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崩壊する歌声

「圭一さん、新曲ですか!!」


風間祐士が、浅野のマンションのリビングのソファーに座り、嬉しそうに叫んだ。隣に座っている北条きたじょう圭一が笑った。


「新曲と言っても「ケルティック・ウーマン」が歌っている曲で…」

「カムチャッカ?」


風間がそう聞き返すのを聞いて、向かいでコーヒーを飲んでいた浅野俊介が吹き出した。


「それは、ロシアの方にある島だろう。…全然違うじゃないか、風間君。」


圭一が腹を抱えて笑っているのを見ながら、風間は不思議そうに浅野に向いた。


「今、圭一さん、なんておっしゃったんですか?」

「「ケルティック・ウーマン」…アイルランドの4人組の歌手だよ。天使の歌声と言われている。讃美歌やクラシックを中心に歌っているグループだが、圭一君が今回歌うのは、彼女たちがカバーした歌だったよな。」

「はい。「ユー・レイズ・ミー・アップ」という曲です。」


圭一がやっと笑いを収めて答えた。浅野が呟くように言った。


「日本では「ケルティック・ウーマン」が有名だが、世界中でいろんな歌手にカバーされてる名曲だよな。よく許可が取れたね。」

「ええ。僕も半分あきらめていたんですが…良かったです。」

「かなりの話題になるんじゃないか?」

「…ええ。…責任重大ですね…。」


浅野と圭一が話しているのを聞いて、風間の頭の中はクエスチョンマークだらけになっていた。

そんな風間の様子を見て、浅野が笑いながら言った。


「ああ、風間君ごめん。とにかく、世界的に有名な歌を圭一君が歌うってわけだよ。」

「それはよくわかりました。で、「チャッカマン」…でしたっけ?」


コーヒーを飲んでいた圭一と浅野は、同時にコーヒーを吹き出した。


……


翌日-


風間は、圭一が「防音室」で新曲のレッスンをしていると聞いて、エレベーターに乗り5階に上がった。

エレベーターから降り、「防音室3」に向かっていると、その部屋から出てきた「美しきバイオリニスト」秋本 ゆうが、風間を見て慌てて駆け寄って来た。


「風間君、圭一君に会いに来たのか?」


秋本は、自分に頭を下げている風間にいきなり言った。風間は顔を輝かせて「はい!」と答えた。


「今、カムチャッカ…なんとかの歌をレッスンされているとか…って…」


秋本は意味がわからないような顔をしたが、険しい表情で風間に言った。


「今はだめだ。圭一君、かなり悩んでいてね。」

「えっ!?…圭一さんが…?」

「…サビの部分の自分の声が気に入らないって…。俺も伴奏で一緒にレッスンをしていたんだが、なかなか自分の満足する声が出ないようなんだ。今も、そばにあったパイプ椅子を蹴飛ばすしまいで…」

「!!…圭一さんが…そんなこと…」

「ああ…今までにないくらいの荒れようだよ。…ということだから、今日は圭一君に会うのはあきらめてくれ。俺も一旦退散して、1時間くらいしてから戻ろうと思ってる。」

「…そう…ですか…」


風間はがっかりしながらも、秋本に背中を押されるまま、またエレベーターに戻った。


……


「うわぁ…本当に天使の歌声ですね…」


風間は、秋本から借りたMP3プレーヤーで「ケルティック・ウーマン」の歌う「ユー・レイズ・ミー・アップ」を聞きながら言った。

食堂なので、イヤホンで聞いている。隣で秋本がコーヒーを飲みながら言った。


「そうだろう。その曲のサビのところなんて、声の伸びが必要なんだが…やはり、テノールとはいえ、男の声だと無理があるのかな…。圭一君の声が綺麗に伸びないんだ。」

「圭一さんでもそんなことあるんだ…」

「圭一君の自滅的な稽古の仕方には慣れてるけど…今回は、まじでやばいかもしれない。…しまいには、歌わない…なんて言いだしたらどうしようなんて思ってるんだ。」

「…圭一さんの性格なら、ありえるかも。」

「ん。完璧主義だからなぁ…俺と違って…」


秋本はそう言うと、またコーヒーを飲んだ。


「圭一君が「ユー・レイズ・ミー・アップ」を歌いたいって言いだしたのは、「天使の歌声」と言われる歌手の中に、自分も加わりたいという圭一君の壮大とも言える夢が絡んでいる。…彼は、その中でいきなり壁にぶち当たったってわけだ。」

