42_彼と姫君の話(後編)
「それで。この花の何が、師匠を助けることに繋がるんですか?」
相変わらず自身の頭の上から退かない姫君の使い魔兼ペットの鳩に、彼は渋い顔をしつつも先程その鳩から手渡された手折られた花を片手にそう尋ねた。それから立場ある人のペットということもあり無碍に出来ない自分の弱さに密かに嘆いた。それを見越してか、彼の頭の上でのんびりと寛いではポゥポゥ、ポポポと呑気に鳴きながら鋭い爪を頭皮に食い込ませる鳩は、軽く頭を振っては抵抗する彼などまるで眼中にないかのように呑気に欠伸をひとつした。姫君はその様子に「まあ、勇者様に懐いたの?」と両家の令嬢らしくどこかズレた感想を漏らすものだから、彼は困り果てて眉を下げた。が、その瞬間に違うとでも言いたいのか、彼の頭皮に爪を食い込ませる鳩に彼は思わず「だぁあ、痛い!痛いんだってば!!」と声を上げた。
姫君はその声に目を丸くすると、彼に謝りながら手を伸ばした。彼は目に薄らと涙を浮かべながら姫君の手が自分の頭に届くようにと、その場にしゃがみ込む。そんなに居心地が良いのか相変わらずチキチキと爪を立てては食い込ませる鳩に、生まれて初めて毛量が多いことを呪った。それから、髪の毛をがっしりと掴んではなかなか離れない鳩にため息をつくと、右手に握られたままのランプ草を見つめた。まあるくて真っ赤なそれはまるで丸々と太ったリンゴか、あるいは子供の頃に王都に出掛けた父親が土産にと買ってきてくれた綺麗なびいどろか、いずれにしろ子供の頃に好きだったものによく似ているなと彼は僅かに口角を上げるとその球体を見つめた。
花にはそれほど詳しいわけではないが、彼は牧童として日々ヤギや羊の世話をする傍ら、畑仕事もしていたが故に単純に気になるとまじまじと未知の植物を観察する。――パッと見、ただの球体にしか見えない外観から察するに花弁は分かれていないようだ。となるとピーマンやナスのように、花弁が根元で繋がっている部類の花だろうと考える。とはいえ花粉を飛ばして受粉し、実を結ぶ植物にしては内部の雄しべと雌しべが極端に風に晒されない構造――ランプのフレームに嵌められたガラスや和紙が中の炎を風や雨から守るように、1枚の大きな花弁が中の雄しべと雌しべをぐるりと囲んでは守っているなんとも理解不能な咲き方に、彼は頭を捻った。上部から覗き込めば中の雄しべと雌しべは観察出来るが、この小指の爪ほどしか空いていない隙間は果たして何か意味があるのだろうか?と彼は農民らしく、考えれば考えるほどに理解の遠ざかるランプ草を前にますます頭を捻る。すると彼の頭に乗っていた姫君のペットの鳩があまりの傾斜に耐え切れず、ころりと地面に転がり落ちた。それから恨めしげに彼を睨みつけたあと、姫君の肩に悠々と羽ばたいていったものだから、彼は「いや、おれは悪くないだろ…。」とつい呟いてしまった。
「不思議な花ですよね。」
彼に「ごめんなさい、この子が…。」と申し訳なさそうに頭を下げつつ、姫君は肩にとまった鳩を腕に誘導するとその脚の付け根に手を差し込み、両手で掬うように持ち上げた。そしてそのまま胸に抱きながら彼の隣にしゃがみ込むと、ゆるりと微笑んでからランプ草と王家の関わりについてゆっくりと語り始めた。
「初めは、お祖母様のそのまたお祖母様。そのお祖母様のお祖母様のお祖母様――とにかくずうっと前のご先祖さまで初めて先生の生徒になった姫君が、直々にランプ草を1株いただいたことが始まりだそうです。『わたしはこの花が好きだから、いつかこの花で国中を覆い尽くしてよ』と言いながら出された課題だと、手記に書いてありました。」
「……うわ、言いそう…。」
「ふふ。ですよね?」
