4話 転職
目を開ければ、いつの間にかゼグドとレイは、ゑびすと共にどこかの部屋の中に立っていた。部屋には、重厚な机に椅子、分厚い本が並んだ本棚、ソファーやテーブルがある。
その真ん中に、一人の男が立っていた。
「お帰りなさいませ。ゑびす様」
「鬼頭ちゃん」
ゑびすが鬼頭と呼んだ男は、ゼグドたちに目を留めると頭を下げた。
「これはこれは、お客さまでしたか。失礼いたしました。ここは、ゑびす商会の元社長室で、私は秘書の鬼頭と申します。お見知りおきを」
男は、澱みなく挨拶を述べた。
大剣を背負った傭兵と神通師は、挨拶に応えることなく新たに現れた男を見据えた。
愛慕月が浮かぶ自分たちの世界でも、初めて二人に会った者は、たいてい驚きに目を瞠る。ゼグドの醸し出す圧倒的な迫力と浮世離れしたレイの佇まいに。
また、ここはゼグド達にとっては異なる世界だが、目の前の男にとっては、自分たちこそ異分子のはずだ。普通なら、驚き、一つや二つ喚くなり騒いでもいい。
しかし、この男はどうだ。動じるどころか、挨拶の後に、ご丁寧に爽やかな笑顔まで添えて見せた。
レイが、口を開いた。
「お前は、何者だ」
気に敏感な神通師は、何かを感じたのかもしれない。不躾なレイの問いにも、鬼頭は変わらず爽やか笑みを浮かべたままだ。
「お二方は、外来者の方ですね。私、ゑびす商会では、社長秘書をしておりますが、一方では、鬼族の一人として、ゑびす様の傍らに身を置く神仕えをしております」
神仕えと名乗った鬼頭は、異界からの来訪者に丁寧に名乗ると、今度は、自身の主に目を向けた。
「ところでゑびす様、この状況をご説明していただいてもよろしいでしょうか」
全てを聞き終えた鬼頭は、ゼグドとレイに頭を下げた。
「そうでしたか。それは、大変なご迷惑を。主にかわりまして、お詫び申し上げます」
その隣では、ゑびすが、丸い体をちぢめ一応神妙に畏まって見せていた。
テーブルを挟み腰掛けた四人の前には、鬼頭が淹れた茶が置かれた。
真摯な謝罪の言葉にやっと一息ついたゼグドは、その茶を口にした。薄い緑色で若干苦味のある暖かい液体は、これまで味わったことがない不思議な味がした。
茶を飲んだゼグドに何もないと確信すると、隣に座るレイも緑の液体を口にした。優れた神通師は、自らを毒見に捧げる様な馬鹿なことはしない。
二人が落ち着くのを見計らい、鬼頭は、更に申し訳なさそうに眉を下げた。
「残念ながら、やはり元の世界には直ぐに帰れそうにないかと。調べましたところ、あなた方の界への入り口は、現在鉄壁な結界が張られ完全に封鎖されています。事情も伝えてみましたが取り合ってもらえず。どうやら、女神ルシーナ様がお許しになるまでは異界渡りは無理かと」
「くっそぉ。おいゑびす、おめぇ神だろが、なんか方法は、ねぇのか。元はと言えば、おめぇが原因なんだからな」
責められたゑびすは「うーん」と腕を組み頭をひねった。しばらくすると「んじゃぁ、ルシーナちゃんに早く許してもらえるように、ご機嫌うかがいってどうよ?」と答えた。
「ご機嫌うかがい?」
「ご機嫌うかがい?」
ゼグドと鬼頭の声が重なり、レイは、ゑびすをちらりと見た。
「そうそう。女の子はねぇ、プレゼントに弱いからねぇ、なんか贈り物とか。でも、ルシーナちゃん、何でも持ってるからねぇ。なんつったって神様だから。はははははっ」
「はははじゃねぇだろっ」
ゼグドが、ゑびすに掴みかかろうと立ち上がりかけたが、隣に座るレイが押し留め、そして髪と同じ銀の瞳でゑびすを無言で睨み付けた。
