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Refrain  作者: るるる
60/64

60_エーデルガルトの話(1)



「このあたりが、わたしの家のあった場所だった。」


 エル曰く街の入口だったという場所から約10分ほど進んだところで、彼女は不意に足を止めると口を開いた。彼はその言葉に無言ながらも頷くと、どれだけ目を凝らしてみても自身にとってはただの砂漠でしかない――けれどエルにとっては確かに見えている景色を、どうにか想像しようとぐるりとあたりを見回した。エルは仮に形だけだとしてもすっかり砂の下、きっと永遠に陽の光を浴びることなどない故郷だった場所をどうにか理解しようと振る舞う彼に、訳もなく無性に込み上げてくる申し訳なさと不甲斐なさほんの少しばかり眉を顰める。内心、やっぱり自分のことを話すのなんてやめてしまおうか、と臆病風に吹かれる。けれどそんなエルの『らしくない』気弱さも、繊細さも、全て受け入れたいと願う彼は極めて真剣な瞳で周囲を見回した後にその場にしゃがみ込んだ。そして先程エルがしたように指先で砂を掻き分けてみるものの、当然ながら門ほど大きくはなかった民家などそう簡単に見つかるわけもなく。それでも彼は何か欠片くらい砂に混じっていないかと、真剣な顔付きで火傷しそうになるのも構わずに手のひらで砂を掻き分けた。

 エルはそうやってまるで自分のことのように心を砕く弟子の姿に、僅かに目を見開いた。そして嫌でも信じざるを得ないその行動に、泣いたような笑ったような曖昧な表情を浮かべると彼の真向かいにしゃがみ込んだ。そしてほんの数十秒ほどしか砂に触れていないにも関わらず、熱病に罹ったかのように熱を持っている手のひらを優しく掴んで制止するとゆるゆると首を横に振った。


「いいんだ。……ありがとう。」

「……………………うん。」


 彼はエルのひんやりとした手のひらに、数秒間だけ逡巡する。何故ならば彼の取った行動は、その全てがエルのためではなかったからだった。正しく告げるならば、7,8割は確かに彼女のためでもあった。けれど残りの2,3割は自分自身のためだった。今日に至るまで実に数千年の間、多くの出会いと別れを繰り返しながらこの世界を放蕩し続けたエルのルーツに触れたい。過去を知りたい。その上で、自分は何を見ても聞いても知っても触れても、変わらずにエルのことが好きで弟子で居たいと思っていると告げるために必要なことだと思っていたが故だった。けれど同時に、そうやって彼女を想う気持ちすらも時に傷付ける刃になることを、彼はもう知っていた。だからこそ彼は大いに迷うと、ちらりとエルの表情を盗み見た。そうしてこっそりと伺った表情は彼の心配を他所に、思ったよりも穏やかだった。そして何よりも、彼の両手を包むその冷たい手のひらがどうしようもないくらいに優しくて、あたたかくて、彼は悩むまでも無かったなと内心苦笑すると素直に砂丘から手を離した。

 ――物言わぬその手は、確かにそこにある過去よりも、今ここに居てくれる彼の心配をしていることを、何よりも如実に伝えていた。つまりは、それがエルの答えだった。だからこそ彼は素直に引き下がると、この炎天下においても氷のように冷たいエルの手をぎゅうと握った。そうして、砂漠の真ん中とは思えない心地よい冷たさに少しだけ笑った。

 それを見たエルも、つられて笑った。


「300年振りの里帰りとは言ったけどね。前に来た時は、ここまでは来なかったんだ。」


 エルは口元に穏やかな微笑みを称えながら、彼の角張った手のひらを緩く撫でる。そしてあたたかな血の通っていない自身の身体を以ても尚熱を持っている手のひらに、一瞬だけ厳しい表情を浮かべた。次いで自身の手のひら全体に、『氷結(ゲフリーレン)』の魔法を最低出力で展開すると彼の両手を包んだ。そうして熱傷を通り過ぎて凍傷にならないように、細かく調整しながら熱を孕んでしまったじわじわと手を冷やしていく。彼は熱によって広がりきった指先の毛細血管が閉じていく感覚をぼんやりと知覚しながら、ただただ黙ってエルの長い睫毛を眺めていた。

 するとそんな折に不意にエルが口を開いたものだから、彼の心臓はつい反射的にぴくりと跳ねた。次いで一瞬だけ心拍数が増える。触れ合った手と手からそれを鋭敏に感じ取ったエルは「ごめん、急に喋って。驚かせたね。」と睫毛を震わせた。彼はしおらしい彼女に慌てて首を激しく横に振ると、自分でも笑ってしまうくらいに言い訳がましい言葉――「大丈夫。……ちょっと、不意打ちだっただけだから。」と吐いてから、本当に言い訳がましいなと小さく笑った。そうしたらエルもぎこちなく、けれど確かにやっぱり小さくではあるものの笑ってくれたものだから、彼は心底嬉しくなった。


