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Refrain  作者: るるる
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57_彼とエルと埋葬と『明日』の話(後編)


 結果としてこの村を早々に出発する必要のなくなった彼とエルは遺体を手厚く葬った後、どちらからともなく馬宿へと向かった。そして馬房の柵を外すと、愛馬を外へと出してやった。愛馬は王都の馬房よりかは幾らか広かったとはいえ、故郷で半ば放し飼いにされていた頃よりかは随分と狭い環境に文句をつけるかのようにブルルンと鼻を鳴らしながらのっしのっしと外に出ては、無邪気に飼い主である彼の頭を食んだ。それは彼の愛馬が少々賢すぎるが故に馬房から出される時は旅を再開する時か、もしくは外で思い切り走っても良い時――要は彼とエルに思い切り甘え、また甘やかされる時間だと学習しているためだった。けれど愛馬はいつものようにその少しくすんだ金の髪を食んでみたところで、一向に「こいつめ、仕返しだぞ!」と言っては、言葉とは裏腹に心底楽しそうにそのたてがみがぐちゃぐちゃになるまで撫で繰り回して来ない彼に首を傾げると、そっと口を離した。それから何歩か歩を進めて彼の前に立つと、どうしていつものように撫で回さないの?怒っているの?と不安そうにその顔を覗き込んだ。彼は心配そうにこちらを見つめるふたつの黒い眼に気が付くと、力なくぽんぽんとその頬を軽く叩きながら「なんでもないよ。」と告げた。それはエルが約一日ぶりに聞いた、彼の声だった。けれど賢い愛馬は、彼とエルとの間に漂うずっしりとした空気を鋭敏に感じ取ると、今度はエルに向かってその黒いふたつの瞳を向けた。

 エルはどこまでも賢い彼の愛馬にほんの少しだけ眉を下げてから、彼と同様に「ああ、その通り。なんでもないよ。」と嘘のような本当のような、出来れば嘘であって欲しい言葉を吐く。すると愛馬はブルンと鼻を鳴らした後に、彼の頬に鼻先を押し付けるとスリスリと頬擦りしてからキスをした。それから今度はエルに向けて全く同じことをした。それは宛ら「いいから仲直りしなさい」と窘める母親のようで、エルは馬に心配されるだなんて情けないなと小さく笑った。その笑みは相変わらず自嘲じみた笑いではあったものの、嘘でも笑えば元気が出てくると言ったのは一体誰だっただろう。エルはほんの少しだけ気を持ち直すと、昨日馬房の入口に取り外して置いた馬車から自分の分と彼の分の着替えを取り出す。そして彼の着替えを差し出しながら、極力普段と変わらない声のトーンで告げた。


「とりあえずは、お互いに着替えるぞ。」


 彼はそう言って差し出された着替えに、漸く自分の服がエルに負けず劣らず汚れていることに気がついた。とはいえ、エルと違ってその汚れの殆どは昨晩暴行を受けた際に流れ出た彼自身の血液だとか、思わず吐いてしまった吐瀉物だとか、その後に込み上げてきた胃液だとかといった自分由来ものが主だった。そこに先程までの埋葬作業の際に付着した土汚れが重なって、結果エルに負けないくらい悲惨なことになっているのだった。

 彼はせっかくホープに仕立てて貰ったばかりの旅装束が…とひとり静かに嘆く。今から洗ったとてきちんと落ちるだろうかと心配になる。が、不意にそんな不安や杞憂も、今生きているからこそなのだと気が付くと、なんだか無性におかしいなった。そしてその感情のままにほんの少しだけ眉を下げてから、まだ多少ぎこちなくはあるものの漸くエルに向かって言葉を紡いだ。

 

「…………うん。」


 エルはまだ視線が噛み合ってはいないものの、ようやっと自分に向けて相槌ひとつとはいえ返事をしてくれた彼に静かに胸を撫で下ろす。そして馬房と放牧地とを仕切る扉を開けると、愛馬の尻を軽く叩いては外に出るように促しつつ口を開いた。

 

「それと風呂だな。あとは食事。……その間、お前は自由にしていていいぞ。」


 愛馬はもう夕方とはいえ外に出られると知ると、そのオニキスのような黒く丸い瞳を輝かせながら嬉々として前脚を上げては嘶く。が、少しはましになったとはいえまだまだずっしりと重い場の空気に、本当に良いのだろうかと少々不安げに目を伏せるとエルと彼との顔を交互に見遣った。エルと彼とはそんな愛馬のやたらと人間くさい仕草にお互い少しだけ笑った後に、エルは再度その引き締まった尻をぺちんも叩いた。彼はそれを横目に「大丈夫だから。」とぎこちなくも優しく微笑むと、いつものようにその頬を撫でた。すると愛馬は少々躊躇いながらも、ほぼ1日馬房でじっとしていた退屈さと鬱憤さ、それからまだ2歳ということも相まって有り余っている体力を発散しようと外に飛び出していった。そして1度外に出てしまえば主人とその師匠を心配する気持ちよりも、自身の楽しさや本能がが勝ったのだろう。本来の住民がよく手入れしていたであろう牧草地でその美しいたてがみと尻尾とを風に靡かせながら、自由気ままに走り出した。

