6話 ゑびすビル
春の空がオレンジ色に染まっていく。だが聳え立つビルの谷間にあるゑびすビルから、沈む夕日を望むことは出来ない。いや、この町で沈む夕日を拝める方が奇特かもしれない。
たった一日前だ。ゼグドとレイは、神々のいざこざに巻き込まれ、この異世界に飛ばされた。なりゆきで、ゑびす商会と雇用契約を交わすはめになった。
今日は、この世界で言う赴任休暇というやつで、一日だけ休みとなった。見知らぬ世界での新しい生活の準備や、色々とゴタゴタしている間にこの時間だ。
昨日、二人の傭兵は、秘書の鬼頭からゑびすビルを案内された。ゑびすビルは、五階建ての小さなビルだ。一階にはコンビニゑびそん、二階はクリニック・ミネルヴァ、地下一階にクラブ道づれがあり、三階にゑびす商会が入っている。
鬼頭と共に、エレベーターという箱に入り上へ下へと移動した。エレベーターの使い方は、この世界の情報の入った不味い飴のおかげでわかる。
だが、わかっている事と体に馴染んでいる事は違う。それに、この短い距離を自分の足で歩かないことも理解に苦しむ。
ゼグドが、エレベーターを使わず、薄暗い階段を降りて行くと、踊り場には緑色に浮かび上がるプレートがあった。中に『非常階段』という文字が書いてあった。文字を読み取り理解することは出来る。
それだけだ。
ゼグドは、1階にあるコンビニゑびそんに入った。鬼頭から店長だと紹介された鵜沼という男が、ゼグドに気付くと品物を並べていた手を休め寄って来た。
「ゼグドさん、いらっしゃい」
「おう」
今、ゼグドの瞳に映る鵜沼の胸元には、四角い白地に黒文字で『 仕 』という文字が画かれて入れる。ゑびすに言わせれば、〝 体操着の名前風 〟だと言う。
店内を見渡せば、他の店員や客の胸には『在』という文字が画かれている。中には、『外』という文字の客もいた。
元社長室で雇用契約を交わした後、ゑびすは、二人の異界人を外に出す前に、パンパンと二度手を叩いた。異界からの外来人ゼグドとレイの持つ瞳の色は、赤と銀だ。その瞳が、茶色と黒褐色に変わった。
赤も銀も、恋慕月の浮かぶ自分たちの世界では、珍しいものではない。しかし、この世界では、一般的ではないという。
腕には、この地域を統べる神ゑびすから在留許可を認められたブレスレットが与えられた。とはいえ、異世界の人間が目立つことは、好ましくはないのだ。
ゑびすが言った。
「その瞳はね、カラコンってところかな。でも、わしが授けた優秀なカラコンだからね、取り外しも洗浄もいらないよ。それから、オマケも付けてあげたからね」
そのオマケが、〝 体操着の名前風 〟ゼッケンが見えることだった。
この世界には、神、神仕え、在来人、外来人、ときに妖異(在来種、外来種)がいる。それらを一目で見分けられるように『神』『仕』『在』『外』『妖』とゼッケンで表示したと言うのだ。ちなみに、不法侵入した外来人は、赤地に白文字で『外』と書かれている。
頭で望めば、その者が持つ能力や情報もゼッケンに浮かび上がると言う。
「ただし」と、ゑびすは、続けた。
「ここには、個人情報保護法というのがあるからね、在来人の情報は、見えないようにしたよ。それから、わしら神や上級の神仕えは、ブロックしているから見ることは出来ない」
このゼグドの新しい茶色の瞳が示すように、目の前にいる店長の鵜沼は、一般の在来人ではなく神仕えだ。同様に、この店も表向きでは、ただのコンビニだが、奥に進めば、神関係や滞在許可を持った外来人を相手に、よろず屋を営んでいる。
