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化石漁  作者: 浅丼健一
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【その1】

 群雲から現れた天球が細波む弧湾を照らしたとき、僕らは小舟を繰り出した。櫂を手に、風止みの水面を進む。月下の海はモノトーンの光と闇、揺れ散るは黒金の世界だ。キラキラと輝くそれは、指先を濡らすまで水ということを否定していた。

「エルビン」

 今夜は、上手くいきそうな予感がする。

 と、ヨナは呟いた。

 春めき、真昼には夏の粒子が含まれているというのに、明け方はまだ肌寒い。肩が微かに震えている。毛布で身体を覆わなければ、一時間と我慢できないだろう。

 塩の丘と西風の大地は農耕にも放牧にも適さない。だけど良質な化石が産出されることで知られていた。穏やかな夜海には太古から魚介類の化石が漂い、僕はそれを集めて起源種博物館に持ち込むことで、わずかな現金収入を得る。起源種博物館は命名を司るから、未発見の化石ほど高く売却できるが、そうでなくても展示物や資料として適正な価格が与えられた。

 僕が漁に出るのは密やかな楽しみのためだ。

 ヨナが現金を欲しがるのは、母親のために白パンを手に入れるためだった。

 アンモナイト礁へと舟を進める。ここはかつて貝の楽園だった。大巻貝の化石岩が波間から突き出ているように、岩礁と砂辺の入り組んだ地形がその繁栄を約束していたのだ。貝が豊富であれば、また魚も集まる。岩礁は航行を困難にし、危険を冒すほどの価値ある漁場でもないため、今では顧みられることもなくなったが、化石漁には適していた。

 鮫岩の近くに仕掛けた駕籠網を手繰り寄せる。化石の相場は貝だとフェニキア銅で、魚だとカルタゴ銀で支払われる。日々の生活なら化石貝で事足りるが、白パンを買うのであれば化石魚を獲る必要があった。ヨナと時間を忘れて化石を選り分けるのは楽しい作業だ。小舟には多くを積めないから、傷物や価値のないものは海に還していく。

 そうして網に掛かった化石の中で、僕とヨナの目に留まったのは二つの化石魚だった。一匹はクンコリ魚の化石、もう一匹は離宮魚の新種。手の大きさしかないクンコリ魚と、深海に漂い羽状のヒレを持つ離宮魚は、そのどちらも高値で取引される化石魚だったから、ヨナは大喜びで月と海に感謝を捧げた。夜海に化石が集うのは、月の雫が波紋となって命あるものを凝固させてしまうからだ。そう囁かれていた。

 迷信だよ、と僕は言う。

 だけど、何かに感謝したいんだ、とヨナは微笑んだ。感謝したいのなら、僕にするべきだろう、という感情も微笑みに変える。

 離宮魚の新種のほうが高く売れるので、そちらをヨナに譲り、僕はクンコリ魚の化石を受け取ることにした。僕のクンコリ魚は、胴体の青い斑点が海洋に浮かぶ島のように見える。当分、生活に困らないな、とヨナに言われ、僕は首を横に振った。これは自分の部屋に飾っておくよ、そう答えて化石魚の背中を撫でる。

 日が上がれば化石は海底へと沈むから、空が色付く前に僕らは漁を終えた。岸に上がり、舟を隠すと、僕とヨナは戦利品を手に入れた。

 クンコリ魚の化石は僕だけの宝物。漆喰と羊歯植物の集合住宅に戻り、壁に飾られた沢山の化石魚の仲間に加える。

 そうだ、名前がないと可哀想だ。

 僕は少し考えて、

「チチムー」

 という名札を化石魚に与えた。

 僕の部屋は僕だけの博物館だ。ここでは魚一つ一つに名前がつけられて、在りし日の遊泳を思わせるように飾られる。新種も、旧種も僕の前では等しく価値のあるものだった。夜の安らぎを得るために僕は化石魚の部屋を作った。魂は輪廻を繰り返し、人になり獣になり鳥になり歌になるという。たぶん、僕の前世は海に住まう生き物だったのだろう。

