39_6代目の勇者の話(中編)
――思い返せば、いいことなんてひとつもない生涯だった。
普通の妖精は、真綿を丸めたようなフワフワとした発光体で1日の大半を過ごす。それは妖精にとっては人間が呼吸をし、食事を摂り、睡眠を取るのと同じくらい当たり前でなんの技術も必要としない、言わば生存本能だった。だというのに、わたしはいつまでたっても下手くそなままの出来損ないで。遂には唯一庇ってくれていた両親直々に、村を出ていってはくれないかと言われてしまった。すまないと頭を下げては泣く両親とは反対に、わたしはどこか遠くからその光景を見ていた。
心のどこかで仕方がないよなあ、なんて思っていた。物心ついた時から魔法もろくに使えなくて、かといって家事炊事が出来るわけでもなければ、人間の手伝いが出来るわけでもない。おまけに特別美人なわけでも可愛いわけでもない自分という存在は、客観的に見て『どうしようもないやつ』である自覚は、充分にあった。だからそんなわたしが最後に両親にしてやれる親孝行なんて、自分からこの村を去って口減らしをすることで。とはいえ魔王という世にも恐ろしい存在が世界を脅かしている今、世界から隔離されている、いわば隠れ里である妖精の村を単身飛び出せばどうなるか、なんて生まれたばかりの妖精とも元素とも区別がつかない幼体でも理解出来ることで。とはいえ、わたしにはそれ以外の選択肢なんてものはなかった。だって何をやらせても失敗ばかり、魔法だってろくたら使えない存在を生かしておく理由なんて、今でこそおかしいと声を上げるのには勇気がいることだった。つまりは、当時は今以上のプレッシャーがあったわけで。
だからわたしはせめて最後くらいは笑顔で、と両親に手を振ると、強がって何も持たずに村を出た。ああ、これでおしまいかあ、短い生涯だったなあと曇る心とは反対に、とてもとても良い日だった。雲ひとつない快晴、風は北北西斜め45度、非常に穏やか。気温は寒くもなく暑くもなく昼寝をするのにちょうど良い、夢のような春の日だった。
――生まれて初めて踏み出した外の世界は、これから死ぬのが惜しくなるくらいに綺麗だった。
陽光を反射して煌めく湖面、ぱちゃりと跳ねる魚と水浴びをする鳥たち。遠くに見える美しいレンガの家々と、ゆるゆると吹く風に揺れる花。ふわり、風が吹くたびに舞う鱗粉は、蜜を求めてやってきた蝶やハチとダンスをしているみたいで。わたしは思わず呼吸も忘れて手を伸ばすと、そうっと指先でその真白の羽を撫でた。まるで布の端で擽られているようなこそばゆいくせにやけに心地よい感覚に、目を細める。それからブンブンと羽音を立てながら近寄ってきたハチに向けて反対の手を差し出すと、小さな身体のそれは人差し指の先にぴたりととまった。それから尻と羽とを小刻みに揺らすと、まるで「ちょっと休憩」とでも言いたげな様子で毛繕いを始めた。ほんのりくすんだ黄色と茶色のコントラストが愛らしいその子が休み始めたのを見たのか、鮮やかな白と黒の斑点の模様の蝶も同じようにわたしの指先にとまると長い触覚を右に左に動かしては、食べ物ではないことにほんの少しだけガッカリした様子で頭を項垂れる。それから人が悔し紛れにそうするように、頭を振っては対岸の隣人同様毛繕いを始めた。
わたしはなんて愛らしいのだろう、と頬を緩める。綺麗な花と湖と、美しい蝶も可愛らしいハチ。これだけで外に出た甲斐があった、と満足気に頷いた。そしてわたしは実際、満足だった。こんなに美しいものを目に出来たのだから思い残すことなんてもう何もない、と心の底から思っていた。
けれど、命が危険に晒されると生存本能が顔を覗かせるのは、人間も魔物も妖精もみんな同じで。慌てて飛び立っていったハチと蝶に首を傾げる間もなく、花畑に投げ出していた脚がパキパキと音を立てながら凍りついていく様を知覚して。次いで、こちらを見下ろしながらニヤニヤと笑うサイクロプスと目が合った瞬間に、わたしはどうしようもないくらいに『生きたい』と強く願ってしまった。けれど生まれて初めて目にする魔物、それもどう見ても適うわけもなければ逃げ出すことも出来ない状況に、身体が震えた。息が詰まった。無駄な抵抗と知りながらも叫びたいのに、見下ろされるプレッシャーに喉が押し潰されて上手く声が出てこない。羽根の欠けた風車のような、よく分からない音が喉の奥から時折漏れ出しては相手を喜ばせるだけだった。
