28_2代目の勇者の話(前編)
「それにしても。師匠クラスが魔力の使いすぎで立てなくなるレベルの魔法って、一体どんな派手な魔法なわけ?」
川を隔ててすぐの、あの赤いバンダナの少女の恋人が住む村――ではなくその先の、南部から西部地方においていちばん大きな街まで最早立つのも難しいエルの最後の余力で浮遊の魔法を掛けて対岸に渡った後、彼女を馬車の荷台に乗せてひたすらに愛馬を走らせて。そのうえ、幾ら小柄とはいえぐったりとした様子の彼女を宿屋の2階の部屋まで担いだ彼は、流石に少々くたびれた様子でエルにそう尋ねた。エルは彼に礼を口にするなり、ベッドに寝っ転がったまま懐からキャンディを取り出すとふたつ、みっつと口に放り込む。それから「内緒。」と答えると、明らかに疲れ果てた様子の彼がブツブツと文句を口にした。
「――じゃあ。なんであの子の恋人の居る村じゃなくて、わざわざこの街まで馬を走らせたわけ?」
エルはその問いにキャンディをころりころり、かつんかつんと歯に当てながら、当たり前のように答える。
「なんでってそりゃあ、英雄だと持て囃されるからに決まっているからだよ。」
「……なんで?別にいいじゃん。師匠、いいことしたんだし、素直に褒められればいいのに。」
「………………もう褒められるような歳じゃないからね。」
エルはそう呟くと、ベッドの上でごろりと寝返りを打った。それから、前回立ち寄った村で彼に教えたように「馬は?どこかに預けてこなきゃダメだよ。」と指示した。彼はその言葉に「寝ていた師匠は知らないかもしれないけど、ここは馬宿付きの宿です〜!」と少々エルを馬鹿にする、もとい見たことがないくらいに疲弊している彼女を前にどうしようと動揺する自分を落ち着かせるために、わざと軽口を叩く。エルはその人を小馬鹿にしたような言葉には敢えて反応せず、代わりに「そうか。…いい子だね。」と彼女にしては随分と素直な言葉で彼を褒めた。
褒められた彼は、未だかつて無いほどにストレートな言葉で自身を褒めるエルに、ふと村に居た頃に聞いた話……『死が近付くと人は思いもよらない行動を取るらしい』という噂話を、エルがとっくに死んでいる身体だということを忘れて信じ込むと、彼女が横になっているベッドの隅に腰掛けた。それから、エルの顔を覗き込む。眉をしゅんと下げて、切なげにこちらを見つめる彼にエルは気がつくと、どうしたのかと視線を向ける。すると彼は目を潤ませながら、まるで子犬のように尋ねた。
「…………師匠、死なないよね…?」
「――――ばかだなあ、キミは。」
エルは上半身を起こすと、潤んだ瞳の彼に少し笑ってからそうっとその豊かな髪と頭を、次いでほっそりとした頬を撫でてやる。指先で耳輪を擽るようになぞってから、「もう死んでるから死なないよ。」と。一見破綻しながらも事実であるそれをあらためて口にすると、彼の頬から手を離した。代わりに既に自分よりも大きな彼の手を取ると、とっくに拍動を止めている自身の左胸のあたりにその手を置いた。
――確かに心臓の音もしなければ温度もないエルの胸に、彼は瞳を揺らすと唇を噛む。それから「……良かった。」と、泣いたように笑った。エルはそんな弟子の泣き笑いの顔を見遣ると、静かに胸を撫で下ろす。ほう…っとゆっくりと吐き出した吐息は冷たいままだったけれど、確かに優しさの温度に満ち溢れていた。エルは自身の胸から彼の手を退けると、もう一度その温もりを忘れた手のひらで頬を撫でてやった。それが今の彼女に出来る、精一杯の「心配しないで。」だった。
本当に心配させたくないのなら、自身の知っていることを全て彼に話すべきだと言うことはエル自身、よく分かっていた。けれど無闇矢鱈に情報を開示して、まだ若い彼を混乱させたくなかった。何よりも知れば知るほど神話の時代から生きている魔法使いではなく、化け物にしか思えないエーデルガルトという少女の全てをさらけ出すのが、恐ろしかった。特に歴代の弟子たちはどこか一歩引いたようなところがあったが、今代の彼はどういうわけかあれもこれも教えろと無遠慮に突っ込んでくる悪癖があることを、エルは指摘こそ避けてはいるものの分かっていた。だからこそ、どこか遠回りな方法で彼の不安を取り除こうとした。――幸いなのは、その遠回りな励ましが彼の心に届いたことだった。故にエルはふたつの意味での安堵が混じった吐息を吐いた。それから先程の彼のようにこの重い空気を吹き飛ばそうと、いつもの軽口を口にした。
