表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Refrain  作者: るるる
59/64

59_エーデルガルトの故郷の話(後編)


 必要に応じて多少は言葉を交わすようになったとはいえ、まだまだ普段よりかは口数の少ないふたりは砂を踏み締めるザクザクという音のみを響かせながらひたすらに歩く。熱中症と、僅かな隙間を見つけては体内に侵入してこようとする砂を防ぐために頭からすっぽりとマントを被っては、道無き道を黙々と歩き続ける。とはいえ時折思い出したかのようにぽつりぽつりと生えている高木と多肉感のある草を見つけては、歩みを止めて休息を取った。特に太陽が高いうちは気温も高く、それに伴い体力の消耗も激しいため、エルは決して無理はしないように心掛けた。

 加えて彼女は砂漠の夜というものがいかに危険かを知っていたため、日暮れの砂漠のなんとも幻想的な景色に感動しつつ夜の涼しいうちに距離を稼ごうと意気込む彼を静かに静止すると、馬を高木の近くで止めた。次いで彼を問答無用で馬車に押し込むと、『(ヴィント)』と『(ヴァッサー)』の魔法を展開して周囲の温度を下げていた昼間とは反対に、今度は『(ヴィント)』と『(フランメ)』の魔法を起動する。そして魔法で再現して見せた擬似的な暖房で彼と愛馬とを包み込むと、自身は近くの高木の頂点から周囲の様子を伺う。


「…………休まないの?」

「留守にしていた300年の間に、魔物が住み着いていたら大変だからね。」

 

 エルは馬車からひょこりと顔を覗かせた彼に、なんてことないと言いたげに答えると高木のてっぺんで膝を抱えた。彼はそんなエル――相変わらず理由も告げずに行動で示す上に、自身の問い掛けに答えているようでその実ちっとも答えちゃいない彼女に内心、(これじゃあ文句に乗じて謝ることも感謝することも出来ないじゃないか。)と不貞腐れると、顔を引っ込める。それなら馬車の中に積んでいる毛布を手に取ると、まだぎこちないままとはいえせめてこれくらいのお節介は許して欲しいと願いながら、木の上のエルに向かって振って見せてから遥か頭上目掛けて放り投げた。

 エルは「……別にいらないのに。」と口にしながらも、それを華麗にキャッチするとばさりと広げては羽織る。そして砂漠という過酷な環境故か人は無論、生き物らしい生き物が住んでいないがために空気が澄んでいるからだろうか。平原から見上げる月よりも美しい月と、月が反射する透明な光とを浴びながらエルは眼下の彼に向けて「……ありがとね。」と、ごく短い必要最低限の感謝の言葉を口にしながら微笑んだ。


「……………………。」

「………………………………。」

 

 不意に、静寂が訪れる。互いに何も言わない時間が、ただただ過ぎていく。多大な気まずさが、まるでレンガのように積み重なっていく。だというのに彼がエルから逃げ出せなかったのは、地上から見上げる月明かりに照らされた彼女のせいだった。

 見上げる者と、見上げられる者。宛ら宗教画のようなその構図と相まってか、彼は煌々と輝く月明かりをその白い肌と銀と紫とが混じった髪とに一身に受けるエルを、まるで遠い昔に人間を創った女神様のようだと、ふと何気なく、けれど確かに。それでいて、ぼんやりと思った。正しくは拙いものの、漸く読み書きを覚えた小さな頃に見た子供向けの絵本――村に年に1度だけ訪れる移動図書館の司書が、子供たちのためにと狭い広場に椅子を並べては読み聞かせてくれた――に描かれていた一場面――女神様が魔王との激しい戦いに事切れた勇者の前にその御姿を現し、己の無力さと罪とを悔いながらも、今の自分に手を伸ばす資格はないと涙する物語(神話)のラストによく似ているなと、そんなことをふとどういうわけか考えた。それから、そんなことを口にしたらとうの昔に女神様への信仰を捨てているエルは怒るかな、嫌がるかなと考えて、ふっと笑った。その零れ落ちた笑みに任せて、彼はエルから視線を逸らすと馬車の中に引っ込んだ。けれど自分の分の毛布に包まりながら考えるのは、先程の光景のことばかりだった。

 というのもなんとも不思議なことに彼自身、不意にサルベージされるまでそんな記憶があったことすら忘れていたのだ。それくらいに、その記憶は他の思い出と一緒になっては脳の奥でドロドロに溶け切っては煮えたぎっていた。もしそれが再び形を持ち、自己主張してくることがあるとするならば走馬灯が走る時くらいだろうという自負がある程度には、綺麗さっぱり忘れていた。けれど地上から月明かりに揺らめくエルを目にした瞬間、まるで暗闇が真っ黒に塗り潰してしまったが故に姿かたちも分からなくなった世界の端にライトが当たって、本来の姿かたちを取り戻したかのような、そんな感覚がしたのだ。

