51_14代目の勇者の話(前編)
「何をしている。」
とうに人に棄てられた土地の最果て。陽の光さえ届かないほどに深い地下にて赤い髪と浅黒い肌をした大男は、松明の炎の下でなにやら蠢く人影に対してそう声を掛けた。すると男と同じ赤い髪をしたその人影――男の少し黒が混ざった深い赤とは反対に、色鮮やかな原色より原色らしい赤を持っている――は、ぴくりと肩を跳ねさせた。それから勢いよく振り返ると、男にまだ未熟な少女と成熟した女性とがちょうど半々に混じり合った、なんとも愛らしい顔を向けた。
「ふふ、何だと思う?」
男は彼女が存外笑顔であったことに静かに息を吐いてから、視線を落とす。そして床に転がるかつて人間だったものと、横一文字に切り裂かれた腹からとめどなく流れ出る血を視界に収めた。次いで苦悶の表情を浮かべたまま絶命したその顔と見開かれた瞳と、それに対して少しも罪悪感を感じていない彼女とに眉を顰めると、もう一度息を吐いた。男はニコニコと笑いながら臓物を片手に甘えてくる彼女に視線を移すとべったりと血に濡れた彼女の口元を見遣る。続けて手のひら、腕、腹に脚と、身体のパーツというパーツに平等に付着した血液と肉片とを冷めた目で一瞥した後、彼女の世話人であるアンデット――片目は潰れ、もう片方の目は飛び出している――に、片付けておくように命じた。アンデットは男直々の命令に感嘆の吐息を漏らした後に、深々と頭を下げる。そして掃除道具を取りに男と彼女に背を向けた。
男は決して速いとは言い難いアンデットの鈍足を気にしながら彼女に向き合うと、懐からハンカチを取り出す。次いで少し背を丸めると、まずは彼女の口元に付着した血を拭った。続けて臓物を静かに、けれど有無を言わさず取り上げると手のひらを拭う。それから腕、腹、最後に脚と、上から下に掛けて甲斐甲斐しく世話をするように丁寧に拭いてやる。すると彼女は言葉とは裏腹に優しいその手つきに、尚更ご機嫌な表情を浮かべては目を細めた。男はそんな彼女の様子に深く重いため息をつくと、眉間に皺を寄せながら何度目かも分からない苦言を呈した。
「……食事なら部屋でしろ。遊びならば尚更部屋で済ませてこい。お前の気分で廊下を汚すな。」
「あら、私は悪くないわよ?この人間がすっごく美味しそうだったのが悪いの!……ほら、こことか見て?余計な脂身が少ないおかげかしら、赤身がすっごく引き締まってて――。」
男に注意されると、彼女は些か不満と言いたげな表情と共に人間だったモノへと視線を向けた。それからその場にしゃがみ込むと、臓物という臓物を引き摺り出されてすっかり空っぽになった腹腔の断面図を指差した。男は黙って彼女が指差すあたりを見つめると、確かに彼女の言う通り程よいバランスで構成された肉だと思った。これが家畜の肉ならば、相当に良いものだろうと思わず想像が出来てしまうくらいには良い肉だった。
と同時に、男は思う。考える。余計な脂肪が少ない上に赤々と光る筋肉から察せられる、この人間の生き様――言い換えるならば生業を、嫌でも想像してしまった。そしてその答え合わせと言わんばかりにあたりに散乱している剣に盾、鋼鉄製のヘルムに鎖帷子といった装備の類に、どうして人間というのは嫌な予感ほどよく当たるのだろうかと微かに眉を顰めた。けれどそれはほんの一瞬のことで、男はすぐになんでもない顔を表情筋に貼り付けると、たった一言「そうか。」と言ってその頭をくしゃりと撫でた。
彼女は男の放った一言と僅かに乱された髪とに褒められたのだと感じると、その髪以上に顔をくしゃくしゃに歪めて破顔した。それから幾ら身体に付着した液体は拭ったとはいえ、変わらず返り血でびしょびしょのブラウスとスカートのままで男に抱き着いた。小柄な彼女は、優に2メートルはあろうかという男の腹筋のあたりに顔を埋めると仔猫が母猫に甘えるようにぐりぐりと頭を押し付ける。男は薄着故に自身の肌にじっとりと張り付いてくる彼女の衣服にほんの少しだけ不快そうに眉間に皺を寄せるも、その表情とは裏腹に背中に腕を回すと優しく抱き締め返した。
「……兵士か?」
「ええ!……と言っても、田舎の寒村の私兵団よ。だからあんまり強くなかったわ。みーんな、すぐに死んじゃった!
