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Refrain  作者: るるる
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61_エーデルガルトの話(2)



 それはとある休日の午後だった。自室で姉に勉強を見て貰っていたエルは、自宅の廊下が抜けてしまうのではと心配になるくらいにドカドカ、ドスンドスンと荒ま衝撃を立てながら駆けてくる足音に壁のカレンダーを見遣ると、今日が花丸のついた日であることに気が付いた。それから嬉しい気持ちは本当であるものの、これから自身の身に襲い掛かる苦難を想像すると、はあ、と大きくため息をついた。隣でエルの勉強を見ていた姉もまた、カレンダーにつけられた花丸と妹のため息を見遣ると、瞬時に予想される苦難や五月蝿さに思わず眉間に皺を寄せた。それからいけないいけない、また難しい顔をしてしまったとエルよりかは小さなため息を吐くと、指先で皺を伸ばした。

 姉はため息を吐きつつ程よい絶望に打ちひしがれるのも程々に、この家における台風の襲撃に備えて、まずはまだ半分ほどアイスティーの残っているコップをエルから遠く離す。次いで積み重なった本の山を脇へ避けると、エルの周囲に念の為にと防壁の魔法――もっとも、簡易的かつ必要最低限の出力が故に、相手に思い切り飛び掛られても痛くないくらいのもの――を貼る。それからこれから先、数週間は心穏やかでいられないことを悟っては暗い顔をする妹に「まあ、許してやってくれ。歳の離れた妹、それも普段なかなか会えない相手だから、その時間を埋めようと余計にしつこいんだ。」と兄妹の真ん中らしいなんとも苦労の滲む言葉を吐いてから、その小さく狭い背中をぽんぽんと叩いた。エルは「そりゃあ、悪気がないのは分かってるけど…。」と少々むくれながら唇を尖らせる。するとその瞬間、けたたましい音と共に自室の扉が開かれた。そしてエルの同級生よりは低いものの父親よりは高い声を上げながら、姉妹の間で交わされていた会話など微塵も知りもしない台風――グロスクロイツ家の長兄が、遠慮なくずかずかと自室に入り込んで来ては15も歳の離れた最愛の妹――エーデルガルト・フォン・グロスクロイツに全力で抱き着いた。


「エル〜!!お兄ちゃんが帰ってきたぞ〜!!ただいまは?!なあ、ただいまは?!」

「……うん。そうだね、おかえり。――とりあえず、防壁魔法越しでもちょっと苦しいから離れて?」

「ああ、エル!俺の可愛いエル!!ほんの少し離れている間に、お前はまたこんなにも大きくなって…!俺が魔物討伐のための遠征などという責務に追われ、我が最愛の妹への寂しさと恋しさに胸を焦がしている間に、お前はどんどん成長していくのだな…。

 ――というか、たった3か月留守にしただけでこんなにも美人さんになってしまうだなんて、将来が楽しみであると共に悪い虫が寄り付かないか、お兄ちゃんは心配で心配でもう仕事になんて行けそうにもないぞ……!!」

「……………………あ、そ。」


 この芝居がかった、けれど本人としては至極真面目な上に真剣に言葉を選んでいるこの人――グロスクロイツ家の長兄にして、エルの兄でもあるギュンター・フォン・グロスクロイツだった。エルは普段の1ヶ月程度の遠征とは比べ物にならないくらいに自身のことをきつく抱き締めては頬擦りしてくる兄に(これが3ヶ月間の平穏の代償か…。)と遠い目をすると、敢えて抵抗はせずにされるがままに撫で繰り回される。けれど体格の良い成人男性に思い切り抱き締められているが故の痛みと苦しさと、それから頬にあたるジョリジョリとした感覚――恐らくは今回の遠征の結果の報告を部下に押し付け、自分は前日のキャンプ地から顔もろくたら洗わなければ髭も剃らないままに我が家へと駆け付けてきたことを悟ると、僅かな隙間を見つけては上体を逸らした。それから勉強机にペンを置くと、兄の胸元を叩きつつ思い切り顔を逸らしながらやんわりと拒絶した。

 

「…………あのね、お兄ちゃん。帰ってきてくれたことは、わたしも嬉しいよ。でもね?ちょっと苦しい…。……あと、かなり臭うから、出来れば離れて欲しいんだけど……。」

「ああ、エル!お前は嫌がる顔ひとつ取ってみせても、本当に可愛らしいなぁ!このグロスクロイツ家の宝だ…!!」

「いや、だから、」


 全く困った人だと、エルは眉を下げる。自分よりも20も歳上……つまりは今年で30になる兄だが、どうにも子供っぽいというか、大型犬みたいというか――とにかく、落ち着きがなくて堪らない。それだけならまだ『幾つになっても子供の心を失わない人』と好意的に受け取ることも出来るが、この人()はそうではなかった。単純に頭が足りない、もとい脊髄まで筋肉で埋めつくしているような単細胞なのである。要は、猪突猛進なのだ。おまけに空気を読む能力も欠如というか、明らかに足りていないため、兄の寵愛を一身に受けていたエルはいつも被害を被っていた。