「伝わって何よりだ。これで伝わらなかったら、最終手段――ハグとキスを使うところだったよ。」
「…………………………。」
エルの言葉に彼はぽかんとした後、それを想像したらしい。みるみる顔を赤くすると「……それ、やったことあるわけ?」とだけ尋ねた。エルは自信満々に「ない。だから最終手段だ。」と答えると、再度ベッドに沈みこんだ。大きな街、それも馬宿付きの宿屋ということもあり値段が張るであろう代わりにか、ベッドはかなりのふかふかだった。エルは枕に顔を埋めると、「はやいところ魔力を回復させなくちゃな。」と呟く。彼はその言葉に疑問を覚えると、まだ仄かに頬は赤いものの、なんとかいつもの調子で尋ねた。
「魔力ってどう回復するの?おれの魔力、渡せたりしないの?」
「じっとしてれば回復するよ。……それと、魔力の譲渡は生命力の譲渡みたいなものだ。キミみたいな魔力量が少ない剣士がそんなことしたら、死ぬぞ。」
「…………やっぱりナシでお願いします…。」
「ああ、それがいい。」
それに、とエルは続ける。
「魔力の譲渡なんて、昔っから何人もの科学者や技術者が挑んできたけど、未だに夢の技術だ。現時点ではどう足掻いても不可能だから、安心していいよ。」
「……そんなに難しいの?」
「難しい、というよりも昔はそんなことする必要なかったのさ。」
エルの言葉に彼は首を傾げる。その様をエルは薄く笑いながら見つめると、懐から取り出した残りのファッジを口いっぱいに頬張った。口の中でほろりとほどけるファッジと、唾液に溶ける度にがつんと脳を揺らす糖分に頬を抑える。極楽極楽、と言いたげな彼女とは反対に、彼は見ているだけで甘ったるくして仕方がないその光景に胸焼けがするのを感じると備え付けのピッチャーからグラスへと水を注いで飲んだ。エルはそれを見遣ると自分にも寄越せと手を出す。彼はやれやれと軽くため息をつきながらも新しいグラスを手に取ると、エルが零さないように半分程度に留めて注いでから渡した。
エルは受け取った水を飲もうと上半身だけを一瞬起こした隙に、素早く口に含むとごくりと喉を鳴らして水を飲んだ。彼はなんともズボラな姿に再びやれやれとため息を吐くと、肩を竦める。とはいえ初めて見るだらけているエルの姿に、彼女がそれほどまでにエネルギー不足なのだと察すると何も言わずに空になったグラスを受け取る。そしていつでも渡せるようにと少なめに水を注ぐと右手に自分のグラスを、左手に彼女のグラスを持って静かに言葉の続きを待った。
「昔は、みんなが魔法を使えた。だから誰かひとりがガス欠になるまで魔法を酷使する、なんてこと有り得なかったんだよ。」
「……じゃあ、どうしておれも含めて、みんな魔法を使えなくなったの?」
「簡単さ。」
エルはそう告げると自身の手のひらを夕方の陽射しにかざす。とっくにあたたかな血の通っていない手のひらをじいっと見つめた後に、「血が薄まったんだよ。」と告げた。
「……血…?」
「この国の神話は知っているだろう?」
「そりゃあもちろん、常識として。」
彼は頷く。エルは「それじゃあおさらいだ。」と口にすると、自身の手のひらを眺めたまま語り出す。
――この国に住まう人間は、元は孤独に耐えかねた女神が自身の血肉を分けて作った命だった。故に元々この国に住まう人間という生き物は、女神と同じ血と肉とを持った、女神の眷属だった。女神の加護と庇護の元、人々は魔王が現れるまでは平和に暮らしていた。しかし魔王が魔物の大群を引き連れ侵略を開始し、それを討ち取らんと多くの人間が立ち上がった。女神直属の兵士のみならず商人や農民、女も子供も剣や杖を手に取った。その結果多くの血が流れ、人口が減り、そこを狙った隣国の人間が流入してきた。結果、女神の眷属たる人間は自然と隣国の人間と家庭を作り、子供を作り、現在に至るまでになった。つまり女神の血は世代を経るごとに薄まり、自然と女神が行使する奇跡――魔法を扱うために必要な力である魔力の許容量も、それを扱う力量も、薄れていってしまった。