 エルと彼とは夕焼けをバッグに気の向くまま、風の吹くまま、自分に素直に走り回る愛馬を暫し馬房の中から眺める。そうして綺麗な栗毛色の愛馬が自由に自己を解放する様を鑑賞した後、どちらからともなく馬房を後にする。そしてエルが派手に魔法を放ったが故に激しく損傷してしまった宿屋ではなく、とうの昔に本来の住民を失ったであろう適当な一軒家――昨晩の激しい戦闘を経験しても尚、奇跡的に傷ひとつつかなかった――の扉を開けた。


「少しだけ、貸してね。」


 誰かの生活の跡が残る居間に足を踏み入れるや否、エルは誰に向けるわけでもなくそう告げた。そして水回りの設備を確認すると、王都ほど最新の設備ではないにしろ片田舎にしてはそれなりの設備――魔法石を応用した、ごくごく一般的な給湯器――勿論、魔力がない一般人でも操作に苦労しない――を見つけると、彼に先に風呂に入るように告げた。彼はその言葉に少しだけ……否、大いに困惑すると再び何も言えなくなってしまう。というのも、外傷こそないものの、彼にとっては自分よりもいつまでも血の乾いたドレスを身に纏っているエルの方が先に風呂に入るべき存在に思えたからだった。加えて自分の汚れというのは種類が種類なだけに、その後の浴室をエルに使わせるのは少々心が痛んだ。その上衛生観念も考慮すると、男の自分は外の川で水浴びでもして済ませた方が――とついくどくど、うじうじと悩んでしまっては行動に移さない。

 そんな弟子の姿にエルは一体何を遠慮しているのやら、と誰にも聞こえないほどに小さな小さなため息を吐くと、この家の脱衣所に置かれていた真っ白なタオルを掴んだ。そして居間で立ち尽くす彼に向けて、少々乱雑に投げ付けた。それから自身も同じようにタオルと、それから真新しい席巻をひとつ失敬すると、まだ呆然と立ち尽くしている彼に向けて口を開いた。――実際のところ、彼が何を考えているかなんて分かりきっていた。想像に容易かった。だからこそエルは少々冷たい口ぶりで彼に告げた。


「まだ怪我、全部治ってないだろう?川で水浴びでもして感染症にでもなったらどうする。」

「………………うん。」

「大丈夫、わたしは外で浴びるから。使ったあとのこととか、気にしないでいい。――どうせこの後使う人間なんて居やしないしね。」

「…………………………うん。」


 彼はエルが吐いたその言葉に、声を失う。言葉というものを須らく喪失する。胸の奥がキュッと締め付けられるような、鼻の奥がつんと痛むような、そんな感覚に唇を噛んだ。けれどいちばん苦しんでいるのは、悩んでいるのは、間違いなく手を下したエルなのだとゆるゆると首を振ってはつい零れそうになる涙を堪えると、それを流す代わりに頷いた。そして彼女の言う通り、まだ痛む細かい箇所――唇の端だとか、瞼の上のあたりだとか、肩と首と背中とを繋いでいるあたりの筋肉だとかを、そうっと撫でた。


「よし、いい子だ。」

 

 エルは漸く自分の置かれている立場を理解したらしい弟子を一瞥してからそんな言葉を投げかけると、玄関扉を開けて外へ出て行った。そして誰も居ないことをつい癖で確かめては、やはり自嘲気味に笑ってからすっかり乾いてはパリパリと音を立てているドレスと下着を脱いだ。そして足先から川に浸かっていくと、昼間の存外な暑さとは打って変わってまだまだ春先らしい川の水の冷たさに眉を顰めた。が、洗わねば落ちまいと覚悟を決めると、そんな必要などないのに大きく息を吸ってから、ざぶんと。大きな音を立てて川に潜り込んだ。そして数秒の後に頭からまたしても大きな音を立てながら浮上すると水に溶けて流れていく血と反比例して綺麗になっていく自分の身体と、まるで屍山血河の如く真っ赤に染まっていく小川とを眺めてはふっと鼻で笑ってから石鹸を手に取った。

