black coffee
今日は久々に何もない。いつも馬車馬のように働いているので、たまにはこんな日があってもいい。花の高校生だ、こんな日があってもいいじゃないか。そうでなくても、俺の生活は平凡とはとてもじゃ無いが、言い難い。
「ラーメン食いに行く?」
銀がにっこりと微笑んで言った。そうだな、久しぶりにそれも良いかもしれない。隣で、楓もコクコクと頷いている。こうして三人で帰る、というのが久々なのに気付く。もっとも銀と楓はおしどり夫婦よろしく、いつも一緒なのだが。
「それいいねぇ」
と瞳がひょっこりと顔を出した。いつもの面子、いつもの顔ぶれ。俺は肩をすくめる。
「玄君、ノリ悪いぞー」
「お前らと居るとテンションが下がるんだ」
「照れ隠しのつもり?」
長身の瞳に見下ろされ、俺はいつも子ども扱いだ。言ってろ、とそっぽ向く。事実なだけに非常に癪ではあるが。だいたい、こうやって友達と居るという環境に戸惑いすら覚える。一番、不必要な場所だと思っていたのにな。意外に身を置いてみて、こういうのも悪くないな、と思った。
「愛もいくでしょ?」
と瞳が話題を降る。いつもなら愛も「行く行く」と連呼しているはずなのだが、今日はやけにおとなしい。
「ごめーん、私は今日パスね」
「は?」
と声を出したのは、俺だった。瞳はそんな俺を興味深そうに見つめる。
俺を実験動物のような視線で見るな。
「ごめん、でも久々でしょ? 玄君がアルバイトないのも。だからみんなでゆっくりしてよ」
そう言って帰る準備をして、愛は教室を出ていった。なんだか、体に力が入ってない。
「ちょっと、玄君?」
と瞳が詰め寄る。
「あ?」
「愛と喧嘩したの?」
「はぁ?」
なんでそうなるんだ?
「あのね、愛が元気ないのは大抵、玄君絡みなの」
方程式としてイコール俺のせいと瞳は言いたいのか? しかし心当たりは無いし。と言うか、なんで直結して俺なんだ?
「それはね・・愛ちゃん、玄君の事、大好きだもの」
楓が照れもなく爆弾発言をする。そういう台詞は秒読みで、何かの兆候をくれ。
「若いっていいね」
と銀はニヤニヤ笑っている。
「同じ年だろっ!」
と銀に八つ当たりしても、風を殴りつけるようなモノだ。唇から僅かに漏れた吐息と笑みで、それは受け流される。まぁ毎度毎度、いつもの事だ。
「ラーメンはまた今度だね」
と銀は俺の思考を見透かして言った。
「別に無理して食いたかった訳じゃないし」
と肩をすくめて、教室を出ようとする。後ろで微笑ましそうに笑うな。背中に好奇の視線を投げつけるな。
「玄君」
楓が呼びかけた。
「なんだ?」
「愛ちゃんをつまみ食いしちゃ駄目だよ? ラーメン食べられないからって」
無垢な目で、そんな台詞を吐くなよ。
学校と言うのは迷路か。時々、そんな事を思う。変な空間があったり、全然知らない場所があったり。それでいて毎日、そんな場所に通っていて、気付いてなかったり。自分とは無縁の場所と思っていただけに、その発見に驚く。転校手続きをしたばかりで、まだ校内を把握し切れてないというのもあるが。
「ったく」
息をつく。何処にいきやがったんだ? いつも食いしん坊お化けの癖に。おまけにお節介虫のくせに、こんな時にそんな態度をとるな。
同じような景色、同じような教室、同じような箱庭。その中で蠢く俺たち。それこそモルモットのようだな、と卑しく笑った時もあった。否定するのは簡単だよね? 愛は笑って言う。
そんな言葉を聞く度に、俺は鼻で笑う。愛の言葉を否定しようとするのだが、その言葉を紡げない。反論ならいくらでもある。しかし、その反論が出来ない。愛の言葉を肯定しようする自分がいる。
愛は神出鬼没だ。いや、と思う。俺が愛の行動を俺が把握してないだけだ。
そのかわり、俺が何処にいても、愛のヤツは把握しきっている。
勝手にしろ。といつもの俺なら言っていたはずなのに、愛の前だとそういう言葉を吐けない。俺には関係ない。そう言い切ってやることもできるのに、変なモンだ。
そんな疑問を銀に投げつけると、愛ちゃんは玄の恩人だもんね。にっこりと笑って言う。
かもな。俺は鼻を鳴らす。階段の手すりを滑り降りて、着地。愛なら目くじらをたてて、厳重注意する所だろ。目の前には化学室。まさか此処にいるとは思えないし--------と開いていたドアから覗くと、お目当ての本人が派手にため息をついていた。
愛は全くといっていいほど、俺の存在に気付いていない。タダ、がちゃがちゃと実験器具や薬品やらの整理をしている。俺は愛の隣に腰を下ろす。
ため息。一つ動作する度にため息。またため息。作業は遅々として進んでいない。
「ラーメン、食べたかったなぁ」
やっぱり食いしん坊お化けめ。
「先生のバカ、折角玄君と時間取れると思ったのに」
またため息。さらにため息。ため息ため息。、呼吸を置いて、盛大にため息。ため息し過ぎて、目の前の三角フラスコが曇ってるぞ?
