40_6代目の勇者の話(後編)
少女の語る勇者の話に、エルは勝手に作ったマグカップの中のココアを静かに傾ける。少女が語る6代目の勇者の話の最中、意外にも彼女は静かだった。ただただ静かにかつての彼と少女の間に漂う優しい匂いや時間を思い出しては、時折昔を懐かしむように目を細めるのみだった。そうしてエルは静かに遠い過去に思いを馳せた後、少女が最後の糸を始末し終えた瞬間にものの30分もかからずに作り上げられた防寒具の類を見遣ると「また腕を上げたね。」と満足そうに微笑むと懐から財布を取り出した。そしてテーブルの上に金貨と銀貨をそれぞれ10数枚ずつ重ねて置くと、彼に折角だからその作りたてホヤホヤのコートを着て店を出ようと提案した。彼は相場の5倍どころか10倍は優にあるテーブルの上に置かれた代金に目を丸くしつつ、言われるがままに頷く。少女はテーブルの上の代金を目にしたからか、それとも違う存在といえどもかつて自身が愛した男のためにまた衣服を仕立てることが出来たからか、ニコニコとしながら「ええ、ええ。外は寒いですし、ぜひ!」とコートを彼に手渡した。彼は今の自分ではないとはいえ、かつての自分はこの少女と夫婦の関係だったんだよな…と、現在の彼の身長の半分ほどしかない少女――外見年齢で言えば8歳か9歳か、もしくはそれ以外にも見える少女を見下ろしながら(なんだか複雑というか、犯罪を犯している気分だな…。)と考えつつ、コートを受け取った。
エルはその光景を視界に収めてから「先に外で待ってるから。」と言い残すと、彼が静止するよりも先に店を出ていってしまった。彼はかつての自分が愛した少女といえども、ほぼ初対面の彼女と2人きりにされる気まずさからエルに「待ってよ、」と声を掛けようとした。が、現実というものはなんとも無情で、彼は無慈悲に小さな物音を立てながら閉められた店の扉にガックリと項垂れる、もとい何を話せば良いのかと頭を抱えた。が、頭を抱えた先、低い位置からこちらを見上げてはキラキラと目を輝かせる少女に気が付くと、彼は咄嗟に愛想笑いを浮かべた。
「気に食わないところがあったら、遠慮なく仰ってくださいね。チャチャッと直してしまいますから!」
「……ああ、うん。ありがとう…。」
けれど彼は少女の笑顔が、自分の思うもの――昔愛した男に向ける、熱や欲に塗れたようなものではなく、仕立てたばかりの衣服を客が気に入ってくれるかどうかを楽しみにしている純粋かつ職人らしい笑顔であることに気が付くと、結局この空間でそんなことを気にしては悶々としていたのは自分だけかと静かにため息をついた。それからエルといいこの少女といい、規格外の長生きをしている人たちの気持ちや考えることはよく分からないなと苦笑した。苦笑してから彼は仕立てたばかりの深い緑色のコートに、求められるがままに袖を通した。そして相変わらず素材やファッションのことは彼には分からないものの、袖を通した瞬間身体にぴたりと吸い付くような感覚と、軽く羽織っただけだというのに身体の熱を逃がさまいとするどころかぐんと上がる体温に、目を瞬かせた。
素材がウールであろうことは、手触りからすぐに理解出来た。牧童である彼は乳製品用にヤギを、そして織物用に羊の面倒を見ていたために、すぐにピンと来たのだった。その上、いくら故郷の村が雪の降らない温帯に位置するとはいえ夏ほど農作業が忙しくない冬は、彼はよく暇潰しに母親の紡績や織物の仕事を手伝っていた。母親は決まって「無理して手伝わなくてもいいのに。」と言って笑っていたが、彼は織物を作る母親の姿を見るのが好きだったし、何よりも優しい子ねと言って笑ってくれる母親の顔を見るのが嬉しかったのだ。性別の異なる幼馴染は決まって「母離れ出来てないんだから!」と揶揄ってきたが、彼はその度に地味な色合いの髪を痛くない程度に引っ張っては牽制するのがお決まりだった。――要するに、彼はその懐かしい手触りに故郷での冬の景色を不意に思い出して、少しホームシックになった。それから、母親が作る織物――それだってそう悪くはない――よりもずっとずっと上等な仕立てのコートに驚くと、少女に向かってゆるゆると首を振った。文句のつけようがない、正しく『魔法の仕立て屋』という看板に相応しい出来のコートに微笑んだ。
「大丈夫。変なところとか、気に食わないところなんてないよ。――君、凄いんだね。」
