50_新たなる出立と4代目の勇者の話(後編)
4代目となる彼は地図上では北西に位置する、それなりに大きな地方都市で考古学を生業にしようとしている若い学者の卵だった。けれど考古学で食っていくだなんて夢のまた夢であったため、同時に傭兵紛いの行為で生計を立てている苦労人でもあった。そして学者を志しているだけあり非常に聡明で、物分りが良く、何よりも考古学を学んでいる身として今なお神話に語られるエルの存在に、彼女がドン引きするくらいに食いついた。その興奮たるものや、事前に町の人々曰く「今時珍しいくらい素直で、他人との関係を築くのが上手い子だよ。」という評価通りに、一般人では考えられないくらいの数従えていた精霊や妖精が、あまりの熱量にこぞって逃げ出すほどだった。
エルは出会うなり自身が勇者であることを承諾したかと思えば、頭のてっぺんからつま先まで観察するかなりの変人である彼に苦笑しながらも、今回の勇者のスペック――学者ということもあり、魔法は十八番。加えて本人は不本意とはいえ剣の扱いもそれなり。となると、もしかしたら、もしかしなくても。エルは今回こそ魔王を殺せるかもしれないなと、僅かな期待と共に胸を膨らませながら黙って彼の観察を受け入れた。それから一通り観察を終えた後、次に紙とペンとを手に取ると、『神』が現存していた時代について事細かに取材とする彼をエルは制止すると、地図を広げた。そして、今回の旅路の説明を始めた。
「いいかい?まずはキミが魔王と互角に戦えるようになるまで、旅をしながらわたしがキミを鍛え上げる。」
「分かりました。……ルートは?」
「今回はやや南寄りの東回りにしようかと思ってる。特にこのあたり……南平原を横切る森林地帯を抜けたら、集落が多いからね。」
「成程、理解しました。宜しく頼みます、師匠。」
「こちらこそ。理解が早くて助かるよ。」
流石は学者の卵、随分と話が早いとエルは内心大喜びした。とはいえ住み慣れた土地を離れ、見知らぬ相手と旅に出る彼の心情を考えて努めて喜びを顔に出さないようにすると、彼にこの1週間のうちに家族や親戚、友人や恋人に別れの挨拶をしてくるように伝えた。続けて、自分はこの1週間で旅の準備を進めておくから、その点に関しては安心するようにとも伝えた。彼はやはり物分りよく理解し、頷いた後、友人と恋人はともかく天涯孤独の身故に気を遣う家族や親戚の類は居ないとエルに告げた。
エルは自分よりも表情を変えないままそう告げた彼に、思わずびっくりしてしまう。そして初めてのパターンにどう言葉を返すべきかと戸惑っているうちに、彼の方から自分も恋人も使っていない離れにある一室に滞在してはどうかと持ちかけられると、助かったと静かに息を吐いた。そらからその申し出を有難く受け入れると、この1週間は彼の家を拠点に物資を集めることにした。てっきり宿屋を取らなければいけないと思っていただけに、思わぬところで金が浮いたとエルは喜ぶ。そしてこの分の金で薬でも買おうと、僅かにスキップしながら彼に案内されるがままに埃を被った一室に足を踏み入れた。
エルは彼に礼を言ってから、窓を開ける。そうして窓の外から見える渓谷と、その更に奥に位置するかつての故郷を思い出しながら、どうか今度こそと静かに祈りを捧げた。――誰に捧げているかなんて、分かりはしない。もうとっくに女神を信仰してなんていないし、かといって魔王とその妻が信仰している外なる神に心酔しているわけでもない。それでも、エルは『今度こそ』を祈らずにはいられなかった。およそ200年の間、この世界を彷徨って漸く掴んだ最も可能性に溢れたチャンスなのだと、ただただ存在するかどうかも分からない何かに熱心に祈った。「……なんて、誰に対して祈ってるんだか。」そんな言葉がふと漏れ出たのは、たっぷり5分ほど祈ってからだった。
――この時、エルは知らなかったのだ。彼がその背中を無言で暫し見つめていたことも、その後、静かに部屋を後にしたことも。そして誰に対して祈っていたか、自分でも分からないこの行為が彼の暴走を招いてしまうだなんて、夢にも思わなかったのだ。加えて彼が行動力の塊であることも、まだ経験の浅いエルは見抜けなかった。だからこそ3日後、置き手紙ひとつ残さず忽然と消えてしまった彼に、エルは心底度肝を抜かされたのだ。
――――――――
