29_2代目の勇者の話(後編)
「――――で?オレがその『勇者』の生まれ変わりである証拠は?」
エルはこちらをちらりとも見ずに木材の品質を確かめる彼の態度に、そして心底疑っているのが嫌でも分かる冷たい口調に、流石に困り果てた。困り果てながらも、杖の先で地面に意味の無い図形を描きながら必死に頭を働かせる。が、やはりいい言葉は出てこなかった。エルは苦し紛れに先程口にしたばかりの言葉――「魂の色がね、一緒なんだよ。絹みたいに綺麗で、艶やかで。それから、いい匂いがする。」と口にした。彼はふうん、とそれを話半分どころか全く聞いていない態度で聞き流すと、至極冷たく「さっきも聞いた。で、物的証拠は?」と言いながら、彼自ら森に足を運んでは切り倒してきた木材――しかも自力で彼の自宅の庭まで運んできたそれの枝を払いながら、興味なさげにエルをあしらった。
――まさか『ない』のに『ある』ものの証明がここまで難しいと思っていなかったエルは、切り株の上に座って枝払いの作業をする彼から数歩離れた庭木の下で盛大に頭を抱える。それから、心の中で(あんの大嘘つきめ…!)と、先代の彼に悪態をついた。何が「おれ、必ず生まれ変わるからさ。そんでまた勇者になって、今度こそ魔王を倒すからさ。――だからその時は、今度はエルが迎えに来てよ。」だ。その言葉を信じて迎えに来たというのに、向けられたのは歓迎の言葉ではなく氷よりも冷たい視線だ。なんで覚えていないんだとか、百歩譲ってそれは仕方がないにしてもこれは酷すぎるだとか、エルは草葉の陰でしくしくと泣いた。泣いたついでに、ちらりと彼の方を見てみた。けれど彼はエルが何をしていようが興味等ないのか、黙々と切り出した木材の枝を払っていた。
「……じゃあさ。どうしたら信じてくれるの?」
「無理。残念だけど信じないし信じられない。」
彼は更に冷たい声でそう言い放つと、じろりとエルを睨んだ。それから「見ての通り、オレはただの木こり。あんたの望むような人間じゃない。人違いだ。」と告げると立ち上がった。次いで今まで彼が座っていた切り株に鉈を突き刺すと、木材の周りに散乱した枝を腰を屈めて拾い集める。「そういうわけで、作業の邪魔だから。帰れ。」遂には背中を向けてそう言い放つ彼に、エルは流石に堪忍袋の緒が切れそうだったが、ぐっと堪えて何度か深呼吸するとエルもまた、彼に背を向けた。
「…………また明日来るよ。」
「あっそ。」
エルはそう告げると彼の家――木こりということもあり、集落から少し離れた場所に位置するそこを後にすると、必要最低限の整備しかされていない砂利と雑草に満ちた獣道を歩く。こういう難儀な相手こそいつもニコニコとしているうえに人当たりもよく、おまけに性格までよかった彼の得意分野だったのだが、まさかその『彼』本人がその難儀な性格になっているとは。エルははあ、と重いため息をつくも、すぐにまあ仕方がないかと思い直す。魂が同じだからとはいえ、性格まで同じ人間とは限らないというのは子供の頃に勉強済みだったからだ。とはいえ幾ら性別は単純に運、性格は環境による後付けとはいえ、これは予想外すぎたなあともう一度ため息を吐くと、さて、どうしたものかとポーチに手を突っ込みながら考える。
――兎にも角にも、こういう時は甘いものだ。甘くて美味しいものを食べれば妙案もそのうち思いつくだろうと、エルは『彼』譲りの極めて楽観的な思考に切り替えると、ポーチの中から少し形の歪んだキャラメルを取り出した。ここに来るまでの道中、彼女にとっては簡単な手伝い――夜になると墓場を荒らす物盗りを懲らしめてくれという造作もない任務を遂行しただけで、貴重な砂糖を贅沢にたっぷりと使用したキャラメル――家の1軒、ぽんと買えてしまう価値のあるものを喜んで渡してくれた中年の女性の顔を思い出しながら、エルはそれを口の中に放り込んだ。
「……うん、美味しい。」