「何やってんだ?」
「実験器具の掃除と整理。先生に押しつけられたのっ」
愛は頼まれると、拒めない性格だ。生徒会執行部でも委員会でも無いのに、行事やら何やらで担ぎこまれている。お節介だから、他にも困っていることがあると、自分から首を突っ込んでしまう。おめでたいヤツとも言えるし、愛らしいとも言える。もっともそれだけ、愛がみんなに信頼されている証拠でもある。
苦笑しつつ、愛はまるで俺に気付いていない。
「ラーメンなんかいつでも食えるだろ」
俺は布巾で試験管をきゅっきゅっと拭きながら言う。
「ラーメンは問題じゃないの!」
「麺が先かスープが先か、それが問題だ」
「ちがうー」
「じゃ、何だよ?」
「玄君と一緒にいられないもん」
「・・・・・」
この娘は堂々となんて事言いやがる。ふと、愛が隣の俺を見る。呆けた顔で、俺を見て三角フラスコを落とした。
「何やってんだー!」
俺の絶叫も割れた三角フラスコも気にならないのか、ただ俺の目を見てる。
「玄君?」
目をパチクリさせて。
「なんで?」
今まで気付かない愛の思考回路の方がなんで? と俺は言いたい。
俺は愛の髪をくしゃくしゃに撫でた。いつも通り、無愛想に無造作に。自分でも分かってる。これは照れ隠しだ。愛は子ども扱いしてるといつも怒る。正解、わざと子ども扱いしてる。
実際、子どもなのは俺の方だ。それだって自覚している。結局の所、俺は無愛想なふりをしていながら、ただ受け入れるのが怖いだけだ。愛はそんな俺の間隙を縫って、自然と入り込んでくるから、未知への恐怖なのが半分、入り込んでくれたうれしさが半分。自分でもどうにもならないと思う。
やれやれ。俺はため息をつき、箒とちりとりを取りに、廊下へと向かった。
「どうして行かなかったの?」
「置いていかれた」
二人でてきぱきと、とは言い難いが、何とか全ての実験器具の掃除を終えて、学校を出たのが夕陽が沈む前だった。まぁ上々といった所か。
俺はいつもの缶のブラックコーヒーを飲む。
愛にも同じ缶が握られていた。いつもは糖分過多なカルピスや苺ミルクを好む乳酸系の愛が、今日は珍しく------さも、美味しくなさそうに、コーヒーを飲んでいる。
「にがい」
「無糖だもの、当たり前。これがコーヒーの美味さだよ」
「おいしくないー」
「なら買うなよ」
「だって玄君が買うから」
「俺は俺、愛は愛だろ?」
「分かってない!」
今度はいきなり怒り出す。意味が分からない。
「玄君は女心の勉強が足らないの!」
「はぁ?」
「もう、いい!」
ぷいっと顔を背けてしまう。そう言われても何が何やらだ。俺は、愛に一本余計に買って置いて苺ミルクの缶を渡す。何を意地張っているのか知らないが、どうせ愛がコーヒー飲めず余してしまうのは、予想するまでも無い。
「え?」
俺は無言で愛のコーヒーをもぎ取る。そのままぐいっと口をつけた。まずそうな顔して飲まれちゃコーヒーが可哀想だ。
「げ、玄君っっっ」
「なんだよ?」
「そ、それ・・私の・・!」
「お子様は苺ミルクでも飲んでろ」
「そうじゃない! だから・・その・・間接、間接き・・キ」
「関節決め? プロレスでもやりたいのか?」
「ちがうー!」
愛は力一杯、缶のタブを開けて一気飲みよろしく飲み干す。
「は?」