――これもね、持って帰ってきたはいいものの、すぐに壊れちゃったのよ?まったく、酷い話だと思わない?」
「随分と不満そうだな。」
「そりゃあもう、大いに不満よ、せめてもう少し根性見せて欲しかったわ!!」
彼女は男の問いかけに嬉々として答える。が、すぐに表情を曇らせると唇を尖らせた。それから彼女は所詮は田舎の私兵団ということもあり、足元の肉塊を冷たく一瞥してから拗ねたような失望したような、そんな口調と共に頬を膨らませた。それは少しも歯応えがなかった上に「どうして」と「助けてくれ」を繰り返すばかりの、つい数時間前まで人間だった肉塊に対する呆れと興醒めだった。彼女は田舎者とはいえ、私兵団の頭を勤めるほどの人間故にもう少しは楽しめると思ったのに…と、男の腹に顔を埋めながら文句を垂れては地団駄を踏む。その拍子に骨の露出した腕を踏んでしまうと、凝固を始めた血液特有のぬちゃりとした感触と常温の生肉特有のぐにりとした感覚とに不快感を露わにした。故に彼女はつい数分前まで遊んだついでに貪っていた人の形をした肉を、力いっぱい蹴飛ばす。その勢いたるものや、10数メートルはある廊下の曲がり角の壁に食い込んだ上にあまりの衝撃に頭上から土埃がパラパラと降ってくるほどだった。
男は彼女のお転婆っぷりに思わず額に手を当てると、軽く目を伏せる。それからこれ以上居住地を滅茶苦茶にされないようにという名目の元、彼女を軽々と抱き上げた。次いで常人の二の腕ほどはある前腕に彼女の尻を乗せると、自室に向けてゆっくりと歩き出した。彼女は自分だけの特等席に心底嬉しそうに目を細めつつ口元を緩めると、少女らしいあどけなさが残る顔に大人の女らしい色香を纏わせながら男の胸に撓垂れ掛かる。そして自身を抱える腕以上に逞しい、分厚い胸板を小さな手のひらでするする、ゆるゆると撫でると熱っぽい吐息を吐きながら男の首筋に顔を埋めた。
「――でもね。これから、とっても楽しいことになるわよ?」
「……ほう?」
「ふふ。ねえ、気になる?聞きたい?知りたい?」
「…………どうせ嫌だと言っても、無理やりにでも聞かせてくるのだろう?」
「うふふ、あたり♡」
彼女は男の首元に顔を埋めながら、まずはなんの変哲もない田舎の寒村の私兵団のリーダーを捕らえたことを思い出す。それから団員全員を彼の前で手に掛けたこと、次いで村民を女子供からひとりずつ、順にじわりじわりと殺していったことを思い出してはくすくすと忍び笑いをした。
彼女は村ひとつを指先で滅ぼした後に、何にも誰も救えなかった絶望に打ちひしがれるリーダーの男を自分たちの居住まで連れ帰っては、彼がいかに無力で驕っていた存在だったかを語って聞かせた。そして魔法で、彼の愛した村と人々の最期を網膜に焼き付けては何度も何度もエンドレスで上映してあげた。それは単に彼女の趣味趣向でもあったが、それ以上に魔物たちの間における一般常識としての通説――『絶望した肉ほど美味い』という説があるが故だった。そして多くの魔物は言わずもがな、彼女もまたその説を信じていた。否、自身の舌で何度も何度も食べ比べては、それが真実であると確信していた。だからこそ冥土の土産に、私兵団の団長である彼にとびきりの絶望と失望をプレゼントしたのだ。そしてその結果、肉は確かに美味かった。が、同時にこうも思った。――美味いが、どこか物足りない、と。
