46_とある女と彼の話(前編)
あの初日の出から約1ヶ月。エルはまだ寒さは残るものの随分とあたたかくなってきた日中の気温と、彼が日々の小遣い稼ぎ改め鍛錬として行っている王都周辺の魔物の討伐にて並の冒険者や剣士では到底歯が立たない凶悪な魔物の最たる例たるグリズリーを狩ってきたことを、お土産の獣肉と素材屋の領収書を揃えて眼前に突き付けられると素直に感心した。そして本当に若者の成長というものは著しいなと微かに微笑むと共に、少し目を離した隙にメキメキと上達した彼の剣技を「もう1人前だな?」と揶揄った。彼は嬉しいような恥ずかしいような身分不相応なような褒め言葉に少しばかり照れては頬を染めると、苦し紛れに「別に。」と返した。
エルはそのまだまだ青い様子にケラケラと笑うと、何故か以前にも増して重い財布を彼に投げて渡した。それは彼には決して見せない、大人としての意地――子供にばかり頑張らせてたまるものかと日々密かに王宮魔法使いたちを指導した結果、王家に世話になっている分を差し引いた給与であった。いつか見た財布よりもずっとパンパンに膨れてはずっしりと重いそれに、エルがコソコソ働いているとは知らない彼はまさか暇を持て余した結果、遂に賭け事の類に手を出したんじゃないかと不審がる。エルはプライド故か、それとも説明するのが恥ずかしいからか、あるいは単に説明が面倒だからか。「いいから、その金でありったけの物資を買ってこい。」と言い放った。
「――じゃあ、そろそろ出るんだ?」
「ああ。昼はもう随分とあたたかいからね。それに、夜だって凍死するレベルの冷えじゃない。キミみたいな現代っ子でも安心ってワケだ。」
彼は新たな出立を予感させる言葉に目を輝かせると共に、ここ数ヶ月なし崩し的に王都に留まっていた理由がエルの我儘に見せかけてその実、自分を気遣ってのものだということに遅ばせながら気が付くとバツが悪そうに視線を逸らした。
心配は、寧ろ自分の方がしていると彼は思っていた。年明け前くらいからは寒いと言ってベッドから出てこないエルに呆れていたのも事実だが、本当はゴーレムを解呪した後に倒れた彼女を未だに心配していた。もう大丈夫なのかと、聞きたくて堪らなかった。けれど大丈夫じゃないと返ってきた時に、また自分の無力さを嘆いては姫君やその側近に励まされる自信があったから、彼は聞けなかった。言葉に出来なかった。加えて歳相応のプライドとして、そんな自分がとてつもなく格好悪いと共に情けなく、また、許せないという気持ちもあった。だから無言で腕を磨くのと合わせて金を稼ぎ、なんとか自分を保とうとしていた。故に彼は新たな出立に心ときめくと同時にエルが自分を心配してくれていた嬉しさやそれに気がつけなかった未熟さ、それからどうであれエルの体調が本当に良いことを悟ると、心底嬉しそうに破顔しては深く頷いた。そして素早くコートを羽織るなり二つ返事で部屋を飛び出すと、まだ雪と氷の残る王都の街へと駆けて行った。
「……やれやれ。本当に騒がしいやつだ。」
エルは些か大きな音を立てて閉められた扉を見遣り、くすりと笑う。そしてもうすぐ彼のためのゲストルームではなくなる部屋の窓から城の入口を見下ろすと、嬉々として街へと繰り出すその背中を静かに見送った。
――――――――
「薪は嵩張るから後日だな。となると、今日は一先ず保存食や薬の類を買うか…。」
まだまだ根雪があるとはいえここ1ヶ月で随分と減った積雪量を横目に、彼は何から優先して買うべきか考える。薪や燃料の類いは嵩張るし、何より重い。別に先に料金だけ払っておいて後日受け取りという方式を取っても構わなかったが、エルの言う通りここ最近はめっきりあたたかくなってきた。ということは、出立の具体的な日付こそついうっかり聞いてこなかったものの、後日――つまりは春が近付けば近付くほどに需要が減って、多少は安くなるんじゃないかと彼は考える。幾らエルに渡された重すぎる財布と自分がコツコツ貯めてきた金があるとはいえ、もとは決して裕福とは言い難い村のただの牧童である彼にとって無駄遣いはなるべく避けたい事象だったし、なにより節約出来る箇所は節約すべきというのが彼とエルとの間の取り決めのひとつだった。