エルはそう呟くと、くしゃりと笑う。――多分、放っておけなかったのは、その中年の女性が丁度自分の母親と同じくらいの歳の頃だったのと、流行病で立て続けに子供を2人亡くしたと聞いてしまったからだろう。よくある不幸話だが、エルにはそれがどうにも自身の母親と、歳の離れた兄姉と被って見えた。娘の方がもうすぐ嫁入りで、そのお祝いにご馳走を作ろうと奮発して砂糖を買っていたのだと涙ながらに語られたのも、今考えれば余計に効いたなあとエルは笑う。
あの人も――エルの姉も、そうだった。彼女にも、もうすぐ結婚する予定の、良い人が居た。彼女よりみっつ歳下の、少し気が弱い青年だった。もともとは彼女の部下だったらしい彼は、姉曰く「こんな腰の引けている奴を戦場にでも出してみろ、女神様に恥をかかせてしまうぞ。」と思わず呆れてしまうくらいに弱かったらしい。それを上官として、何よりも女神様に恥をかかせるわけにはいくまいと心の底から心配した姉は、公私を投げ打って世話をするうちに情が芽生えたらしい。気がつけば互いに好意を抱き合うようになり、夜毎に愛を囁き合うまでの中になっていた。
「――つまり、お兄ちゃんが増えるの?」
「そういうことだよ。まだちょっと先だけど…その時はよろしくね、エルちゃん。」
「んー、どうしようかなあ?」
わざと渋ってみせるエルに、姉の恋人は「もしかして、前途多難?」と困ったように笑いながら、エルの頭を撫でてくれた。それを優しい瞳で見つめていた姉をエルは、きっと彼女は間違いなく世界でいちばん幸せな花嫁になると信じて疑わなかった。まだ具体的には何も決まっていなかったのがヤキモキするくらいに、エルは日夜姉のウエディングドレスを想像しては楽しみにしていた。
「ブーケには、お前の好きなランプ草を使おうかな。」
「え、本当?いいの?!」
「ああ、いいさ。可愛い妹のためだ。」
「……もう。自分の式なんだから、自分の好きなようになさい?」
「なら、やはりランプ草だな。」
見兼ねた母親が口を出すも、歳の離れた妹を溺愛していた姉はティーカップを傾けながらしれっとした態度で言い放つ。母親は姉のその言葉に「ほんっとう、あんたもお兄ちゃんもエルには甘いんだから…。」と呆れる。エルは「末っ子って得だね?」と首を傾げながら、姉と姉の恋人が譲ってくれた茶菓子を口いっぱいに頬張る。
――それは、穏やかな雨が降る春の午後。菓子を頬張りながらも微睡んでしまうくらいに優しい温度がした、サンルームでの一幕だった。
「……お母さん、結局どんなご馳走を作る気だったのかな…。」
エルは口の中のキャラメルを転がしながら、ふとそんなことを口にした。今となっては確かめる術のないそれに、少しだけ止まったままの心臓が痛んだ。お楽しみだよと言ってはぐらかす母親に納得しないで、無理にでも聞いておけば良かったなあとエルは唇を噛みながら森を抜けると集落を歩く。それから、なにやら広場のあたりが騒がしいうえに人集りが出来ていることに気がつくと、そちらへ足を向けた。
「……なに?どうしたの?」
「ああ、旅のお方!どうか――どうかお願いです!娘を、娘を――!!」
人の波の中を掻い潜り、最前列と思われる場所へ抜け出したエルは隣の歳若い女性に尋ねる。するとその女性はエルが声を掛けるなり、そう言って取り乱すと前方を指さした。
エルはその指の先を辿って女性の指さした先、広場の噴水の女神像の上へと目を向けた。そこにはお包みに包まれたまますやすやと眠っている赤ん坊と、赤ん坊を小脇に抱えてはニヤリとした邪悪な笑みを浮かべながら人々を見下ろすガーゴイルとが居た。エルはこの状況を一瞬で悟ると、杖を構える。そうしてガーゴイルを睨み付けるも、魔物は戦闘態勢に入ったエルを見るなりケタケタと下品な笑い声を上げながら赤ん坊を胸の前へと突き出した。
「いいのかあ?下手に魔法なんて使ったら、この赤ん坊が死んじまうぜ〜?」
「ああ、やめて!私の…わたしの娘を殺さないで……!!」
「――――――――。」
エルは悲鳴を上げる母親を一瞥した後、それを見るなりまたしても満足そうにケタケタと甲高い笑い声を上げるガーゴイルを睨み付けると、さてどうするかなと思考する。この至近距離故に仮に魔法の威力を必要最低限に抑えたところとて、どう考えても瓦礫やら何やらで赤ん坊が怪我を負ってしまうのは確かだろう。加えてこの人集りだ、集落の人々にまで傷を負わせてしまうことは火を見るより明らかだった。
