安楽の泉
「ほら!マミちゃん!がんばって立って!」
少し遠く先で、遠足姿の小さな女の子が座り込んで泣いている。転んだようだ。その横で、若い女性がその女の子を励ましていた。
風間はそれを見て、ふと立ち止まった。
(幼稚園か…いや、もっと小さいから保育園の遠足かな…)
周りの子どもたちも、心配そうにその女の子を見ている。
(この子は…急に親から離されて、どんなに心細いだろう…)
風間はそう思い、女の子が泣く姿をぼんやり見ていた。女の子は泣きじゃくりながら、肩からさげている水筒を手に持ち見つめていた。まるでそれに助けを求めているように見える。
恐らく、その水筒は母親と一緒に買ったものなのだろう。
周りの子どもたちも、保母らしい若い女性も「がんばれ」と声を掛けている。
だが、女の子は泣きじゃくったまま動かなかった。
(あの子にとっては…母親から離れていることだけで、いっぱいいっぱいなんだよな…)
これ以上頑張れないんだろうと、風間は思った。そして、また歩き出した。
「あ、すいません…。」
保母が、風間に道を塞いでいることに謝った。風間は「いえ」と言って、座り込んでいる女の子に手を伸ばし「ほら」と言った。
子どもたちと保母が驚いた目で風間を見た。
「ほら、手を出して掴め。」
風間はそう言うと、差し出した手の指を動かした。
女の子は水筒から目を上げ風間を見ると、口を開けたままそっと手を乗せた。風間はその手を掴むと「ほらよっと。」という声と共に、腕を曲げ女の子を立ち上がらせた。
「遠足だろ?ママの作った弁当早く食べなきゃ。泣いてたらもったいないぞ。」
風間はそう言うと、女の子に手を振って歩き出した。
「あの…すいませんでした!」
保母が風間の背中に言った。風間は振り返りながら「こちらこそ、よけいなことを」と言い、また前を向いて歩いた。
女の子の明るい声がした。
「おじちゃん、ばいばーい!」
「お兄ちゃん」のつもりの風間はつんのめった。
……
風間は、占い部屋でぼんやりとしていた。
泣いている子どもを見ると、つい自分の幼いころを思い出してしまう。
風間は、5歳の時に両親が行方不明になった。
それも同じ部屋にいたはずの親がいなくなったのである。
独り残された風間が発見されたのは、両親がいなくなった2時間後のことだった。
「子どもが窓を叩いて、泣いている。」と警察に通報があり、風間は無事警察に保護された。
警察はまだ5歳の風間に「パパは?」「ママは?」と何度も聞いたが、幼い風間にわかるわけがない。
ただ覚えているのは、両親の悲鳴と大きな黒い影だった。両親はその黒い影に包み込まれ消えた。消える直前に、母親が自分に伸ばしている手が見えた。
…後は、テレビの音だけが残っていた。子ども向けの番組で歌を歌っていた。
その後、風間は施設で育った。待っても待っても親は迎えに来てくれなかった。
風間は毎日のように泣いた。…だが1カ月程経ってから急に泣かなくなり、全く口を利かなくなった。笑いもせず泣きもせず、先生達を困らせる日々が続いた…。
突然、ドアをノックする音がした。
風間は、はっとして「どうぞ!」と答えた。
お客(?)だと思ったのだが、何か遠慮がちな声がした。
「風間さん?今、いいですか?」
天使「アルシェ」の主人であり、アイドルの「北条圭一」の声だった。風間は驚いて立ち上がり「はい!」と言いながら、ドアを開いた。
「圭一さん!」
圭一が紙袋を下げて、にこにことして立っていた。
ビルの下から、キャーキャーという声がしている。
「…ちょっと騒がせちゃったからすぐに帰るけど…これ…」
圭一が紙袋を風間に差し出した。風間は何か分からないまま、受け取った。