彼と出会った3日後、アンバーの月の14日。エルは朝起きるなり、人の気配のない家に寝ぼけ眼を擦りながら首を傾げた。次いで欠伸をしながら家中を歩き回っては彼の姿を探すも、まるで初めから誰も存在していなかったかのようにぽっかりと抜け落ちた彼の存在に目を瞬かせた。そして、それを確認した途端に脳裏を過ぎった嫌な予感に大慌てで彼が傭兵家業に繰り出す時の剣や杖を確認しに庭の物置に向かったところ、案の定と言うべきかそこはもぬけの殻で。エルは彼が何を思ったのか、単身旅に出たことを悟ると予想外すぎる出来事に暫し呆然としてしまった。唖然としてしまった。続けて凡そ200年と13年生きてきて、ここまで脳の処理が追いつかない出来事があるんだなと逆に感心してしまった。が、すぐに首を横に振って違うそうじゃない、とエルはなんとか自力で正気を取り戻すと、着の身着のまま町へ出た。そして昨日彼に紹介されたばかりの、彼の恋人の家の扉を思い切り叩いた。
「あら、エーデルガルト様…?」彼の恋人は、扉を開けるなり目を丸くしてエルを見つめた。そして困惑した様子で「今日の明け方を待たずに出発されるはずじゃ…?」と眉を下げた。エルはその言葉を聞くなり、やはりと眉を顰める。それから「早朝から騒がしくしてごめんね。」と、一体どういうことかと問い詰めようとしてくる彼の恋人を振り払うと、怒りのまま町を出る。念の為に杖を持ってきて正解だったなと呟きながら、一見大人しい好青年に見せかけておいてとんでもないことをしでかしてくれた彼に、眉をピクピクと震わせる。
その怒り狂い方ときたらすれ違ったキャラバンの人々を無言で威圧し、女のひとり旅だと嬉々として襲いかかった魔物を睨みつけるだけで葬り去り、剰え人を困らせることに喜びを感じている悪戯好きの妖精を知らず知らずのうちに追い払うほどだった。そうしてあらゆる障害を無意識のうちに跳ね除け、ずんずんと進むこと約半日。あらゆる手段――主に四足歩行の魔物を、対象を操る魔法である『操作』を駆使して操り、その背に乗ることで、なんとか日が沈む直前で彼に追いついた。
「――何考えてる。」
エルはシルバーウルフの背に乗ったまま、彼の前に躍り出る。そして進行方向を塞ぐように立ちはだかると、冷たい瞳の中に怒気を孕みながらそう口にした。
「…………意外と早かったですね。」
彼は目の前に立ちはだかるエルに眉ひとつ動かさずにそう告げてから、歩みを止める。そして大層怒っている様子のエルをちらりと一瞥した後、何も言葉を発さずにその横を通り抜けようとした。エルは彼の、その敢えて素知らぬ振りをする態度に心底腹が立った。自分を蔑ろにされたことでもなく、問われても尚何も発しないことでもなく、ただただ自分勝手な行動――自ら生存率を下げるような馬鹿な真似を許せないと感じると、その感情のままに彼の服の裾を掴んだ。そして、その外見と体格に似合わない力できつく握り締めると、自分の方へと引き寄せる。彼はその存外に強い力に、恐らくはエルが肉体強化の魔法を使用したであろうことを察するとほんの少しだけ目を見開いた。そして詠唱ひとつ用いずに魔法を発動させるなど、まさしく賢者にのみ許された傲慢さだと内心興奮した。が、それを顔に出すようなことはしなかった。代わりにエルにとっては何を考えているのか全く分からない表情を浮かべたまま、眼下の彼女を眺めた。
エルはそんな態度の彼に、ますます怒りが込み上げてくると今度は腕を伸ばしてその胸元を思い切り掴みあげた。そして自身の方へ引き寄せながら吐息を感じるほどの距離まで近づけると、至近距離のまま有無を言わさぬほどに怒りに震える声で言葉を発した。
「答えろ。何を考えて、わたしに無断でひとりで旅に出た。」
「……………………。」
「答えろ!!」
アンバーの月は夏の季節。故に平原も、濃い緑で支配されていた。その中でエルは彼に、彼女にしては珍しく感情のままに怒鳴り散らした。それは今までの勇者の中で最も文武に優れている彼ならば魔王を打ち倒せるかもしれないという期待を裏切られたことよりも、この200年間ずうっと脳裏を過ぎっては瞼に焼き付いて離れない『彼』の最期がフラッシュバックしてしまって苦しいからだった。腹から吹き出す真っ赤な血が、時間の経過と共にどんどん赤黒くなっていって。どんどん呼吸が弱くなっていって、最後にはヒュウヒュウと谷の合間を吹き抜ける秋風のような音しか発せなくなっていって。――それでも、『彼』は何度でも勇者として生まれ変わることを約束してくれた。そして今度こそ、エルを普通の女の子に戻してみせると強がって笑って見せたのだ。それもひとりじゃなくて、ふたりで。誰のためでもなく、たったひとりの相棒のために。
