52_14代目の勇者の話(後編)
もともと、彼女はエーデルガルトのことが気に食わなかった。それはそれは酷く気に食わなかった。というのも、エーデルガルトは唯一魔王直々にその呪いを受けた身であることに加え、漸く封印が弱まり復活出来たかと思えばどこからともなく勇者と共に現れ、また夫を封印してしまうからだった。それも毎度毎度、いたちごっこを通り越して後出しジャンケンかの如くいつも勝ってしてしまうのだから、尚更に気に食わなかった。故に魔王を主人と崇め、誰よりも心酔している妻でもある彼女にとって、エーデルガルトは正しく目の上のたんこぶのような存在であった。そして何とも厄介なことに、エーデルガルトはいつも魔王の頭を悩ませてた。――即ち、彼女にとっては夫が妻である自分よりもエーデルガルトのことを考えている、というのはなんとも許し難いことであった。激しい嫉妬の対象でさえあった。だからこそ彼女はエーデルガルトが勇者を引き連れ魔王に挑戦するその度に、どうにかして殺そうと画策していた。どうして魔王がエーデルガルトに頭を悩ませているのか、その本質を想像しようとすらしないで、ただただ短絡的な行動で解決しようとしていた。
そして、彼女は思いついた。どうすればエーデルガルトをより苦しませることが出来るかを考えたその結果、思いついてしまったのだ。裏切られた勇者に殺されるのが、きっといちばん素敵だと。
そうと決まれば、彼女は人間の中でも特に魔王を信仰している者たち――いつの世も知らず知らずのうちにどこからか自然発生しては、狂信者として組織を形成する者たちへの接触を図った。そして彼らは魔王に次ぐ立場の彼女の来訪に心から喜ぶと共に、快諾した。というのも彼らの多くは元を辿れば社会的な弱者であった。時に虐げられ、貧しさに喘ぎ、多くの涙を呑んできた者たちだった。――要するに、世界の仕組みや秩序に疑問と反抗心を抱いている、爪弾き者たちだったのだ。それ故に彼らは心底喜んだ。彼らにとっては『間違っている』世界を救済し続ける勇者と魔女を討つことに対して、なんの疑問も抱かなかった。寧ろ魔王の役に立ってみせると、意気込んでいた。
しかしながら、彼らのその意気込みは呆気なく打ち砕かれた。否、勇者という善性の塊に、まるごと塗り替えられてしまった。というのも、彼女は翼を持つ魔物から勇者が旅立ったと聞いて、旅立った直後の勇者ならば簡単に殺せるだろうと踏み、早速組織の者――まずは目の前で夫と子供を見殺しにされた未亡人の女を送り込んだ。
聞けばその女は過去に女の村で大規模な火災が起きた際に、業火の中に夫とまだ幼い息子を取り残されたのだという。女は村の近くの川まで洗濯に行っていて助かったものの、炎に飲まれていく村に気がつくと大いに絶望した。というのも、ただ炎に飲まれる夫と息子を見ることしか出来なかったからではない。女が何よりも絶望したのは、とてもじゃないけれど夫と息子を助けられないと言っておきながら、そのくせ女の家以上に燃え盛る家の中から村の有力者の息子――それも大して働きもしなければ、寧ろ村の蓄えを食い潰すだけのドラ息子――を助け出した、村の火消し係にあった。
女はその光景を目にした瞬間、生まれて初めて他人を激しく憎んだ。そして金と権力が物を言うこの世界に、心底腹が立った。そんな折に、女は胸にぽっかりと空いた埋めようのない空白を埋めるかのように、魔王を崇拝する組織があることを知った。知った瞬間に、敬拝した。かつては人でありながらも人の限界を超えて、魔の者たちの王に君臨する彼を心から崇拝するようになった。『こんな世の中は間違っている』『これ以上の悲しみを生まないように、私が世界を終わらせる』――女の胸に残った傷は、崇高な理想の元に歪んで膿んでしまった。
故に、彼女は期待していた。これほどまでに人間社会のルールに恨みを抱いている女ならば、きっと勇者を同じ場所まで引き摺り降ろした後にエーデルガルトを殺してくれるだろうと大いに期待した。――だが、彼女の予想とは反して、女からの定期連絡は途絶えた。