「本当ですか?!なら良かったです!」
彼がそう褒めるだけで、少女は背中の極彩色の羽をぴるぴると震わせながら表情を明るくした。それから嬉しさのあまりだらしくなく緩む頬がこれ以上落ちないようにと両手を宛てがうと、甘い顔ではにかんだ。それを見た小人たちは「大成功だ!」「やったやった!今度の勇者も気に入ってくれた!!」「やっぱりボクたち凄いんだよ!」「ひょっとして天才かも?!」と作業台の上で小躍りする。彼はそれを見ながら、この小人たちのした仕事といえばボタンをひとつ着けたくらいで、それ以外はこの店の主人である少女がやっていたような…?と首を傾げるも、経験上それを口にすると非常に面倒なことになるのは目に見えていたから、敢えて黙った。代わりに同意を求めてくる幾つもの眼に対して無言で頷いて見せた。
少女は彼目線では大した仕事をしていない小人たちに「みんなのおかげよ、ありがとう!」と声を掛けると、紙袋にエルに頼まれ同時に仕立てたマフラーと手袋、それから「こんなにいただいてしまいましたから。」とテーブルの上の金貨と銀貨を見つつ、店売りの靴下を幾つか入れた。それからこれまたエルの注文通り、同時に仕立てた新しい旅装束――コートよりかは鮮やかな緑色と青色のシャツを1枚ずつと、汚れの目立ちにくい茶色のズボンを2着入れると、「どうぞ。」と小首を傾げながら彼に手渡した。彼は礼を口にしながら大きな紙袋を受け取ると、(一度にこれほどの洋服を仕立てられるのだから、本当に魔法と言うよりかは『奇跡』だよなあ…。)と感心しつつ、仕立て屋を後にしようとした。
「お待ちください、勇者様。」
ドアノブに手を掛けた彼を、少女が鈴のような高い声で静止する。彼はまさかエルの置いた料金が足らなかったのだろうかと慌てるも、少女に「いいえ、そういうわけではなくて…。」と眉を下げられると、ならば一体どういうことかと首を傾げた。少女は作業台に手にしていた道具を置いてからその小さな歩幅で彼に駆け寄ると、彼の紙袋を持っていない方の空っぽの手――左手をそうっと握ると、上目で彼を見上げた。そして瞳を揺らしながら暫しこの言葉を言うべきか言わないべきか逡巡した後、思い切って口を開くと少女なりの精一杯の力を込めて彼の手を握り締めた。
「エーデルガルト様の友人として、 わたし同様エーデルガルト様のことを好いていらっしゃる勇者様に、こんなことをお願いするのは間違っていると分かっています。ひどいことをお願いしようとしている自覚はあります。――でも、それでも。あの方の友人として、あの方の苦しみや悲しみを何千年も見守ってきたわたしだからこそ、勇者様にお願いしたいことがあるのです。」
真剣な顔でそう告げる少女に、彼は思わずごくりと息を飲む。それから床に紙袋を床に置き、片膝をつくと少女と目線を合わせた。すると少女はそうやって同じ目線で話を聞こうとしてくれる彼の姿勢にびっくりしたようにその大きな瞳を瞬かせた後、「…ずるいなあ…。」と眉を下げた。それから今にも泣き出しそうな顔をすると「あなたはいつも『あなた』じゃなくなっても、膝を折ってわたしと同じ目線で話を聞いてくださるんですね。……もう。ほんとうに、ずるい人…。」と呟いた。呟いた後に、その濃い藍色の瞳から1粒零れ落ちた涙に、彼はエルが何度も自分以外の『勇者』を連れてこの店を訪れていること、少女がその度に愛しい人の面影に密かに涙しながら服を仕立てていることを何となく悟った。そして自分が少女の愛した『あなた』ではないことを謝るべきか、それとも慰めるべきか心底迷った。迷ったものの、こうしているうちにも優しい笑みを浮かべながらポロポロと涙を零す少女に、彼はとうとう我慢出来ずに懐から使い古したハンカチを取り出すと少しだけ乱暴にその目元に押し付けた。