――思い返せば、いいことなんてひとつもない生涯だった。
外に出ればみんなに出来損ないと馬鹿にされ、家の中では両親に恐縮して。いっそうのこと、両親もみんなみたいにわたしを馬鹿にして必要としてくれなければこの世に未練も生きたいって気持ちも、何も残さずに逝けただろうに。なのに、どうして両親はいつもごめんねと謝っていたのだろうか。外に行くと決めたわたしに、これから死にに行くと決めたわたしに、「せめてこれくらいは持って行って」と瓶いっぱいの花の蜜を持たせたのだろう。こんなものこれから死ぬ生き物が食べたって仕方がないのに、どうして無理やりポケットにねじ込んできたのだろう。「どうか元気でね」とわたしよりも泣きそうな顔で笑ったのだろう。
――そんなことばかりが頭の中をちらついて仕方がないから、わたしはわたしの生涯を『なんにもない、ろくなものじゃなかった』だなんて嘘をつけなくなる。本当はしあわせで、あたたかくて、手放し難かった毎日だったと認めることしか出来なくなる。
そして、そうやって下手に希望なんて持たせるから、迫り来る鋭い爪の生えた大きな手を前にわたしは声を上げてしまう。カスカスの、燃えカスのような声を精一杯に絞って「……誰か…!」と叫んだ。震える声で、不格好に、生まれて初めて、他人に助けを求めた。
「……頭、下げて――!」
眼前にサイクロプスの鋭い爪先が迫って来て、この世界には神様なんて居なかったんだと嘆きそうになったその時。風が運んで来た声に、わたしはもうどうにでもなれと命運を託した。言われた通りに頭を下げて、でもそれだけじゃ少し心配だったから、両腕で頭を庇った。次いで不安だったから目を瞑った。けれど耳までは上手く塞げなかった。そのせいか身体は無意識に聴覚に全てを託すものだから、誰かが花畑を荒らした音だけが妙に鼓膜の奥に張り付いた。バクバクとうるさい心臓とは反対に、冷静に(花畑、踏まれちゃった…。)なんて考える自分はどうしようもなく滑稽で、思わず笑いが込み上げてきた。けれど笑い声が喉を通って唇から漏れ出すより先に鈍いような鋭いような、なんともいえない金属と金属が擦れる音がするとわたしは口を噤んだ。それから、わたしなんかのためにあんなに強そうな魔物に立ち向かってくれた人への好奇心が恐怖に打ち勝って、恐る恐る目を開けると上目で様子を伺った。
「…………ぁ……。」
――視界に飛び込んできたのは、薄汚れている上に解れている生成りのシャツ。それと、その上から重ね着している鎖帷子。それから少し錆び付いたそれの茶色と、風と勢いに任せて揺れる鞘。背中越しにちらりと映った使い込まれた風の左手の盾に、わたしは息を呑んだ。
(……剣士様、だ…。)
強いのか弱いのかは、よく分からなかった。わかるはずもなかった。ただ、綺麗な青空によく映える亜麻色の髪をした彼は、たった一太刀でサイクロプスのごつごつとした腕を切り落としてしまった。次いでサイクロプスが片腕が無くなったことに動揺しているうちに、素早く胸のあたりに剣先をさくりと。まるでケーキが焼けたかどうか串を刺して確認するかのように、あっさりと胸に刺したかと思えば直ぐに引き抜いては今度は首元――気道のあたりを軽く剣で撫でては呼吸を奪った剣士様に、わたしの呼吸まで止まってしまいそうだった。なにしろその迫力とあたりに飛び散る血と眼前で繰り広げられている命の応酬とは、どうであれこれまで平和に暮らしていたわたしとは無縁のもので。わたしはなんとも馬鹿なことに、サイクロプスというわかりやすい脅威が去ってから剣士様が良い人ではなかったら――具体的には人攫いや盗賊、あるいは奴隷商人の類の人間だったらどうしようも、今度は違う意味で身体を震わせた。