それぞれに合わせた日用品から武器や防具に至るまで取り扱い、鬼頭の話では、たいていの物はそろうそうだ。昨日、ゼグドたちも、この世界の服や当座に必要な日用品を買いそろえた。今身に付けている服も昨日ここで買った。いわゆる“スウェットの上下”と言うやつだ。店長の鵜沼が「無難なところで」と出してきたものだ。軽くて肌触りも良いのだが、正直言って下着で外を歩いているようで心もとない。
これまでは装備だけでも10キロ近くあったのだ。
コンビニ店長であり神仕えの鵜沼は、鬼頭からゼグドたちの事情をきいていた。昨日も、何か手助け出来ることがあればと声を掛けてくれた。今日も、慣れない外来人を気遣うように寄り添う。
「ゼグドさん、そういえば、道づれのママが、店に寄るようにと言ってましたよ」
「おう」
ゼグドは、また階段を降り、地下1階のクラブ道づれへと向かった。
クラブ道づれの入り口は、金色をいぶしたような重厚な扉があり、不気味な中に幽玄な佇まいを持っていた。
中に入れば、さして広くない店内に黒い絨毯が敷かれ真っ赤な椅子が置かれている。そのカウンターの奥に、一人の女性が立っていた。
「よお、ばあさん」
「ばあさんではない。ママ、もしくは卑弥呼様とお呼びっ」
「ばあさんは、ばあさんだろうが」
「ふん。出来の悪いのはこれだから困るよ。相棒のイケメン坊やの具合はどうだい?」
ゼグドが、ばあさんと呼んだ女性の胸には『神』のゼッケンがある。この女性もただの在来人ではない。また、コンビニの店長同様、異界から来たゼグドたちの事情を知っている。
そして、昨日、鬼頭に連れられここに来た時、神通師レイが倒れた。
「レイ、どうした?しっかりしろ」
ゼグドの腕の中のレイは、額に大粒の汗を浮かべ、色を無くした唇で浅い呼吸を繰り返している。
「ミネルヴァをお呼び」
卑弥呼の言葉に鬼頭が頷いた。
駆け付けたのは、胸元が大きく開いた白衣を身に付けた美貌の女医だった。その胸にも『神』のゼッケンが付いている。
「あら、卑弥呼ちゃんお呼びかしら」
「ちゃん付けは、お止めといったはずだよ」
「だって、卑弥呼ちゃんかわいいから」
「いいから、この坊やを見ておくれ」
卑弥呼の言葉に、ミネルヴァもソファーに寝かされたレイを診察した。
「あら、この子、外来人ね。それにしても美形だわ。綺麗なのは嫌いじゃないの」
「おい女、そんな事よりレイの具合はどうなんだ?」
詰め寄るゼグドに、ミネルヴァは頷いた。
「原因は、わかったわ。元々あなたとこの美形君は、この世界の一般人の10倍と7倍のライフポイントを持っていたの。でも、ここでは半分になっているわ。そしてこの美形君はライフポイントの内2/3は、いわゆるマジックポイント、神通力によるものね」
鬼頭が、言った。
「残念ながら、ここは神通力の源になる神気が、極めて少ない」
「そう」
寝かされているレイが、呻くように口にした。
「……1と1/6、……1.1666」
「御名算。この世界でのこの子のライフポイントは1.1666。一般人の平均ライフポイントは1。その辺にいる人間と殆ど変わらないってこと。異界渡りのダメージや消耗は、渡った後に来るの。その軟弱な体に与えられれば、ここまで意識があったことが不思議なくらいよ。無理してたんじゃないの」
その後、休養を言い渡されレイは、新しく根城となった部屋に放り込まれた。
そんなことがあり、今日、ゼグドは、スナック道連れのママ卑弥呼に呼び出された。
卑弥呼が、カウンターの上にドンッと鍋をおいた。
「コンビニの出来あい物じゃ、体に悪いからね」
「ありがとよ。ばあさん、あんた見かけに寄らずいい奴だな」
「ふん。イケメン限定だよ」