08_5代目の勇者の話(後編)
「ねえ師匠。これとこれ、どっちが似合う?」
「……どっちでもいいよ。どれもおんなじだ。」
「んも〜、それはナシ!ちゃんと考えて答えて!!」
昼下がりの王都。長く過酷な旅路の、ほんの一瞬の幕間。窓から差し込む陽気な日差しとぬるい風とに、緊張が解ける。加えてエルは服屋で髪をまとめるリボンの色を熱心に尋ねてくる少女─―5代目の勇者である彼女のショッピング、それもエルがまったく興味のない分野の買い物――年頃の女の子らしい、迷いながらのそれに、かれこれもう3時間は付き合っていたのだ。緊張が解けるどころか、退屈がぐでんぐでんに茹で上がっていた。
――今度の勇者は、何処にでもいるお洒落が好きな町娘だった。エルは最初こそ少し驚いたものの、まあ、それもそうかと妙に納得してしまった。魂は同一だが、性別と性格は後付けだ。だからこそどの勇者も……前の4人も、目の前の少女も、同じだけど違う。違うからこそ、何度も通ってきた道が、そしてこれから通る道が、新鮮になる。忘れられない思い出になる。エルは鏡の前で真剣に悩む後ろ姿を見つめながら、そんなことを考えた。
……とはいえ一向に終わらないショッピングにエルは欠伸を零すと、「……本当にこれも思い出になるのか…?」と首を傾げた。
「ねえ、師匠は何色が好きなの?」
「好きな色なんてないよ。全部一緒だ。」
執拗に尋ねてくる彼女に、エルは少し冷たくも思える言葉を吐く。けれどそれは本心だった。どんな鮮やかな色も、時間が経てばくすんでしまうことをエルは知っていたからだった。くすんで、朽ちて、そこに何があったかさえも分からなくなってしまうことを、知っていたからだった。そして人間も自分も、この世界さえも、覚えていると――決して忘れないと誓うくせに、そのくせあっさりと忘れてしまうことを、エルは痛いほど痛感していたからだった。つまるところ、いわばこれはエルなりの自分を守る方法だった。4人の勇者を見送ってきた彼女なりの、自分が壊れないための無関心だった。
エルは怖かった。自分で決めたこととはいえ、世界のためとはいえ、それを成せるのが自分だけとはいえ、前の4人の勇者が時代と共に、その名前すら忘れられていくのが、怖かった。現に彼らがどんな人間だったかを知っている人間なんて、エル以外みんな死んでしまった。彼らだってそうだ。魔王を封印した後、みんな死んでしまった。平穏な人生を取り上げ、生きるか死ぬかの戦いに巻き込んだのは自分なのに、許されないはずなのに、何故か皆、最期には「ありがとう」と言って死んでいった。それを思い出す度に既に止まっている筈の胸が傷んで、涙が零れて、指の先がじんじんと痺れた。彼女の村が魔王に滅ぼされた時よりも、その後に面倒を見てくれた人々が再び魔王に奪われた時よりも、ずっとずっと、息が苦しくなった。
「……だから、どれでもいい。わたしのことなんて気にせずに、自分の好きな色を選べばいいよ。」
エルはそう言って鏡の前に立つ彼女から視線を逸らす。――関わって、親しくなって、苦しくなるくらいなら、5代目の勇者である彼女とは、あまり関わらないようにしよう。エルは最初彼女とはじめましての握手を交わした時、自分にそう誓っていた。
本当は、彼女のことを知りたかった。正面から、顔を見たかった。顔を見て、どれが似合うか選んであげたかった。けれどその思い出は、その時抱いた優しい気持ちは、何年も経ってから鋭い刃になって自分を傷付けることを、エルは知っていた。だから、避けた。彼女の問いも、まだ未熟な少女らしい甘えも、聞こえないふり、見ないふりをした。エルは自分の悲鳴を、殺した。
「でも、それでも私は、師匠が選んでくれたのがいいの!」
「……だからわたしは、」
「いいから!私のために!選んで!!」
彼女はエルの前につかつかと歩み寄ると、少し怒った口調で詰め寄った。エルはその勢いに押されると、思わず彼女の手の中のリボンに目を向けた。赤、青、黄色、オレンジ、白、黒──色とりどりのリボンは若くて愛嬌があって、おまけに可愛らしい顔立ちをしている彼女ならどれも充分に似合うだろうと思った。だからこそ、エルは選べなかった。
「んも〜、師匠の優柔不断!!」
「…………ごめんて…。」
珍しく、エルはしゅんと項垂れて謝る。けれど選べないこともまた、本心だった。選んでしまえば、それがまた心の中に錆のようにこびり付いて、残って、苦しむと分かっていた。
