32_姫君とエーデルガルトの本音の話(前編)
大きな街ともなれば、お祭りというものはそれだけで金脈になる。つまりはこの街とて例外ではなく、収穫祭は約1週間もの期間、開催される予定らしい。すっかり空になったソーセージの盛り合わせの皿を返却しながら、店主にそう言われたエルはふむ、と思考を巡らせる。そして明くる日の朝、彼にこう言った。
「昨日聞いたんだけどさ。このお祭り、1週間やる予定だそうだよ。その間はここに滞在しようか。」
「……え、なんで?魔王討伐、急がなくていいの?」
朝の一幕。洗いたてのびしょびしょの顔をタオルで拭いながら、彼がエルに当然の疑問を口にした。エルは髪の毛までびちゃびちゃになったいる彼に苦笑しながら、荷物からヘアブラシを取り出すと髪を梳かしつつその疑問に答えた。無論、今まで何度も何度も聞かれてきた質問をまた返すおかしさを誤魔化すように苦笑すると、静かに答える。
「もちろん、急いだ方がいいのは確かだけどさ。この旅の目的は、キミがいかに土産話を作れるかってところも大切なんだよ。」
エルはそう言ってブラシを動かす。すると梳かしたはずが、何故かぐちゃぐちゃに絡んだ髪の毛にしゅんと眉を下げた。彼はその様子を見つめつつ、なんて手間のかかる大人なんだと苦笑するとそろりそろりとエルの髪へ手を伸ばした。それからエルからブラシを受け取るとなるべく切らなくて済むようにと絡まった髪の毛を解きつつ、丁寧に梳かし始めた。
エルは何も言わずとも自主的に師匠のために尽くすようになった弟子に、これは自分の教育がいいからに違いないと胸を張る。そのままうんうんと頷くも、彼に「あの。動かないで貰えます?」と申し訳なさそうに言われると流石にしゅんと項垂れた。
「キラースネークの鱗。あれ、まだ半分あるだろう?適当な店で売っぱらって、パーッと派手に使うといい。」
「……昨日、お金は大事に使えって言ってなかった?」
「それは昨日のわたしの意見。これは今日のわたしの意見だ。」
なんとまあ、昨日とは真逆の意見だろうか。しかもそれを指摘してみせても悪びれるどころかしれっとした表情と声で、さも当然のように言ってのけるエルを、彼は流石だなとさえ思った。その『流石』は両親や幼馴染の親が言う、「本当、あの人も歳をとったら言うことがコロコロ変わってダメね?」や「歳をとるとどうして図々しくなるのかしら?」という言葉を思い出したからであった。当時は分からなかったその言葉の意味を彼なりに噛み砕き、咀嚼し、そうして目の前の人物と照らし合わせた結果の『流石』だった。それから、彼はぽつりと呟く。
「……やっぱババアじゃん…。」
「聞こえてるぞ、我が弟子。」
「ごめんごめん。」
彼はそう言って軽く謝ると、エルの髪を梳かしながら尋ねる。「師匠は?遊ばないの?」「わたしは昨日のでもう充分。」エルはそう答えると、丸テーブルの上に置きっぱなしだった地図を指差しながら「今日明日明後日くらいまで、今後の旅の進路を考えるから。」と続けて口にした。彼はそう告げたエルにふうん、と声を漏らす。てっきりエルのことだから屋台の端から端まで食べ尽くすと言いかねないと思ったにも関わらず、案外真面目なことを口にする彼女に(結構“らしい“ところもあるんだな。)と心の中で呟くと、なんとか解けた髪の毛に小さくガッツポーズをした。毎日羊のブラッシングをしていた甲斐があったと頷く彼とは反対に、エルは感嘆の声を漏らすと満足気に微笑んだ。
彼はさて、次は自分の身支度だとブラシをエルに返すと替えの服に着替えようとする。いつものようにエルに背を向けて、「こっち見ないでよ!」と告げる。が、普段なら「そっちこそ。」という言葉は、今日に限って飛んで来なかった。一体どうしたのだろうと彼はちらりとエルに視線を向けるも、どうやら彼女は今日は外に出る気はないらしい。パジャマ姿のままで丸テーブルの上の地図を手に取ると、それをベッドに広げながらペンを片手にあれこれ悩んでいる様子だった。彼はお決まりのやりとりがないと少し寂しいなと感じながらも手早く着替えると、熱心に地図を見つめるエルに向かって「何か買ってこようか?」と問いかけた。
エルはその言葉に一瞬手を止めると、次いで考え込む。それからペンをクルクルと指先で回しながら「じゃあ、フルーツジュースとポテト。帰りでいいよ。その代わり、揚げたてね。」と答える。彼はそんなエルにわかったと頷くと、足取り軽やかに宿屋の一室を後にした。
「……行ったか。」
エルはベッドからのそりと起き上がると、窓からちょこんと顔を出して宿屋を後にする弟子を見送った。それから疲れたと言わんばかりに大きくため息をついたあと、指をパチンと鳴らして魔法――随分と懐いている彼だからこそ、余計な心配はさせまいと無理して自身に掛けていた『誤認』の魔法を解除すると、地図を退けてベッドの中央で大の字になった。手足を投げ出し、重いため息をつくその顔は昨日とは打って変わってその更に前日、一昨日に異なる神を根源とする魔法を使った時よりかは幾分か良くはなっているものの、まだ疲労の色が濃かった。エルは「騙すのは好きじゃないんだけどね。」と呟いてから、左腕で目元を覆う。