眉目秀麗という言葉がそのまま当て嵌まる整った顔立ちなだけに、視線に鋭さを加えただけでも凄味が増す。更に無言なままなのが尚の事怖い。さすがのゑびすも怖気づいた。
「な、なんでございますでしょうか、しょうか?」
「……ゑびす」
「はい」
「神は、欲しいものは何でも持っていると言ったな。なら、要らぬ物、嫌な事は何だ?」
「要らぬ物? 嫌な事?」
「ああ」
ゑびすは、また腕を組み頭をひねった。三人の男たちの視線が集まる。
「そだねぇ、この世界の事は見守るっていうか、本当に緩い目で見てるだけでいいんだけど。自分の界を守るのが、わしら神の務めだから、異界からの害には、それなりに対処をしなきゃなんないだよねぇ。だから、一番要らない嫌な物は、外来人外来種が異界から不法侵入することかねぇ」
「ゑびす、おめえは、その一番嫌な事をしたのかっ」
「ひぃいいい」
再度いきり立つゼグドをレイがソファーに戻し、のけ反るゑびすの傍らで、神仕えの鬼頭が、ぽんと膝を叩いた。
「そうだ。ご存知でしょうか。神々には、ネットワークがございまして、こちらの界の事も女神ルシーナ様に情報として提供されています。もし、あなた方が、こちらで不法侵入に対する活躍をされれば、女神ルシーナ様にも届き、いずれお許しが出るのでは」
「そりゃいいぜ」と、ゼグドが、今度は怒りではなく歓喜に立ち上がった。やっと糸口が見えたのだ。
腕になら自信がある。侵入者だろうと、異界の化け物だろうと後れをとるつもりはない。ばっさばっさと討取り、女神ルシーナの怒りを解き、さっさと自分たちの世界に帰るのだ。
意気込むゼグドに、共に喜ぶように鬼頭が茶を継ぎ足した。苦みの感じた茶は、今度は、少し甘みも感じられた。
一方レイは、鬼頭の案に頷き同意を示しながらも、冷静に言葉を運んだ。
「今のところ、帰る手立てはそれしかないだろう。しかし、直ぐに事を成しえる話ではない。それまでのここでの生活はどうなる?」
レイの問いに、ゼグドが、片眉をあげた。
「そりゃあ、ゑびす様がみてくれんだろ。それに侵入者を退治すりゃ褒美くらい出すだろうぜ」
「なに言っちゃってんの」ゼグドの言葉に、ゑびすは頬を膨らませた。
「わしは、いやだからね。面倒見るのも、褒美出すのも。だってさ、わしだけが悪いんじゃないもん。ミミちゃんに矢が当たりそうだったんだから。ビューッって」
「なんだとっ」
憤るゼグドを尻目に、ゑびすは、更に捲し立てた。
「神様ってのは、基本ケチなの。普通は、貰うだけの立場だからね。お賽銭に、御神酒に、お供え物。ルシーナちゃんも同じ。タダって言葉が大好きだし。それにね、侵入者退治もボランティアだからこそ価値があるわけ。正義のヒーローは皆ボランティア。無償の奉仕。無償だからね。……うぐっ」
ゑびすの首をゼグドが締め上げた。
「待って下さい」
鬼頭が、二人の間に入った。
「ゑびす様の言うことにも一理あります。確かに報酬を得る為に外来者外来種を捕獲するハンターもいます。それと一線を画する為にも、界を守るためと言った方が女神にアピールしやすいかと」
「んじゃ、どうやって飯を食ってけっつんだ。どんなとこだろうと先立つ物が必要だぜ」
「はい。それでしたら御心配には及びません。私どものゑびす商会は、派遣業も営んでおりまして、仕事ならいくらでもございますから」
「おまえ、俺たちに、ここで働けって言うのか」
「はい」
鬼頭は、やはり爽やかな笑顔を浮かべ頷き、向かいのゑびすは安堵の息を吐き、銀髪の同胞は黙って窓を見つめた。窓の向こうに見えるのは、壁だけだった。
その日、異界の凄腕の傭兵と神通師は、『ゑびす商会』の社員に転職した。