そして何よりも、人々を傷つけない程度まで出力を下げた魔法でこのガーゴイルを仕留められるかどうかも、疑問だった。せめて人が捌けるか、ガーゴイルが空中に飛び立ってくれれば――。エルがそう考えていたところ、何者かがガーゴイル目掛けて木の枝を投げた。ぺしり、頭に当たったそれにガーゴイルはぎゅるりと瞳孔を開くと木の枝が投げ込まれた方向……エルの左斜め後ろへ目を向けた。
「なんだあ、てめえ?この赤ん坊がどうなってもいいのかァ?」
「良くない。だから今すぐに離せ。」
「……どうやらどうなってもいいみたいだなァ?!」
エルの左斜め後ろからガーゴイルに向けて放たれた声は、つい先程まで答えのない押し問答をしていた彼のものだった。彼は人混みを掻き分け、前に出るとエルに並ぶ。そしてひとつに括られた木の枝の束を片手に「子供を離せ。オレと1体1で勝負しろ。」とガーゴイルを鋭い目で睨み付けるも、プライドの高い種族故に油断していたとはいえ、一般人の投げた小枝が頭に当たったことがどうにも許せないらしいガーゴイルは勢いよく背中の翼を広げると、女神像から飛び立った。そしてあっという間に上空に到達すると、ついに泣き出した赤ん坊のお包みの端を摘んで宙に下げる。
「なら、お望み通り離してやるよ。……但し、空中でなァ!ギャハハハ!!」
ガーゴイルはこちらを馬鹿にするように、上空で旋回する。「何処にするかなァ、やっぱりあの岩山かァ?それともシンプルに地面かァ?どのみち、すぐに潰れてペッチャンコのグッチャグチャ!だろうなァ、ギャハハハハハハ!!!」そう言って右に左に、前に後ろに飛び回るガーゴイルに、エルは隣の彼に問いかけた。
「――――足に自信、ある?」
「……………ありまくりだっつーの……!!」
「そうか。なら、――いくよ。」
エルはそう告げると杖を下げると、赤ん坊の母親に「持ってて。」と押し付けた。代わりに腰に提げた小刀を手に取ると、目を細めてそれに思い切り魔力を込める。――イメージするのは、矢のように鋭い一撃。それでいてこの剣先のように鋭く。かつ、なんの罪もない命を危険に晒したことを裁くかのように、重く鈍い一撃。例えるならば、ドワーフが振るう大きな金槌のような。それでいて夏の嵐のような、時に神の怒りとも称されるように荒々しく。
一方で彼は、エルの言葉――「いくよ。」のたったひとことに込められた言葉に、彼自身言い表すのが難しい信頼や、彼女ならきっとなんとかしてくれるという根拠のない自信――そんなもの、今まで誰に対しても抱いたことがなかったにも関わらず、妙にしっくりとくるうえに耳に残るその声と言葉に無意識に口角を上げながら、無我夢中で走った。
エルは走り出した彼を確かめてからその色素の薄い瞳でしっかりとガーゴイルを見つめ、標準を合わせてから、魔力の込め終わった小刀ごと力いっぱいに振り下ろした。
「――――貫け!!」
小刀が空気を引き裂き、ガーゴイルの背中目掛けて一直線に走る。ヒュン、と鋭い音を立てて、ガーゴイルに迫っていく。ガーゴイルはその音に気が付くと慌てて後ろを振り向く。…が、既に遅かった。寧ろ振り向いたことで、エルの放った短刀が、さくりと。綺麗にその左胸に刺さった。そして心臓に刃物が刺さったことを知覚するまでもなく、短刀の刃の先から放たれたもうひとつの魔法――触れたものを凍らせる、凍結の魔法が、時間差で発動した。
ガーゴイルは何が起こっているのかも分からないままに命を落とす。ゆっくりと、背中に生えた翼の羽ばたきが止まる。ガーゴイルと赤ん坊が、自然の法則にしたがって落下していく。ガーゴイルの手を離れた赤ん坊がゆっくりと自由落下していく様に、母親は顔を両手で覆うとその場にしゃがみ込む。
「………………届け、ッ――――!!」
彼はそう叫びながら手を伸ばす。足の先からつま先まで、伸ばせる場所は全て伸ばして赤ん坊を受け止めようとする。
(……ダメだ、届かない…!)