「はぁー…」


風間が突然ため息をついた。イヤホンを両手で押さえるような格好で目を閉じている。


「どうした?風間君。」


秋本が不思議そうに尋ねた。


「聞けないと思うと、よけいに圭一さんの生歌が聞きたくなる…ってのは、わがままですかね…」


風間のその言葉に、秋本が笑った。

その時、不機嫌な表情の圭一が、食堂に入って来た。

風間と秋本は少しぎくりとした表情で圭一を見た。風間は慌ててイヤホンを耳からはずした。


「…圭一君。休憩するかい?」


秋本が立ち上がりながらそう言うと、圭一は黙ってうなずき、風間の隣に座った。

初めてみる圭一の不機嫌な様子に、風間はどきどきしながらも圭一を見ている。

秋本は財布を取り出し、カウンターに向かった。コーヒーを頼んでいる。圭一の分だということはすぐにわかった。


…だが、圭一はふてくされた様子で、一言も口を利かないまま、テーブルの一点を見つめている。

風間はただそんな圭一の横顔を見詰めた。すると圭一が、風間の前にあるMP3プレーヤーに目をやり、それを黙って取り上げた。


「!!」


圭一はイヤホンを耳に当て、MP3プレーヤーを操作している。風間がそっと覗きこむと、やはり「ユー・レイズ・ミー・アップ」の曲でプレイボタンを押していた。

圭一はイヤホンを両手で押さえ、目を閉じて聞いていた。そして、サビの部分を口ずさんだ。

風間はどきりとした。小さな声だが、圭一の声じゃない。恐ろしさを感じる程の低い声だった。


(…この声…!)