「?ありがとう…ございます。」
「お昼食べられる前に持ってこようと思って…お弁当です。」
「えっ!?僕に?わざわざ?」
「いつもコンビニ弁当とかファーストフードだと聞いたので、飽きる頃じゃないかなぁって思って…」
「もっもしかして、圭一さんの手作りですかっ!?」
漫画なら、風間の目がハートになっているだろう。圭一が照れくさそうに「ええ」と言った。
「お口に合うといいけど…」
「合います!食べなくてもわかります!わー…ありがとう!」
喜びながら紙袋の中を覗く風間に、圭一は騒ぐ声を気にしながら言った。
「浅野さんがいたら、テレポートで送ってもらえたんだけど…今日はザリアベルさんと約束があるとおっしゃって、姿を現してくれないんですよ。」
「え?そうなんですか?」
「ええ。何かちょっと深刻な顔をしていたので不安なんですが…」
風間は眉をしかめた。圭一が、後ろを見ながら言った。
「すいません…ビルの人に迷惑をかけるから…帰ります。…また浅野さんのお家にいらして下さい。」
「あっはい!ありがとうございます!わざわざすいません!」
「いえ。じゃ。」
圭一は階段を下りて行った。風間は見えなくなるまで見送るとドアを閉じた。…一層大きな悲鳴のような声が響いた。
……
「うまいー…」
鳥の照り焼きを食べながら、風間は思わず言った。
そして、泣いていた女の子の事を思い出した。
(…あの子も、今頃お母さんの作ったお弁当食べてるのかなぁ…)
そう思いながら、行儀悪くも弁当の上で箸を迷わせた。
「菜の花!」
そう言うと、風間は菜の花のおひたしを口に入れた。
「あー…うみゃーだよー。圭一さんってオールマイティーなんだなぁ…。」
口をもぐもぐさせながら、風間は言った。そしてふと思い出して呟いた。
「…浅野さんとザリアベルさん…何かあったのかな…」
そしてまた弁当に向くと箸を迷わせ「卵焼き!」と言った。
……
天使アルシェ(浅野俊介)と悪魔ザリアベルは、浅野のマンションのソファーで向かい合わせに座っていた。だが、人には見えないように姿を隠したままである。
アルシェが腕を組んで眉をしかめ、うつむき加減でいる。ザリアベルは考え込むように宙を見ていた。
「礼徳さんは消滅させられたってことでしょうか…」
アルシェがやっと口を開いた。ザリアベルは口をきっと結んで黙っていたが、小さくうなずいた。
「としか考えられないだろう。…天界にも魔界にもいないということは…。」
「奥さんと一緒に、どこかに幽閉されているという可能性は?」
「ないでもないだろうが…。俺が見つけられないということは、俺よりも上の地位の悪魔が関わってるということになる。」
「どっちにしても…やっかいってわけだ。」
「ん…。」
アルシェは目に手を当てて言った。
「…風間君に危険が及ぶ前になんとかしてやりたいけど…礼徳さんがどうなったかわからない上に、相手の悪魔が誰かわからないとなると、どうしようも…」
「…風間は、なんとしても守らなくては…。」
「ザリアベル…。ザリアベルは、どうして礼徳さんと知り合ったんです?前に教えの言葉まで言ってましたけど…」
「知り合ったのは、今の風間くらい…奴が修行明けの頃だったんだ。俺はあの頃から人間界をうろうろする癖があってな。そこで出くわした。」
「なんだ。もっと劇的な出会いかと思ったのに。」
アルシェの言葉にザリアベルが苦笑するように笑いながら言った。
「悪魔祓いと悪魔が出会うってのは、そんなもんだ。」
「それで戦ったわけですか。」
「いや…。もしあの頃奴と戦ってたら…俺の方がやられてただろうな。」
「!?…え?礼徳さん、修行明けだったんでしょう?」