彼女は、きっと女が失敗したのだろうと思った。だから次に感情に訴えかけるのではなく、暴力で勇者を従えさせようと大胆な転換をした。具体的には、以前当時の勇者とエーデルガルトに壊滅させられた組織の生き残りの子孫――遺伝子に人間への恨みつらみと魔王への忠誠心、それと一子相伝の暗殺術とが組み込まれた、殺しのエリートを送り込むことにした。
そうして実際に会ってみた男は、彼女の期待通り冷酷で残酷であると共に極端に感情の少ない人間だった。男は自分は暗器の扱いに長けているだけでなく、毒物の知識にも精通した人間であると共に、どれだけ親しい者であろうと躊躇なく殺せると宣った。話に聞けば、両親からいつか魔王の悲願である外なる神を唯一神とする世の中を作る際に、1人でも多くの人間を効率良く殺せるように、ということらしい。どういうことなのかと彼女が更に話を聞いたところ、要するに男の両親は感情などというものがあるから殺すのに手間取るのだという持論らしく、幼い頃から徹底的に喜怒哀楽を表に出す度に厳しく躾られてきたのだという。現に両親は最後の試練として、男に自分たちと本気で殺し合うことを課したらしい。
彼女は結果はどうなったのかと聞こうとして、やめた。そんなものは愚問だと気がついたからだった。その代わりに彼女はふうん、と分かったような分かっていないような、そんな相槌を返した後に、とにかく前任者のようにしくじるなと男に釘を刺した。そして不本意ではあるものの、もし勇者が暴力を以てしても抵抗した場合は殺すのも致し方なしと伝えた。加えて、どういうわけか以前よりも旅のスピードが上がった勇者とエーデルガルトを警戒するが故に、本当に必要ならば勇者のみならずエーデルガルトを暗殺することも視野に入れろと言付けた。――が、やはりと言うべきか。男からの定期連絡も、程なく途絶えてしまった。
彼女はあまりにも思い通りに進まない事に苛立つと、親指の爪を噛む。次いで頭を掻き毟ると、ならばと魔王を信仰している人間を束ねている人間――つまりはトップに立っている人間に打診をした。皆から団長と慕われていたその男は、「お易い御用ですよ。」とニタニタとした浮かべた後に、組織のトップとしてこれ以上の汚点は阻止すると彼女に跪いて誓った。次いで彼女への謝罪と忠誠の証として、まずは例の女と男を推薦した副団長を処刑した。それもただの処刑ではなく、生きたまま磔にしてから手足を切り落とし、抵抗が出来ないようにした後に人を食らう殺人カラスの魔物――イビルクロウの群生地である谷にてその谷底目掛けて放り込むという、なんとも非人道的かつ『悪』を語る者らしい見事な処刑方法だったものだから、彼女は心底惚れ惚れした。もし自分が魔王に出会っていなければ、この男に惚れていたかもしれないと思ってしまうくらいには感心してしまった。
と同時に、団長と呼ばれるその男のカリスマ性に極大な信頼を寄せると嬉々として送り出した。そして自身は魔王に、流石にもう少しであの勇者とエーデルガルトを殺せるはずだから、と身体を寄せた。だからあなたの可愛い忠実な部下を、愛してはくれませんかと、甘い声と言葉と表情で迫った。魔王はそんな彼女に何も言わずに、ただ黙って小さなその背中を抱きしめるとゆったりとした手つきで撫でた。まさかその程度で勇者とエーデルガルトが死ぬとは思えないと思いながらも、もしかしたら万が一という可能性に賭けた。とはいえ仮に邪魔者が居なくなったところとて、それが本当に自分の望む世界なのかどうかさえ最早分かりはしないと、頭の片隅で漠然と考えてはただただ彼女の艶やかな髪を指先で弄んだ。
――――――
彼女の意に反して、団長までもが連絡を絶って数週間後。どうなっているんだと痺れを切らした彼女は、とうとう直々に勇者とエーデルガルトの元に乗り込むことにした。魔王はそんな彼女に「余計なことをするな。」と止めたが、逆に「どうして分かってくれないの?!全部あなたのためなのに!あなたを愛しているからなのに!」と詰め寄られると、渋々許可を出した。そうして勇者とエーデルガルトの元に足を運んだ彼女が見たのは、仲睦まじく旅を続けているふたりと見知ったみっつの顔だった。