風間は圭一の肩を見た。だが、何も見えない。悪魔が憑いている様子もない。…しかしこの声は、圭一の声ではない。


「圭一さん!」


風間が思わず、圭一の肩を掴んで揺らした。圭一が睨みつけるように、風間の顔を見た。そしてその目が一瞬赤く光ったのを、風間は見逃さなかった。


「…風間さん…何?」


目を見開いている風間に、圭一が言った。声は元に戻っているが、表情は険しいままだ。

秋本が驚いたように、コーヒーカップを乗せた盆を持ったまま、見つめ合う2人を見ていた。


「悪魔が憑いてるよ。」


風間がそう言うと、圭一は驚いたように目を見開いた。


……


「それで俺を呼んだのか。」


浅野のマンションで、悪魔ザリアベルがふてくされ気味に言った。圭一がいないので、紅茶は風間が淹れたのだが気に入らないようだ。


「…すいません。…僕じゃ、手に負えないようなので…」


風間の隣には浅野が座っている。その浅野の表情も固い。

ザリアベルが、まずそうな顔で紅茶を飲みながら言った。


「悪魔を封じ込める声が効かない悪魔に憑かれたってわけか。」

「ザリアベル以外にもいるんですね。」


浅野が呟くように言った。かなりやっかいな相手だとも思える。ザリアベルが言った。


「救いを求めない悪魔なんて、吐いて捨てる程いるさ。本当はそっちの方が多い。」

「…どうすればいいと思いますか?」


風間がすがるような目でザリアベルを見た。ザリアベルは、またまずそうに紅茶をひと口飲むと唸るような声を上げた。


「圭一君は今どこにいる?」

「プロダクションの防音室です。独りで稽古を続けているそうです。」

「行ってみる。」


ザリアベルはそう一言いい、紅茶を飲み干して消えた。


「…まずそうな顔をしながらも、ちゃんと全部飲んで行ったな。」


浅野が残されたカップを覗き込んで行った。風間が苦笑した。


……


「!ザリアベルさん!」


圭一は、突然防音室に現れたザリアベルに驚き、椅子から立ち上がって言った。

隣にいた秋本も驚いている。


Herrヘル(=Mr.)秋本」


ザリアベルは微笑んでそう言い、秋本に拳を差し出した。秋本が嬉しそうにその拳に自分の拳を当てた。


「クロイツさん、お久しぶりです。どうされました?」

「風間が圭一君の事を心配していたものでね。」


ザリアベルがそう言うと、圭一が申し訳なさそうにうつむいた。


「ああ…圭一君に悪魔が憑いているとか言ってましたね…」


秋本が不安そうに圭一を見ながら言った。


「クロイツさんには、見えますか?」


ザリアベルに振り返りながら秋本が言った。ザリアベルは眉をしかめながら首を振った。


「…いや…今は見えないな…。私が来るのを先に察知された可能性があるな。」

「どうしたらいいんでしょうか。」


何も言わない圭一の代わりに秋本が言った。ザリアベルは秋本に薦められ、パイプ椅子に座りながら言った。


「圭一君、歌ってみてくれ。」

「えっ!?」


圭一が目を見張り、ザリアベルを見た。秋本も驚いた目でザリアベルを見ている。


「とにかく、歌ってみてくれ。完全な声じゃない事は聞いている。…何かがわかるかもしれん。」

「…はい。」


圭一は、不安そうな表情をしながらも、秋本にうなずいた。秋本もうなずいて、ピアノの上に置いてあったバイオリンを手に取った。


「…行くぞ、圭一君。」


秋本がそう言うと、圭一は少し両足を開き、歌う体勢になってうなずいた。


秋本のバイオリンの伴奏が始まった。ザリアベルはじっと目を閉じて聞いている。

圭一が歌い出した。いつもの圭一の澄んだ声が響いた。


「ユー・レイズ・ミー・アップ」は、直訳すると「あなたが勇気をくれるから」となる。「落ち込んでいる時に、傍にいて欲しい。あなたが勇気をくれるから、私は強くなれる。」というような歌詞だ。