「……なんで来なかったの?」


 会話を続けるならば今このタイミングしかないと踏んだ彼は、聞きにくい話題ではあるもののこの状況下においては絶対に避けられない話題――そして無意識か意識的かはともかく、恐らくは自分から語る勇気を持ち合わせていないが故に、彼に問われる形でその胸の内を語りたいと思っているであろうエルのために、敢えてそう問い掛けた。すると案の定、エルは期待と困惑の混じった表情を浮かべた後に眉を下げたものだから、彼は彼女のこういうところがとてつもなくいじらしくて可愛らしくて、それから卑怯だなと思った。と同時に、酷く悲しいことだなとも思った。それはその表情から察するに、本当は長い間誰かに聞いて欲しかったであろうことが見て取れたからだった。

 だからこそ彼はエルに手を包まれている振りをしながら、その実、彼女の小さな手のひらを包んでやる。今だけは神話の魔女に導かれた勇者としてではなく、ただの個人として話を聞こうと姿勢と心を正す。そしてその薄い唇を開いては閉じ、開いては閉じ……と、決断と躊躇とを繰り返す彼女を、深海を想起させる碧眼で見つめた。

 

「――――勇気が、なかったから。」


 暫しの躊躇の後、エルはそうっと言葉を放った。その皮膚も色素も薄い唇から、何千年も隠してきた本音をぽろりと零した。それは間違いなく何千年という途方もない時間を生きてきた(死ねなかった)魔女としての言葉ではなく、まだ年端もいかない少女としての悲鳴だった。大人になるを得ざれなかった子供の、心からの悲痛な叫びだった。彼はその声に、言葉に、表情に、繋いでいた手を離す。その代わりにエルとは反対に子供にしか見えないくせして、実態はエルよりもずうっと大人だったホープが彼にそうしてくれたように、額と額とをこつんと合わせた。そうして今までにないほどの至近距離で、漸く剥がれ落ちた皮肉と嫌味と意地悪とで形作られた、神話の魔女にして物語の導き手としての強固な鎧を脱ぎ捨てたエルと向かい合った。――久しぶりに、目と目が合った。次いで彼は大丈夫だと、人間なのだから大事なことこそ勇気が出なくて当然なのだと、そう伝えるように彼女の後頭部をゆったりとした手つきで撫でた。

 エルは自分よりも数千歳歳下の彼に、まるで宥められるかのように優しく触れられると「……こら。わたしの方が歳上だぞ。」と、嫌味と皮肉と意地悪とが混ざった言葉を吐く。けれど言葉とは反対にその声はどうしようもないくらいに震えている上に、今にも消えてしまいそうなくらいにか細くて。おまけにとっくに枯れたと思っていた自分のための涙を堪えようと、唇を噛むのに必死だったものだから、彼は上手く泣けない彼女の代わりに泣いた。目尻と目頭から、ぽたぽたと塩辛い水を零した。


「……どうしてキミが泣くのさ。」

「――――師匠が、上手に泣けない人だから。」

「…………この旅が終わったら、俳優にでもなるといい。」


 そうやってエルが普段の調子でかろうじて吐いたその言葉たちは、泣いていた。涙が零れずとも、確かに泣いていた。加えて、間に合わなかったことを嘆いていた。ひとりで背負うには重すぎる後悔と苦しみに、背中を丸めていた。『どうして自分だったんだ』という嘆きに、半ば発狂しながら頭を掻きむしっていた。今だってそうだ。エルは必死に軽口を叩いている。何千年か振りに泣いてしまったら、今まで必死に堪えていた時間や感情までもが無駄になるんじゃないかと恐れているが故に、必死に平気な振りをしながらどうだっていいことを口にしている。強がっている。だからこそ、彼はエルの代わりに泣く。理由や根拠など必要ないほどに、痛いほど伝わってくる感情に涙を零しては情けない泣き顔を遠慮なく彼女と炎天下に晒す。そうして、必死に伝えようとする。

 ――自分だって泣いているのだから、今このばかりは泣いたって構わないじゃないかと。たまには師弟揃って世界の端で大号泣してみるのもいいじゃないかと。そうやって世界にひとつふたつ、自分たちだけが知っている秘密を作ってしまったっていいじゃないかと、態度で伝える。どうか伝われと、彼女の淡い銀と紫とが混ざった瞳を見つめる。するとエルはその瞳にみっともなく泣きじゃくる彼を映しながら「……本当に。キミは見てて飽きないやつだなあ…。」と呟くと、その右目からひと粒だけ水滴を垂らした。

 その水滴はエルの睫毛を濡らすこともなければ頬を濡らすこともなく、それでいて音もなく流砂の上に落ちてはすぐさま蒸発して消えた。至近距離で見つめていなければ見逃していたかもしれないくらいに小さくて儚い、たったひと粒の本音だった。本心だった。けれどその水滴が生まれる瞬間も、零れ落ちていく様も、その瞬間の少女然とした表情も、彼はしかと見逃さなかった。彼女から発せられた控えめなSOSをしっかりと受け止めた。