「もういいってば!」
愛はスタスタと歩き出してしまう。俺は、訳も分からず、愛の後を追いかけた。仕事を手伝ったんだから『ありがとう』ならまだ分かるが、なんで怒られる? 意味がよく分からない。
愛は体が小さくて可愛らしいというイメージが定着しているが、その反面、強情なところは否定できない。機嫌が悪くなると、もう手の施しようがない。しかし放置すると、余計に手の施しようがないので、四苦八苦する。これが女心を理解せよ、という事なら多分一生理解は不可能だ。俺としてはお手上げと言うしかない。
それでも、だ。バカのように声をかけてしまう自分が居る。結局の所、俺の居場所なんだと思う。一番先に無愛想なだけじゃない俺の素顔を暴いたのは、愛だから。受け入れてくれれて、ありのままでいいと知って初めて安堵した自分が居たから。
くるっと、愛が振り返る。
夕陽が眩しい。俺は目を細めた。愛が、そさっきまでの調子とはうって変わって、満面の笑顔を俺に向けている。不覚にも、可愛いと思った自分がいた。
違うな。そういう些細な表情の全てを独り占めしたい、と思う自分がいるんだ。この感情はどう整理すべきなんだろうか? 混乱と歓喜と慈しみとそして醜い嫉妬すら折り混じってるような感覚。時々、愛が他の誰かと話している時にわき上がるモヤモヤと、こっちを見てくれない時に滲んでくる焦燥感と。
(何、考えてんだ、俺は)
自分の髪をくしゃくしゃに、掻きむしる。
「玄君」
「あ?」
「ありがとう、手伝ってくれて」
満面の笑顔に吸い込まれそうになりながら、俺は頷いた。
「また今度、コーヒー淹れてくれ」
それだけ言って、俺は歩き出す。今度は俺が先頭で、愛が後ろで。
愛は今、どんな顔をして笑っているんだろうか?
振り向きたいという衝動と、振り向けない己の意志の弱さと。
振り向いたら、受け入れて貰えないような--------愛ならそんな事は言わないだろうけど、未だに対人関係に恐怖している自分がいる。それでも、居場所は此処なんだと、奥底で俺を射抜く声と。
愛が歩幅を早めた。
俺の隣に並ぶ。俺は横目でちらりと愛を見る。愛はやはり、満面の笑顔で、俺を見上げていた。
「玄君はね、みんなと同じペースで歩けばいいのにね」
「は?」
「そうしたら、みんな玄君の優しさが分かるのに」
「俺は優しくなんかねぇよ」
「優しいよ」
にっこりと笑う。
「だって、ほら私が言ったら、歩幅合わせてくれた」
「ん」
それは優しいと言うのか?
「玄君に関係無いのに、お仕事手伝ってくれたし」
「愛の事だろ。関係無いなんて事あるかよ」
と反論しつつ、そうか、とも思う。関係なんか無いのかもしれない。そこまでする必要なんかまるで無い。以前なら、そんな事はしなかった。じゃあ、なんで? 愛だから? 多分、そうだ。それ以外に無い。愛が特別だからだ。愛が俺の居場所だからだ。愛がふさぎ込むより、笑顔であって欲しい。じゃあ、この感情は何なんだ?
「だから、玄君は優しいの」
勝手に自己完結して、愛は鼻歌なんかを歌ってる。俺は薄目で、夕陽を見上げていた。二人の消えそうな、溶けていきそうな影を見つめながら。
影に合わせて、歩幅を合わせるように努力しながら愛から奪ったコーヒーを飲み干す。
やけに甘い気がしたのは、気のせいか。