「つまり、誰のせいでもないってことさ。」
「……なんだよ、それ。」
彼は自分の努力では到底どうにもならない事実を突き付けられると困ったように頭を搔いた。それからテーブルにグラスを置くと、心底つまらなさそうに両手を頭の後ろに回して天井を仰ぐ。そのまま「おれも魔法が使えたら、師匠の苦しみを少しは理解してやれるのになあ。」と純朴な少年らしい言葉を吐くと、エルはあまりの可愛らしさと優しさに思わずくすくすと笑った。続けて、彼の希望を損なわないように「一応、先祖返りなのか生まれつき魔力が強い人もいるよ。稀だし、本人も周囲も無自覚だから、確認作業とトレーニングは必要だけどね。…確かめてみるかい?」とエルなりの励ましを送った。
が、彼は首を横に振ると「いいよ、別に。」と答える。その表情は拗ねているわけでもなければ、自分の努力ではどうしようもない事柄に嘆いているようでもなかった。彼は天井に施された模様を見つめながら、それこそ普段のエルのようになんでもない風な口調で「おれは、おれの得意なことで師匠を支えるよ。」と呟いた。エルはその言葉に一瞬だけ目を丸くした後、何も言わずにただただ押し黙った。――その『得意なこと』、即ち畜産業と農業で鍛えた身体のおかげで一歩も歩けない自身を介抱し、背負い、ここまで来たのだから、もうそれだけで痛いくらいに充分なのだと、口元を緩めた。口元だけを緩めたつもりが、つい唇から軽快な笑い声が零れてしまうと、彼は少しだけ恥ずかしそうに視線を彷徨わせた後、どぎまぎしながら話題を変えた。
「っていうかさ、師匠はどうやっておれが勇者だって知ったの?やっぱり魔法?」
「おや、知りたいかい?」
「そりゃあ気になるでしょ!だってこの街だけで、どう見たって100人以上は住んでるんだぜ?国とか世界レベルになったら、何人居るかなんて想像もつかないってば!!」
彼はベッドに座ったまま、窓の外から眼下の街を見下ろす。王都ほどではないにしろ、見渡す限りの人、人、人――とにかくどこを見ても人だらけの街並みに、彼はほんのりと頬を染めたまま改めて驚いてみせた。エルはそりゃあ人間の数よりも家畜の方が多い村、それも南端のド田舎の村出身の人間にとっては世界の人口など想像もつかないか、と苦笑してから自身の手のひらから彼の横顔へと視線を移す。そうしてそのオーバーなくらいに驚いてみせている横顔に、エルは彼なりの照れ隠し兼不器用な気遣い――エーデルガルトという少女が、改めてこの世界の誰とも違う存在であることを察したが故の無理した優しさと明るさであることを悟ると、たった15年程度しか生きていない子供にまで気を遣わせるだなんて、本当に弱った時はダメだなと鼻で軽く笑った。
そうしていつしか本音になってしまった弱音を笑ってから、エルは口の中であっという間に小さくなった飴を奥歯で静かに噛み砕くと、その欠片と甘ったるい唾液ごと喉を鳴らして飲み込んだ。代わりに歴代の勇者が皆疑問に思っては彼女に尋ねてきた問いに対して、もう何度目かも分からない決まりきった回答を口にした。
「魂がね、優しい色をしているんだ。それから、焼きたてのクッキーや揚げたてのドーナツみたいな、甘くていい匂いがする。――だからわたしはね、いつも迷わずに済むんだ。」
「……ぜんっぜんわからん…。」
エルはそう言って頭を抱える彼に、けらけらと笑う。実際問題、エルがまだ普通の少女だった時代――女神が存在した神話の時代においても、魂の色を知覚出来るのは一部の優れた神官や魔法使いのみだった。出来なくて当然だと笑った後、エルは手持ち無沙汰に加えてここまで運んでくれた礼にと歴代の勇者の中でも特に疑り深かった、もといエル自身初めてのことで上手く説明出来なかったが故に、余計な苦労を掛けてしまった2代目の彼のことを思い出しながら、ゆっくりと口を開いた。
「実際、説明するの難しいんだ。そのせいで、2代目のキミに多大な迷惑を掛けてしまったこともある。」
エルはそう言って目を細める。気が遠くなるほどの昔、初めて自分から能動的に『彼』の生まれ変わりを探したあの日を思い出しながら、我ながらあれは酷かったなと苦笑する。彼はエルでも失敗することがあるのだと興味深そうな視線を向けると、彼女の話に耳を傾けた。