彼は姫君の口から語られる、かつては役に立たないものと烙印を押されたこの花をどうして王家が手厚く保護、もとい誰の目にも届かない場所で栽培されているのかを耳にした途端、いかにもエルの言いそうな言葉に苦笑した。苦笑した彼に姫君は心底おかしそうにくすくすと笑ってから、ごく自然な動きでランプ草を優しく手折った。そして球体の上部、僅かに空いた穴に鼻を近付けると、マリーゴールドのような爽やかな香りの中に混じる、鼻腔と脳をガツンと揺らすプルメリアやスイートピーのような甘ったるい香り――けれど例に挙げた花のどれとも異なる、独特な香りを静かに肺臓いっぱいに吸い込んだ。
彼はそれを横目で見つつ、姫君でさえ日によっては少し具合が悪くなることもあるなんとも言えないその匂いを、真似て吸い込んでみた。すると勢いよく吸い込みすぎたのか、花粉が鼻の奥を通り越して喉の奥にへばりついたものだから、彼は姫君の前ということも忘れて大きく咳き込んだ。それから目に涙を浮かべると「すっげー匂い…。」と呟いた。姫君はその背中を優しく擦りながら「もう。気をつけてくださいと言う前に…。」と呆れながらも歳相応の少女らしい笑みを浮かべると、尚も咳き込む彼の背中を軽くトントンと叩いてやった。
「――先程お伝えした通り、初めはただの課題でした。」
ようやく彼の咳が収まった頃。姫君は再度口を開くと、手元のランプ草をくるくると回した。その度に上部に僅かに空いた穴から花粉が零れて、あのなんとも言えない香りがあたりに広がる。彼は先程の見よう見まねで吸いすぎた時はともかく、こうして意図的に空中に舞う程度なら寧ろどんな香水やポプリよりも良い香りがすることに驚くと、昔の人は随分と贅沢だったんだなと鼻を鳴らした。もしあたり一面にこの花が咲いていたら、世界はもっといい匂いがしていた筈だと、そんなことを考える。もしいい香りがしていたら人間同士で争うことは勿論、魔物とだってもっと良い関係を築けたかもしれないな、なんて年頃の少年にしては少々ロマンチックなことを考えてから、柄じゃないと小さく笑った。
「ですが、歴代の姫君たちがこの花を研究しようと専用の研究室――この温室を作り、何代にも渡って少しずつ数を増やしていくうちに、私の祖母様のお祖母様――つまりはひいお祖母様は、とあることに気が付きました。」
「……とあること?」
「……王家に生まれた者や魔法使いは、皆、魔法を使えます。そして魔法に携わる精霊や妖精の声を聞き、姿を見ることが出来ます。」
姫君は一旦言葉を切る。そして彼へ「ホープは別ですよ。彼女は自分から人と関わりたいと願っていますから。だから、魔法が使えない人々にも視認出来るのです。」と告げた。続けて「私が言いたいのは、そうではない妖精…人と積極的に関わる気はないものの、女神様が授けた魔法を通してならば人間と関わっても良いと考える妖精――つまりは人間のことを仲間ではなく同盟関係にある生き物だと思っている、極めて一般的な妖精ですね。」と付け加えた。
魔法の使えない彼は正直、丁寧に説明してくれたであろう姫君の説明の半分も理解出来なかったが、要するに人と関わりたいと願っているホープはかなり変な妖精で、普通の妖精は人間と関わりたいとは思っていないこと。けれど王家の人々や魔法使いはそんな精霊や妖精の声や姿を認識することが出来る上に、魔法を通して意思の疎通が出来るということをなんとなく漠然と理解すると「なるほど?」と首を傾げた。けれどそれが一体ランプ草と何の関連があるのかと、彼は姫君をじいっと見つめる。彼の視線を受けた姫君は、再び口を開いた。
「王家の人々も民衆も皆、王家に代々生まれる姫君こそが女神の生まれ変わりであると頑なに信じています。そして、その血を守るために長年純血に近い人間同士で婚姻を結んできました。だから、王家には魔法使いしか生まれないのです。それが王家の神秘性だと宣うのです。