「ん。それでも奴は、出会った瞬間にぞっとするようなオーラがあった。向こうも俺が悪魔だとわかって、陣を出した。…だが、すぐに消したんだ。」
「!?」
「…そして、俺にひざまずいた…。」
「えっ!?礼徳さんがっ!?」
「ああ…俺も訳がわからず、その場で動けなくなってしまったが…。その時、奴が言ったのが、あの「教え」だ。」
「!!」
ザリアベルは遠い目をしながら言った。
「魔を魔と視ず、人を人と視ず…悲哀辛苦を祓い除けば、みな無垢な魂に還りゆく也…」
アルシェは驚いた目でザリアベルを見た。
「奴は俺の無垢な魂を見たってわけだ。結局、奴とはそれきりだが、俺はずっと忘れられなくてな…。そして3年前、奴が消えたと伝え聞いた時、あの時も魔界を探し回ったんだ。だが奴のオーラすら感じなかった。」
「風間君のことは?」
「奴の弟子は、皆長続きしないんだ。奴の優しい修行のやり方に、物足りなさを感じで嫌気がさすんだそうだ。だが、あいつの修行の基本は「優しさ」だ。無意味な祓いはせず、力だけで相手を消す事を禁じている。…風間のことは奴が消えた後に知った。最後の弟子だと言われているが、修行明けまで奴の教えを守り続けたのは、風間が最初で最後の弟子と言うことになる。…師が消えれば、普通は別の師を探す。だが、風間は最後まで、奴の…礼徳の教えを守り、誰も継がなかった陣を守り続けた…。」
「…じゃあ、ザリアベルが風間君に占ってもらったのは…本当は占いの結果を知りたかったんじゃなくて…」
アルシェの言葉にザリアベルは頷いた。
「知りたかったのは…風間の優しさだ。礼徳の優しさを継いでいるかどうか見たかった。」
「…彼は継いでた訳だ。」
ザリアベルは頷いた。
「その上、あの馬鹿…」
アルシェが驚いて目を見開いた。ザリアベルらしくない言葉だと思った。
「あの馬鹿?」
「風間の馬鹿が、祓いに礼徳の名を使いやがって…。」
アルシェはクスッと笑った。
「確かに危険ですね。」
「礼徳が勝てない相手に、今の風間が勝てる訳ないだろう!…何を考えてるんだ…」
何か怒っているザリアベルに、アルシェが微笑みながら言った。
「風間君は、我々で出来る限り守ってやりましょう。…そして、彼がいつか師の仇を討つ時には、我々も邪魔しない程度に助けてやりましょう。」
ザリアベルは頷いた。アルシェが、再び眉をしかめて言った。
「それから…風間君の親のことですが…」
「…ん…」
「ザリアベルはどう思います?どうして、悪魔祓い師でもなかった風間君の親が消されたのか…」
ザリアベルはしばらく黙りこんだのちに言った。
「俺にもわからん…。何度も風間の記憶を覗いたが…あの黒い影の正体が掴めない。本当に悪魔かどうかも、わからん。」
「悪魔以外で…となると…?」
ザリアベルは首を振った。
「わからん…」
アルシェはザリアベルがここまで悩む姿を初めて見た。
(思っているより…風間君の仇討ちは、長引きそうだな…)
アルシェはそう思った。
……
自宅に帰った風間は、鼻歌を歌いながら弁当箱を洗っていた。
「圭一さんに、何かお礼がしたいなぁ…何しよっかなー。」
風間はそう呟きながら、水を止めた。
そして布巾を取り、弁当箱を拭きはじめた。
その時、黒い霧が風間の後ろに出現した。風間がはっとして振り返った時には、霧に飲み込まれていた。
…後には、弁当箱と布巾が床に散らばっていた。
……
風間は体を横にした状態で黒い霧に包まれ、暗いトンネルのような所を移動していた。逆らう気力も奪われている。
(…父さん達も、同じ道を通った?)
風間は誰ともなしに、語りかけた。
(師匠も通った?茜さんも?)
