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ゑびす商会  作者: まころん
第1章
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5話 正規雇用契約書

 異世界に否応なく引きずり込まれた大剣を背負った傭兵と美形の神通師の目の前には、有限会社ゑびす商会との正規雇用契約書が置かれた。


「レイ、任せた」

 ゼグドは、契約書を一応手に取り眺めたが、紙をバサリとテーブルの上に置き、戦場以外では持て余すだけの巨体をソファーに沈めた。

 任された相棒のレイは、言われるまでもなく契約書の隅々まで目を通し、顎に手を当てた。レイの考え事や物思うことがある時の癖だ。

「訊きたいことがある。国が違えば、言葉も文字も違う。異界ならば、尚更だ。異界の俺たちとお前たちで言葉が通じ、文字が読めるのはなぜだ」

 レイの質問に答えたのは、社長秘書の鬼頭だ。

「はい。お答えしましょう。現在、私どもは異界共通語を話しております。同様にこの文字は、異世界共通文字で書かれております。それが、あなた方に通じるのは、我々の間にゑびす様により翻訳の神通力が張られているからです」

「まぁ、わし、神だから」

 自慢げに腹をそらすゑびすを捨て置き、レイは、社長秘書を見据えた。

「鬼頭、それでは、その異界共通文字で書かれたという契約書の信憑性はどうだ?」

「はい。異世界共通語で書かれた正式文書は、異世界共通法により定められたものです。虚偽はございません。それにゑびす様は腐ってもこの地を統べる神で、私は神仕えですから」               レイは、また顎に手を当てると頷いた。

「……わかった。とりあえずは信じよう」

 その後、鬼頭は、改めて契約について細かなところを説明していった。

「わが社は、最近の不景気の中でも、優良企業として一生懸命働く社員を守るのが、会社の勤めと心がけております。雇用形態も全て正社員。福利厚生にも力を入れており、住宅手当も半額支給しております。そういえば、お二人のお住まいが、まだでしたね。東京は、家賃が高いですから。それに敷金礼金に保証人と何かと大変で」

鬼頭は、隣のゑびすに目を向けた。

「な、何?」

「ゑびす様、確か、このゑびすビルの4階に空き部屋があったかと」

 鬼頭の視線に加え、恫喝を込めた赤い瞳と銀の瞳に観念し、自称吝嗇家の神は唸った。

「うーん、家賃は、半分貰うからね。絶対」

「お二方、良かったですね。これで安心です。それでは、住まいも決まった所で、雇用契約書にサインをお書き下さい。それからサインは、正式名でお願い致します」

 初めにサインしたのは、ゼグドだった。

 ―  ゼグド  ―

「あのゼグドさん、苗字は?」

「あぁあ? 俺は傭兵の中じゃ『大剣担ぎのゼグド』って呼ばれてたがな、先祖代々由緒正しき貧乏平民だ。苗字なんかねぇよ。ただのゼグドだ」

「そうですか。ここでは苗字が必要になるので、ただの……ゼグド・タダノでいいですね」      「鬼頭、おめえ、面倒だから適当に名付けたろう」

「いえ、そんな。それでは、大剣、……ゼグド・ダイケンということでよろしいでしょうか」              ゼグドが頷くと、鬼頭はレイにもサインを求めた。ペンを渡されたレイは、一瞬躊躇した後、契約書にただ― レイ ―とだけ記した。

 しかし、その文字は契約書の紙面から浮かび上がると粉々になって消えた。

「レイさん、先ほど申上げた通り、異世界共通語の正式な文書には正式な名でお願いします」     レイは、不快を隠そうともせずムッとしたまま苗字を付け加え書きなおしたが、また文字は消え、更にもう一つ名を加えたが、やはり消えてしまった。

「レイ、往生際がわるいぜ。この異界の地で、おめえの名がばれたってどうってことはねえ」     ゼグドの言葉に、諦めたように息を吐いたレイは、自分の名を一気に書きなぐった。

「……これでいいか」

― レイリュウス・イアーグ・フュイファン・シドウ・アモウ・ロウドューリュ ―

「……んん?」

「ほう、随分と御立派な名をお持ちで」

 どの世界であろうと、これだけの名を持つのは、ただの平民であるはずはない。

「フン。捨てられるものなら、捨てたい名だ」

 レイは、横を向き髪をかきあげた。

 

 雇用契約書を取り交わすと、鬼頭は立ち上がり奥の棚から瓶を取り出した。中に入っていたのは、赤い飴玉だ。

 鬼頭は、瓶の蓋を外すと飴玉を二つ立つ取り出し、二人の異界の男に差し出した。

「この世界で生活する為にも、お仕事をして頂く為にも、この世界の知識を持ってもらわねばなりません。この赤い飴玉には、言葉と文字の情報が入っています。さ、どうぞ」

 男たちは、躊躇した。二人が、長年身を置いてきた戦場は常に謀略が飛び交っていた。さっきは気の緩みから茶を口にはしたが、おいそれと知らないものを口にすることは出来ない。一方で、言葉の通じない苦労は、旅の中で身にしみている。

 鬼頭は、促すように続けた。

「この部屋の外へ出れば、あなた方の言葉も文字も通じません」

 言葉も文字も通じない見知らぬ異世界。愛慕月の空で蛇の妖異を見つけてしまったばかりに、建造物の林の中に紛れ込んでしまった。直ぐに帰ることは叶わず、この異界に身をまかせねばならない。夢でも何でもなく、覆しようもない現実なのだ。

 初めに手を伸ばしたのは、神通師レイだった。

「おい、レイ」

 いつもは、警戒心の強い相棒の行動に、ゼグドは、目を瞠った。

 レイは、腹をくくったのか、迷うことなく飴玉を口に入れ、そして顔を歪めた。

「ッウグッ」

 口元に手を当て、もう一方の手でテーブルに手を掴み、堪えるように肩を震わせた。そのレイの肩をゼグドが抱えた。

「レイ、大丈夫か」

レイは、呻きながら声を絞り出した。

「……¶ΔΠΨ☆」

「おい、何だって?」

「Φ☆δθζ、λθ¶ΔΠ、θΦζΘη」

「何、言ってんのかわかんねえよ」

 うろたえるゼグドの一方で、ゑびすと鬼頭は、悶絶するレイに称賛の声をあげた。

「ほう、こりゃ、大したもんだ」

「ええ。やりますねぇ」

 その二人には、レイの言葉はこう聞こえていた。

「……まずい」

「nasty!まずい、实在不好吃まずい、ليس جيدًاまずい」

「英語、中国語、アラビア語ですか。これは、使えますね」

 鬼頭は、特にご満悦だ。どうやら、数ヶ国語をマスターしたらしい。

 レイが落ち着くと、今度は、ゼグドが、恐る恐る飴玉を口にした。ゑびすと鬼頭が期待を込め見守るなか、なんとか飴を呑み込んだゼグドが喚きだした。

「どあほ!こしたら〝めぐね〟ものば食わせらのんて、おみゃあら、おらを殺す気か」

「大阪弁に津軽弁、沼津弁か」と、腕組みをしたゑびすが首を傾げた。

「ゑびす様、この飴玉は、あくまで情報でして。それを活用するのは個々の能力に応じるものですから。それに今は地方の時代です。地方に出向いた時、馴染の言葉を操れば、地元民の心を掴み易いかも」

 その後、異界の二人の男は、生活と知識の情報が入った青と黄色の飴玉を辛うじて呑みこんだ。

 異界の洗礼は、思いもよらない辛いものだった。



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