09_13代目の勇者の話(前編)
「出立は、秋にしたから。」
晩夏。少しずつ葉が黄色くなってきた瓜類の剪定をする少年に、エルはそう声を掛けた。少年はその声に顔を上げる。エルは「ほら、ハサミ。危ないよ。」と口にすると、彼の手の中のハサミを取り上げた。その瞬間、僅かに触れた指先の冷たさに少年は驚くと共にどきりとした。それから、ああ、この人は本当に生きていないんだと、少し悲しくもなった。それくらい、まだ暑さの厳しい日中だというのに、エルの手はびっくりするほど冷たかった。
少年はまだ子供の頃――今だって世間的には子供だが、もっと小さかった頃――多分、4つか5つくらいの頃に番犬として飼っていた、綺麗な毛並みをしていた愛犬を思い出した。彼が生まれるより前からこの家にいた犬は、彼が小さい時に老衰で死んでしまった。わけも分からずに触れた愛犬は、固くて冷たかった。その時と全く同じ感触のするエルの手に、少年は思わず俯いた。
「普通、春とかじゃないの?」
「それも考えたんだけどね。」
エルはハサミを弄りながら告げる。「キミは父親譲りなのか、剣の腕がいい。だから春まで待つのはロスだと判断した。」少年はその言葉に少し……否、大いにムッとした。結局この約半年、エルに1回も勝てていないどころか彼女から1本取ったこともないのによくもまあそんなお世辞が言えるものだと、心底イライラした。
「それに。この村は大陸の南端に位置するだろう?そして初心者というものは、総じて歩みが遅いものだ。――つまりは、下手に春に出立して、雪が降る時期に北に居る方が困る。」
エルは少年が苛立っていることに気が付くも、敢えて素知らぬ振りをして言葉を続ける。少年はその冷静な言葉に、更にイライラした。冒険などしたことがない初心者であることも、それを見越した冷静な旅のプランも、何もかもにイライラした。まるで「お前は無能だ。」と言われているような気がして、心底嫌な気持ちになった。
「……なあ。なんで旅なんてする必要あるんだよ。エルは、魔王がどこにいるか知ってるんだろ?最初からそこに行くんじゃだめなのか?」
「――――ふむ。なら、今日はその疑問に答える思い出話でもしようか。」
エルは余裕たっぷりにそう答えると、少年にハサミを返す。「まあ、続けながら聞きたまえ。」と声を掛けると、手近な木箱の上に腰を下ろした。続けて懐からバナナがたっぶり入ったバナナブレットとバター、それと蜂蜜の瓶を取り出すと、鼻歌混じりに並べながら語り出す。
「あれは、13代目のキミだった。あの子もキミと同じことを言っていたよ。そして、実践しようとした。」
エルがバナナブレットをちぎる。そこにたっぷりのバターをのせると、口へ運んだ。芳醇なバターの香りと濃厚なバナナの甘さにエルは心底しあわせそうに目を細めると、休むことなく蜂蜜の入った瓶を手に取る。咀嚼しながら巣蜜の入ったそれの蓋を開けると、手が汚れるのも厭わずに瓶の中へ指を入れた。
「若いというのはいいことだ。でも、時に危険でもある。」
口の中のバナナブレットを、ごくりと喉を鳴らして飲み込む。それから人差し指と親指で摘んだ巣蜜を、口元へ近づける。巣蜜特有のぬちゃりとしたなんとも言えない音を響かせながら、エルはそれを頬張る。少年は気が付かないうちにそれを無言で眺めていたことに気が付くと、慌てて彼の背丈以上に伸びた瓜へ手を伸ばした。――今日中にここの剪定を終わらせようと思っていたのに、何をぼうっとしているんだと自分を叱った。
「特に、13代目のキミは無鉄砲だった。そして、合理主義者でもあった。とどのつまり――可愛い奴だったのさ。」
エルが再びバナナブレットをちぎる。今度はそこにバターのみならず巣蜜ものせると、大きく口を開ける。
そのあまりの欲張りっぷりに驚いた鶏が、思わず卵を産んだ。