誰も答えない。ただ高速で移動している。気分は悪くない。むしろ、フワフワのベッドに寝かされているような、心地よさを感じた。
風間は突然、白い世界に引き込まれた。
……
「祐ちゃん、ほら立って。」
母親が、泣いている風間の顔を覗き込んで言った。
「ママ…」
「男の子でしょ?自分で立ちなさい。」
風間はうつぶせになっていた体を起こした。そして汚れた手で目を拭った。
母親が風間の体の土を払いながら、顔を見て笑った。
「やだ!祐ちゃん、おもしろい顔になってる!」
風間は母親が差し出した鏡を見て、自分も笑った。目の下に黒い筋が入っている。風間が笑ったのを見て、母親はまた笑った。
……
浅野は自宅のリビングのソファーで、組んだ両手に額を押し付けていた。隣に座っている圭一が、泣き出しそうな表情で浅野を見ている。突然、ザリアベルがソファーの側に現れた。
「ザリアベルさん!」
圭一が立ち上がった。
「風間さんが…!」
ザリアベルは最後まで聞かないうちにうなずいた。
「浅野!見えないのか!?」
浅野は首を振った。
「見えません…大天使様にも探してもらっていますが、何も見えないって…」
圭一が浅野の横に座り込んだ。風間がいなくなって丸1日が経っていた。圭一はあの次の日も弁当を持ち、浅野と一緒にテレポートして占い部屋に行ったのだが、風間はいなかった。何か胸騒ぎを感じた浅野は、そのまま圭一と風間のアパートにテレポートした。そして、キッチンの床に落ちたままの弁当箱を見て、風間が連れ去られたのを悟ったのだ。
「とにかく、そのまま探しつづけろ。俺はもう一度、魔界を探してみるから。」
ザリアベルはそう言って、消えた。
「風間さん…」
圭一はそう呟いてソファーに座り込み、自分も浅野と同じように、組んだ両手に額をつけた。
……
「祐士」
風間は父親の顔を見上げた。
「紙飛行機、出来たか?」
「パパ…これでいい?」
風間は自分で折った紙飛行機を、父親に差し出した。
「よし。飛ばしてみよう。」
「うん!」
風間は、紙飛行機を飛ばした。紙飛行機は弧を描きながら、優雅に飛んだ。
「祐士!お前は天才だ!」
父親はそう言いながら、風間の体を抱き上げた。
「てんさい?」
風間は、父の首にしがみつきながら聞き返した。
「そうだよ。天才だ!」
父親が風間の体をかかげ上げ、嬉しそうに言った。
……
「祐士、陣をやろう。」
「えっ!?」
風間は、師「礼徳」の言葉に驚いた。
「でも僕、まだ半月しか…」
「陣を継ぐのは、いつでもいいんだ。要は陣をどう完成するかが永遠の課題みたいなもんだから。…こういう風に、両手を伸ばして円を手で作れ。」
風間は、向かい合わせに立っている礼徳の動きをを見ながら、両手を伸ばし円を形作った。
「陣を継ぐ!」
礼徳がそう言うと、礼徳と風間の間に小さな陣が現れた。
「よし。お前はそのまま動くな。」
礼徳は風間の背に回ると、風間の背中を抱くようにしながら風間の手首を掴んだ。陣は消えずに浮いている。
「ゆっくりと広げるんだ。ゆっくりだぞ。割れにくいシャボン玉みたいなものだ。だが一気に広げると壊れる。…そう…」
風間は師に両手をつかまれながら、ゆっくり開いた。陣が大きく膨らんだ。
(陣って球体なんだ…)
風間はそう思った。シャボン玉というよりも、球体のステンドグラスみたいだった。
「きれい…」
風間が思わずそう呟くと、背中の礼徳が笑った。
「これはまだ術のない基本の陣だ。これから術を磨いて、陣を完成させて行くんだ。」
「はい」
その時、傍の小山の頂から、礼徳の妻「茜」の声がした。
「礼徳さーん!祐士くーん!晩御飯できたよー」
「!すぐ行くー!」
礼徳が急に甘えたような声で答えると、風間から手を離し山頂に向かって駆け出した。
「えっ師匠!こっこれどうするんですか!」