 朝日が昇り、漁の疲れを癒すために大麦のスープを啜った。痩せた土地に実る植物はライ麦と大麦だけで、ヨナが求める小麦の白パンなどは、周辺都市に出向いて買い求める必要があった。当然、汽車で小旅行をすれば出費も嵩むし、手間と労力を裂いて白パンを得るほど豊かではない。

 昼から丘の発掘なので、それまで一眠りしよう。

 カーテンを閉めた。毛布に身を包む。暮らしぶりは良くないが、僕にはこういう静かな生活が似合っていた。穏やかな午前六時の風が部屋に潮騒を届ける。化石魚の部屋にて微睡むと、心に沈殿した記憶が揺り動かされた。

 目を閉じて、僕は架空の海を漂う。





 クアドラ、トルム、パオ・クー・リン、ジュハブ、スタカット……そしてチチムー。

 壁に飾られている、僕の心を楽しませるためだけの、夜海の生態系。

 蒐集した化石魚なら事細かに語れるけれども、自分のことは存在意義も見出せない。エルビン、僕は心の中で名前を言うと、エルビンは墓銘碑に生年月日しか記されない人間だ、という気持ちに襲われた。世に成すことなく死ぬ男、それが僕だった。カール・リンネ卿が著した『自然の体系』、つまり分類学の手法に従えば「根無し草」とか「渡り鳥」とか「放浪者」……そういうカテゴリに振り分けられるだろう。

 世の潮流は失うことを目指し、それは悪夢だと誰かが呟いた。

 大投棄時代はもうすぐ終わるけれども、今はまだまどろみの牢の中。

 西暦が終わって程なくして、僕らの文明も終わった。人々の間で奇妙な情熱が流行して、大投棄時代へと突入したのだ。それは胎内回帰への衝動だったのだろうか、所有することへの罪と罰から、裸の世界に戻るのは愉悦をもたらした。個人的に、組織的に、投棄主義は遍く広まり、僕にさえ影響を与え、今でも写真を見付けては一枚一枚捨てたりする。塩の丘が上面だけで内容がないように、過去への拘りを喪失すれば視線が未来に固定できると信じていたからだ。

 時計に頼らず目覚めると、息継ぎした勇魚の気分が味わえる。

『今日も一日が始まります。今と今と今に感謝を』

 朝のラジオを聴きながら、僕は顔を洗った。

 大投棄によって混乱した世にも統治を担う組織はあり、それは「現在政府」の名称で知られていた。ふざけた名だ。あの時代の初期に既存の国家は機能しなくなり、野蛮と迷信が広まる中で、投棄主義を主導していったのが現在政府だった。年月を経て投棄行動も下火になりつつある今、現在政府も復興政策に舵を切りつつあるようだ。

 つまり破壊によって人を治めることはできないということか。ラジオは広報装置として現在政府の傘にあり、放送は以下のように続く。命ある者に命の意味を、虚構に立ち向かう社会運動に協力を、現在政府に惜しみない支持を、今と今と今に感謝を、と。ラジオは抑揚のない声で決まった台詞を繰り返し、それから気持ちの良い音楽が流れた。

 政府の放送には興味がないが、朝に音楽を聴くのは日課の一つだった。曜日によって流れる音のジャンルが違うので、ノワール・ジャズの調べから水曜日と気付くときもある。井戸から汲み上げた水は洗面台の素焼き甕に溜めているので、これで身嗜みを整えた。

 鏡を覗く。疲れているのだろうか、肌が土色に荒れている。

 食べても不味そうだ。

「今に始まったことじゃないさ」

 僕はそう呟くと、カミソリで無精ヒゲを剃った。

 今日は陸の発掘に参加するつもりだったが、疲労は根深く足首を痺れさせていた。無理に身体を酷使する必要もない。手軽に現金収入を得ようと、僕は蒐集物の一つを持ち出すことにした。