(……の割にはエル、食い物に関しては金に糸目をつけないけどな。)
彼はそんなことを考えながらとりあえずは雑貨屋に入ると、缶詰や干し肉といった保存食を手に取る。迷った時はとにかく日持ちしそうな食料と薬を買えというのがエルの教えだった。
――食料があれば、生き物の構造的に熱を生産出来る。熱が生産出来るということは極端な話、雪山でも生存の確率が上がるということだ。加えて熱とはエネルギーであり、生きる気力であることだと彼は旅を始めて早々、いつかエルに奮われた熱弁を思い出す。「そして生きる気力や意地というものは限界を迎えそう状態において絶対的な希望であると共に、崩壊しそうな精神を唯一支えてくれるものでもあるんだよ。」「それから薬があれば、食料はあれども不健康が故に食事を消化出来なくて死ぬということが避けられる。つまりは希望を自ら絶やす可能性が減るってことだね。」そう言って秋の夜空を眺めながら語られた言葉に妙な説得力があるのはきっと、彼女が今までそういう状況下に置かれた生き物を嫌というほど見てきたからなのだと当時の彼はともかく、今の彼ならよく理解出来た。だからこそ、エルの言いつけを守ってまずは日持ちする食料を先払いする形で押さえた。その場で持って帰っても良かったが、敢えてそうしなかったのは王宮兵士たちが口を揃えて「よく効く」と噂する、裏通りにある薬屋――なんでもとびきり苦い薬しか処方しないが、その代わりに抜群の効き目だと言う――にも寄ってみる予定だったのと、裏通りまで行くのならばついでにホープの店にも顔を出して行こうと思ったからだった。
彼は雑貨屋の店主に代金を支払ってから店を後にすると、すっかり顔馴染みになった兵士たちから聞いた道順を思い出しながら大通りを歩く。頬を撫でる風は、もう随分とあたたかい。ホープに仕立てて貰ったコートが暑いくらいだった。
「……確か、八百屋の横の道を通ると近いんだっけか…。」
彼はそう呟くと早速教わった通りの道を行こうとするも、大通りだけで3軒も4軒もある八百屋に気が付くとはたと足を止める。そしてどの八百屋の横の道なのか聞くのをすっかり忘れていたことに気がつくと、往来のど真ん中で頭を抱えた。続けて、ならば近道しないで裏通りを愚直に歩いて行くかと考えたもの束の間、今度は肝心の薬屋の名前を思い出せない貧相な頭に絶望すると思わず「がぁああぁあ、この脳足りん!!」と叫んでしまった。するとその様子に目を瞬かせてはぽかんとする店員や反射的に子供を背に隠す母親、「最近あたたかくなってきたから…。」と囁いては彼を不審者扱いする街の人々の当たり前といえば当たり前の反応に、彼は顔から火が出そうなほど恥ずかしくなった。次いで故郷の村ならば皆笑って突っ込んでくれた一人芸に乗るどころか、遠巻きにヒソヒソと指を指す人々に(都会の人は冷たい…!)とカルチャーショックを受ける。
が、この場においてどう見ても異質なのは自分の方なわけで。彼は恥ずかしさやら情けなさやらカルチャーショックやらで耳まで真っ赤にしながら何度も軽く頭を下げると「すみませんなんでもありませんおさがわせしてごめんなさい不審者ではないです!!」と口早に告げつつ、逃げるようにその場を後にした。
「なんだっけなぁ、店の名前…。」
一旦頭を冷やすため、もといどう見ても不審者らしい振る舞いだった自分が人々の記憶から薄れるまでは大人しく錆び付いた記憶の錆を取る作業に尽力しようと、彼は一旦王都の大きく強固な門をくぐると平原が見渡せる石畳の階段に腰掛けた。特に意思を持って決めている訳ではないが、いちばん大通りからも城からも近いこの門から平原に出るのが、彼の『なんとなく』だった。故に今日も彼は『なんとなく』いつもの門から外に出ることを選んだ。