風間は、両手を広げたまま慌てて言った。
礼徳は走りながら「手を鳴らして閉じろー!」と言った。
「えっ!そっそんなんでいいの?」
風間は両手をパンと鳴らして閉じた。陣が消えた。
「おおー」
風間は感動してまた手を伸ばし、円を手で形作った。
「なんて言えばいいんだ?えーと…陣来い!」
小さな陣が現れた。
「やったっ!…ゆっくりと広げて…。」
風間がゆっくりと手を広げると、陣が広がった。
「すげえっ!」
風間はそう言って思わず、手を下ろしてしまった。すると、陣はボールのように地面に落ち、弾んで転がって行く。
「わー!ごめん!待って!」
風間が慌てて、ぴょんぴょんと弾む陣を追いかけた。
「待ってってば!」
「こらー!陣で遊ぶなー!」
礼徳が笑いながら言ったが、陣はまるで意思があるように、弾みながら風間から逃げている。
茜が笑いながら言った。
「祐士君、頑張れー!」
「師匠!どうすんすか!これー!?…こらっ逃げるな!」
礼徳は妻の肩を抱いて笑うだけで答えない。
どちらかというと陣に遊ばれている風間の姿に、茜の笑う声が響き渡っていた。
……
「エクソルティスト!」
風間はその声に目を覚ました。
「エクソルティスト!溺れるな!」
「ザリアベルさん…?」
風間は思わず呟いて、辺りを見渡した。薄明かりの中で自分の体が浮いていた。上を見ると水面のような膜が揺らいでいる。まるで水の中に浮いているかのようだ。
その風間の胸ポケットから、1枚のカードが飛び出した。風間は慌ててそのカードを逃すまいと掴み、絵柄を見た。絵柄は椅子に座った女性が目隠しをし、2本の剣をバランスよく持っている。目隠しをしているのは、目で見ることによって判断を誤まらせないためである。
「剣2…正位置…」
そう呟いた時、ザリアベルの声が響いた。
「安楽の泉だ!溺れれば、もう戻れない!」
「安楽の…泉…?」
「エクソルティスト!」
「エクソル…ティスト…」
風間は、確かめるようにそう呟いた。
「風間さん!」
「圭一さん?」
「風間君!帰って来い!」
「浅野さん…」
風間は、はっとしたように下を見た。体はゆっくりと下へ下へと落ちて行っている。その底では何本もの白い手が風間を誘うように揺らいでいる。
「!!」
「安楽の泉に溺れるな!お前にはまだやらねばならないことがある!溺れるな!」
「ザリアベルさん…」
風間は頷きながらカードを胸ポケットに戻すと、両手を前に伸ばした。
「祓い陣!」
小さな陣が現れた。風間は両手を広げた。陣が広がった。
風間は額に人差し指を当てて叫んだ。
「我を導く者の元に道を開け!」
陣は道を開いた。先が見えない程の長い線が延びていた。
風間は、大きく息を吸い叫んだ。
「礼徳の名の元に、我を祓え!」
風間は陣に吸い込まれるようにして消えた。
……
「風間さん!」
風間がゆっくりと目を開くと、圭一の顔が目の前にあった。
そして、自分のアパートのベッドに寝かされていることに気付いた。
「圭一さん…」
「良かった…。帰って来てくれて…」
風間は戸惑った目で圭一を見ていた。
浅野が圭一の後ろで言った。
「戻れて良かったよ…。安楽の泉にはまったら最後、二度と抜けられないんだそうだ。」
「じゃあ、父さん達ももしかして…!」
風間が体を起こしながらそう言うと、浅野が首を振った。
「ザリアベルが言うには、君のご両親をさらった影には悪意が見えるが、君をさらった泉の番人には悪意はないそうだ。」
「泉の番人?」
「そう。泉の番人は、過去を振り返り悲しむものをさらっていく。その悲しみが深ければ深いほど、さらわれやすいんだそうだ。だけど君のように、この世に心を残すものは抜け出せる。…だから君のご両親が、君という幼い我が子を置いて、泉に溺れるわけないんだ。」
「…そうか…」
風間は考え込むように、黙っていたが、急に顔を上げて言った。
