30_25代目の勇者の話(前編)
大きな街の宿に駆け込み、エルの語る2代目の勇者の話を聞きながら食事を摂っては眠りについた次の日。騒がしい外の気配に目を擦りながら起き出した彼は、窓を開けて一番に眼下の街の賑やかな様子に目を丸くした。それから悠々と惰眠を貪っているエルの布団を剥ぐと、冬眠中のクマのように丸まって眠っている彼女を叩き起した。
「師匠!なんかやってる!!」
「……もう、何さ…。」
エルは彼に叩き起されるも、暫くはベッドの上でうんうんと唸りながら掛け布団を探す。が、手探りで探しても一向に見つからない掛け布団に諦めて目を開けると、くわあ、と大きな欠伸をひとつした。次いで朝から騒がしい弟子に非難がましい視線を向けるも、あまりにも興奮したその様子に目を擦りながら身体を起こすと彼の視線の先、窓の外へ視線を向けた。
昨日はお互いに必死で気が付かなかったものの、街中を彩る派手な飾りに籠いっぱいに盛られた野菜。それと大通りを占拠する出店に、朝早いというのにそれらに集る人々――時期的なものを考慮してもひとつしかない回答に、エルは軽く微笑んでから目を輝かせる彼を見遣った。
「良かったな、我が弟子。どうやら今日から収穫祭みたいだぞ。」
「え、これ収穫祭?!おれの村と全然違う!!」
「大きな街はね、色んな出店も出るんだよ。せっかくだから、社会勉強も兼ねて見てくるといい。」
エルはそう口にした直後に「遊んでおいで。但し、ちゃんと節度を持ってね。無駄遣いするんじゃないよ。」と続けると、自身はもうひと眠りしようとさりげなく彼の手から掛け布団を奪い取る。そして再び枕の上に頭を乗せ、掛け布団を被り、目を瞑ろうとした。
「…………師匠は?師匠も行こうよ!」
――が。目を瞑るよりも先に、エルは今度は自身への期待を込めた瞳――それも、きらきらと光度の増したそれと、目が合った。断るには少々、もとい勇気のいるその視線に、エルはやれやれと大きなため息をついてから再度起き上がる。それから、ぴょんと寝癖のついた髪を手で抑えながら言った。
「――――ドーナツとワッフル。それとソーセージの盛り合わせね。」
――――――
「うわ、師匠、これ何?!…あっ、あれは!?」
「これは飴細工の出店。あっちはサプライズ・ゲームだね。」
「……サプライズ・ゲーム?」
「箱の中身を当てるのさ。連続して当てるほどに、いい商品が貰える。やってみれば?」
エルは田舎者丸出しと言った様子でいちいち騒ぎ立てる彼に苦笑しながらも、これは何かと聞かれる度にひとつひとつ丁寧に答えてやる。――精巧な飴細工の店に、サプライズ・ゲームと呼ばれる少し前に王都で大流行したゲーム……箱の中に入ったものを、視覚以外の情報を駆使して当てるゲームの店に、亡者の灰と呼ばれるアイテムもとい半ば呪物――但し、それなりにライトな部類のそれを使った、背筋まで凍るお化け屋敷。食用トカゲの丸焼きに、フルーツ飴の店。それから、エルの所望する揚げたてのドーナツの店と、焼きたてのワッフルの店。どれだけ歩いても終わりの見えない出店と人の数に、彼は驚きながらエルに幾つ食べるのか尋ねた。エルは彼の財布ということも考慮して、遠慮なくドーナツとワッフルをみっつずつ注文すると、両手いっぱいに抱えた。
あまりにも欲張り、もとい強欲なエルに、今度は彼が苦笑する番だった。彼は「これじゃあ食いしん坊じゃん。」と軽口を叩く。それは計6つもスイーツに消えたおかげかすっかり軽くなった財布に少しだけ悲しんだが故だった。エルはそんな彼を尻目に、揚げたて故にまだ滴っているドーナツの油と、ワッフルにたっぷりとかけられたチョコレートとで唇を汚しながら満足そうに微笑んだ。寝起きの脳にがつんとくる糖分がお気に召したらしい。
「……あんなに眠たそうにしてたのに…。」
「睡眠欲よりも食欲が勝ったのさ。」
彼は口いっぱいに甘いものを頬張ってはニコニコと笑顔を浮かべるエルのなんともまあ現金な様子に、少しだけ嫌味の混じった言葉を吐く。すっかり軽くなった財布の敵討ち、という側面も、あるといえばあった。が、それ以上にエルの足取りの軽さや昨日までの辛そうな色がないことに安心すると、彼女に気付かれないように静かに息を吐いた。すっかり元通りのエルに戻って本当に良かったと、そうっと胸を撫で下ろした。それからソーセージとウインナーの出店を見つけると、宿を出る前にリクエストされた通りにソーセージの盛り合わせを注文した。但し、彼の分も含めたふたり分を。
エルはそれを横目にあっという間にドーナツをふたつとワッフルをひとつ、つまりはあんなに買い込んだスイーツを早くも半分食べ尽くすと、「マスタードとケチャップ、たっぷりでお願いね。」と口を挟んだ。出店の店主はエルの食べっぷりの良さにガハハと笑ってから「あいよ!」と答えると彼女の注文通りにケチャップとソーセージをたっぷりと添えてカウンターに置いた。店主はそれを満足そうに見つめるエルの頭を軽く撫でると、「お嬢ちゃん、ちっこいな〜?サービスしといたから、たくさん食って大きくなれよ!」と悪気なく告げる。エルはそれに対していつもと変わらない表情でありがとうと告げると、ふたつめのワッフルを大口を開けて完食した。