……けれどね。それはただの建前なのです。本当は王家とそれに関わる人間は皆、先生のような呪われた存在と勇者ではなく、いつか自分たち女神の生まれ代わりである王家こそが世界を魔王から救ってみせるという、なんとも馬鹿らしい本音と当てすらない野望に囚われていただけなのです。そのつまらないプライドで、長年あの方を虐げてきたのです。敵視して来たのです。私や先生のことをよく知る歴代の姫君に言われてみれば、ただの奢りで今日までこの血を継いできただけなのです。」
「――――――。」
そう言って力説する姫君に、彼は目を丸くした。普通人間というものは身内のことは悪く言いたくないものだが、ことこの姫君に関してはバッサリと切り捨ててみせたからだった。そして切り捨てた上で、王家の者としてではなくエルを知るただの人間として、同じく彼女を救いたいと願った歴代の姫君の知恵と意思を継いでみせたからだった。その力強さと高潔さに、彼は息を飲んだ。そして彼女のような人間こそが人の上に立つ人間なのだろうも、ふとそんなことを感じた。理屈ではなく感情で、そう感じた。
それから彼は、まだ今日という日が半日も過ぎていないのに関わらず、既に自分以外に2人も彼女のことをこんなにも想ってくれている誰かがいることにいたく感激すると共に、言葉ばかりで何も出来ない自分に拳を握った。そして握ってから、違うとそうっとその拳を解いた。まだ何もしていないのではない、これから自分にしか出来ないことを成すのだと思い直すと、ほんの一瞬握っていただけだというのにやけにじっとりと汗ばんでいる手のひらをズボンで拭った。そして姫君に「ひいお祖母様は、何に気がついたのですか?」と問い掛けた。
すると姫君はゆっくりと立ち上がってから胸に抱いていた鳩を肩に乗せると、彼に最寄りの花壇を見てみるように言った。彼はしゃがんだまますぐ横の花壇と、そこに綺麗に植えられたランプ草とその間に置かれたオブジェ――うさぎやら犬やら猫やらの陶器製の置物に気がつくと「これですか?」と真剣な顔で告げてみた。姫君は「そんなわけないでしょう?!」と真面目にとぼけてみせた彼に思わず歳相応の反応を示してから、恥ずかしそうにこほんと小さく咳をすると改めて等間隔に植えられたランプ草と花壇を指さした。そして等間隔に植えられた花々の間にぼんやりと浮かぶ白のような、薄い水色のような球体に手を伸ばすと、両手で掬いあげるようにそうっと持ち上げてみせた。
「ひいお祖母様が気付かれたのは、ただのひとつ。――このランプ草という植物に集まる、ルーンの存在です。」
「…………ルーン?」
「ええ。難しい説明は省きますが…。要約すると、魔力を持たない者が視認出来るほどに高濃度な魔力の塊です。」
姫君はそう告げると彼の眼前へルーンを突き出した。彼はもしかしたらの可能性にかけて一応はエルに簡単な魔法を教えて貰ったものの、火を起こすことも出来なければつむじ風を起こすことも出来ない根っからの武闘派、改めてエル曰く「キミには剣の方が似合ってるから大丈夫」と慰められるほどに魔法の才能がからっきしの身にも、はっきりと存在を認識出来るそれに目を丸くした。生まれて初めて目にした魔力というものに感動すると、目を輝かせた。そして感動の次に湧き出る当然の疑問――「どうして古代人はルーンの存在に気が付かなかったんですかね?」と口にした。姫君は自分のことを学がない牧童と卑下しつつも探究心と知識欲に溢れた彼に思わずニコニコとした笑みを浮かべると、姫君としてではなく単に知らないことを知るのが好きな少女として口を開いた。