けれど剣士様は軽く剣を振って得物に付着した血を飛ばしてから背中の鞘に納めた後、くるりとわたしの方を向くと縮こまるわたしと凍り付いている足元、それになにより踏み荒らされた花畑とを見遣ると先程までの雄々しく勇敢で、素人目から見ても只者ではないことが見て取れる風格から一転、明らかに慌てるとその場にしゃがみ込んだ。そしてわたしに手を差し伸べたかと思えば先に足元の氷を溶かした方がいいだろうかと悩んでみせたり、かと思えばぐちゃぐちゃに踏み潰されてしまった花を目にしては申し訳ないと頭を下げてみたりと、本当に見ず知らずのわたしを助けてくれた人と同一人物なのかと疑ってしまうくらいに狼狽えた。
こちらがぽかんとしてしまうくらいに動揺しているその人は、結局何も出来ずにどうしようどうしようと頭を抱えるばかりで。演技の可能性はあるものの、どうやら見た感じそう悪い人ではないみたいだから、いっそうのことわたしの方から声を掛けてみようかと精一杯の勇気を振り絞り始めたところで、淡い銀と紫とが混じった髪の女の子が「急に走り出したかと思えば…。いい加減にしろ。」と言いながら剣士様の頭を杖の頭で叩いた。わたしはそのあまりにも良い音に、思わず目に涙を浮かべる剣士様が心配になるとなんとか動く上半身と手を伸ばした。
「……あの。大丈夫、ですか…?」
「――へえ。人型の妖精なんて珍しいね。サーカスに売ろうかな、いい金になるぞ?」
「ひ、ヒィッ!?」
「…………師匠。笑えない冗談は辞めてくださいね。ほら、この子、怯えてますよ。」
とても冗談には聞こえない言葉を口にする女の子に、わたしは震えた。サーカスがどういうものなのか詳細は知らないもののうっかり捕らえられてしまった妖精が日夜休みなく働かされているだとか、食事は1日にポップコーン3粒だとか、とにかく酷い場所であることはなんとなく風の噂で知っていたからだった。剣士様はすっかり怯えたわたしを前に、素知らぬ振りをする女の子を一瞥してから「ええと…、」と口篭ると先程まで剣を握っていたその右手を、わたしに差し出した。わたしはどうすれば良いのか…もとい、サーカスに売られるという話は本当なのか嘘なのか、不信感のこもった瞳で若い男女の2人組を見つめた。
すると剣士様は「ほら、師匠が余計なこと言うから!」と唇を尖らせて文句を口にする。それから剣士様は一度手を引っ込めると、自身のズボン――土埃と赤黒いような茶色のような、錆びのようなものが付着した箇所を避けて手を拭ってから、再度わたしに手を差し伸べた。わたしはその手のひらと剣士様との顔を交互に見遣る。不信感と心配と不安と、一抹の希望と。それらが混じりあって、どうすれば良いのか分からないわたしに、剣士様は微笑んだ。
「大丈夫。サーカスに売ったりなんてしないからさ。……家、どこ?送っていくよ。」
「格好つける前に氷を溶かしてやれ。」
「うるさいなあ、分かってますよ!!」
まるで本の中のようなやり取りをする剣士様と女の子に、わたしは思わず笑ってしまう。口元を緩めて、ヒュウヒュウと声のような空気のようなものを漏らしていただけだった喉から小さな笑い声を零す。それから、とっくに終わっていたと思っていた命がまだ続いていることがなんだか妙におかしくて、それから嬉しくて。両親が無理やりポケットにねじ込んできた花の蜜に、ああ、意味はあったのだと心の底から感謝すると、ポロポロと涙を零しながら生まれて初めてお腹を抱えて笑った。
「――――ありがとうございます、剣士様。」
わたしは一頻り笑った後、指先で目元を拭ってから差し出された手を取った。
――これがわたしと勇者様の、出会いだった。
――――――――