 トマトを食べながら歩く。

 ここは雨量の少ない土地だった。

 人はただ「塩の丘」と呼び習わし、貧しき者が住む集落には名前もない、そうした土地に僕は生きていた。人口は千を満たさず、目立った産業もない。大投棄時代の影響が薄かったために、かつては岩塩の採掘とイワシ漁で賑わっていたのだ。往時の名残は海辺に建ち並ぶオイルサーディンの缶詰工場に見ることができたのだが、今は人を養うに足るものは記憶の中だけにあった。

 だから旅の途上で立ち寄るなら最上だろう。温暖な気候は乾きの海に静寂を与えていた。緩やかな時間の流れを、神の恩恵に例える者もいるほどだ。風は強く弱く、中天の太陽をより神聖な座へと舞い上げた。しかし居を構え、生活するのは勧められない。塩と化石の他に何もないからだ。

 起源種博物館は駅の隣、古錆びた鉄に縁取られし巨石建造物だ。汽車は一日三便だけで、集落のどことも適度に離れていたから、閑静な場所と言えるだろう。

『花の大路に鳥は舞い降り……』

 という一節の掲げられた門は、錆鉄の格子扉によって内外を隔てていた。シリンダー式の認証機にトークンを入れると、石の擦れ動く音と一緒に扉が開く。

 丘陵に建つ博物館はメソポタミアの葬祭神殿を連想させて、神聖なものに接する気持ちを呼び醒ました。ここは、そういう場なのだ。草食恐竜の肋骨を利用したアーチから、生命の基礎詩の刻印された碑文回廊へと連なる。

 碑文回廊(ponegrimt)

 左右の石壁に連なる文字は、韻を示す。韻とは言葉の陽炎だ。生命を言語化する過程の中で、舞踊のような不確かさを内包させるために、無数の韻音韻律が生み出された。それは形而上のものであるが、基礎詩に注ぐ木漏れ日によって、色調と濃淡からなる繊細なリズムを知ることはできた。

「いつか、母に白パンを食べさせてあげたい」

 一ヶ月前、基礎詩に手を当ててヨナは呟いた。

 僕らの土地は痩せ衰えているから、そのような贅沢品を買うのは容易ではない。小麦は豊かさの象徴であり、肥沃な大地と豊富な水があればこそ育つのだ。当然、重厚な柔らかさと甘味を備えた白パンは貴重になる。いわゆる「天界でも食される純度の高い」白パンは、教会でのミサのときや謝肉祭といった特別な日に食べるくらいで、いつもはライ麦入りの黒パンやジャガイモで空腹を満たしていた。

 都市では白パンの食事は信仰と社会契約の問題に関わるから、為政者もその流通には特に気を遣うが、豊かさの恩恵も塩の丘までは届かない。よって白パンを手に入れることは、親孝行の手段として大変意味があった。

 それはヨナだけに限らない。働き口がなく、三日も食事を摂らないときもあるのに、それでも土地の住民は「信じれば叶う」という純粋な考えを持っていた。昼月の空には祈りも届く余地があるのだろう。つまり僕がヨナに協力したのも、彼の想う心に屈したからだ。

 溶けた青によって空は統一されていた。現実的でない美しさには溜息が出る。海を安定させるのは穏やかな西風。『まどろみ』と僕らが呼び、科学的には涅槃現象というものによって、この地域は蜃気楼の浮遊感に包まれていた。起源種博物館のように趣向を凝らした建物にいると、その感覚はことさらに強くなる。

「今日は、見学に?」

 ふと、背後から話しかけられた。

 典雅な鉄蔓の螺旋階段にいたのは博物館の館主だ。小さな鉢植えを手にしている。

「僕にとっては、どれも『見飽きた』ものばかりですよ。館主」

「すまないね、常設展ばかりで」

「怠け癖がつきますよ」

 僕の言葉に館主は笑う。

 自動化の進んだ博物館では、館主の役割も楽なものだ。暇を持て余して散歩でもしていたのだろう。鉢植の名札には「ピテラ・クストルフス」という学術名が書き込まれていた。秋になれば柑橘系の実が生る植物。