 エルは両手で真っ白な、シンプルかつ石鹸らしい石鹸を包み込むと泡立てる。が、ただでさえ春先の雪解け水の混じった冷たい水に加えて、時刻は既に真っ赤な太陽が西に沈みきった後。目を凝らさなければ自分の手のひらさえも見つけるのが難しいほどに薄暗くなってきた、夜の入口。常人ならば風邪を引いた上に暫くは寝込むような冷たさ故に、エルはちっとも泡立たない石鹸にやれやれと肩を竦めてから仕方がないなと吐息をついた。そして殆ど水と変わらない石鹸水を頭につけると、泡立てる代わりにそうっと馴染ませては冷や水で濯いだ。それを3回繰り返した後に今度は顔から首、肩に掛けて同じ数だけ同じように洗った。最後にそれほど血に濡れてはいない背中と胸、それと脚とを念の為に2回、殆ど泡立たない石鹸水で流した。そして念の為にともう1回だけもう川に潜ってから、雨に濡れた犬のように身体を震わせて水飛沫を飛ばすとタオルを手に取った。そうして肌に当てたタオルはおろしたてなのか、ちっとも水分を吸わなかった。


「――――――――。」


 おろしたてのタオルを、エルは髪から水を滴らせながら見つめる。それはこれを出した時、あの家の家人は一体どんな気持ちだったのだろうとつい考えてしまったからだった。――きっと、古くなったタオルを雑巾にでもして。その代わりに出した、真新しいタオルだったのだろう。ふかふかで、ぴかぴかで、全くの新品のタオルにはあの家の『これから』が詰まっていた。それは誰しもが今日と変わらない明日が続くことを少しも疑っていないことの、何よりもの証左だった。かつてのエル自身だった。

 エルは手にした新品のタオルをぎゅうと固く握り締めた。それから腹の奥と胸の奥から込み上げてくる、いつかの日のようなどうしようもなく泣き喚きたくなる気持ちや、誰かにぶつけたくて堪らない自身の無力さに任せて乱暴に頭を拭いた。けれど真新しい、ノリのよく効いたタオルはちっともエルの髪の水分を吸い取らなかったし、彼女の胸の奥に渦巻くいつかの怒りも嘆きも憂いも拭いとってはくれなかった。ただひとつふたつ、幸いなことがあるとするならば、水に濡れているが故に涙を流しても自分で自分の感情に素知らぬ振りを出来ることと、無人の村故に誰も見ていないことだった。けれどエルは自分を甘やすような選択はしなかった。そんな資格は自分にはないと、まだ真上に登っていない月を見上げては思い切り唇を噛んで涙を堪える。ただひとり無様に生き残った上に、現代に至るまで魔王を打ち倒す方法すら見付けられずにいる自分に。後の世の人々にまで、神代の尻拭いをさせている自分に。泣く資格もなければ嘆く資格も、立ち止まっている資格もないのだとタオルをキツく握り締めると、川から上がる。そして水分を拭うのもそこそこに新しい下着とドレスに袖を通すと、強い意志を感じる瞳でその場を後にした。

 エルは再び民家に立ち入ると、居間と地続きになっている台所に立つ。そして彼がシャワーを浴びる音を聞きながら、あのタオル同様にこの家に住んでいた家人が当然のように『明日』に向けて備えた缶詰を開ける。中身はひよこ豆だった。エルはふうん、と何に向けたのか分からない相槌を打った後に、鍋にひよこ豆の水煮と少ししなびたキャベツ、それと熟成肉のソーセージを切って入れると適当に塩で味付けした。そうやって数十年ぶりに誰かのために作ったスープを味見するとやけに塩辛かったものだから、エルは思わずぽつりと呟いた。


「……だから料理は嫌いなんだ。」

 

 料理上手だった母親は、いつもエルが手伝う度に酷くなる味に苦笑しながらも「大丈夫よ、いつか上手に出来るようになるから。」と言っては励ましてくれた。けれどいつもこうなのだ。エーデルガルトという少女は、いつも魔法以外は上手くいかない。いつも間に合わない。助けられない。酷い味付けになる。何度も何度も、どうしてこうなってしまったのかと嘆くことしか出来ない。エルはこんな酷い味付けになるなら、素直に弟子に任せておけばよかったなと苦笑する。それからせめてもの抵抗に水を注ぐと、まるで自分の人生のようだと再度苦笑した。

 彼はその様子を台所と浴室とを仕切る観葉植物の陰から見つめていたものの、相変わらず何と声を掛ければ良いのか分からないが故につい見ない振りをしてしまった。代わりに何食わぬ顔でタオルを首に掛けてエルの横に並ぶと、彼女の手に握られているレードルを優しく奪い取った。そしてスープを掬うとひとくち、ふたくち、口に含んだ。次いで随分と水を注がれたにも関わらず、かなり塩っけの強いスープを和らげようと籠に盛られた生卵をふたつ溶くと、鍋に注ぎ入れた。

 

 ――会話は、なかった。けれどそこには確かに、この村の人々が信じていた『明日』があった。

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