 彼はふかふかとした肌触りの良い毛布の下、ぬるま湯のようなあたたかさに包まれながら何度も何度もあの感覚を思い出しながら右手を開いては握る。そしてまた開いては、暗闇の中じいっと見つめる。そうやって意味のあるような、ないような行動を何回か繰り返した後にはぁと大きなため息を吐くと、豆だらけのその掌で目元を覆った。――どうかしているとは、自分でも思っている。そんな感情を抱くこと自体、不出来な弟子たる証拠だと充分に自覚している。けれどどう頑張ったって、月の光に照らされながら少しだけぎこちなく微笑むエルは、とても綺麗だった。今まで読んできたどんな本の挿絵の女性よりも綺麗で、美しくて、儚くて――それこそ『女神』という言葉が似合う女性(ひと)だった。とはいえきっと、というより確実に本人は嫌がるよなあと彼は深いため息をつくと、麻袋の下のハムの原木を枕代わりに寝転んだ。それから、エルもこんな風に頭を悩ませること――ダメだと分かっていても、無性に誰かを何かに例えたくなるようなことがあるのだろうかと考えながら目を閉じた。その心は、もしもあるのならば知りたいと願う気持ちと、ないのならば自分がそんな存在になってみせたいと願う気持ちとが半々で、なんとも若者らしい純粋かつ傲慢でさえある思考だった。


「……とはいえ、その前になんとか謝らなくちゃなぁ…。」


 彼は再度大きくため息をついてからそんな言葉を砂漠の厳しい夜の中に溶かすと、結局今日も謝れなかったなと唇を噛んだ。そして親とも友人とも幼馴染とも、はたまた赤の他人とも違うエルとの間に生まれた、否、生まれてしまった軋轢というものは一体どうやって埋めたら良いのだろうかと頭を悩ませた。最も、このまま時間に任せて有耶無耶にするという選択肢もあるにはあるが、彼はそれは何だか違うような気がしていた。というよりかは本気でエルのことが好きだからこそ、尊敬しているからこそ、逃げたくなかった。真正面から向き合いたかった。

 とはいえ彼は今日も謝るきっかけはおろか助けて貰った感謝の言葉どころか、道中のエルの細やかな気遣いにさえきちんと反応出来なかったと悔いる。そして自分はなんてダメな奴なんだろうとひとり毛布の下で歯を食いしばっては、声にならない声を上げた。けれど嘆いた分だけ埋まるわけでもない軋轢に、今日も今日とてなんとも自分らしくない自分への嫌悪感と頭のなかで言葉を探し続ける疲労感とに参ってしまうと、倦怠感に任せて目を閉じた。

 ――どうか明日こそは。明日が無理なら、エルの故郷につく頃までには、どうにか。そんな淡い希望を胸に抱くよりも前に、彼はあっさりと眠りに落ちてしまった。





 ――――――





 そうやって彼にとっては何が違うのかも、目印があるのかも分からない同じ景色をエル引導のもとにひたすらに歩き続けて5日。エルは一面の砂漠の中で、ふと足を止めた。彼は休憩かと思ったものの、近くに木もなければ草も生えていない、正しく砂漠のど真ん中としか思えない場所で不意に立ち止まったエルに一体どうしたのかと愛馬と共に首を傾げた。それから思い切って声を掛けてみたが、エルはまるでその声など聞こえていないかのように彼と愛馬から離れると、ひとりで進行方向から見て右の方向にずんずんと進んで行った。彼は何も答えてくれないエルに、まさか遭難したのではと考えると肝を冷やす。が、それにしてはあまりにも迷いのない足取りに疑問を覚えると眉を顰めた。まさか魔物かと咄嗟に剣に手を伸ばすも、どうやらそうではないらしいエルの様子にそろりと剣の柄から手を離すと、ゆっくりと息を吐いた。それはどうにも普段のように動けない場所で戦わなくて済むであろうことへの安堵の吐息だった。

 とはいえ、そうこうしている間にも開いていくお互いの距離に気が付くと、彼は今はとにかくエルの後を追わなければと気を取り直した。そして剣から離した手で再び手網を引くと馬という生き物の性質上、後ろ脚を回転させながら愛馬の向きを変えてやった。次いで進行方向と愛馬の頭の向きとをしっかりと合わせてから進行方向に向けて手網を引くと、やや駆け足気味でエルの後を追いかけた。その拍子にブーツの中に砂が大量に入り込んできたものだから、彼はつい眉間に皺を寄せる。しかしエルが不意に立ち止まったこともあり、なんとかそう距離が離れないうちに追いつくと彼は肩を上下させながら問い掛けた。