腹は満たされるかもしれないが、心は満たされない。彼女は反射的にそう思ったのだ。そして悟ったのだ。やはりこの行き場のない気持ち――自分でも正体の分からない、焦燥のような癇癪のような――を存分に発散してくれるような手練相手でなければ、少しも楽しくない。生きているという感覚が、しないと。
――そしてまた、彼女はこうも思ったのだ。何度も何度も彼女の主たる魔王を封印してきた勇者とその師であるエーデルガルトを喰らえたら、どれほどの満足感を得られるだろうか、とも。
「――だから。勝手に村を滅ぼしたこと、許してくれない?ねね、お願い!魔王様♡」
「…………どうせ叱っても無駄だろう、お前は。」
「ふふ、それもあたり♡……ついでに魔王様の名のもとに、信者も何十人か貸してくれたら嬉しいな〜、なんちゃって♡」
「……………………。」
そんなことを不意に思ってしまったのだから魔王の妻にして配下である彼女は、頭の中を占める思考を実行に移したくて堪らなかった。そしてちょうど良いところに、人だけがゴッソリといなくなってしまった村がひとつあって。そして今までの経験則から、エーデルガルトと勇者は助けを求める人々を放っておけないという弱点があって。――そこから導き出される結論は、ただのひとつだった。
彼女は男――魔王の頬に触れるだけのキスを落としてから、女としての顔とあどけない幼妻としての顔を半々に混ぜて甘える。魔王はそんな彼女に心底呆れたようなため息を吐いてから、「……好きにしろ。」と告げた。どうせ止めれば止めるほど抑えが効かなくなるのは、この数千年の間に嫌という程理解していた。ならば好きにさせた方が良い、というのか魔王の考えだった。それに、魔物としての本能を発散すればするほどに、彼女が『彼女』で居られる時間が増えることを、魔王はそれとなく理解していた。だからこそ呆れながらも許可を出してから、『彼女』としてではないものの頬に贈られたキスに応えた。すると彼女は『彼女』と同じ顔と声で喜ぶ。魔王はその様子に目を細めてから、ようやく掃除道具を片手に戻ってきたアンデットに壁の補修も言いつけると彼女を抱き直した。
「狂信者共を使うのは構わないが、以前にその狂信者共すら勇者に寝返って逆に殺されたことを忘れるなよ。」
「んも〜、その話はやめてってば〜!!」
魔王はかつて14代目の勇者を罠に嵌めるどころか、逆に彼に狂信者すら改心させられて手酷く裏切られ、蜂の巣にされた彼女が脳裏に過ぎるとそう告げた。それから、人間でありながら魔王などという存在を信仰する狂人共の歓声を思い出すと今度はああはならないように特に信仰心の厚いものを選び抜かなければ、と顎に手を当てると考え込む。彼女は真面目な顔で暫し思案する魔王とは反対に、その頭をポカポカと叩くと子供のように癇癪を起こした。
「……む…。」
――その様子が、なんとも魔王が人間として愛した『彼女』らしくて。魔王はほんの少しだけ痛む胸の奥に気が付かない振りをしながら、黙ってその拳を受け入れる代わりに小さく詰まった声を漏らす。それからすれ違う魔物全員にあのアンデットを手伝うように言付ける。次いで『彼女』の面影には胸を痛めるくせにこれっぽっちも痛まなくなった良心に独り静かに嘲笑すると、明らかに人間を逸脱している彼女の手のひらをそっと握り締めた。