だから、エルもまた誓ったのだ。何度でも『彼』の魂を受け継ぐ勇者を見つけては育ててみせると。導いてみせると。その剣先が魔王の喉元に届く日まで、絶対に諦めないと。そうして何もかもを終わらせる日まで、何度でも『彼』に付き合うと。
――それは、言ってしまえば美化されすぎた過去の思い出だった。そして半ば呪いに近い、信頼でもあった。執着でもあった。もっと端的に言ってしまえば、無意識の愛だった。愛という名の呪縛であり、幸せな呪いでもあった。けれど愛されることはともかく、誰かを愛することを知らないエルはそれが愛だと気がついていない。呪いだと知らずに、おおよそ200年の時を彷徨ってきた。彼はそのことを、考古学者という職業のためか。あるいは彼の恋人曰く「怖いくらい勘が鋭い」せいか。もしくは、精霊や妖精のおせっかいのおかげか。兎にも角にも、彼は出会った初日、何かに祈りを捧げるエルの後ろ姿から瞬時に読み取ってしまったのだ。そして思ってしまったのだ。
「…………そうやって、誰かのためにって言い訳しながら訳も分からずに祈りを捧げているうちは、貴女に学ぶことなど何も無いと判断したからです。――それに。賢者たる貴女なら分かっているはずです。迷いというものが、戦場において、どれだけ判断を鈍らせるか。その一瞬の迷いが、どれほど生死を分けるか。」
「――――――。」
彼はエルの鋭い眼差しに臆することなくそう告げると、平然と続けた。
「だから、俺ひとりで行きます。……その方が憂いに浸っては健気に涙を堪える貴女に気を遣わないで済む分、ずっと気楽だ。」
「――――――――言ってくれるじゃないか。」
エルは足代わりにしていたシルバーウルフを解放してやると、全くもって図星な言葉に少々苛立ったように杖を構えた。そしてなんの躊躇もなく彼へ向けると、宝玉に魔力を込めた。彼はそれを眉ひとつ動かさないでじいっと見据えた後に、ふっと鼻で笑ってから腰の杖を抜くと同じく先端にはめ込まれた宝玉に魔力を込めた。そしてニヒルかつ大胆不敵な笑みを浮かべると、齢200歳を越す賢者に向けて歓喜と期待が籠ったキラキラとした瞳を向けながら口を開いた。
「実直なのが取り柄なので。」
「…………後悔させてやる。」
「ええ、構いませんよ。それで貴女が少しでも、前に進めるのならば。……でも、俺も負けません。本業はこっちですから。」
彼はそう告げると『火炎』の呪文を詠唱する。エルはそんな彼を尻目に、詠唱ひとつ予備動作ひとつ行うことなく『水撃』の魔法を起動した。彼は炎に対して有利な水で攻めてきたエルに、少々気性が激しいのと子供っぽいのを除けば、まさしく合理性の獣にして魔法の天才だなと心底嬉しそうに声を上げる。そしてちょこまかと動き回りつつ呪文を詠唱しては、魔力を練る。
アンバーの月は夏の月。即ち、太陽の季節。故に炎系統の魔法と非常に相性が良い。炎の精霊たちがいつも小躍りしながら空中を飛び回っているおかげで、回避に意識を割いても練り上げる魔力にブレがない。彼はかなり苦しくはあるものの、エルの水撃の魔法を必要最低限の動きで避けつつ、火炎の射程圏内――無論、本気で丸焼きにするつもりはない故に、かなり威力は抑え目だが――に入ると、エル目掛けて杖を振るう。
「――――もう居ない神様よりも目の前の現実に祈った方が、よっぽと建設的じゃないですか?」
「……考古学の卵が吐いていい台詞か?」
「じゃあこれは、傭兵見習いとしての言葉ってことで宜しくお願いします。」
「………………馬鹿じゃないのか。」
彼はエルの眼前で火炎の魔法を起動すると、その顔目掛けて放つ。が、エルの方がやはり上手だった。なんとも呆れた声を出しつつも、敢えて彼の放った魔法と同じ魔法――火炎の魔法を素早く起動すると、彼が放ったものの倍はあろうかという火球で相殺するどころか、釣りまできっちりと揃えて返した。同じ魔法と言えども格の違いを目の当たりにした彼は、満足そうな笑みを浮かべてから『水』の魔法を身体の表面、必要最低限展開すると甘んじて受け止める。そしてあっという間に蒸発してしまった水の魔法に「あっつ!」と声を上げた。