「ザリアベルさんは?」
「ザリアベルは、何か調べたいことがあるとかで、また魔界に下りたよ。」
「そうですか…お礼が言いたいな…」
「いつでも会えるよ。」
「…はい!」
風間はそう言ってから、照れくさそうにうつむいた。
「あの…浅野さんも圭一さんもありがとう…。」
浅野と圭一は、視線を見合わせて微笑んだ。
風間がうつむき加減に言った。
「僕…師匠が消えてから、ずっと独りだったから…嬉しかった…」
「!風間さん…!」
圭一は、ふいに涙をこぼした風間の肩に手を乗せた。
浅野が、風間の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
……
「わーっ!圭一さん!無理っ無理です!僕には無理!」
「風間さん、手を離しちゃダメですよ!卵は火が通るの早いんですから!」
浅野のマンションのキッチンで、風間と圭一がお揃いのエプロンをつけ、何か料理を作っている。エプロンは、風間から圭一への弁当のお礼だ。…なぜか自分にもお揃いで買っている。
浅野が楽しそうにはしゃぐ2人の声をリビングで聞きながら、新聞を開いて苦笑している。
「おーい!花見はいつ行くんだー?弁当まだできないのかー?」
浅野がそう言うと、キッチンから「後1時間!」と言う風間の声がした。圭一が笑っている。
「1時間だー!?腹減って死ぬぞ!」
浅野はそう言うと、新聞をたたんで立ち上がりキッチンに入った。圭一は、卵焼きを作る風間にぴったりと寄り添い、手ほどきをしている。浅野はそれを横目でみながら、重箱の中を覗き込んだ。
「小芋いただき」
「あっ!浅野さん、だめっ!」
圭一が振り返りながら言った。
浅野はもう口を動かしている。
「うまい!」
「もおー浅野さん!いつまでたっても、お弁当出来ないでしょっ!」
圭一がそう怒りながら浅野に言った。風間は卵焼きと格闘中で振り向きもしない。
突然ザリアベルが現れた。
「!ザリアベルさん!お花見…」
圭一の声に風間が驚いて振り返った。だがザリアベルは、重箱の中から唐揚げをつまみ上げ、口の中に放り込んで消えた。
あまりの早技に皆、固まった。そして、3人同時に笑い出した。
(終)
……
カード「剣2」正位置の意味
「友情」「調和」を表わす。逆位置になると「不誠実」「偽りの友情」となる。
さて、今回は占いをする間が無かったので(笑)占い師ではなく、新人悪魔祓い師の「風間祐士」が「安楽の泉」についてお話しましょう。
「安楽の泉」は魔界にあると言いますが、実際にはその人の心の中にあるのだそうです。
人間って、幸せな時は未来をみようとするけれど、気弱になった時は良し悪し関係なく、過去を振り返ったりするじゃないですか。そして1ついい思い出を蘇らせると、また違ういい思い出を蘇らせ、どんどん深みに落ちて行ってしまうんですね。すると今を悲観する思いが強くなり、自分の将来を見失ってしまうというものです。
お話では「泉の番人」がそういう人を引きずりこみ溺れさせてしまうのですが、その番人には悪意が無く、むしろ、いつまでもいい思い出に浸らせてやって、幸せにしてやりたいと思っているわけです。
この「泉の番人」を心理学的に表現すると「現実逃避」となります。これは人間が無意識に陥る心理であり、これが続くとその人は本当に将来を悲観してしまい(うつになる状態です)、ついには「自殺」つまり「安楽の泉」から抜け出せないという最悪の結末を迎えるわけです。
もし、今あなたが「昔は良かったなぁ」なんて思っているなら、「泉の番人」があなたを泉に引きずり込もうとしている時です。そんな時は過去ばかりではなく、未来に想いを馳せましょう!そうすることで「泉の番人」はあなたから離れて行きます。
では、また次回にお会いしましょう!