指先が、お包みに触れる。けれど触れるだけで、到底掴めそうもない距離に、彼はぎりりと奥歯を噛み締める。あんな大口を叩いておいて赤ん坊ひとり助けられないなんてと、歯が砕けてしまうのではと思えるくらいに無意識に歯を噛み締めた。
すると、その時。ふわりとした風――けれど幾ら赤ん坊とはいえ、数kgは優にあるであろう物体を持ち上げ、剰え彼の手の中に導くほどの意思と質量を持った風が、吹いた。彼は手の中に赤ん坊が収まると、咄嗟に受け身の体勢をとる。手の中から腕の中へ赤ん坊を移動させて、潰さないように優しく抱き留めると、地面に転がる。咄嗟に受け身の体勢をとったおかげか、細かい痛みはするものの致命傷には程遠い身体の痛みに目を瞬かせる。それから、改めて腕の中の赤ん坊へ視線を落とす。――恐怖のせいもあるだろうが、それでも元気にギャンギャンと泣く赤ん坊を見て、彼はその場でへにゃりと脱力した。
「………………良かった…。」
彼は腕の中の赤ん坊に向けてそう呟くと、慣れた手つきであやす。それから顔を上げて、こちらへ向かってくる村人たちへ向けて手を振った。それから、村人から少し離れたところでその光景を見つめているエルに気が付くと、どう表現していいか分からない気持ちを誤魔化すように再度赤ん坊をあやした。
――――――――
「…………おはよ。」
「…………おはよう。」
あくる日の朝。夜遅くまでやれ英雄だの、命の恩人だの持て囃されることに疲れたエルは、早々にその役目を彼に譲って床についた。そして眠る寸前に、明日は朝早くから彼のところに行ってもう一度説得しようと考えながら目を瞑った。そして朝早くに起床すると、森で仕事をしているであろう彼に会いに行こうと1歩外に出る。するとエルは外に出るなり顔を突き合わせた彼が昨日とは一転、少し恥ずかしそうではあるものの彼女の目を見ただけでなく、彼の方から挨拶をしてくれたことに感動すると緩く微笑んだ。
それから、明らかに朝の挨拶だけではないであろう彼の装い――どこからどう見ても旅の準備を済ませている持ち物だとか服装だとかにくすくすと笑うと、エルはわざとらしく小首を傾げた。
「どういう風の吹き回し?」
「…………昨日の礼だ。」
「ヒーローはわたしじゃなくてキミだよ。」
「なら、影の立役者はあんただ。」
彼は言葉短くそう告げた後、エルの色素の薄い瞳を改めてじいっと見つめた。それから、深々と頭を下げた。
「――――ありがとう。姪を、助けてくれて。姉さんも義兄さんも、本当に感謝してた。……だから。今度はオレが、あんたを助ける番だ。」
「………………何年掛かるか、勝てるかも分からないよ?」
エルは相変わらずおどけたような口調でそう告げると、彼を真っ直ぐに見つめ返した。……旅の過酷さは、前回の『彼』との冒険で学んだ。嫌という程学んだ。そしてその果てにある魔王との勝負とて、勝てるかどうかは最後まで分からないことを告げた。――前回だって、何かの間違いで勝てたようなものなのだ。今度もそう上手くいく保証はない。ましてや前回の『彼』とは違い、今回の彼はただの木こりだ。剣の代わりに斧を持って生まれてきたのだ。尚更、その刃が魔王の喉元に届くかどうかなど分からなかった。
けれどそんなエルに対して、彼は真剣な眼差しを向けたままなんの迷いもなく口を開いた。そして前回の『彼』が口にしたように、つい弱気と悲観を混ぜ合わせた思考に陥りがちなエルを引き上げる言葉を、ゆっくりと紡いだ。
「勝てる。――あんたとオレなら、出来る。」
エルはその言葉に僅かに目を見開いた。それから、口角を思い切り上げて微笑む。
「………………言ったね?」
「ああ、言った。言ったさ。」
エルはそう言って頷く彼に向けて手を差し出すと、固く握手を交わす。こうして彼の手を握るのは何年ぶりだろうかと考えると、なんだか少し照れくさくなった。けれどそれ以上に、あの宣言通りきちんと迎えに来た彼女に応えてくれた彼に目を細めると、エルは魔王との戦いから生還した魔法使いでもなければ人々の語る悲しい少女でもなく。かつて家族と家族になる予定だった人に向けていた、ただのエーデルガルトとしての笑顔と共に言葉を紡いだ。
「――2回目の初めましてだね。」
「何回だって付き合うさ。」
彼の言葉に、エルは明るい声を上げて笑う。それから「そんなに感動したの?」と小首を傾げてから、空を見上げた。
――わたしはただ、キミの真似をしただけなのにね、と。