 ――だが、決して嫌いではないのだ。寧ろ好きなのだ。大好きなのだ。困っている人を見過ごせない性格だとか、それで騙されたとしても「良かった、不幸な人は居なかったんだな!」と明るく笑って忘れてしまえるところだとか。考えるよりも先に身体が動いてしまうフットワークの軽さだとか、それ故に単純明快な若者だと人に好かれるところだとか。そうして、そんな兄が部下から尊敬を集めていることも、実は嬉しいのだ。誇らしいのだ。それに気が付かず、誰にでも分け隔てなく平等に接するところも。なのに姉――兄にとっては妹にあたるその人には、結構頭が上がらないところだとか。酒が入ると、すぐに顔を真っ赤にして潰れてしまうところだとか。酔っ払うと、普段以上にウザったいところだとか。そういう、酷く情けないところも含めて、エルは兄が好きだった。本当は頬をチクチクと刺してくる髭も、嫌いだけれど嫌いじゃなかった。

 

「――――はい、ストップ。…兄上殿、その可愛い可愛い妹君はたいそう嫌がっているぞ?」

「リオポルダ…、お前はいつも俺とエルとの蜜月を邪魔するな。俺が居ない間、お前がエルを独占しているのだから少しくらい譲ってくれたっていいだろう?!強欲者は女神様に罰せられるぞ!?」

「…………私が強欲者かは兎も角として。蜜月を語るなら、まずはその前にせめてその汚れた鎧と、その下の汗臭いギャンベゾンを脱げと言ってるんだ。で、そうして裸になったら、その次いでにシャワーのひとつでも浴びてくるといい。勿論、石鹸をたっぷりと泡立たせてな。……ああ、髭もちゃんと剃れよ。汚らしい上に不快だからな。

 ――つまりは『強欲者』な上に『可愛くない方の妹』からの『貰い遅れた』兄上殿への真っ当なアドバイスというわけだ。如何かな?」

「……………む……。」

 

 ふたりの間に割って入った姉――リオポルダ・フォン・グロスクロイツは、呆れた顔をしながら男顔負けの腕力で兄と妹を引き剥がすと、やれやれと言いたげにため息を吐いては肩を竦めた。それからエルを兄とは反対に優しく抱き締めてやると「大丈夫か?」と優しくその頭を撫でた。エルは小さく頷きながら、兄と違って汗臭くもなければ寧ろいい香りがする上に、それほど硬くもない姉の身体――それでもただの市井よりかはずっと筋肉のついた、幅の広い肩に顔を埋めると遠回しにショックを受けているギュンターに「早く風呂に入ってこい」と言わんばかりに、わざとリオポルダに甘えてみせた。

 兄は言葉通り真っ当、もといこの上ない正論とエルの態度になんともバツの悪そうな表情を浮かべると、言葉を詰まらせた。というのも、リオポルダが口にした前ふたつの言葉はただの冗談だと理解しているが、最後の『貰い遅れ』という言葉――つまりは『行き遅れ』の反対語、それもついこの間までは男の影ひとつなかった上の妹を揶揄う際に用いていた言葉が、未だ女の影もなければその性格故に恋人のひとりも出来ない、もしくは出来たとしても速攻で振られるギュンターの身に、かなりの速度で跳ね返ってきたからだった。兄は思わぬダメージに思わず心臓のあたりを抑えてから心底具合が悪そうに後頭部を乱暴に掻くと、剣の腕はともかく口では決して勝てない上の妹に心底悔しそうに歯軋りした。そして悪役よろしく「本当にお前は可愛くないな、リオポルダ!!」と右手の人差し指で上の妹を指さした後に、心底心配そうに眉を下げるとこちらを見ようとすらしないエルに向かって必死に縋った。


「エル?そんなことないよな?な?今リオポルダが言ったのは、全部ただの妄想だよな?お兄ちゃん、汚くないよな?!不潔じゃないよな!?!」

「何、遠慮することはないぞ、エーデルガルト。兄上殿は単細胞なんだ、一度『可愛い方の妹』の口からガツンと言われた方が良いに決まっている。何よりもいい歳して未だに身を固める気もない、兄上殿の今後のためだ。」

「……ええと…。」


 エルは左右から吹き込まれる真反対の意見、もとい大の大人がこんなに情けない姿をしていいのだろうかと心配になるくらいに縋ってくる兄と、それを尻目に涼しい顔で淡々と告げる姉との間で板挟みになると、思わず視線と言葉を彷徨わせた。それはつい先程までは心底兄のことをウザったいし臭うと思っていたものの、いざこうやってみっともなく縋り付かれるとなんだか可哀想かなというギュンターを哀れむ気持ちと、それはそれとして真っ当かつこの上ない正論にして真実を口にするリオポルダに賛同する気持ちとの間で揺れているが故だった。