――これが最適解だったのかどうかなんて、分からない。分からないけれど、びっくりしたように目を見開いた少女は「……ごめんなさい。それから、ありがとうございます。」と小さな声で囁くと、大人しくされるがままに涙を拭われた。それから、少女はあまりにも愛した勇者と同じ行動を取った彼を見て我慢出来ずに泣いてしまった弱い自分と、それに感化されたのか今にも泣き出しそうな顔をしながらも乱暴にゴシゴシと涙を拭ってくれる彼とを 「……ふふ。でも、『あなた』はここまで乱暴じゃありませんでした。」と、軽い口調で揶揄った。その言葉は思わず泣いてしまった少女自身に向けた「魂は同じだけれど彼は別人だ」という残酷な真実であると共に、どことなく罪悪感を抱える彼を救う言葉でもあった。少女はそう言ってまだ涙の残る目で無理やりはにかんだ後、手渡されたハンカチごと彼の手を今度は両手でしっかりと包み込むと、一呼吸置いて涙を引っ込める。それから、真剣な眼差しで彼を見つめると言い放った。
「――お願いです、勇者様。今度こそ魔王を封印するのではなく、打ち倒してください。そしてどうか、あの方を死なせてあげてください。もう、眠らせてあげてください。終わらない悪夢を、終わらせてあげてください。」
「――――――――。」
少女の放った言葉に、彼は言葉を失った。喉からはヒュウヒュウと、冬に室内に吹き込む隙間風のような音が盛れるのを聞いた。それから、次いでつい昨晩自覚したばかりの恋心が砕け散る音を聞いた。
(………そうだ。師匠は――。)
彼はごくりと息を飲むと、思考を巡らせる。やけに冷えた思考とは反対に、嫌な汗が背中を伝う。
――そうだ。何をひとりで舞い上がっていたんだろう。あの人の隣に立てるようになろうだなんて、馬鹿げたことを言っていたのだろう。この旅路の目的は、今度こそ魔王を倒すことだ。だが、それ以上に他の誰でもない、魔王の呪いによって死にきれないエーデルガルトという人間を死なせるための旅路でもある。彼は少女にエルの死を願われたその瞬間に、どうしてそんな大切なことを忘れていたのだろうかと背筋を粟立たせると共に、自分の能天気さ加減にほとほと呆れると吐き気さえ覚えた。加えて若者らしい感情に浮かれてはエルの考える理想、もとい本当の願いなど少しも考えていなかった自分の愚かさに心底嫌気がさした。それから、この少女は勇者のことだけでなくそれを導くエルのことを本当に心の底から想っているのだとまざまざと見せつけられると、自分が昨晩自覚した恋心というものがいかに欲に塗れた自分勝手かつ浅いものかを突きつけられた気がして、何も言えなかった。
「…………ごめんなさい。勇者様に、残酷なことをお願いしている自覚はあるんです。でも、もし勇者様もわたしと同じようにエーデルガルト様のことを好きだと、大切な人だと思ってくださっているのならば。どうかわたしの願いを叶えては貰えませんか?」
少女は小さな両手で握り締めている彼の両手を額に宛てがうと、まるで神にでも祈るように固く目を瞑った。そして震える声でそう懇願した。……彼は、何も言えなかった。ただ黙って頷くのが、精一杯の返事だった。すると少女はまたしても目にうっすらと涙を浮かべては何度も何度も彼へ「ありがとうございます…!」とその美しい羽を震わせながら礼を述べるものだから、彼は良いとも言えない自分の弱さに心底腹が立つと同時に、嫌だとも言えない覚悟の足りたい愛に心底吐き気がした。
彼は今までに味わったことのない感情を隠して、曖昧に微笑む。それは昨晩王太子に対して抱いた嫉妬心でもなければ自分以上にエルのことを真剣に考えている少女に対する羨望でもなく、もっとぐちゃぐちゃでドロドロとした感情――恋なんて綺麗な感情でもなければ愛なんて美しい感情でもなく、ただただ身勝手で自分勝手な思考とそれを基づく狂おしい程の『どうして』が胸の奥から吹き出すのを感じた。いっそうのこと魔王討伐の旅をやめてどこかにふたりで逃げてしまおうかとか、少女の願いを聞かなかったことにしてしまうだとか、臆病風に吹かれた思考で頭の中がいっぱいになった。それでもなんとか子供のように地団駄を踏まずに思いとどまることが出来たのは、目の前の少女の迷いに揺れる瞳があったからだった。
――叶えて欲しいと言うくせに、少女の目は揺れていた。目は口ほどに物を言うとはこのことだろう。それを口にしてしまった後悔に瞳が、小さな身体が、まるで寒空の下に放り出された子供のように震えていた。彼はそんな少女の様子に、その願いは心からの本心ではないのだと悟るとぎりりと奥歯を噛んだ。そして今度は長年の友人にそう言わせてしまうエルの態度――自分を物としか考えていない、あの飄々とした態度にどうにも泣きたくなってくると、少女と手を繋いだまま腕のあたりで乱暴に自分の目元を拭った。そして今度は彼から少女を真っ直ぐに見つめ返すと、口を開いた。