帰る家のないわたしは暫くの間剣士様改め勇者様と、女の子改めてエーデルガルト様と行動を共にした。エーデルガルト様は少し意地悪だったけれど、最後にはわたしの頭を優しく撫でてくれる人だった。そして勇者様はといえばひとたび剣を握ればどんな魔物も悪人も怯ませ、あっという間に参ったと言わせてしまうほどの凄い人なのに、それ以外の時は妙にぽわっとした人だった。どこか抜けているというか、浮世離れしているというか…とにかく、少し変わった人だった。魔物とはいえ命を奪ってしまったから、と言っては行く先々で花の種を撒くような、ほんの少しロマンチストで。なのにそれが嫌味じゃなくて、ごく自然で。――要するに、とても優しくて魅力的な人だった。一緒に居るだけで春の木漏れ日の下で昼寝をしているような安心感と、知らない本を読んでいる時のようなドキドキとワクワクとが詰まったような人だった。
とはいえ、一緒に行動したのはほんの1ヶ月にも満たない、極めて短い時間だった。というのも、こんなわたしにも出来ることが見つかったからだった。それは行く宛てのないわたしの世話をしてくれているおふたりにせめてものお礼にと、解れたり破れたりしている服の修繕を請け負ったことから始まった。どうせいつものように却ってズタズタにしてしまうことは目に見えていたけれど、それでも耐えられないくらいにみすぼらしい服を着ているおふたりに、わたしはもしかしたらボロボロになるかもしれない可能性を含めた上で、修繕をさせてくれないかと頼み込んだ。エーデルガルト様は「ならこき使ってやろうじゃないか。」とニヤニヤしながらわたしを見下ろす。反対に、勇者様はエーデルガルト様の口に硬くなったパンを詰め込みながら「ありがとう。」と微笑んでくださった。そしてわたしに「ボロボロにしてもいいよ。というか、もうボロボロだしね。」と苦笑しながら雑に縫い合わせた跡のあるシャツを何枚か手渡してくれた。
わたしは頭を下げてお礼を口にしてから宿屋のテーブルの上にシャツを広げると、母親がしていた手仕事を思い出しながらおふたりの旅の荷物の中に紛れていた簡単な裁縫道具を取り出す。――どうせ出来損ないなのだからやっても無駄だと不貞腐れては、一緒に裁縫をやらないかと誘ってくれた母親に冷たくしてしまった後悔を胸に抱きつつ、わたしは裁ち鋏を手に取る。この痛み具合から察するに、まだ生きている部分を切り取っては最も損傷の少ない1枚に縫い合わせて補強するのがいちばん良い方法かと考えると、わたしは一般家庭ならばとっくに雑巾にされているであろうシャツを1枚、手に取った。そしてまずは駄目な箇所に鋏を入れて大きく1枚にしてしまおうかと考えたところで、考えるよりも先に手が動いていることに気がついた。そして、何ならまずは良い部分だけを切り取るつもりが、気が付けばそんな過程をすっ飛ばして新品同様のシャツが1枚、目の前にあることに気が付くとわたしは思わず宿屋の椅子から転げ落ちた。
「……へ?な、なんで…?」
何度目を擦って確かめても、そこに鎮座しているのは新品同様のシャツで。わたしは自分で自分が信じられなくなると、まさかおふたりのお役に立ちたいと思うばかりに無意識に盗みでもしてしまったかと頭を抱えた。そしてあーだのうーだの唸っては盗みなんて最低な行為を働いてしまった自分をどう罰すれば良いか頭を悩ませた。
こうなればもうサーカスに売り飛ばされるしかないのでは、と腹を括ったところで同じ部屋で昼寝をしていたエーデルガルト様が「なに?うるさいんだけど…。」と欠伸と共に目を擦りながら起きてきた。そしてテーブルの上に置かれたシャツを見るなり、目を瞬かせた。わたしは自分が盗みをした(かもしれない)という事実を第三者、それもどうにも何を考えているのか分からないエーデルガルト様に目撃されてしまった、ショックで再び声を失う。こうなればヤケだ、ときちんと身体で働いて返すことを誓おうと土下座をしかけたところで、エーデルガルト様はまるであの日のわたしのように腹を抱えて笑った。それから「いやあ、これは傑作だな?」とニヤニヤすると、窓を開けて主人の手伝いと称して鍛錬を兼ねた薪割りをしていた勇者様に声を掛けた。
「おーい、我が弟子!羽虫が魔法を使ったぞ、見に来い!」
「え、魔法?!…使えるようになったの!?」
「ああ、そうだ。それもとびっきりの魔法だ、早く上がってこい。」