 ――つまりは、エルは兄も姉も好きなのだ。どちらか一方の肩を持つのが嫌になるくらいには、歳の離れた兄と姉のことが大好きなのだ。どちらも同じくらい大切で、大事にしたいと思っているのだ。だからこそエルはまだまだ発育途中の小さな脳みそをフル回転させて、自身を庇ってくれた姉の顔を立てつつ兄を傷付けない良い方法がないものかと必死に第3の道を模索する。そして数十秒の思考の後に、これならばという答えを探し当てると姉から身体を離す。そして右手で姉の左手を、左手で兄の右手を繋ぐとくしゃりと笑いながら溌剌とした声で告げた。


「じゃあ!みんなでお風呂入ろう!?」

「――――――――。」

「――――――――。」


 そう告げたエルに、兄も姉も暫し固まる。それからお互いに顔を見合わせると、どちらからともなくふっと口元を緩めてはほのかに漂っていた険悪な雰囲気――といえども、エルにとってはその微妙な空気こそが兄と姉にとっての「今回も無事で良かった」という言葉の代わりであることを、まだ幼いが故に知らない――が、さあっと引いていく。そうして歳が近いこともあってかどうにも素直になれない大人ふたりは、小さなちいさな知将に参りましたと笑顔を浮かべながら降参する。そして休日の午後、まだ明るい時間から兄妹3人で仲良く風呂に入れるしあわせを噛み締めると、目を細めた。


「……全く。この家でいちばん強いのはお前だな、エーデルガルト。」

「ああ、全くだ。―― でも、頼むからリオポルダみたいな豪傑が服を着て歩いているみたいな女にはならないでくれよ?」

「おや、兄上殿。その口振りから察するに、久しぶりに『可愛くない方の妹』と本気の手合わせがしたいのか?」

「…………勘弁してくれよ。こっちは男ばかりで3ヶ月、なんともむさ苦しい上に華のない遠征帰りだぜ?」

「なら口は慎むんだな。」

 

 ギュンターが叩いたほんの軽口に、リオポルダは目付きを鋭くさせると部屋のカレンダーを見遣る。本日は休日、数少ない娯楽に溺れることを許された安息の日。……つまりは闘技場の類はいつでも飛び込み参加を待っているぞと視線で伝えると、ギュンターは背筋をぶるりと震わせながら首を横に振った。そして自身の軽い口を恨むと共に、少しでも『可愛くない方』の妹君――無論、口には出さないだけで本心では本当に可愛いやつだ、26と少し歳は重ねてしまったものの、人生を共にする良い男が現れて良かったと思っている――の気が変わらないうちにと、エルを大人ふたりと子供ひとりが入れるくらいの大きさはある浴室へ向かうように促した。

 

「……?」


 エルはまたしても険悪になりかけた兄と姉とを心配そうに見上げる。が、なんとも不思議なことにふたりとも褒められたものではない会話とは裏腹に、心底気の緩んだ顔をしていたものだからエルは思わず首を傾げた。が、兄に続いて姉にも促されると、ふたりの手を引きながら自室を出る。そしてそこそこに広い廊下を先頭を切って歩きながら、子供らしい無邪気な言葉を口にする。


「えへへ。お兄ちゃんとお姉ちゃんと、3人でお風呂!それも明るいうちから!きっとお父さんとお母さん、羨ましがるね?」

「ああ、羨ましがるな。特に父上は心底悔しがるだろうよ。」

「つまり。――父さんが帰ってきたら自慢しまくるしかないな、エル!」

「うん!!」


 姉はエルはともかく、30にもなってそんなことを自慢する息子に果たして父はなんと言うやらと呆れた表情を浮かべる。が、これをだしに早速可愛い妹との蜜月を画策する兄に、こう見えて全く抜け目のない男だと小さく呟いてから「おっと。勿論私も参加していいよな?」と釘を刺した。リオポルダは途端に悔しげな表情を浮かべる兄に、ふと子供の頃にギュンターを練習試合とはいえ思い切り負かした時のことを思い出してはたいそう愉快な気持ちになったものだから笑った。

 それから相も変わらず首を傾げる末妹のキョトンとした純粋無垢な表情に、兄姉揃ってどうしようもなく胸の奥が擽られるのを感じると、どちらからともなく上げた「せえの、」の言葉に合わせてエルの腕を上に引いては宙に浮かせた。するとエルは予想以上にけらけらと楽しそうに笑ったものだから、ギュンターとリオポルダは自然と顔を見合わせた後に破顔した。

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