石畳の階段に腰掛けて見遣る平原と、王都と各地方都市とを結ぶ街道は今日もそれなりに平和そうだった。無論、細かく探せばその平和が脅かされているところもあるだろう。だが、それでもこうしてぼんやりと頭を空っぽにして眺める分には、今日も大きな事件や事故はなさそうだった。
「……ん?あの人…。」
青い空と気ままに流れる雲と、雪解けの進んだ平原と雪の下から芽を出す双葉と花壇とを眺めていると彼は思わずそう呟いては目を擦った。己の目を疑った。そして自分の見間違いでないことを確かめてから、反射的に立ち上がると考えるよりも先に駆け出していた。というのも街道を外れただだっ広い野原を剣と盾は言わずもがな、杖のひとつも持たずにフラフラと歩く後ろ姿を見つけたからだった。街道沿いは魔法使いが施した結界が効いているために、余程大型の魔物でも襲いかかってこない分には一般人もそこそこ安全に歩ける。が、それは裏を返せば街道を少しでも外れると危険ということだ。それを知っているのかいないのか、それとも単なる自殺志願者なのかはさておき。彼は右に左に、自由気ままにスカートの裾を揺らしながらフラフラと歩く小さな背中を、どうしても放っておけなかった。故に駆け寄ると相手をなるべく驚かせないように、努めて優しく穏やかな声を心掛けながら口を開いた。
「……あの!」
「…………はい?」
彼が精一杯の勇気と無害な人間である雰囲気を出して声を掛けると、その小さな背中はゆっくりと足を止めた。遠目で見つけた時は漠然としか分からなかったが、こうして間近で見てみるとその人物はエルと同じくらいに小さかった。そして少し間の抜けた声を上げながら、真っ白なブラウスと黒のスカートによく映える肩までの赤い髪を風に靡かせながら、ゆっくりと振り返った。――刹那、彼は緑色の瞳と目が合った。夏に生い茂る濃い緑というよりかは春先や秋口の少し色が薄い、儚い緑の色だった。
彼はエルともホープとも、そして姫君とも異なる雰囲気を放つその女性の緑眼に見つめられると、思わずごくりと息を飲んだ。そしてエルのように少しだけ儚げながらもホープのようにどこか放っておけないオーラと、それでいて姫君のような意志の強さを感じさせるその瞳にほんの一瞬だけ呼吸を忘れた。世界が停滞する感覚を知った。けれどすぐに正気を取り戻すと、呑気な様子の女性に向かって少しだけ語気を強めた。
「街道から外れたら、いつ魔物に襲われてもおかしくないですよ。死にたいんですか?」
「あら?――あらあら、まあ、本当だわ!どうもご親切にありがとう!…私ったら、いつの間に外れてたのかしら?」
真剣な表情で指摘する彼とは反対に、女性は相変わらず呑気な様子で間延びした声を上げるとこてんと小首を傾げる。それから「ふふ。どうしてかしら?おかしいわね?」と一頻りくすくすと笑ってから、彼に向けて「どうもありがとうございました。」と深々と頭を下げた。彼はどうにもエルとはまた違った方向にマイペースな女性に少しだけ度肝を抜かれると、つい反射的に首を横に振ってはお気になさらず、と口にしてしまった。そしてまたしても内心、何をしているだと自分を責めた。先程の大通りでの不審らしい振る舞いといい、今の女性への対応――謝られたらつい「いいよ」と言ってしまう意志薄弱さといい、どうしてこうもつい脊髄で反応してしまうのかと頭を掻き毟った。
が、そんな自分を不思議そうに見つめてはまたしてもくすくすと笑う女性に気恥しさだとか照れくささだとか、まだまだ青いくせに一丁目前の感情を自覚すると、ごほんと咳払いをひとつしてから女性に向けて手を差し出した。そして何の悪意や下心、ひいては他意はないことをなんとか理解して貰おうと真剣に言葉を紡いだ。