サビにも「ユー・レイズ・ミー・アップ」という歌詞がそのまま使われている。


しかし、そのサビの「ユー・レイズ・ミー・アップ」というところで、圭一の声が急に低くなったのをザリアベルは感じ、目を開いた。

何故か、圭一も秋本も気づいていない。圭一は目を閉じるようにして、歌い続けている。

ザリアベルは、低音の圭一の声に何も言わず、ただ黙って圭一を見つめていた。


『まるで、洞窟に響くオオカミの…何て言うんでしょうね…唸り声というか…そんな声だったんですよ。』


風間のその言葉通りだ…とザリアベルは思った。

しかし、圭一にも秋本にも何も憑いている様子はない。ザリアベルは、いらだたしさを感じた。自分に見えない邪悪なものが、圭一に憑いている。


歌はいつの間にか終わっていた。ザリアベルは、静かになった事に気付かずに、うつむき加減に考え込んでいる。

圭一と秋本は、思わず顔を見合わせた。


「…ザリアベルさん?」


圭一がそう言うと、ザリアベルは、はっとしたように顔を上げた。


「…すまない…。私にもわからん。…だが、必ず付きとめるから、圭一君はあきらめずに、稽古を続けてくれ。」


ザリアベルの言葉に、圭一は目を見張って「はい」と答えた。


「…君の声は、必ず取り戻す。」


ザリアベルはそう言うと、圭一達に背を向け、姿を消した。


……


「崩壊する声!?」


風間が思わず身を乗り出して言った。向かいのソファーには、防音室から帰って来たばかりのザリアベルが、今度は浅野の淹れた紅茶をまずそうに飲んでいる。


「そうだ。圭一君に憑いている何かに声を壊されている。」

「壊されて…って…このままいくとどうなるんですか!?」

「…声が出なくなるだろうな。」

「!!」


ザリアベルは風間にそう答え、また紅茶をひと口飲んだ。そして眉をしかめた。よほどまずいようだ。…隣で浅野が何か体を縮ませている。


「そうなる前に…どうにかしないと…」


風間が呟いた。ザリアベルは黙り込んでいる。

その時、浅野の携帯電話が鳴った。浅野は携帯を開いて画面を見た途端、険しい表情になった。


「もしもし?秋本さん…何か…!?圭一君が倒れた!?」


ザリアベルの目が見開かれた。風間は思わず立ち上がっている。


「病院は!?…わかりました!すぐに行きます!」


浅野が携帯電話を閉じながら、立ち上がった。


「浅野さん、圭一さんどうしたんですか!?」

「急に呼吸困難を起こして倒れたそうなんだ。とにかく行こう!」


浅野はそう言うと、ポケットの車のキーを確認しながら玄関に向かった。

風間が後について出た。


ザリアベルはそのまま姿を消した。


……


「クロイツさん!」


ベッドの傍にいた秋本が、突然病室に現れたザリアベルに驚いて立ち上がった。


「…呼吸困難と聞いたが…」


ザリアベルが秋本に言った。


「ええ。歌っている途中で急に咳き込んで…胸を押さえて倒れたんです。」

「いきなりか?」

「ええ。検査の結果では何もないので、医者は精神的なものだろう…っておっしゃってましたが…。…クロイツさん、やっぱり悪魔か何かのせいでしょうか?」

「…可能性は高いが…全く姿が見えない…」

「…対処のしようがないというわけですか…」


秋本が腰に手を当てて、うつむいた。

その時、ドアがノックの音と共に開き、浅野と風間が入ってきた。


「!ザリアベル…」


苦笑している浅野に、ザリアベルが振り返って言った。


「急に咳き込んで倒れたそうだ。」

「発作ですか。…やはり悪魔の仕業なのかな…。」


浅野がそう言いながら、圭一の顔を覗き込んだ。

ザリアベルが、風間に向いて言った。


「風間、念の為に鏡の陣で見てみてくれ。」

「…はい。」


風間は浅野がベッドから離れたのを見てから、両手を前に差し出した。


「鏡の陣!」


風間とベッドの間に陣が現れた。秋本が驚いた目で陣を見、風間を見た。

風間が両手を広げると、陣がそのまま圭一を映し出した。

…だが、やはり何もない。影もオーラも映っていなかった。


「…だめです。…全く見えません。」


風間がそう言うと、ザリアベルがふと呟くように言った。


「全く…見えない…?」

「ザリアベル?」


浅野が何か気付いたのかと、ザリアベルを見た。

風間も陣を消して、ザリアベルに向いた。


「どうしました?」

「…全く見えない事がおかしいと考えると…。…「ファントム」かもしれん。」

「!!ファントムですか?」


浅野が目を見開いて言った。風間と秋本は不思議そうな表情でお互いの顔を見合わせた。


「浅野さん、ファントムって?」


風間が浅野に言った。浅野が風間に向いた。


「霊…つまり「ゴースト」と呼ばれる霊よりも、強い霊だよ。悪魔の類じゃない。「ゴースト」でも姿を隠す事は出来るが、普通は長続きしない。だが「ファントム」は、ずっと姿を隠したままでいられるほどの強い力を持っている。…ある意味…悪魔より質は悪いな…」

