い、大きな怪我をしました。
そんな彼女は叔父に引き取られ育てられました。
叔父はすべて家政婦に任せ、彼女に何もしてあげませんでした。
叔父は聖華さんの事が、心底嫌いだったのでしょう。
いつも「貧乏くじを引いた」と言っておりました。
火傷をした顔を見たくないから、ゲームを買い与え、部屋から出るなと命じるくらい冷たい男です。
家政婦が叔父に、「愛情を注いでやって欲しい」と言うと、解雇して、また別の家政婦を雇いました。だから何も言わない家政婦だけが残り、聖華さんの身の周りの世話をしました。
世話と言っても、おそらく適当だったと思います。
じゃないと務まりません。
まともな神経の人間なら、ハンディーを背負った子に愛情を持って接するでしょう。
そのような所が微塵も無かったのです。
聖華さんが笑いかけても、泣いても、嗚咽を漏らしても、決して話しかけてくれることはありませんでした。
そんな聖華さんが、5歳の時。
体の調子が良かったので、叔父や家政婦の留守中、車いすに乗り、外へ出ました。
家は一応バリアフリーになっていましたが、かなりの運動量だったと思います。
だけど、それ以上に好奇心が勝ったのです。
たくさんの子が集まる公園までやってきました。
楽しそうだと思ったのでしょう。
声をかけたかったけど、なんてかけてよいのか分かりません。
とにかく近づいていきました。
すると一人の男の子がやってきて、聖華さんの顔にしてあった包帯を取ったのです。
そして残酷な言葉を投げかけました。
あたしの口からはとても言えません……」
……ひでぇ。
「男の子は友達にも声をかけて、お前も見ろよ。見れたもんじゃねぇ。そのような言葉を投げかけました。
聖華さんは、どういう心境だったのでしょう。
考えるだけでも辛いです。
その時やってきたのが、風の旅人さんでした」
……なんか思い出した。
「男の子達をおっぱらって、地面に落ちた包帯を公園の水道で洗ったみたいですが、どうもキレイにならないので、急いでコンビニへ走り、包帯を買ってきて彼女にしてあげました。
そして彼女に向かって、
『すげーべっぴんさんじゃねぇか!』
と言ったそうです。
聖華さんは、『違います』と弱々しく答えました。
そうすると、何やらメモ書きをして、聖華さんの胸のポケットにしまい、
『絶世の美人になれる魔法を書いてやったぜ。読んでみたいだろ?』
と、言いました。
もちろん聖華さんは頷きます。
『これを読むには、ちっとばっかし勉強が必要だ。頑張って勉強して読んでみるといい』
そして風の旅人は、車いすを押して彼女の自宅まで送り届けてくれました。
その紙には、漢字でびっしりと書かれていました。
小学生に上がる前の彼女には難し過ぎます。
どうしても読みたくて、必死に勉強しました。
どうやって勉強する道具を揃えたのかは分かりません。心無い家政婦にお願いしたのか、聖華さんを嫌っている叔父に相談したのか、実のところ分かりません。
ただ物凄い努力をしたのだけは確かです。
手紙には、
『どうだい。勉強が楽しくなっただろ?
キレイになりたかったらもっと勉強したらいい。
医学を学べば、自分でなんとでも出来る。
別に医学じゃなくてもいい。
好きな事を見つけて何かのトップになれば、あんたの周りには優秀な奴が集まり、絶対にあんたの傷を治してやると、誰かが名乗り出てくる。
悪党には高額をふっかけるヤクザ名医だって、無料で治してくれるだろう。
だけど、その頃には、あんたはその傷に誇りを持って生きていると思う。
だって、俺、こんなにブ男だぜ?
だけどこの顔が好きだ。
最後に俺の好きな言葉を送る。
あなたを笑顔にしてみせます。期待は絶対に裏切りません。
太陽の聖女へ。
風の旅人より』」
リーズは一旦言葉を切って俺をみた。
「思い出したよ。風の旅人は、俺だ」
「吉岡しげるという人物は、聖華さんの心を救ったのです。彼女は一流の人間になって、再びあなたに会いたい一心で、勉強を続けていました。
家の中も外も、誰一人味方はいません。
みんなは恐ろしい言葉を投げかけてくるのです。
だからあなたの言葉を何度も読み返しては日記をつけ、そうやって17歳まで生きてきました。
そうとうな覚悟で大検を受け、合格し、少しずつですが、外に出て、何とかトラウマを克服しようとしたその時――
そんな彼女を腐った化け物が襲ったのです。
でもそれはあたしのせい。
あたしが化け物を招いたのだから。
彼女は抜け殻のようになって、部屋で笑ったり、泣いたり。
あたしは聖華さんの部屋で日記を読み、彼女の壮絶な人生を知りました。
今、聖華さんがあたしの正体を知ると、
そしてあなたが『吉岡しげる』と知ると、
醜い化け物が、再び彼女の心を襲います。
だから兄にも内緒にしておいてください。
風の旅人が書いた手紙と、Y氏が兄に送った言葉はあまりにも酷似しています。
いずれ時が来たらすべてを開示します。
だからお願いします」
また出てきた。
――腐った化け物……。
「この前から化け物、化け物って。奴はいったい何者なんだ!?」
「今は言えません。あなただって壊れてしまうかもしれませんから」
「一つ教えてくれ。腐った化け物とやらは、こっちの世界には来ていないんだろうな?
よく分からんが、相当やばい奴なんだろ?
そんなのに会いたくねぇぞ」
「あたしが命と引き換えに差し違えましたから……」
「そうか……。ならいいんだ」
「ところでしげるさん、あなたは聖華さんに特別な感情を抱いていませんか?」
「え? そりゃぁ、可哀そうだと思うけど」
「それ以上の……男女としての感情です」
リーズは真正面から俺を見て、そう言った。
「そういう気は……ないよ。
それに俺は決めているんだ。
聖華さんが一人前になったら、彼女の前から去ると」
「……やはり、そのような事を考えていたのですか。
あなたは呪われた十字架を背負っている。
もしあなたにその気があっても、彼女を受け入れてあげることができない。
聖華さんは、風の旅人を永遠の想い出に変えた方がいいのかもしれない。
……この恋は、あまりにも残酷過ぎます」
リーズはそれだけ言うと、一礼して俺の前から立ち去った。
泣いていたようにも見えた。
ビールに口をつける。
にがい。