エーデルガルト様はそう言って勇者様を呼び寄せると、床に正座したわたしの肩をぽんと叩いた。それから腕を掴んで立ち上がらせると、妙にニヤニヤした顔で見つめてくる。わたしは「……な、なんですか…?」と身体を縮こまらせながら身構える。エーデルガルト様は「いや、別に?」と頭の後ろで腕を組んでは相変わらず楽しそうに、けれどその理由を告げずに黙ってわたしを見つめる。暫く見つめてから、扉の外で階段を駆け上がってくる騒々しい音にくすくすと笑った。そして肩と喉を震わせたまま、エーデルガルト様はわたしの耳に唇を寄せると囁いた。
「キミが使ったのは魔法じゃなくて『奇跡』だよ。――いやはや、恋っていうのは凄いエネルギーを秘めてるね?」
「は?!…ぃ、いえ、わたしは別に勇者様のことなんて好きじゃ……!!」
「はは、羽虫の分際で嘘が上手いな?」
「羽虫じゃ!ありません!!」
わたしが勇者様に抱く感情――尊敬だとか、親近感だとか、安心感だとか。そんなものをひっくるめて『恋』だと言い切ったエーデルガルト様に、わたしは反論する。ただ相手のそばに居たい、役に立ちたいと願うだけの気持ちが、恋なんて未知のものであるはずがないと咄嗟に否定した。そんな素敵でしあわせなものが、わたしみたいな出来損ないの妖精に与えられるわけがないと。本気でそう思っていたからこそ、わたしは本気で否定した。
「――――魔法、使えたって本当!?!」
「あ、はい。何だかよく分からないですけど…。」
「ほら。ご覧、我が弟子。いい出来だろう?」
肩で息をしながら階段を駆け上がってきた勇者様に、エーデルガルト様はまるで自分が作ったかのように得意げに胸を張るとシャツを見せびらかした。勇者様は新品同様のシャツとわたしの顔を暫く交互に見遣った後「……良かったぁ…。」と気の抜けた表情と声とを漏らすとわたしの頭を撫でた。そして「これで手に職つけられる。人間に混じって、この社会で生きていける。……本当に良かった。これで安心してお別れ出来る。」と口にした。わたしは思いもよらない言葉に目を瞬かせると、どういうことかとエーデルガルト様に視線を向ける。するとエーデルガルト様は毛先を弄りながら「今のこの子の剣なら、魔王に届く。――師として、そう判断しただけだよ。」とわたしが少しも知らなかった、もとい知らせて貰えなかった今後の旅の予定を口にした。
わたしは今度は勇者様を見遣る。――エーデルガルト様は、遠回しにわたしが居るから魔王に挑めなかったと口にしていた。それがほんの少しどころか結構なショックで、信じがたくて、どうにか否定して欲しくて、勇者を見つめた。勇者様は困ったように頬をかいてから「……まあ、そういうことだからさ。もともと、この街に置いていこうかって話を師匠としてて…。」ともにょもにょと口ごもった。それから「でも、こんなに立派な魔法が使えるなら大丈夫、生きていけるよ!」とあの日と何ら変わりない笑顔を咲かせると、またわたしの頭を撫でた。
わたしは自分の知らないところで勝手にわたしの人生について決められそうになっていたことやついおふたりに甘えすぎていたこと、そして何よりも命の恩人に何もお返し出来ないことが悲しくて悔しくて、つい涙が零れた。勇者様のみならず、エーデルガルト様までギョッとした様子が視界の端に映ると、口からはごめんなさいだとか大丈夫ですだとか、村に居た頃からの口癖がつい突いて出た。エーデルガルト様は「何がごめんなさいだ。大丈夫だ。」と呆れたように口にしながらも、そうっとわたしの背中を撫でた。
「ごめんね。勝手に大事なこと、決めて。…でも、本当に危ないからさ。」
「わかってます…分かってます、ごめんなさい…。」