 館主は謎めいた女だった。

 細く伸びた手足と、艶やかな黒髪。女性であれば誰もが羨む美貌だが、背広に袖を通しているので、むしろ中性的な印象のほうが強かった。

 僕と彼女は旧知の仲だ。お互い礼儀と距離を保っていたが、深遠なる知識を求める者同士、親しく会話を交わすことも多い。歴史であれば穀物の伝播から、貨幣経済の是非についてまで。遠く伝え聞く大陸から運ばれてきた農作物やスパイスが、豊かさの基準を押し上げ、飢餓の恐怖から人々を救い出したことを、教区の文書や司書の通信を元に語り合う。

 そういう関係は珍しいと言えなくもないだろう。

 ランチボックスから、包み紙に守られた化石を出した。

「珍しい貝を見付けたので、引き取ってもらおうと」

「化石貝か、良い物だろうね」

「ええ、日の出前の岩礁で見付けたので、質は保証できます。直角貝の一種で、オルトケラスとは違う模様でしたので、面白いかと」

「これはトセラリテスだろう。特徴的な三尖模様が連なっているから、すぐに分かる。保存状態も良く欠けも少ないから、良い資料になるだろうね」

「ありがとうございます」

 促されて、僕は交換室に入った。

 窓口で書類に記入を済ませると、化石貝を金属製のカプセルに入れてエアシューターに送った。博物館の地下には鑑定装置があって、化石の良し悪しを判断する。オートマチックな仕組みは解らないけれども、化石は学術的な価値に応じた収蔵場所に送られ、僕らには経済的な価値によって報奨金が支払われた。

 空気の圧縮される音がエアシューターの帰還を告げる。今回は化石貝なので、対価としてフェニキア銅の硬貨が充てられた。舟に乗る女の刻印は女神アスタルテだというが、過去の記録は失われて久しく、それを立証する手立てがない。文明遺物にも化石と同じ価値があると思うのだが、当世は人の成したものには興味を示さないという風潮だった。

 大投棄によって負け犬ばかりが肥え太る。

 僕の中に燻る力は、それを許さないと言った。まどろみを前に抗う心は残っているのだ。だからといって打開する手立てがあるわけでもなく、石の収集や売買で自分を慰めているだけだった。陸の化石は現在政府からの委託を受けた白亜堂公司が発掘する決まりで、僕らは手間賃を得て労働に従事するしかないように、土と共に生きるとはとかくままならない。

 年月を経るほどに、真実や事実から引き離されていく。月の魔力が化石を生むというが、それは迷信だった。起源種博物館が化石を買い集めるのは、石を砕くと生命のマナが零れ落ちて、澱み、そこから神にも比する何かを創ろうとしているのだと言われているが、それも俗説だ。

「白亜堂公司から、また書状が届いた。博物館の譲渡を要求しているが、ああもこう居丈高に書を振るう意図が私には掴めないね。東洋からはるばる来たのはご苦労だが……」

「黙って兵馬俑でも掘っていろと?」

「そう、分かっているじゃないか」

 館主が窓際のソファに腰掛けた。

「東洋茶でいいかな? 白亜堂公司の人と思想に罪はあっても、東からの香りが損なわれることはないだろう?」

「そうですね」

 テーブルには茶器が一式置かれている。茶盤、茶海、茶壺、聞香杯に飲用杯、これらを揃え、しかも用法を心得えているのは館主くらいのものだろう。温め、手順に従い茶壺から茶海へ、茶海から聞香杯へ、聞香杯から飲用杯へと茶を移していく。

 そうして振る舞われた青茶には、潮風や強い日差しにも負けない清涼感があった。

「ヨナが君に感謝の言葉を呟いていたよ」

「そうですか」

 孝行に理由は要らないとヨナは言う。想い続けることが大切なのだ、と。砂浜の波は和みの音を鳴らしつつ揺り返すけれども、単調な反復にも僕らには伺い知ることのできない意味があり、その恩恵に誰もが浴している。明確な言葉を求める世界が呼吸の仕方まで決めてしまい、生きるために才覚が必要な時代になったとしても、ヨナの生き方は賞賛に値するだろう。