「送って行きますよ。危ないですから。」
「――まあ、ありがとう。優しいのね!」
「いや、当然でしょう。武器も防具も持たずに平原を彷徨くなんて、少し不用心が過ぎますよ。」
「そうかしら?……あなた、夫と同じことを言うのね。」
女性は彼の紳士っぷりと、見知らずの人間に対しても優しくしようとする誠実さにいたく感動した後、心底嬉しそうに微笑んだ。彼は幾ら下心がないとはいえ、エルとそうそう背丈の変わらない若い女性が人妻だったことに密かにショックを受けつつもなんとか平静を装うと「そうですよ。旦那さんと同意見です。」と言葉を返す。そして半ば強引に女性の手を握ると、まずは街道の方へと引っ張って行った。こうしている間にも魔物に襲われたら幾ら多少は腕が立つようになったとはいえ、まだまだケツの青いヒヨコである自負しかない彼は女性を庇いながら戦う自信がなかったからだった。
故に彼は一先ず女性の手をしっかりと握ると、彼女に無理を強いない程度の早足で速やかに街道へと向かった。勿論周囲の警戒は怠らない。が、幸いなことに魔物らしい魔物の姿はひとつも見えなかった。彼はこんな幸運なこともあるのだなと感じつつ、まずは女性を安全な場所まで連れてこられた安心感にゆっくりと息を吐いてから繋いだ手を離した。そしてどうかこの女性の夫がこの場面を見ていませんように、仮に見ていたとしても勘違いしませんようにと祈った。これは浮気でもなければあなたの奥さんを誑かした訳でもありません、単なる勇者として……というよりかは、人として当然の人助けの部類ですから!というか、浮気とか最低ですからね?!許されませんからね!?おれは師匠一筋ですからね?!?と、途中から最早誰に祈っている、もとい言い訳しているのか分からない言葉を、心の中で何度も何度も繰り返し呟いた。
「どうもありがとう。世の中、こんな親切な方もいらっしゃるのね。」
女性は彼が何かに必死になっていることなどつゆ知らず、ふんわりとした笑みを浮かべると再度深々と頭を下げた。彼は恐らく純粋にそう言ってくれたであろう女性に対して「いえ…。」と言葉を濁す。そして自身の中にだけ渦巻く気まずさや罪悪感を打ち消そうと、再度女性に向けて声を掛けた。
「家、どこですか?近くまで送ります。」
「まあ!本当に優しいのね、ありがとう。でも大丈夫よ、夫が迎えに来てくれるから。――確かね、このあたりで待ち合わせしてるの。」
「そうですか?なら、いいですけど……。」
彼はこのあたりと言いながらも街道を大きく外れていた彼女に若干不安を覚えつつも、夫が迎えに来てくれるなら…と引き下がる。とはいえ、仮にこれが自分の身内や友人だったら、彼は何もこんな危険な場所で待ち合わせなくてもと苦言を呈していただろう。が、生憎女性とはつい今しがた出会ったばかり――つまりは、あれこれ口を出す権利など、彼には最初からないのだ。
故に彼は色々と疑問に思うことはあるものの、大人しく引き下がる。とはいえ、見知らずの他人とはいえ心配なことは心配だからと、お節介を承知で彼女にくれぐれも街道を外れることがないようにと再三言い含める。すると彼女はまたしてもくすくすと楽しそうに笑ってから頷くと、何度目かも分からない礼の言葉と共に頭を下げた。
「――あなたも、このお兄さんみたいに優しい人になってね。」
「………………え……?」
そして次に頭を上げた時、彼女は自身のぺったりとした腹を撫でながら心底愛おしそうに目を細めては、しあわせそうにそう呟いた。彼はその言葉に思わず声を漏らす。すると彼女は本当にほんとうにしあわせそうにくしゃりと笑ってから、再度その腹を撫でながら照れくさそうに口を開いた。
「来月か、遅くても再来月の頭にはね。私、お母さんになるのよ。」
「……………………。」