「ということは…元々は人間だったというわけですか?」

「そうだ。俺は、悪魔が圭一君の力を弱めるために、声を奪ったのかと思いこんでいたが…もしかすると、圭一君へのなんらかの恨みを持った霊の仕業かもしれない。」


ザリアベルが眉をしかめて黙り込んでいたが、急に一点を見つめたまま口を開いた。


「風間」

「!はい!」


風間がザリアベルの前に立った。


「ファントムの声を拾う事は出来ないか?」

「声を拾う?」

「ああ。霊は黙っている事ができない。常に何かを呟いているはずだ。その声を拾うことはできないか?」

「……」


風間は眉をしかめて黙り込んだ。全員が風間を見つめている。…しばらくののち、風間は目を見開いた。


そして、ベッドに向いた。

ザリアベル達は、自然に風間からゆっくりと離れた。


風間はベッドに向かい、両手を差し出した。


「奈落の陣!」


陣が現れた。浅野が驚いたように目を見開いた。秋本も不思議そうな表情で風間を見る。

ザリアベルだけが、口の端をいがませ笑みを見せた。

風間は両手を広げた。陣が広がる。

風間は人差し指を額に当てて言った。


「静寂を敷き、邪なるものの音を拾え!」


とたんに、静寂が病室を包み込んだ。

寒気のような、恐怖感のようなものを全員が感じている。


(音が無いとは、こういうことなのか。)


秋本はそう思った。

…その時、小さく声が聞こえた。

ぶつぶつ呟いている。


風間はそれを聞くと、さらに両手を広げた。陣がさらに膨らむと、声がはっきり聞こえるようになった。

しかし、日本語ではないようである。どこの国の言葉かもわからない。

突然、ザリアベルが「浅野!」と言った。

天使アルシェに姿を変えた浅野は、同時に出現させた弓矢を構え、ベッドの上の天井に向けて矢を放った。


「!!」


天井に刺さった矢の周りに白い布のような物が現れた。


「よしっ!」


アルシェ(浅野)が思わず叫んだ。だが布は矢からするりと抜け、天井をぐるぐると回りだした。


「!…だめか…!」


ザリアベルが舌打ちして言った。

その時、突然轟音が鳴り響いた。雷が落ち続けているような轟音に、全員が両耳を手で押さえ座りこんだ。

風間は、陣が消えずに跳ねたのを見た。


(しまった!陣が閉じてない!…)


陣は床で1度跳ねると、圭一の胸の上に乗った。


「!!」


そのとたん、轟音が静寂に変わり、圭一の歌声が鳴り響いた。

「ユー・レイズ・ミ-・アップ」である。

皆、耳から手を離し、思わず圭一を見た。圭一はゆっくりと体を起こし、陣を抱いた。だが口は開かず、じっと目を閉じている。


(!?…圭一さんの心の声を陣が拾ってるんだ!)


天井をぐるぐると回っていたファントムの動きが緩やかになった。アカペラで歌う圭一の声が静寂に響いている。

全員が思わずその声に聞き入っていた。ファントムが動かなくなり、やがて陣の上にするすると落ちた。


思わず全員が陣に落ちた布のようなファントムを見た。

ファントムは、まるで圭一の歌に葬られるように、陣の中へゆっくりと吸い込まれていく。

圭一が歌い終わると同時に、陣は徐々に小さくなり消えた。


音が戻った。窓の外から木々が風に揺らぐ音がし、救急車がサイレンを鳴らしながら入ってくる音がした。


「…圭一君…大丈夫か?」


アルシェは浅野に姿を戻し、圭一に言った。

圭一は答えようとしたが、声が出ず思わず喉を手に当てた。


「!…圭一さん、無理しないで!」


風間が思わずベッドに駆け寄って、圭一の背中に手を添えた。

圭一がうつむくようにして、うなずいた。

しばらく全員が黙っていた。

すると、突然ザリアベルが口を開いた。


「圭一君、どうしてファントムが君に憑いたか…わかるか?」


圭一は顔を上げて、ザリアベルを見た。


「君が心で歌うことを忘れ、技術テクニックを重視したからだ。」


ザリアベルの言葉に、圭一は目を見張った。風間達も目を見張って、ザリアベルを見た。

ザリアベルは続けた。


「本当に「天使の歌声」が欲しいと思うのなら、今、君が我々を助けてくれたように、心で歌うことを忘れない事だ。技術的にうまい奴はいくらでもいる。だが、君にはそういう意味では、うまくなってもらいたくない。前のままの君の歌声でいい。」