 僕は……ヨナのように明確な目的意識があるわけではない。彼は母親のために化石漁をするが、僕はといえば収集し、生活が苦しくなればコレクションを切り崩し、一貫性があるわけでもない。「集めたものを手放すなんてどうかしている」と言われ「キャッチ・アンド・リリースが釣りの基本だ」と言い返すものの、今その場に即した表現を選ぶなら、どうでもよかった。浜砂の取り留めなさにも似た生き方に、降り積もるものを期待しているのか。無駄、と自覚はあるのに。

 青茶の深い香りが鼻腔を満たす。

「悩んでいるようだね」

「過去と未来の違いが分かりますか? 裁判官が刑を重くする際の口実が『過去』で、弁護士が刑を減らすために持ち出すのが『未来』です。だとすれば悩むことなんて、何もないはずです」

「文学的な受け答えをしてみたところで、私にはお見通しだ」

 館主は微笑んだ。

 僕の肩が抱き寄せられて、細波の震幅と同じ心の平安が染み渡る。誰かに身を委ねるのは、なるほど神聖な行為だった。預言に従うユダヤのラビは、黙示された未来をこのような方法で伝えるのだという。那由他の果てに梵我を合わせるラマ僧は、時輪タントラにおける悟りをこのような方法で表した。

 ただ、あなたは恐ろしい人だ。

 館主への畏怖が咽の下に溜まっていく。彼女には力があり、事象の全てが掌中にあった。慈愛持つ者は意識の海を凪いだまま、低きに流れる水のように他者を屈服させてしまう。何も恐ろしくないところが、途方もなく恐ろしい。

 基礎詩を紡ぐ起源種の回廊に、人名が刻まれることはない。存在はやがて死へ至る過程だ。風化して塵になり、情報は失われ、熱は冷めていく。博物館は巨大な歯車だった。カタカタという音もなく、鉄を穿つ鎚もなく、七の聖韻と十二の舟韻、十五の葬韻、八の龍韻によってたゆたうノアの機械。

 それはまるで海原のような。

「命の有り様は否定しないよ」

 館主は言葉を選んだ。

「命あるところに力への意志ありだから」




 棋盤に並べた駒の動きをゲーム中に変えるように、哲学者が許し難いのは、語義の混乱を招きながらもそれを楽しむ悪癖にあった。窓の前に立ち、屋根に破砕タイルを塗り固めた家々を眺め、空を意識してこなかったこの身に気付く。紀元前のケルト人は硝子を空気が固まったものとして珍重していた。楽器があれば午後を題した曲を奏でたのに、と館主が呟く。どういう趣向ですか、と問い掛けた。彼女は笑う。

「現在政府は私をないがしろにしていると思わないか?」

「さあ、僕には博物館と政府の関係なんて、良く分かりません」

「面白い話があるんだ」

 テッサリアの某所で発見された飛行船が、試運転で夜海を航行する、と館主が知らせてくれた。塩の丘の近くを通る保証はないけれども、人が再び空を取り戻すのは何だか感慨深かった。遠くに行けるようになれば、何かが変わる気がする。遠くに行けるようになれば、近くが懐かしくなるだけだ、と言われ、今度は僕が笑う番だった。談笑は談笑にすぎないのだが、館主の言葉一つ一つが示唆に富む。

 中天の太陽が傾く頃に、僕は適当な理由をつけて館を出ることにした。

「急ぐこととも思えないが、納得しよう」

「あなたは僕を困らせたいようですね」

「まさか。ほら、こうして見送りまでしているじゃないか」

 僕らは別れ際に握手を交わした。

 ムール貝を積んだ荷馬車が僕の横を通り過ぎる。海岸沿いのカフェでトルコ式の水煙草を燻らすことも魅力的だが、目的を見出さないまま歩くことにした。七百年前に十字軍が通ったという道は、神の思し召しか先人の努力の賜物か、ライ麦畑の広がる耕作地になっている。

 塩の丘は岩塩の採掘には適していても、農耕や放牧には適さない荒野の土地だ。しかし近隣から土を運び、塩に強い草を植えることで、ライ麦が育つくらいまでにはなった。小麦は実り豊かな大地を選ぶとあるように、痩せた土地ではライ麦こそが農耕の主役になる。北の辺境や、東の高地、寒冷な島々では「神の恵み」と呼ばれているのだ。