彼は自分が言われたわけではないものの、店主の悪意ないひとことに少しだけ不安になるとエルの顔を覗き込んだ。エルはそんな彼に「なにさ。」と短く告げたのちに、それぞれみっつめとなるドーナツとワッフルを交互に齧りながら、なんてことない風に笑った。エルは「慣れてるからね。平気だよ。」と告げてから、尚も微妙な顔をする彼に「そんな顔するなって。」と言葉を掛けると、困ったように眉を下げた。それから暫し逡巡した後に、何故かエルの方が彼に向けて「まあ元気出せよ。」と励ましの言葉を投げ掛ける。続けて、半分以上欠けたドーナツ――もちろん自分の食べかけのそれを背を伸ばして彼の口の中に押し込むと、空いた手で「あっちにステージがあるってさ。」と彼の腕を引っ張った。彼は店主から皿を受け取りながら、徐に口の中に押し込まれたドーナツをもごもご言いながらも咀嚼する。空きっ腹に投入された糖分に、目眩がした。
彼はソーセージの盛り合わせが乗った皿を持ちつつ、エルに腕を引かれながら歩く。5分ほど歩いたところには、確かに大きなステージがあった。彼は見たこともない高価そうな楽器を演奏する音楽隊に合わせて、優雅に舞を披露する踊り子に目を瞬かせる。それから、舞台の上の踊り子……無論職業上、どうしても薄着かつ美人な踊り子と目が合ったような気がすると、少し恥ずかしくなって目を逸らした。エルは彼のドキマギとした、明らかに不審な様子を怪訝そうに見つめたのちに、「若いねえ。」と呟く。それからステージ前に用意された席――観劇しながら飲食するために用意されたであろうそれの中から適当にテーブルと椅子とを選ぶと、さっさと腰かける。それから「早く座りなよ。」と声を掛けた。
彼はその声に慌ててエルと向かい合う形で椅子に腰掛けると、手にしていたソーセージの盛り合わせが乗った大きなプレートをテーブルに置いた。置くなり今度はソーセージに手を伸ばしてはたっぷりのマスタードを付けて食べ始めたエルに、彼はほんの一瞬でもエルに心配や嫉妬をされたのかと期待したものの実情は心配されたわけでもなければ嫉妬されたわけでもなく、単にソーセージが食べたかっただけだと察すると少しだけ残念な気持ちになった。それから、いやいや何を馬鹿なことを考えているんだと乱暴に頭を搔く。(なんで師匠に心配はともかく、嫉妬されたいんだよ!)と声にならない言葉を心の中で思い切っ切り叫んだ。一方でエルはといえば相変わらず不審な弟子は早々に放っておくことにしたらしい。目線はとうにステージの上の踊り子だった。舞台の上で軽やかに舞う彼女たちを、エルはソーセージを貪りながらじいっと見つめていた。
彼は視界の端に普段と変わらない様子のエルを収めると、よし、おれも落ち着いてソーセージを食べようと木のフォークを手に取るも、(そういえばさっき、師匠の食べかけのドーナツ、食べちゃったな…。)とまたしても余計なことに気が付くと、今度はテーブルに伏せた。正直に言ってステージに目を向ける余裕なんてものは、もうなかった。
「……そういえばさ。25代目のキミは、踊り子だったよ。」
そんな弟子を尻目に、エルは大きなソーセージにかぶりつきながらぽつりと呟く。彼はその声に伏せていた顔を上げると、エルの横顔を見つめた。――その顔は相変わらずどこか懐かしい、ここじゃないどこかを見ているようで。彼はこんなにも近いのに遠いと感じると、胸の奥がちくりと痛むのを感じた。
「……男?女?」
「その質問に意味はあるのかい?」
エルは苦笑しながらもあっという間にいちばん大きなソーセージを平らげると、フォークを持ったきり微動だにしない彼に「食べないの?」と小首を傾げながら尋ねる。彼は食べると答えようとしたものの、自分たちを兄妹だと思ったのか、それとも洗い物の節約なのか。ひとつの皿に盛られたソーセージと、マスタードとケチャップが入っている小皿――勿論、エルが何度も使ったあとのそれ――に気が付くとまたしても頭を抱えた。それから暫し思い悩んだのちに「……どうぞ。」と言いながら、静かにプレートをエルの方に押しやった。エルは「あの店主といいキミといい、今日はサービスがいいね?」とニコニコ微笑みながらプレートを手に取ると、彼の分のいちばん大きなソーセージにフォークを刺した。エルは今度はケチャップをたっぷりつけると、大口を開けて頬張る。唇の端についたケチャップを親指で拭っては舌で舐めながら、エルは「やっぱりマスタードの方が好きだな。」と呟くと、今齧り付いたばかりのソーセージの先端をマスタードの海に沈めた。
エルなフォークをぐいと動かして、歯型のついたソーセージの上にマスタードをたっぷりと乗せる。そして肉汁を滲ませながら再び歯を立てると、改めて認識したマスタードの良さにひとり頷きながら口を開いた。
「女の子だったよ。……今ステージに立ってる彼女よりずっと美人で気立ての良い、本当に美人で明るい子だった。」
「ふうん……。」
彼はなんとかテーブルから起き上がると、頬杖をつきながらステージを見遣る。男の踊り子なんて需要のなさそうなもので良かったと思う反面、いつかの自分もあんなにも薄い衣装で踊っていたのかと思うと、なんだかそれはそれで恥ずかしくなってきた彼は、そう返すのが精一杯だった。エルはそんな彼に再び「若いね?」と返すと、唇に付着したマスタードと肉汁を舌先で舐め取りながら、ゆっくりと彼女との旅の記憶――あの時も偶然立ち寄った村が祭りだったなと思いながら、語り出した。