――無理はしていた。ただでさえ流派の異なる魔法、それもましてやこの世界のものではない神を根源とする魔法を使って、無理が身体に出ないわけがなかった。それでも昨日無理をして祭りを楽しんだのは、たった1日休んだだけでエルの魔力量の10分の1ほどは自然回復したのを感じたからだった。そしてそれは、徐々に自分が女神を由来とする人間ではなくなっていることの証左でもあったからだった。――要するに、不安だったのだ。
「…………昔は、1ヶ月は動けなかったんだけどなあ…。」
誰もいない部屋で、エルはぽつりと呟く。自然回復が早まったということは、要するにそれだけ『化け物』になっているということだった。だからエルは柄にもなく不安だった。そして早く魔王を封印するのではなく、討ち取る方法を見つけなければと焦っていた。焦ってはいたが、同時に焦ってどうにかなることでもないと分かっていた。だからそれよりも、その焦りをいかに外に出さずに済むかに全神経を使っていた。
――弟子には、弱音は言えなかった。それはまだ彼が若くて未熟だからではなくて、単にプライドの問題だった。「自分がしっかりしないでどうする」という、長く生きすぎたが故の凝り固まった強がりでもあった。そしてなりより、どれだけ代を重ねても魔王を討ち取ることの出来ない自身の不甲斐なさを呪ってのことだった。だからエルはこれ幸いにと『誤認』の魔法を浸かって彼の目を誤魔化した。エルはそんな自分を最低だとは、思わない。ただ嫌な大人になったなとは、つくづく痛感していた。
「――『キミ』が見たら、笑うのかな。それとも、軽蔑するかな。もしくは――。」
――可哀想に、くらいは言って同情してくれるのかな。
そんな言葉を吐くよりも前に、こつんこつんと窓を叩く何かの物音にエル気だるそうに起き上がると、一体何事かと窓を開けた。するとその瞬間に真っ白な鳩が大きな音を立てながら、注意する間もなく室内に侵入してきた。エルは追い出そうと壁に立て掛けていた杖を手に取るも、その真っ白な鳩の脚につけられた高価な魔法石に気が付くと今度は身体の怠さや自身の不甲斐なさとは違うため息をついた。それは面倒なことになったなとか、何を言われるのやらとか、なまじそれ予想がつくだけにとにかく見なかったことにしたかったなあ、なんて意味のため息だった。とはいえ、このまま返したら更に相手が怒るのを察知しているエルは、全身で気が重くなるのを感じながら渋々鳩の足輪に触れた。魔力探知、切っておけばよかったな、なんて思うものの、既にあとの祭りだ。
「――――先生?!やっと見つけました!ご要件はお分かりですね!?」
「……はいはい、分かってるよ。」
エルは何度目かも分からないため息をつきながら備え付けの椅子に腰かけると、鳩に着けた足輪の魔法石を介して離れた場所にいる人と言葉を交わす魔法――正真正銘、かつて王家の姫君に教えた『会話』の魔法であることを何度も確かめてはガッカリしながら頬杖をつくと「で?お説教?」と心底嫌そうに口を開いた。すると鳩、もとい魔法石を通して年若い女性の声――この国の現在の姫君にして、エルの生徒である彼女は「当たり前です!!」と耳がキンキン、もといツンとする声を響かせた。
「王都からでも観測出来ましたよ?!先生、今度は何をなさったんですか!?」
「……『あの人』の使った、空間をねじ曲げる魔法を解除した。近くの村の人が困ってたからね。」
「女神の魔法以外は使わない約束でしたよね!?」
「いやあ、そのつもりだったんだけどねえ。」
「――先生!!」
耳に残るキンキンとした声にエルは咄嗟に耳の穴に人差し指を突っ込む。普段は人前ではお淑やかで品行方正、声を荒らげることなどしない姫君の見本たる彼女がこんなにも怒っているだなんて大臣や貴族たちが知ったら口から泡を吹いて倒れるかもなあ、なんて呑気なことを考えながら、エルはやり過ごそうとする。とはいえ、耳の穴を塞いでも貫通して鼓膜に響く声にエルはどれだけの大声を出しているんだと苦笑すると、彼女の言葉を遮った。
「まあ、大丈夫だろ。1日休んだだけで10分の1くらいは回復したし。昨日も今日も、弟子やキミが心配するよりかは元気だ。」
「……それが良くないって分かって発言していますか?」
「あれ、もしかしてミスった?」
「残念ながら。」
姫君は呆れながらそう口にすると、再度「いいですか?」と口にする。
「人間はこの世界の神が授けた魔法しか使えない、それが私たち人間の絶対的なルールです。制約です。でも、先生は魔王の呪いを介して、『外の世界』の魔法を使うことが出来てしまう。そしてその反動は、代を重ねるごとに小さくなっている。……意味、分かりますよね?」