 しかし、僕たちの食卓に出るライ麦のパンは、黒くて渋味があり、大ローマのプリニウスが「貧者にのみ相応しい」と評したものだった。ジャガイモとのスープと黒パンで空腹を満たし、岩塩の採掘や化石の発掘で生計を立てる。ここは、そういう人々が毎日を繰り返す土地だ。

 このまま一日起源種博物館にいてもよかったけれども、ヨナのことが少しだけ気になっていた。

 彼の家は集落の外れにある。ヨナは塩の丘で生まれ育ったわけではないが、誰よりも土地に慣れ親しんでいた。塩の丘の空気が病気に良いと聞いて、五年ほど前に南の河畔から移り住んだのだ。ヨナの住まいはかつての電信局で、母親と生活するには少々狭いように思えるが、引越しの誘いは断り続けていた。人は一度根を下ろしたら容易には移らないものだ、というのがヨナの持論なのだ。

 石積みの壁と破砕タイルの屋根は、塩の丘の一般的な住居の形といえた。ヨナの家には、それに電信局の名残のアンテナが一本立っている。外の世界と連絡を取ることもないので捨て置かれている状態で、鉄の柱は風に吹き晒される骸骨のようにも見えた。

 扉に「外出中」の張り紙がしてある。

「白パンを買いに行ったのかな」

 すぐにそう思ったけれども、母親を一人残して外出するのはヨナらしくない。

 もちろん、一日二日家を離れても母親が困らないよう準備はしてあるはずだ。戸締りを確かめた上で、軽くノックをしてみたが反応はなかった。館主はヨナについて話していた。あれは今朝のことだったのか。駅は博物館の隣にあって、おそらく離宮魚を換金した足で都市方面の汽車に乗ったのだろう。

 一言言ってくれれば都市でのことづけを頼んだのに。汽車でなら五時間を目安に大投棄時代以後の新都市に着く。都市には遠方からの食材や西暦の珍しい品物、塩の丘にはない娯楽施設が集まり、人も集まった。物の集まる場所には仕事が集まるからだ。嗜好品に興味はないものの、菜園商社製のバジル瓶だけは新都市から買い求めていた。僕の部屋には空のバジル瓶が転がっている。

 仕方ない。等級は劣るものの食料品店でバジルは間に合わそう。

 時刻も三時を過ぎていた。ヨナの家にいつまでもいれないので、立ち去ることにする。静かな光が浮遊する時間帯には妖精、つまり「titania」と名付けられていた。朝からトマトしか食べていないから、どこかで軽い食事を摂りたい。

 舗装道路は岩塩とイワシで潤っていた頃の名残だ。色合いに時代の積み重ねを確認できた。足と車輪で踏み締められ、石畳もヒビと摩耗に苦しめられている。かつては艶やかであったのに、と過去は常に美しいが、僕は今に生きていた。

 枯れた噴水の広場は集落の中央にある。

 そこには屋台式カフェがあった。歩き疲れた足を休めるには丁度良い。

「クムランが名前なのか。今知ったよ」

「誰も知ろうとしないんで」

 屋台式カフェの店主は黒板に書いたメニューを指差した。固そうな無精髭が印象的だ。

「注文をどうぞ」

「カフェラテ、それとタラと卵のトースト」

「シナモンは」

「あれは苦手でね」

 パンや酢漬果実が正面の台に並んでいる。吊られているのは生ハムと塩タラだった。見た目に楽しく、僕はブリキ缶の紙巻煙草を一つ抜いた。

「貰うよ」

「煙草は平和に相応しい。煙草は肺を悪くするとも言いますが、それでも」

「なら売るなよ」

「西暦のしきたりに従い警告しただけです」

 紙巻煙草は手軽さが好まれているが、僕が煙草と言って思い浮かべるのはトルコ式の水煙草だった。いよいよのときにしか吸わないので、マッチで火を点けるのにも一苦労だ。重い紫煙が肺に溜まり、意識を軽くしていく。