こんな出来損ないでも使える魔法があったことだとか、もっと早く魔法を使えるようになっておふたりを私のお守りから解放してあげたかったとか、ひとりになるのは寂しいだとか。ぐちゃぐちゃになった感情とは反対に、口から出る言葉は変わらなくて。もっと気が利いた言葉を口にしたいのにと思う度に息が詰まった苦しくなって、その事実にまた息が詰まって…と、堂々巡りに陥りそうな時だった。そっとわたしの肩を勇者様が掴んだと思ったら、床に膝をついて視線を合わせてくれた。それから真剣な表情と声――魔物と対峙している時と同じくらいに真剣で真面目な顔をして、少しだけ目付きを鋭くすると口を開いた。
「……ごめんなさいって言うくらいならさ。この街で俺のこと、待っててよ。」
そう告げる声は震えていた。わたしは勇者様みたいな凄い人でも声が震えることってあるんだ、なんて馬鹿なことを考えた。それから、その言葉の意味がよく分からなくて思わずその真っ直ぐな瞳を見つめ返した。勇者様は一瞬息を詰まらせてから、もう一度口を開くと言葉を付け足した。
「この街で仕事しながら、俺の無事を祈ってて欲しい。そから、魔王を倒して帰ってくるまでの間だけ…本当にほんの少しだけ、待ってても欲しい。」
「…………どうしてですか?わたし、そんなに心配ですか?頼りないですか?」
「あー…いや、それもあるけど……。」
勇者様は言葉を濁らせると、一旦口を閉じた。それからエーデルガルト様に「今から大事なこと言うから、部外者は出てって貰っていいです?」と告げるも、「却下。部外者じゃないからね。」とバッサリと両断されるとガックリと肩を落とした。わたしはわけも分からずにその光景……随分と落ち込んだ様子の勇者様と、ニヤニヤしているエーデルガルト様とを交互に見つめる。困惑しながらも勇者様へ「あの、大丈夫ですか…?」と手を伸ばす。するとその手を勢いよく取られたものだから、わたしはびっくりして肩を跳ねさせてしまった。
そんな勇者様にエーデルガルト様は下手くそと苦言を呈し、勇者様は珍しくうるさいと反抗する。わたしだけが取り残された世界の中で話についていけずに涙から一転、ぽかんとするわたしに気が付くと勇者様は咳払いをひとつしてから失敗だらけ故に傷だらけの手を、同じく傷だらけの大きくて固い手で包むと、まるでエーデルガルト様に無理やり限界まで酒を飲まされた夜のように顔を真っ赤にしながらわたしに大胆な告白と懇願をした。
「俺がキミを放っておけないから、全部終わったら結婚して欲しい。――というか、そんなのは建前でさあ!うんって言ってくれなきゃ頑張れない。魔王倒せない。むちゃくちゃ怖い!!」
「――だってさ。まあ、そういうことだから、嘘でもYESって言ってあげてよ。」
「いや、嘘は困るんですけど師匠?!」
真剣なんだか真剣じゃないんだか、いまいちよく分からない言葉にわたしは目を瞬かせる。――わたしは、なんにも出来ない出来損ないの妖精で。もちろん魔法だって今使ってみせたもの以外は使えないし、剣だって握れない。けれどこの世界に居場所があって、こんなわたしの隣を居場所にしたいと願う人――それも、まるで春の木漏れ日のような人――そのくせ真夏の夜空に輝く星のように眩しくって、遠くって、その分孤高な人が居ることだけはとてもよく分かった。
だから、わたしは夜の空の星に手を伸ばす代わりに小さく頷いた。今はまだ、伸ばしても空を切ることしかないこの手で、いつかあなたに触れられるように。そしてこんなわたしを求めてくれたあなたの愛に応えられるようにと、ほんの少しの不安と心配とを込めて頷いた。するとエーデルガルト様は、「大丈夫、心配ないよ。妖精の『奇跡』――それも恋や愛なんていう、不確かなものを具現化した『奇跡』は、よく効くんだ。」と普段通り揶揄うような言葉を口にしてから、テーブルの上のシャツを手に取った。
勇者様は急に割って入ってきたエーデルガルト様に「やっぱり無理やりにでも追い出せば良かった…。」と呟くと項垂れる。それから「今はこれで。」と優しい声で囁くと、不意にわたしの額と勇者様の額とを合わせた。わたしは額越しにじんわりと伝わる熱と至近距離で揺れる勇者様の睫毛を眺めながら、ああ、きっとこれは生まれて初めての恋と愛だともう一度だけ涙した。それから、やっぱり何もかも諦めて捨てるには惜しい世界だと小さく笑った。