「ああ。名実共に『化け物』ってわけだ。討伐対象になっちゃうね?」
「――ふざけないでください!」
姫君の声が、空気を震わせる。エルは怒りを露わにする彼女を若いな、と思う。彼にしろ姫君にしろ、誰かのために怒れるのはそれだけ若くて純粋な証拠だね、と密かに笑った。
「……どうして。どうして、あなただけがいつも苦しい思いをしているんですか…?」
エルは語気の強い言葉の後に続いた弱々しい声に、流石に笑うのをやめた。次いで表情を消した。それから、どう慰めればいいのか分からずに貝のように押し黙った。
――どうしてと言われても、自分は魔王に復讐をしたい。それに『彼』との約束もある。なにより、今や最後のひとりになってしまった純血の女神の使徒として、後世にまで迷惑を掛けているその責任を自分が取らなければいけないと思っている。だから、「どうして」と言われても「そうだから」としか、エルは答えられない。答えられないが、そんなことを口にすればまた彼女を怒らせてしまうことは目に見えていたから、エルは黙った。きっと「ごめん」も「大丈夫」も、違うと分かっていたから。彼女が欲しいのはそんな言葉じゃないと理解していたから、ありふれた陳腐な言葉の代わりに「苦しくはないよ。」とだけ答えた。
「私は、苦しいです。そして、きっと歴代の勇者のみなさんも、苦しいです。あなたが苦しくないと言うことそのものが、苦しいんです。」
「…………理解不能だなあ。」
人間でありながらも、とっくにその輪から外れているエルはぽつりと呟く。誰かの痛みなんて見ない振りをすればいいのに、とも思う。それこそ貴族たちのように寧ろ冷たい目を向けて、お門違いな恨みを向けてくれた方がずっと生きやすいしやりやすいのになあ、と思う。なのに35代目の彼が姫君と結婚してしまってから、どうにもやりにくくってしまった。 下手に同情されるくらいなら恨まれて、憎まれて、化け物だと罵られる方がずっとずっと孤独で良かったなあ、とエルは思う。
――自分の理解者なんて女神でも王家でもなく、ただ『彼』ひとりいてくれればそれで良かった。『彼』との思い出と、『彼』の魂を引き継ぐ勇者たちとの思い出とがあれば、それで充分だった。寧ろ、それ以上にあれもこれもと欲張ると、またいつかの村のように何もかもを魔王に殺されて奪われるような気がしていたから、エルはなるべく大切なものは作らないようにしていた。だから、人々からは恨まれて恐れられるくらいでちょうど良かった。
だというのにここ最近はやたらと信仰されたり、こうして関わりたがる奇特な姫君が居たり。全くもって理解不能だと、エルは再度口にする。理解が出来ない。理解しようとも思えない。そう口にはするものの、本当はほんの少しだけ嬉しくって。それからどうしようもないくらいに不安なのは、3度目の喪失が訪れた時のことを考えてしまうからだとエル自身、本当は分かっていた。そうして3度目の喪失が訪れたその時は多分、正気じゃ居られないんだろうなとなんとなく予想がついているからだった。
「……それで、要件は?まさかお説教だけじゃないよね?」
何度も何度も蓋をしてきた気持ちに、また蓋をして。エルはそんな話しがしたくてわざわざ鳩に魔法石の足輪をつけて飛ばして魔力探知をして、居場所を探し当てたわけじゃなかろうと姫君に問い掛ける。姫君は「あら、先生にしては察しが悪いですね?」と努めて明るい声を出した。エルはその言葉に、今日いちばん重いため息を吐いた。
「……おい。どんな名医に何度検査されても、何も出ないぞ?」
「分かりませんよ?今度こそ何か分かるかもしれません。」
「希望的観測だ。」
「観測しなければ、希望も絶望も見えませんよ。」
エルはなかなか弁の立つ姫君に思わず押し黙る。それからついこの間まで泣き落としこそあれど、こんな風に反抗することなどなかったのに、と少しだけ泣いた。
「というわけで、なるべく早く王都までいらしてくださいね?」
「…………努力はするよ。」
「寄り道ばかりしていたら、また飛ばしますからね。」
「……………………はあい……。」
エルはかなり渋々と返事をすると、鳩の足輪に触れて魔法を終了させる。それから鳩を抱えて窓から外に出してやると、眼下の賑わいを見つめながらぽつり、呟いた。
「………………………………滅茶苦茶遅れて行こう……。」
やれ採血だの魔法の実演だの異なる神との接続についての問診だの、よくある検査のテンプレートに加えておはようからおやすみまで監視される検査という名の無意味な診察、もとい監視を何度繰り返したところで何も変わりはしないのにな、とエルは鼻から息をゆっくりと吐き出した。喧騒の中に溶け込んでいく重い吐息を見送ってから、エルは窓を閉めると地図を畳んでからベッドに倒れ込む。
――せめて30分の1くらいにサバを読んでおけば呼び出しも喰らわなかったのかなあ、なんてことを考えながら、エルはふて寝をすることに決め込んだ。