 店主がテーブルにカフェラテとトーストを置いた。屋台式カフェをしても儲からないのでは、と訊くと彼は不思議そうな顔をして、今こうして客に接しているじゃないか、と答える。要領を得ない言葉だが、つまり僕が考える以上に客はいるということだろう。それに煙草とカフェラテの組み合わせは抜群で、これなら商売にもなると頷かせるものだった。紙巻煙草は死海の沿岸地域に残る倉庫から、知り合いのつてを使って取り寄せたらしい。道理で年代物の香ばしさが舌に残るわけだ。

 新聞紙を広げ、トーストを頬張る。過去の日付が記された新聞だから、現在政府の動向や農作物の出来高に興味はないが、館主の言う飛行船についての記事には目を惹かれた。記事が伝えるところによれば、飛行船の試運転は白亜堂公司の技術支援によって可能になったようだ。政府と公司の関係改善は最近著しく、いよいよ知識が主座に帰る日も近いと囁かれていた。

 投棄主義は投棄主義らしく世に寄与することなく自らをも捨て、去り、残された者たちはガラクタの中から「かつて」を物真似ようとする。

「しかし、百年前のものを飛ばそうとして、大丈夫なんですかね」

「百年?」僕は微笑した。「そこまで古くはない。せいぜい二十年だろう」

 店主は固そうな無精髭を撫でながら、釈然としないものを感じていたようだが、それをあえて口にするほど無遠慮ではない。空に浮かぶ飛行船を想像しようとして、考えてみれば実物に接したことがないと気付いた。新聞に描かれた夜海と飛行船の挿絵に、こういうものかと納得した自分がいるのだ。煙草を蒸かして、そのような思考を頭から追い出す。ある老夫婦が家の畑を耕していて地下遊園地を発見したという記事を読んで、編集者は出来事の掲載順位を弁えているなと感心した。

 広場で油を売っていて三十分も経過しただろうか、傾いた太陽が夕刻の涼しさに印象を与えている。今が一年で最も優しい季節だ。屋台式カフェには一服しようという人が集まりはじめていた。頃合いも十分なので、邪魔者は立ち去ることにしよう。働くでもなく暇潰しに時間を注ぐ僕に、誰かが「金の稼ぎ方を知っている奴は羨ましい」と言った。それには侮蔑する意思が感じられたので、心は泡立ったが、無視を決め込む。

 煙草の煙は目に沁みるが、香りはショコラのように甘いのはなぜだろう? 刺激を受けるのは同じ粘膜なのに、快不快を分かち合えないのは僕と他者のそれと似ていた。

 白羊歯の集合住宅に戻り、化石魚の部屋で緩やかな時間を過ごす。閉めたカーテンから射し込む昼の陽光が夜の闇へと移り変わり、空腹を感じた僕は台所にある有り合わせの材料でスープを作ることにした。ジャガイモ、玉ネギ、大麦、それに香辛料。僕はあまり料理が得意ではないので、こういう適当なものを鍋に入れることしかできない。でも、適当な料理でも胃に溜まるのなら満足だった。

 鍋が煮立つのを待つ間、僕は起源種博物館の館主との関係を考えていた。

 大投棄時代に起源種博物館は存続の危機に立たされて、それは代々の館主の勇気ある行動によって防がれてきたのだが、彼女が館主として赴任するまでの十年間は無人のままだった。

 僕は当時、塩の丘を散歩しては化石の欠片や西暦の遺物を集めていた。

 学問の日々は投棄主義の広まりによって途絶え、戸籍の職業欄に「史家」と書く夢も断たれてしまい、僕は喪失感の虜になっていたのだ。葦草の茂る丘の斜面で。

 足下に転がっていた土器の破片を拾っていたとき、僕は突然話しかけられた。

「かつて、この丘には巨人が住んでいたというが、本当だろうか」

 今でも不思議に思う。長く艶やかな黒髪と美貌の女が横にいるのを、僕は自然に受け止めていた。

「どうでしょう。この地域は先史時代に巨石文明が栄えていたそうです。丘の博物館も、歴史ある墳丘墓の上に建てられているとか。石の遺跡が残る土地には巨人の伝承が生まれると言われていますから、塩の丘も似たようなものだと」