「どうしたのさ、急に。」

「……………………。」

「…………師匠?」


 彼はエルの数歩後ろから問い掛けるも、先程同様やはり返事がない彼女に不審がるとおそるおそる足を進めて隣に並んだ。そしてひとことも発しないまま、ただ眼前に広がる砂漠と風に吹かれて流れる流砂とを見つめるエルの顔を覗き込む。その顔は普段にも増して無表情で、少しも熱を持っていなかった。相も変わらず、冷え切った温度をしていた。けれどそのくせその表情が、瞳が、どこか苦しそうにも悲しそうにも、それでいて泣いているようにも見えたものだから、彼は思わず息を呑んだ。と同時に、なんと言葉をかけるべきなのかと思い悩んだ。しかしながら当然と言うべきかなんというべきか、彼はやはり上手い言葉のひとつも出てこなければ気の利いた言葉のひとつも思い浮かばない貧相な頭に、自分で自分に心底ガッカリした。が、普段と変わらず無表情ながらも喪失感を感じるエルの表情と視線とに、今は勝手に自分に期待しては勝手にガッカリして、勝手に落ち込んでいる場合ではないと思い直すと顔を上げる。そしてとにかく何でもいいから声を掛けようとしたその時、エルが徐に1歩足を進めた。次いでその場にしゃがみ込むと油断すると火傷しそうなほどの熱を孕んでいる砂を指先で撫でながら、表情こそ薄いもののどこか昔を懐かしむような優しくも柔い声をその唇から放った。


「――――ここが、街の入口だった。」


 エルの紡ぎ出す言葉に、彼は思考を止める。その代わりに次々と思い浮かんでは込み上げてくる当然の疑問――どうしてそんなことが分かるんだとか、どんな街だったんだとか、腹の底から湧き上がってくる数々の取り留めもない質問を必死に飲み込む方へと意識を向ける。次いで、少しでもエルの抱える寂寥だとか郷愁だとかを理解したくて、必死に想像した。エルの見ている世界を、かつてこの場所にあった街を、確かに生きていた人々を、まだまだ経験不足の人生経験と素直すぎる頭を捻って想像した。そしてその中に生きている、自分とそう歳の変わらないただの少女のだった師匠――外見年齢にそぐわないものの、不思議と納得してしまう皮肉さだとか無表情さだとかをまだ持っていなかった頃のエーデルガルトという女の子を、想像した。一方で、彼がそうやって自身の想像力を信じて目の前の砂丘の中に遠い過去の風景を見出そうとしている頃。エルの瞳には約300年振りとなる、懐かしい故郷の姿が見えていた。

 ――女神のレリーフが刻まれた門と、それを守る屈強な門番。人で溢れ返った騒がしくも賑やかな、眺めているだけで楽しくなれる美しくも遊び心のある街並みと、それを一望出来る小高い丘に建てられた騎士学校。そこへ向かう通学路に沿って綺麗に植えられた街路樹と季節の花々。それらを熱心に管理してくれていた、植物好きのおばさん。母親のお使いでよく訪ねた、エルのことを孫娘のように可愛がってくれていた老夫婦の営むパン屋さんと、その隣のあまじょっぱい秘伝のタレをたっぷりとかけた唐揚げがとにかく絶品だったお惣菜屋さん。兄と姉がよく連れて行ってくれた雑貨屋さんに、母親と手を繋いで並んで歩いた公園。たまの休日に父に連れられて足を運んだ図書館――。彼の瞳にはどれだけ目を凝らしてもただの砂の山にしか見えないそこに、エルは確かにかつての故郷の姿を見た。それは幻でもなければ濃厚な魔力のお陰でもない。確かに、どこまで進んでも風景の変わらないこの砂漠において迷わずに故郷まで辿り着けのは、この砂の下に埋まっている膨大な量の魔力のお陰だ。けれど彼女が見ている景色は、その魔力が所以のものではない。それは単にかつてこの地に生まれ、そして生きた者としての矜恃と郷愁とが見せている『あの日』のまま時間の止まってしまった過去だった。

 故に、エルはこの膨大な量の砂の下に今も埋まっている懐かしい街並みとそこに遺された人々と、自分だけがのうのうと生き延びてしまった後悔とに300年振りに向き合う。精一杯の勇気を出して、ぎこちなく向き合う。そうっと触れる。続けて、この砂の下で今も確かに残っている門の一部――おそらくはいつも見上げていたそれの上部に当たる部分であろうものに気が付くと、指先で掻き分けてはやはり静かに触れた。次いでかつては見上げていた門の上部に手が届くようになってしまったことに、自分があれやこれやと理由をつけて帰郷を避けているうちに、あまりにも長すぎる時間が過ぎてしまったことに気が付くと、黙って静かに受け入れた。否、受け入れる振りをした。


「……少し、歩きながら話をしようか。」

「……………うん。」

「――――今日はさ。『わたし』の話、聞いてくれる?」

「…………………………うん。」


 エルは暫く砂の中から顔を覗かせる、かつての門を見つめる。その後に徐に立ち上がると指先に付着した砂も払わないまま波に任せて踊るクラゲのようにふらふら、ゆらゆら、まるで夢でも見ているような足取りで歩き出した。彼はその背中をながめながら愛馬の手綱をしっかりと握ると、たっぷりと間を置いた後に小さな声で返事をした。そして泣きたいくせに泣き方も声の上げ方も忘れた子供の背中と、帰りたい家があるくせにもう届かないことを知っている大人の背中を、同じ人物の背中に見つけるとゆっくりと後を追い始めた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