――この気持ちを分かってくれた勇者は、皆死んだ。「それじゃあ師匠が寂しくならないように、たくさん思い出も作りましょう。」そう言って微笑んでくれた彼らは、皆、過去の人になった。きっと彼女も、せいぜい100年後には過去の人だ。寂しくならないようにと作った思い出に苦しめられるくらいなら、いっそ、何も遺さないで欲しい――エルは唇を噛むと、もう一度「ごめん。」と謝った。
「……ねえ師匠。師匠の好きな物が知りたい、思い出が欲しいって、そんなにワガママ?ダメなこと?」
「…………ダメ、じゃない…けど…。」
「なら、何をそんなに怖がってるの?」
無垢な瞳が、エルを射抜く。彼女の瞳は、とても綺麗な色をしていた。綺麗な色をしていたから、怖かった。
「私はね、師匠との思い出、たくさん欲しいよ。だって、せっかく出会えたんだもん。あれが好きとかこれが好きとか、もっとたくさん話したいよ。理解し合いたいよ。分かち合いたいよ。楽しいことだけじゃなくって、痛いのも、苦しいのも、共有したいよ。
……だってさ?ね、師匠、考えてもみて?私たち、他の人にはない特別な絆で結ばれてるんだよ?これって、運命なんだよ?私――ううん。私が私じゃなくなっても、私、何回も師匠に『特別』をあげられるんだよ?それって、凄いことじゃない!?他の人の言う『運命の恋人』より、ずっとロマンチックでドラマチックじゃない?!」
彼女の真っ直ぐな言葉に、エルは言葉を失った。失うことだけじゃない、失った上でまた出会うことさえもロマンチックでドラマチックだと語るその若さに、青さに、少しだけ喉が鳴って、声にならない声が漏れ出した。と同時に、悲しいことばかりに目が向いて、うじうじと後ろを向いて、ひとり拗ねていた自分が恥ずかしくなった。
――彼女は、わかっている。自分も、世界からすればたくさんいる勇者の中のひとりだと。けれどエルにとっては、たったひとりの『彼女』という弟子なのだと、理解している。他の勇者と同じ魂でも、今ここにいる自分は紛れもなく誰でもない自分なのだと、真正面から受け止めて、受け入れて、その上で『エルをひとりにはしない』と言ってくれている。
「……なら、これ。これがいい。」
エルは、少しだけ湿っている目頭を乱暴に拭ってから、顔を上げる。それから、彼女の手の中のリボンに手を伸ばす。――選んだのは、自分の髪と同じ、少し紫がかかった白のリボンだった。
「わたし、思い出すよ。朝起きて、鏡を見る度――もしくは川で顔を洗おうとする度に、そこに映った自分の顔と髪を見て、キミを思い出す。……5代目のキミは、わたしと同じ髪の色のリボンが似合う、手のかかる子だったって。毎朝、思い出すよ。」
「え、私、手のかかる子?…うそ?!」
「勇者のくせに洞窟が怖いとか、虫が苦手だとか、ひとりじゃ寝れないとか、陳腐な恋愛小説で泣くとか、お風呂に一緒に入りたがるとか。充分、手のかかる子だよ。今までのキミの中で、ぶっちぎりに手のかかる子だ。」
「わ〜!街中でそんなこと暴露しないでよ〜!!」
家族とエル以外は知らない秘密をしれっと口にするエルに、彼女が慌てる。エルはその様子にくすくすと笑いながら、薄紫色のリボンをふたつ、店員に手渡した。「ひとつはプレゼントで。」ギャンギャンと騒ぎ喚く弟子と、それを見て苦笑する店員とは反対に、エルは澄ました顔で自分用のリボンを手に取ると彼女の眼前に突き出した。
「……ししょ〜?」
当たり前のように、自分の分をプレゼントと言ってくれたエルに。その上で、無言でもうひとつのリボンを差し出してくるエルに。彼女は首を傾げると、どういうことかと間の抜けた声を上げる。エルはその様子に、やれやれ本当に手のかかる子だと内心笑いながら目を細めると、なんでもない風を装って言った。
「髪。お揃いにしてよ。今のキミと一緒にいる間はさ。」
「………!!」
驚きのあまり言葉をなくした彼女に、エルは「……え、なにその反応。ダメ?」と首を傾げた。すると彼女は首を左右に振ってから、満面の笑みと共に頷いた。
「……ううん。ううん!私、毎朝やってあげる!!」
「そ。じゃあ早速今日からよろしくね、我が弟子。」
「うん、うん!任せて!……師匠、好き。大好き!!」
「こら、街中だぞ。」
ようやく目を合わせて会話をしたエルに彼女は感激すると、街中だということも忘れて抱き着いた。エルはやれやれと呆れながらも、嬉しそうに自分よりも小さな身体を抱き締め返すと、これまで冷たく接してしまった分も兼ねて、そうっと狭い背中を摩る。するとプレゼント用に綺麗に梱包されたリボンを持ってきた店員が、一体これはどういう状況なのだと目を丸くしているのに気がついたエルは、人差し指を唇にあてながらウインクをひとつした。