あれほどまでに人間を激しく憎んでいた女は、穏やかな表情を浮かべながら勇者とエーデルガルトのために料理の腕を奮っていて。感情を殺すために親さえも殺した男は、勇者と歓談しながら破顔していた。そして団長として皆からの尊敬を一身に受けていた男は、かつての残虐さなど影を潜めたように人の良い笑みを浮かべながらその輪に混ざっていた。彼女は予想だにしていなかった光景に思わず目眩がすると、何かの見間違いに違いないと深呼吸をする。それからもう一度眼前の光景を物陰から伺ってみるものの、そこにあるのはただの疑う余地すらない真実で。とはいえまだ演技の可能性だって充分にあると、彼女は3人の魔王への忠誠心を信じてみようとするものの、時に真剣に。それでいて時々ふざけながらも今後の旅の予定や内情を口にする刺客たちに、彼女はいよいよもってこれが演技でないことを悟ると頭に血が上るのを感じた。続けて一瞬で身体中の血という血が沸き立つ一方で、怒りに震える感覚を生まれて初めて経験すると却って頭の中がすうっと冷えていく感覚を知った。それでいて、やけに冷静な頭とは反対に、どうしようもなく止められない感情のままに足を動かすと本来の敵である勇者とエーデルガルト、そして仲間だったはずの3人の前につかつかと歩み寄った。
「――あーあ、残念。まさか全員ここで始末しなくちゃいけない羽目になるなんて…。」
野宿のために焚いていた火を、足で揉み消して。絶対零度の温度を放つ金色の瞳を、全員が敵になってしまった集団へと向けながら彼女はそう言い放った。彼女を知る勇者以外の4人は、素早くそれぞれの得物を手に取ると構える。彼女を知らない勇者も、あまりにも不穏な言葉と共にピリリと場の空気が緊張したのを素早く感じ取ると横に置いていた剣と盾を手に取った。そしてまずは何よりも優先して盾を構えると、前に躍り出る。かつて敵だった3人にがら空きの背中を余すところなく見せては、預けた。彼女はそんな勇者の正義感と実直さに溢れたところにさえもどうしようもなく苛立つと、その感情に任せて鋭い爪を伸ばしては振るう。
魔王の手によってガルーダの爪を移植されたのは、一体何度目の死の後だっただろうか。魔王はともかく、彼女はもうとっくに覚えてなどいなかった。彼女が覚えているのはただのひとつ。この爪が非常に鋭く、殺傷能力に長けていることだけだった。故に彼女は存分に利き手の爪を伸ばしては、力任せに振るう。時に足首まで伸びた草を刈り、女が隠れた岩を一刀両断し、エーデルガルトが身を隠した木々さえも力任せに切り倒していく。
元は豊かな鉱山の村の村長の娘だったこともあり、剣を振るったこともなければ弓を引いたことのない彼女の戦闘スタイルは、実に破綻していた。誰がどう見ても滅茶苦茶だった。おまけに怒りに任せて目の前の何もかもを破壊しようとしているのだから、その動きはなんとも直線的かつ単純だった。加えてそんな彼女に、エルはさも煽るように「ほら、こっちだぞ?」と言いながら誘導、もとい遊ぶようにちょこまかと動くのだから、より読める動きだった。そしてその読める、もとい読めてしまう動きが何をもたらしたかと言えば、なんとも呆気ない結末だった。
「随分怒ってるな。」
「その顔を見たら余計に苛ついたのよ!!」
「そうか。それは悪いことをしたな。――でも安心するといい。その苛つきも、じき収まる。」
「はあ?!何言って、――ッ…?」