「……魔王は倒すよ。でも、師匠のことは死なせない。」
「…………そんなこと、可能なんですか…?」
少女が彼を見つめる。彼はその瞳を真っ直ぐに見つめ返しながら、首を横に振った。
「分からない。おれ、魔法使えないし。――でも、君だって本当は師匠に『楽になって欲しい』んじゃなくて、『幸せになって欲しい』んだろ?……なら、最後の最後まで希望は捨てちゃいけないと思わない?」
それは、希望的観測と言うには詰めの甘すぎる言葉だった。なんの確証もなければ手立てもない、ただただ『こうだったらいいな』を声に出しただけの言葉だった。その言葉通り、魔法の使えない彼にはエルがどんな種類の呪いにかかっているかなんて聞いたところで理解出来ないだろう。けれど、故郷の幼馴染――自分とは異なる性別の彼女がいつも口にしていた言葉を、彼は思い出す。『叶えたいことは積極的に口に出さなくちゃ!』そう言って両手を広げて夢見がちな言葉を口にしていた幼馴染を、かつての自分は笑ったけれど、今は心の底から尊敬していた。そうやって素直に自分のしたいことを口に出せる彼女を、心底羨ましいと思った。
だからこそ彼は幼馴染に倣い、そう口にした。確証も手立ても何も無い、希望的観測以下の願望だけれど、確かに口に出した瞬間に、胸の奥で渦巻いていたモヤモヤは静かに元いた場所に帰って行った。代わりに彼がその言葉を口にした瞬間、今度は少女はその大きな瞳が零れ落ちそうなほどに目を見開いた。それからふっと笑うと、繋いだ手を再び額に宛てがった。そしてぽつり、目を伏せながら呟いた。
「………………ああ。本当に、ほんとうに――あなたは、変わらないんですね…。」
何をもって『変わらない』と口にしたのかを、彼は知らない。けれど少女の知る勇者もきっと同じようなことを口にしていたのだろうとなんとなく察すると、彼はなんだかおかしくなって笑ってしまった。すると少女も釣られて笑った。その顔は、瞳は、もう震えていなかった。彼はそれに気がつくとああ、良かったと心の底から思った。それはかつての自分がこの少女のことを愛していたからではなく、単に弱々しいながらも友人のことを想って行動出来るひとりの少女の顔に笑顔が戻ったことに対する安堵だった。
それを感じ取ったのか、少女もまた安堵した表情で彼を見つめる。そして相変わらず手は握ったまま――けれど、ほんの少しだけ力を緩めて。代わりにいつかの彼が惚れたであろう無垢な笑顔を浮かべると、恭しく頭を下げた。
「では、改めてお願いさせてください、勇者様。」
そう告げると、少女はその藍色の目を三日月のようにすうっと細めてから口を開く。「――どうか、あの方に『未来』を。新しい明日を。……一緒に、迎えに行ってあげてください。」続けられた言葉に彼は、今度は力強く頷いた。
「うん、約束するよ。君のためでもなく、師匠のためでもなく、おれのために。約束だ。」
「では、わたしもエーデルガルト様のためではなく、わたし自身のために。」
エルの抱える苦しみや悲しみを知った上で、少女は彼の言葉を真似てそう言った。苦しみや悲しみを抱えたまま死ぬのではなく、何もかもを知った上で『それでも生きて欲しい』と、少女は願った。かつて少女が誰かのために生き、そして今は自分のために生きているように、今度は友人にもそうであって欲しいと、願いを口にした。それはなんとも自分勝手で我儘で、けれどこの上なく愛に満ちた自己の押し付けだった。横暴さだった。まさしく、誰かのために今日も明日も服を仕立てる、少女らしい控えめな傲慢さだった。
――希望だ、と。ふと、彼はそんなことを呟いた。すると少女は今日1番目を大きく見開いてから、愛おしげに彼を見つめると「ええ、はい。わたしは、希望です。人々に幸せと希望を振りまく、妖精です。」と、嬉しそうに囁いた。そうしてかつての彼が何度も口にした名前と共にその極彩色の羽を震わせると、繋いだ手をゆっくりと離した。そして今度はその小さな両手で彼の頬をそうっと包み込むと、歌うように囁いた。「あなたが、新しいお弟子さんで良かった。」心からの微笑みと共に今日まで仕立てにのみ使われてきた『奇跡』を、祝福にして彼に手渡した。
「――――――どうか。あなた方の旅路に、多くの希望がありますように――。」