「――話してよ、エル。」

 

 彼はそう口にすると意識的に目と目を合わせてから、ゆっくりと額を離した。それから、かつては自分が小さい頃に母親にされたように。もしくは、異性の幼馴染がその弟を慰める時のように。努めて穏やかかつ優しい表情と共に、その滑らかな頬に手を添えると指の腹で慈しむようにゆるゆると撫でながら、すっかり先日の傷の塞がった口を開いた。


「――――エルが、どんな子だったのか。どんな家に生まれて、どんな幼少期を過ごしたのか。どうして剣じゃなくて魔法を選んだのか。全部、話してよ。」


 彼はエルに陰惨な過去を告白させるのではなく、あくまでも楽しかった日々――決してもう戻りはしない、けれど確かに眩しかったあの瞬間を懐かしんだ上で言葉にして欲しいと願うと、わざと明るい口調で告げた。エルは不器用なのか器用なのかいまいちよく分からない彼の気遣いに眉を下げた後に、寂寥と郷愁とが同居しているその瞳を細めると「……ああ、そうだな。」と、必死に声を絞り出しては頷いた。その拍子に今度は左目から零れ落ちた水滴に彼はわざと気が付かない振りをすると、頬から手を離してからいい子だと言わんばかりに気が付かないうちにすっかりと見下ろすようになってしまったエルの頭を優しく撫でた。そうして嫋やかな微笑を浮かべると彼女の肩に付着した砂を叩いて払ってから少し乱れたマントを直してやると、エル同様目を背け続けていた事実――薄々は気が付いていたものの、認めたくなくてつい目を逸らしていた事実――エルが彼女が語る歴代の勇者と自分との中に、もう居ない『誰か』を探していることを口にすると、気まずそうに後頭部を掻いた。

 

「それだけじゃなくてさ、もっと取り留めのないこと……例えば、家族仲は良好だったかとか。兄弟は居たかとか、何をして遊ぶのが好きだったとか。そういう、心に思いついたこと。――なんでもいい。なんだっていい。エルの話を、ちゃんと聞かせてよ。『誰か』じゃない、今の『おれ』に、聞かせてよ。」


 エルは繰り返し強調される言葉に、その身に刻まれたもうひとつの呪い――もっとも、彼女自身は呪いどころか祝福だとすら思っている節がある――を、彼に勘づかれていたことに気が付くと目を見開いた。それから気が付かないうちにこんなにも他人の視線や感情に機敏になるほど大人になっていたとはなと呟いてから、降参だと言わんばかりに両手を上げると眉を下げた。それからもう16とはいえ年端もいかない少年にそんな酷なことを言わせてしまった自分の甘さや臆病さにどうしようもないなと自嘲した後に、漸く現れた気が付くだけでなく言葉にしてくれた彼という存在にどこか救われたような気になると、少しだけ目を細めた。そして「うん、約束。」と、数千年振りに新しい約束を新しい勇者と交わした後に、エルはゆっくりと口を開くと語り始めた。


「……わたしの家は、両親と兄と姉とわたしの5人家族だった。女神の近辺を警護する親衛隊の隊長の父と、副隊長の母。魔物討伐隊の隊長の兄と、新人の指導係をしていた姉。それとわたしの、計5人家族だった。――遅くに出来たわたしを両親はもちろん歳の離れた兄も姉も、姉の婚約者の青年も、よく可愛がってくれたよ。……ああいうのを多分、猫可愛がりだとか『目に入れても痛くない』って、言うんだろうね。」


 エルの紡いだ言葉に、彼は目を細める。それから心底嬉しそうに口元を緩めると、更に問い掛けた。

 

「…………そっか。エル、愛されてたんだ?」

「ああ、そうさ。……わたしは、愛されていたよ。例えば――。」


 エルは彼の言葉に同じように目を細めると、まるで昨日のことのように思い出せる幸せな日常――けれど、もう決して帰ってはこない――に、思いを馳せる。但し、携えるのは悲壮感でもなければ家族の遺体ひとつ見つけられなかった後悔でもなく、ただ自分は家族に愛されていたという幸せな記憶と自負だった。それを裏付けるエピソードをひとつ、またひとつと思い出しながら、エルは『彼』以上に彼女の心の中に土足で踏み込んでくる彼の遠慮のなさだとか真っ直ぐさだとかに、生まれて初めて過ぎ去った時を悔いるのではなく、ただ漠然と「ああ、本当に楽しい日々だったなあ」と、ぼんやりと感じると僅かに口元を歪める。そうして生まれた唇の隙間から紡がれる言葉を、彼は笑顔と真面目くさった顔とが混じった表情で真正面から受け止めようと耳を澄ませた。

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