「先生曰く、この国の人々に他国の人々の血が混ざって薄れた結果、魔法使いが絶滅危惧種になったそうです。となると、他国の文化や人々、そして宗教の流入により女神様の持つ神秘が薄れた結果、この国本来の魔力の源――女神様の残された『奇跡』が、これ以上薄れないようにと集結したものがルーンであると仮定出来ます。そしてそこ仮説が正しいものだとするならば、女神様だけが信仰の対象であった古代においては発揮されていなかった、もしくはそれが当たり前すぎて見逃されていた効能ではないか、というのが最も有力かと思います。」
「………………は、はあ……?」
急に熱く、雄弁に語り出す姫君に彼は首を傾げる。今度は半分どころか更にその半分、つまりは4分の1も理解出来なかった。が、嬉々として仔細を語り出す姫君に「とにかく、これのおかげで師匠を助けられるかもしれないんですね?」と問い掛けた。そして間髪入れずに返ってきた頷きと気持ちが良い程の爽快な返事に、彼もまた顔を明るくすると小躍りしたくなるのを抑えて、代わりにたったひとこと「良かったぁ…。」と呟いた。
「とはいえ、このルーンを用いた魔王の呪いを打ち破る方法は、未だ不明なままです。…あまり期待をし過ぎないように。」
彼の期待と安堵とを、敢えて姫君は王族然とした冷たい声で窘める。が、彼はそうやって敢えて嫌われる振りをしている姫君に心の中で(なあんだ、結局この人も師匠やホープと同じじゃん。)と笑うと、少々馴れ馴れしささえ感じる距離で問い掛けた。
「……でも、研究はしてるんですよね?」
「そりゃあ勿論!私のみならず王宮魔法使いに民間の魔法団体、お兄様が婿養子に入られた隣国にも協力を求めていますとも!」
そこまで告げたところで姫君は慌てて口を噤むも、もうあとの祭りだった。彼はその様子にまたしても小さく笑うと、心の中で(……姫様、ホープそっくりだな。)と呟いた。そして姫君の手の中のぼんやりと光を放つルーンを指先でつついてから、腰に下げた剣に触れると真っ直ぐに彼女を見据えた。
「――――なら、信じて待ちます。信じて待ちながら、おれはおれにしか出来ないことを成します。それがきっと、『勇者』ですよね?」
姫君はそう言っていつになく真剣な、勇者然とした表情を浮かべる彼に「まあ、勇者の卵が生意気ですね?」とわざとおどけてみせてから目を細めると、懐から取り出した小瓶の中にルーンを詰めた。そして瓶詰めにされたルーンをしまうと、今度は自身の使い魔の脚に着けている魔法石とまったく同じ石から掘り出された、更に上等な魔法石――ホープの持つ羽のように、光の角度によって変化する色を持つ極彩色の魔法石から作られたフープピアスを取り出すと「差し上げます。」と言って彼の手の中に無理やり押し込んだ。ピアスなんて開いていないんですけど、と彼が文句を言うよりも先に「お開けなさいな。これは王家としての命令ですよ?」と姫君は続けておどけてみせてから小さく笑うと、肩の鳩に起きるよう呼び掛けた。すると彼の時とは一転、素直に言うことを聞いて背伸びした鳩の足首に付けられた同じ色の宝石を指さしながら、姫君は口を開いた。
「私はこの魔法石を介して『会話』という魔法を使うことが出来ます。遠く離れた場所にいる人に声を届け、会話をすることが出来る魔法です。今後、何か進展がありましたらあなたにも共有しますので、そのおつもりで。」
「……雑談、アリですか?」
「時と場合と内容によりますね。」
姫君はそう言って笑いながら肩の鳩を腕へと誘導する。それからランプ草の種から抽出したペレットを1粒、ご褒美代わりに与えると腕を大きく振りかぶって庭園の中に解き放った。鳩は収穫出来そうなルーンがないかと庭園を飛び回りながら、その真白の羽根をひとつ、ふたつと落とす。彼はその光景を見ながらピアスを開けるのは痛そうだなあと眉を顰めてから、まあ、決意の現れにはちょうどいいかと手の中のピアスを胸ポケットに入れると苦笑しながら、さて、誰に開けて貰おうかと空を仰いだ。