圭一の目から涙がこぼれ落ちた。風間は、その背を撫でた。


「もうしばらくしたら、君の声も出るようになるだろう。その時に、また歌を聞きに来るよ。」


ザリアベルはそう言うと、圭一達に背を向けて消えた。

風間が励ますように、圭一の背を叩いた。圭一は風間に向いて、笑顔を見せうなずいた。

浅野と秋本がほっとしたように圭一を見た。


……


1週間後-


圭一は、音楽番組で「ユー・レイズ・ミー・アップ」を歌っていた。その澄んだ声に、スタッフも聞き入っているように見える。

サビの部分でも、圭一は力を入れることなく自然に歌い上げていた。最後まで伸びのある澄んだ声で歌い上げた圭一に、スタッフから自然発生的に拍手が起こった。

歌い終わった圭一は息も弾ませていなかった。まるでまたすぐにでも歌えるような、余裕の笑顔を見せている。


番組がCMに入ったと同時に、風間はテレビに向かって拍手をした。隣に座っている浅野も拍手をした。向かいのソファーに座っている圭一が、照れくさそうにしている。その圭一の隣でザリアベルが風間につられるように拍手をした。


「すっかり元通りですね。圭一さん!」


風間が真っ赤になっている圭一に向いて言った。


「いや、それ以上だよ。」


浅野がそう言うと、圭一は頭を下げながら言った。


「皆さんのおかげです。ありがとうございます。」


風間が首を振った。浅野も「いやいや」と言い、ザリアベルを指さした。


「ほとんど、ザリアベルのおかげだよね。」


その浅野の言葉に、ザリアベルが面食らった顔をして浅野を見た。

風間が身を乗り出すようにして、ザリアベルに言った。


「ザリアベルさん、結局あのファントムはなんだったんですか?」


ザリアベルは、圭一が淹れた紅茶を一口飲んでから答えた。


「一瞬、見えただけでよくはわからんが、あれの生前は、イタリア人のオペラ歌手だ。」

「!?オペラ歌手!?」

「ああ、それこそ「天使の歌声」と言われた「カウンターテナー」だった。だが咽頭がんを患って声を奪われ、がんが発覚してから1年後に死んだ。…圭一君が産まれる前だがな。」

「!…どうして、そのオペラ歌手が圭一君を?」

「まぁ、嫉妬だろうな。「天使の歌声」を持っているのは自分だけだと、イタリア語でぶつぶつ呟いていたよ。だが圭一君はまだ若いから、将来、本当に「天使の歌声」と言われるくらいに成長できるかもしれない。それを今のうちに潰そうと思ったんだろう。」


圭一がうつむいた。浅野が圭一に向いて言った。


「俺は、今でもう「天使の歌声」だと思うけどな。」

「そんな…それは言いすぎです。」


圭一が首を振りながら言った。


「天使の歌声かどうかはわからないが、…圭一君はこのままでいいと思う。」


そのザリアベルの呟きに、圭一が嬉しそうにした。すると風間が少し不満気に言った。


「ザリアベルさんって、どうして圭一さんだけ「君」付けなんですか?」

「!!」


ザリアベルがカップを手に持ったまま、目を見開いた。浅野がおかしそうに笑いながら言った。


「そう言えばそうだ。…どうしてですか?」


浅野にも突っ込まれ、ザリアベルはカップをそのまま置いて、ふてくされ気味に言った。


「…恩人だからだ。」

「恩人?」

「警察官に職務質問されているところを助けてくれた。…だからだ。」

「ザリアベルさん、職質受けたんですか!!」


風間が笑い出した。ザリアベルの顔が一層不機嫌になった。

隣に座っている浅野が「こら、笑いすぎだ!」と風間をたしなめた。風間は腹を押さえながら言った。


「…すっすいません…。だって、どんな顔で職質受けてたんだろうって思ったら…なんだかおかしくて…。」


ザリアベルは、苦笑しながら紅茶をひと口飲んだ。圭一が「風間さん!」と、笑い続ける風間に言った。


「ごっごめんなさい。」


風間はやっと笑いを収めて言った。


「…その後は、どうされたんですか?圭一さんに助けられた後…。」


ザリアベルは黙っている。圭一が代わりに答えた。


「あのまま外におられたら、また職質受けるかもしれないと思って、家に招待したんです。その時、たまたま浅野さん達の為に「クリームシチュー」を作ってて、それを食べてもらったら、喜んで下さって…。」