「詳しいね」

「昔から、この辺りは迷信……というか信心深い人たちが住んでいるのです。岩礁のほうには、西暦の宗教遺構が点在していますよ。と、いっても祭祀用の洞窟や墓で、土地の人間は気味悪がって近付きませんが。近付いたとしても面白い場所じゃない。面白い場所じゃないのは、塩の丘の本質でしょう」

「しかし、ここは岩塩の採掘やイワシ漁で賑わっていたと聞いたが?」

「昔のことです。海塩が流通するようになって岩塩はさっぱりだし、イワシの魚影が海面を黒く染めて『夜海』のようだったのは何十年も昔のことです。良いのは景色と天気だけ……ところで、あなたは?」

 彼女は右手を差し出した。

「起源種博物館に新しく赴任してきた。現在政府は辺境の博物館など見向きもしないから、手続きに時間が掛かってしまったが、宜しく頼む」

「ああ、そうですか」

 握手を交わす。

「君は、もしかして史家なのか」

「目差していた頃もありました。今は投棄主義で夢も捨ててしまいましたが」

「でも、話し相手くらいにはなってくれるだろう?」

 館主の微笑みを例えるなら、魅了の魔術。僕は同意も拒否も思う前に頷いていた。

 起源種博物館に新しい主が住むようになっても、塩の丘は何も変わらなかったが、館主の存在は僕の心に一石を投じたのだ。彼女は現在政府の委任状を持ちながら、現在政府とは一線を画していた。投棄主義に対する否定的な言動が、館主をこのような僻地に追いやった原因なのかもしれない。博物館のテラスで憩う姿は、容易に伺い知れない陰影が付き従った。

 塩の丘の住人は起源種博物館の美しい館主を「隠者」と捉えていた。時々、思い出したように記録映画の上映会や展示物の説明会をする以外、博物館の仕事らしきことは何もしないからだ。カカオの五大生産地を問えば、ベネズエラ、エクアドル、トリニタード、マダガスカル、ジャワ、と答える博識さと、人の機微を読み取る聡明さを兼ね揃えているというのに。

 鍋からスープを掬い、テーブルに持って行った。ライ麦のパンとスープが今夜の食事だが、こういう粗末な献立にも慣れている。

 ジャガイモの浮かぶスープに僕は呟いた。

「海か」

 アンモナイト礁に仕掛けた化石漁の籠は、一週間を目安に引き上げることにしていた。岩礁へ流れ込む急流が化石の魚を泳がすのだが、一週間以内であれば実入りは少ないし、一週間以上であれば籠が破損する怖れがある。

 それに化石漁の方法は僕だけの秘密だ。

 海に心惹かれる気持ちが、僕を塩の丘に束縛しているのだろう。豊かな海の揺らめきに心が底へと沈む心地よさに魅せられて、僕も魚や貝になりたいと希望していた。一度ならず「なぜ都市に行かないんだ?」と訊かれ、僕にも理由を上手く説明できないから微笑むだけだったけれども、つまり集落の人々が土地に生きているのと同じなのだ。

 明日は海に。

 何かをすれば、何か意味あるものが見出せるかもと考えるのは、浅はかだ。浜辺や岩礁を歩いても、生きる意味や存在価値を発見できるわけでもないのに。でも、心が求めることをするのは好きだった。夏の盛りにアイスクリームが欲しいと感じたり、徹夜した朝に二度寝したくなるように、空と海の衝突線を眺めることで心が慰撫されるのなら、無意味な行為も馬鹿にはできない。

 海についての荒唐無稽な想像を巡らして、今日は眠ることにした。珊瑚の迷路、貝の爆弾、潮汐が波の賛美歌に洗われる。鯨に飲み込まれた預言者の物語を思い、ヨナを少しだけ心配した。本当は心配する必要はないのに、あえてそれをすることが、友情の成せる技なのだろう……


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