エルはそんな彼を無言で見下ろす。その目は「まだやるのか?」と告げていたものだから、彼は素直に杖から手を離すと両手を顔の前で揃える。そして、怒りと呆れとが混じったエルの顔を見上げながら、内心良かったと吐息を吐いた。――出来ることならば、どう見ても子供にしか見えない彼女のことを、本当は置いていきたかった。煽って怒りで我を忘れさせ、コテンパに打ちのめして帰したかった。が、返り討ちにあってしまったことの、なんと恥ずかしいことか。情けないことかと表情は変えずとも、内心あまりの驕りっぷりに涙を流した。格好悪いなあ、と口の中で呟いた。
しかしながら、彼はそれ以上にエルの纏う雰囲気が悲しみの海に三日三晩浸った末に離別の雨に1週間打たれた後のような、悲壮感に満ちたものではなく。たとえ自分に誘導されたとはいえ、悲しみではなく怒りだとか呆れだとか、はたまた言葉にすら出来ない微妙な感情だろうが、少なくとももう来ない誰かを待ち続けては心を病むような、光さえ届かないほどに暗い海の底で停滞しているようなものでなくなったことに安堵すると密かに口元に笑みを浮かべた。――この世界から一時的とはいえ、悲しみに暮れる人が一人減ったならば、まあ、格好悪いのも甘んじて受け入れるかと満足気に目を細めた。
「…………単細胞。」
「はい。すみません。」
「――で、なんだって?キミひとりの方が気楽だっけ?」
「はい。それはその通りです。」
「馬鹿か、キミは。」
エルは彼同様、出力を絞っていたとはいえ炎の魔法に対して水でバリアを貼るという、どうにも素人臭さが抜けない戦術に大きくため息をついた。それから単細胞と罵ってみるものの、全く響いていない様子の彼に手当などしてやるものかと心に決めると、代わりに乱暴に軟膏の入った小瓶を投げつけた。彼はそれを左手で難なくキャッチすると、エルの問いに馬鹿正直に答えながら蓋を開ける。そしてほんの少しとはいえ火傷した箇所に、やはり表情ひとつ変えずに塗りながら、エルに告げた。
「でも、さっき言ったことは本当ですよ。もう居もしない神様より、目の前の現実――貴女に未来を託した『勇者』を信仰してみる方が、気持ちが楽になると思いますよ。」
「……生意気。」
「ええ、そうですね。確かに生意気でした。――でも、どうせ祈るなら、そんな俺や前3人の勇者にしといた方が、きっとずっと楽しいと思いますよ。」
「…………だから。それ、考古学者の卵の台詞じゃないでしょ……。」
エルは半ば呆れながらそう告げる。すると彼はどこまでも表情を変えずに「では、勇者としての言葉だと思ってください。」と答えたものだから、エルはなんだか怒るのも馬鹿馬鹿しくなってしまって彼の隣に腰を下ろす。すると彼は「後悔させてくださいね。」と相変わらず真面目くさった顔でそう言いながら左手を差し出してきたものだから、エルは本格的に何もかもどうでもよくなってくると笑いながらその手を受け入れた。すると彼はその手をしっかりと握り返しながら「考古学は、過去に学ぶ学問です。過去そのものを肯定している訳ではありませんよ。……どうかいつか貴女にも、それが伝わりますように。」と口にした。
それから彼は自分に、これで良かったんだと。ふと、そんなことを言い聞かせた。エルを過去という檻から解き放つためには、少々強引ではあるもののこれで良かったんだと、何度も何度もそう心の中で繰り返した。そうやって自分に何度も何度も言い聞かせているのは、こんな大胆な方法――それも博打に近い――に出ておいて、そのくせ彼女のことを何にも知らない自分が大口を叩いて良かったのかと、未だにほんの少し迷っているからだった。エルの縋りついている『誰か』に恨まれやしないかと、本気で心配しているからだった。それは考古学者の卵として学び続けているうちに、歴史という文様の中には常に呪いのような愛を望み続ける誰かがいるのを知っているからだった。
けれどそんな彼とは反対に、エルは全く気にしていないどころか今後このような暴走を防ぐためにも、弟子に不用意に旅のルートを教えたりするもんかと心に決めると深いため息を吐いた。それから青々とした草の上にごろりと寝転ぶと、もうすっかりうっすらと星が見えるようになっていた空を眺めた。