「夫とね、よく話すの。男の子がいいかとか、女の子がいいかとか。それから、どんな子に育って欲しいかとか。勿論、親として色んな夢も希望もあるけれど……でも、今、思ったわ。どんな子でもいい、ただただあなたみたいに、見知らずの人にも分け隔てなく親切に出来る優しい人に育って欲しいなあ、って!」
彼はどう見ても子供を身篭っている腹ではない彼女――妊娠の是非はともかく、少なくともあと1ヶ月かそこらで生まれるような腹をしていない彼女を、失礼や無礼を承知でまじまじと見つめた。何かの嘘か間違い、もしくは狂言の部類なのでは、と見つめた。穴が空きそうなほど見つめた。何よりもそうであって欲しいと彼自身が強く願いながら、彼女のことをじいっと見つめた。
けれどその嬉しそうな顔だとか、そのくせ未来への期待と不安に少しだけ陰を帯びた瞳だとか、かと思えばまたしても明るい顔をしてみせたりだとか。そんな彼女は紛れもなく彼の3軒隣の家の妊婦と同じ、ただの『これから』のしあわせな未来を想像しては溢れんばかりのしあわせに顔を綻ばせる若い女性で。彼はそれが彼女にとっては嘘でも間違いでも狂言でもなければ、ただの純然たる真実であることをそれとなく悟ると、思わず声を震わせた。
「……………そ、っか。……光栄だなぁ――。」
情けないことに、今の彼にはそう言葉を返すことしか出来なかった。ぎこちない笑みを浮かべ、当たり障りのない言葉を返し、そして逃げるようにこの場を去るのが、今の彼に出来る唯一にして精一杯の誠意だった。
――指摘なんてものは出来なかった。それほどまでに、彼女はどこにでもいる、ごくごくありふれた『しあわせな妊婦』だった。是非はともかく、彼女の中ではそれが正常な世界だった。だからこそ彼はああ返す以外に、何も言えなかった。彼女の孕んでいる狂気が恐ろしかったからではない。彼女がただただしあわせそうだったから、何も言えなかった。否、言葉が出てこなかった。だから、足早に王都へ向けて歩き出した。歩きながら、彼女の言う『夫』までもが空想でないことを祈ることしか出来なかった。
「――ふうん。あれが今の『勇者』かぁ…。」
小さくなっていく彼の背中を見つめながら、彼女が呟く。少し色の薄い儚げな緑の瞳を金色に輝かせながら彼女は目を細めると先程までの天真爛漫な態度とは一転、妖しくくすりと笑うと前髪を掻き上げる。そしてケタケタと邪悪な笑みを浮かべると、舌舐りをしながらその金の瞳で獲物を捉えた。
「――――なぁんか、すぐに殺せちゃいそう♡」
彼女はそう言って彼に背を向けると、チリチリと指先が痺れる感覚に耐えかねて街道を外れる。そして再び街道と距離を取ると、ゆっくりと歩き出した。
「どう殺すのがいいかしら?どうせなら、とびっきり絶望して死んで欲しいわよね!そうしたら魔王様、きっと喜んでくださるわ!!あぁそうよ、きっとそうに違いないわ!!」
雪解けの最中、春を感じさせる柔らかな新芽の間をスキップしながら通り抜けていく彼女は、その言葉さえなければ可憐な女性にしか見えない。美しい赤髪を春と冬とが混じった生ぬるい風に遊ばせながら、その様を綺麗な金の瞳を細めて捉えているだけの、春告精にしか見えない。けれど実態は、つい今しがた自分に親切にしてくれた彼をどう殺そうかひとりあれこれ想像しては楽しげに笑う残酷で残忍な悪魔にして魔物だった。
「――――あら?わたし、どうしてまた街道を外れてるのかしら?」
ふと、彼女がそんなことを呟く。その瞳は先程彼が目にした儚げな淡い緑の色をしていた。彼女はつい数分前に親切な若者に念を押されたにも関わらず、またしても街道を外れて歩いている自分に小首を傾げると「変ねえ。」と困ったように眉を下げる。それからそそくさと街道に駆けて行っては、親切にしてくれた若者にこんな情けないところを見られていないかと心配そうにあたりをキョロキョロと見回した。
「……流石に2回目は怒られちゃうわね?」
――そして。彼女は同時に、エルが哀れみ続ける『彼女』でもあった。