聞いていた風間は目を見張って言った。


「…それって…まるで浮浪者のおっさん…ふがっ!」


最後まで言わせないように、浅野が風間の口を塞いだ。…もうほとんど言ってしまった後だったが…。

浅野は、風間を背中から羽交い絞めにしながら、苦笑しているザリアベルに言った。


「ザリアベル、こいつどうします?どういう罰でいきます?」

「ええっ!?罰!?なんで罰!?」


風間が暴れながら言った。圭一が笑っている。


「…そりゃ、あれだろう…」


ザリアベルがにやりとしながら言った。


「くすぐりの刑だ。」

「!!」


風間は「嫌だーっ!!」と言いながら、もがいた。だが浅野の力は強く、なかなか離れない。


「ザリアベルどうぞ!今のうちに!」

「圭一君に任そう。」

「はい!」


圭一が笑いながら、風間のソファーに回り、両手を上げた。


「やめてーっ!!ちょっと…たんまっ!!」


風間はそう言うが、刑は執行された。


ソファーの傍の籠で寝ていたキジ猫の「キャトル」が大あくびをして伸びをすると、ザリアベルの肩に飛び乗った。

ザリアベルはキャトルに向いて「起こしたか。」と言った。キャトルは「にゃご」と鳴いて、ザリアベルの頬に自分の頬を擦り寄せた。

ザリアベルは、口の端に笑みを浮かべながら紅茶をひと口飲むと、満足そうに「ふーっ」と息をついた。


(終)


……


挿入歌「ユー・レイズ・ミー・アップ」

作:シークレット・ガーデン


……


では、最後に今回も「悪魔祓い師」の「風間祐士」が、「ファントム」についてご説明します。

「ファントム」は悪魔ではありませんが、人間が悪魔に憑かれたらどうなるか…。今回の「圭一」さんの様子でおわかりになったかと思います。

「圭一」さんは、「ユー・レイズ・ミー・アップ」を歌うと決まった時から、ファントムに憑かれていたのかもしれません。

人が悪魔(悪霊)に取りつかれると、皆が皆、おかしくなるわけじゃありません。殆どの方が、取りつかれている事に気づかずに過ごしていると言っていいでしょう。ですが、強い悪魔(悪霊)に取りつかれると、言動がおかしくなってきます。「圭一」さんもそうでしたよね。

普段なら怒らないことで、怒り出したり、泣き出したりするようになったら、疑った方がいいです。…ですが、悪魔祓い師なんて、そうそう探してもいません(大抵は僕のように隠しています)から、取り憑かれてもどうすればいいのかわかりませんよね。

そういう時は、神社や、お寺などに参られるといいですよ。完全に祓われる…という保証はありませんが、悪魔(悪霊)は少なくとも、中に入れません。そして「交通安全」でもなんでもいいので、1つだけお守りを買って下さい。(沢山買っても意味はありません。)大抵の悪魔(悪霊)はそれで近寄る事はできなくなります。

最近は「パワーストーン」が流行っているようですね。神社やお寺などに行けない場合は、石の力に頼るのもいいでしょう。ただご自身に合う合わない石があるので、それを調べてから石を買って下さいね。わからないようでしたら、誕生石を身につければまず間違いありません。別に大量につける必要はありません。財布に入れられるひとかけらだけでもいいんです。ただお守りも石も大事にしてあげて下さいね。

讃美歌を聞くのもいいです。歌うともっといいですね。うまい下手は関係ありません。同じ意味で、お経を聞いたり、読んだり、書いたりするのも効果がありますよ。

では、また次回にお会いいたしましょう。

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