彼女は相変わらず飄々とした態度と表情のエルに、文字通り噛み付く。そして鋭い金の瞳で睨みつけながら獣の如く唸りつつ、全身の毛という毛を逆立てる。無論、自分と魔王を裏切った3人への失望や怒りも存在した。寧ろそれが彼女をこの行動へと至らしめた、直接的な原因だった。が、いざ戦闘が始まってしまえば彼女は裏切り者たちよりも、今こうしている瞬間も魔王の頭を自分以上に占めているかもしれないエーデルガルトという存在に意識が向いてしまった。つまりは、彼女自身が知らぬ間に怒りの対象がすり変わっていたのだ。そしてそれは、裏切り者たちや勇者とは違ってエーデルガルトという存在が唯一魔王直々に掛けられた呪いにより、永遠に不変であることへの凄まじい嫉妬心が故でもあった。彼女にとってはなんという贅沢なのだろうという羨望と同時に、どうして自分には同じことをしてくれないのかという妬みでもあった。彼女の脳内を占めると共に、感情という感情を爆発させている起爆剤でもあった。
――だからこそ、彼女はエーデルガルトばかりに目が向いていた。視界の端に映る勇者と裏切り者たちのことは、見えていたけれど見えていなかった。故に彼女は、気が付かなかった。目の前の憎らしい存在にばかり気を取られていたがために自身の胸目掛けて背後から刺さった鋭いナイフを、少しも認知出来ていなかった。けれどいつもの通りに憎らしい顔をしたエルに胸元を指摘されると、ふと視線を落とす。その瞬間に銀色に輝く刃先と、そこに塗られた猛毒と、それを受けて染み出していく赤とも緑とも区別がつかない血液と、全身に巡っていく毒物特有の痺れと吐き気とに一気に気がつくと、恐る恐る手を伸ばした。そしてその指先がナイフの先に触れるよりも前に、その場に膝をついた。そして膝をついたかと思えば、そのまま遠のく意識に任せて崩れるように倒れてしまった。
「……ウソ。嘘よ、こんなの…。」
彼女は怒りを一瞬で塗り替えた混乱に任せて、そう呟く。まさか自分が人間に裏切られただけでなく、その裏切り者の手によって殺されるだなんて、ただ誰かに悪い夢を見ているだけだと言って欲しかった。それほどまでに信じたくなかった。けれど現実とは無情なもので、少しずつ呼吸さえも苦しくなっていくと彼女はその場で身体を丸めた。そしてこの痛みと苦しみから、ひいてはその金の瞳に薄らと涙を浮かべながら自身を見下ろしてくるその銀とも紫とも区別がつかない瞳から逃れようと、必死に身を捩る。最早声にならない声で必死に「見るな、」と告げる。
そんな彼女を、エルはただただ無言で見下ろす。哀れみとも憐憫とも違う、けれど確かに憂いを帯びた瞳で見下ろす。彼女はその視線こそが何よりも憎たらしい、おぞましい、心底嫌いで仕方がないのだと心の中で悪態をつきながら、徐々にぼやけていく視界でなんとか睨み付ける。……が、次第に自分が睨み付けている人が誰なのか、どうしてここまで憎いと思っているのかすら分からなくなってくると、代わりに込み上げてくる死の恐怖に任せてその『誰か』に手を伸ばした。
「――嗚呼…怖い。怖いわ。助けて、あなた…。」
「…………大丈夫。大丈夫だから、今度こそゆっくり休むといい、███。」
「どうしよう、あなた。私、もうすぐお母さんなのに。なのに、お腹の子、もしかしたら――。」
「いいや、大丈夫。お腹の子は元気だよ。……だから。だから、もう眠るといい。」
気がつけば、彼女の金の瞳はいつの間にか淡い緑色になっていた。彼女は自身を見下ろす『誰か』の中に、最愛の夫の影を見るとひたすらにかつては腹に宿っていた小さな命の安否と、それを失うことへの恐怖とを吐露すると縋り付くように手を伸ばした。するとその『誰か』は、優しい言葉を吐きながら最早焦点の合っていない彼女の瞳へそうっと手を伸ばすと、ゆっくりと瞼を撫でた。彼女はその手つきが『誰か』がくれる言葉以上に優しいことに安堵すると、「ああ、良かった…。」とひとこと呟いた後に、自らの意思で瞼を閉じた。
それを見届けた『誰か』、もといエルは何度目かも分からない彼女の死に様を目に焼き付けた後、どうかこれでこの人の苦しみが終わりますようにと静かに黙祷する。それから、密かに聞き耳を立てているであろう魔王に向けて口を開いた。
「まだ、愛する妻を愚弄するのか?……ならば、やっぱりお前はわたしの敵だよ、魔王。」
エルはそう口にした後に、自らの腕の中で安らかな笑みを浮かべながら息絶えた彼女の肩を抱いた。――当然ながら、返事はなかった。




