26_『彼』と、エーデルガルトの話(中編)
――なにもかもを、失った。
その日は、いつもと変わらない日になるはずだった。朝起きて顔を洗って身支度を整えて、朝食を食べてから学校に行って。いつもの通りに魔法の勉強をして、先生に褒められて、得意げになって。お昼には母親の作った弁当を食べて、午後からは退屈な座学を聞きながらついうっかり船を漕いだりしちゃって。
そうして退屈な時間が終わったら大急ぎで家に帰って荷物を自室に放り込んで、友達と遊びに行って。日が暮れる前に家に帰って、姉と母親と風呂に入りながら色んな話をして。お風呂から出たあとは、家族5人で食卓を囲んで、また他愛ない話をして。そうして最後には眠りについて、また明日を迎える。新しい明日を迎えに行く。――たったそれだけのはずだった。
けれど。その日はお昼を食べた後、エルは少しだけ具合が悪くなった。だからいつもの通り、無理はしないという母親の言いつけを守って、学校の保健室のベッドで休んでいた。休んでいるうちに眠ってしまったらしい。気がつけばもう時刻は夕方で、エルは慌てて学校を飛び出した。
とうに下校時間は過ぎているとはいえ、生徒の声はもちろんのこと先生たちの声も聞こえないことに首を傾げながらも、「きっと今日はみんな早く帰ったんだ。」なんて思いながら、エルは帰路を小走りで駆けて行った。ほんの少しだけ火の匂いがした気がしたけれど、エルは気のせいだと頭を振ると学校の玄関を飛び出した。
――そうして通学路を歩くうちに、エルは気がついた。家が近づく度に、少しずつ瓦礫が増えていることに気がついた。エルは異変を感じながらも、心のどこかで大丈夫だと楽観的に考える。否、そうして精神を保つしか方法がなかった。そうでないと瓦礫はともかく、その陰に隠れるように倒れている人――到底直視出来ない、無惨な姿をした人だったもの――もう呼吸をしていないそれが、ゴロゴロと目に入るようになった見慣れた道の真ん中で、発狂してしまいそうだったからだった。
鼻の奥につんと刺さって残る血の匂いと、埃の匂い。それから、それらのせいで胃の奥から込み上げてくる吐き気を抑えながら、エルは早く家に帰らなければと家路を急いだ。もう自分の住んでいる街が街でなくなっていることなんて、本当はとうに分かりきっていた。それでも自分にとって落ち着ける場所である家に帰って、安心したかった。そうすればきっとこれは保健室のベッドで見ているよくある悪夢で、いつか自然と醒めるものだと自分に言い聞かせることが出来ると思っていた。
「……お前は…。」
「…………ほう。まだ生き残りが居たか。」
――そう、思っていたのに。エルは街だった場所で、赤い髪の大男と目が合った。なにもかもが壊された街の中で、エルはその男と目が合った。合ってしまった。次いで跡形もない我が家があった場所を見るなり、その瞬間に悟った。――この男がつい今日の朝まで家族がいて、いつも通りの日常を送っていた自分の居場所を、この街を壊した元凶なのだと。彼女は賢いが故に、悟ってしまった。そして魔法の天才だと持て囃されていたが故に、挑んでしまった。
挑んで、少しも歯が立たなくて、それでも立ち向かって、ボロボロになって。腕が折れて、血を吐いて、魔力切れ寸前まで必死になって戦って、そして――――。
「――――ああ、そうだな。お前を、俺の恐怖を後世に伝えるためだけの存在にしてやろう。」
――そうして、心臓が止まって。
――――それでも、諦めきれなくて。
「………………殺す。」
それは、他人に対して初めて覚えた殺意だった。自分などどうなっても良いと思えてしまえるくらいに強烈で、鮮烈で、それでいて暗くてどろりとした仄暗い殺意だった。復讐心だった。エルは徐々に遠くなっていく意識の中、最後までその男を睨みつける。
「………………絶対に、殺してやる。何百年掛かっても、何千年掛かっても。わたしの全てを奪ったお前を、わたしは絶対にぜったいに――――殺してやる…!!」
――――そこで、意識は途絶えた。
――――――
次に目覚めた時、エルは意識が途絶える前の光景――めちゃくちゃに壊された街と無惨に殺された人々が悪夢ではなかったと知って、声を上げて泣いた。それからあの大男が告げた通り、自身の心臓が止まっていることに気が付くと泣き止んだ。そうしてあの男が禁術の類の魔法――女神の魔法に相反する外道の魔法の使い手であることを悟ったエルは、涙を拭ってから壊滅した街を歩き回った。もしかしたら、自分のように生存者がいるかもしれないという一縷の望みを胸に、倒壊した家屋や建物をひとつずつ退かしては調べた。三日三晩掛けて、丁寧に調べた。惨劇を目にする度に、胃の中が空っぽになるまで吐きながらも、必死に生存者が居ないか探した。けれど皆、息絶えていた。人間も、動物も、この街に存在したものは皆死んでいた。無論、エルも含めて。
――エルは空を仰ぐ。自分たちがあれほど命を懸けて尽くし、守ろうとした女神の姿がないことに気がついたエルは、空を仰ぎながら女神は何処に消えたのかと、ぼんやりと考えた。それから、もし女神があの男の手にかけられるようなことがあったら。もしくは既にかけられていたら、という嫌な想像が脳裏を駆け巡ると、急いで街だった場所を発つことにした。
(………ごめん。お父さん、お母さん。お兄ちゃん、お姉ちゃん。)
結局最後まで見つけることの出来なかった家族――もしかしたら顔を剥がされた遺体や、男女の区別がつかないほどにバラバラにされていた遺体の中に紛れていたかもしれない家族に心の中で詫びてから、エルは生まれ育った街だった場所を後にした。兄や姉の話では、確か異教徒と魔物を征伐するために、幾つかの隊が街から離れた場所に居るはずだ。女神の親衛隊長と副隊長の娘として、この街の惨状と女神の行方が知れないことを伝えなければと、エルは目的地も分からずに歩き出した。
――どれだけ歩いても、眠くなることもお腹が減ることもなかった。無論、疲れることもなかった。けれどあまりにも傷だらけのエルを見兼ねてか、街を発って数週間後に女神直属の隊の行方は知らないかと尋ねに訪れた村の人々は、エルのことを口々に可哀想にと言っては手厚く看護した。エルは人々の優しさに触れると、つい自身の身に起きたことを洗いざらい話した。身体はともかく、それほどまでに心は弱っていた。
すると村の人々はエルの住む街がそう遠くはない以上、きっと隊の人たちもこの村かその近くを通っていくと励ましては、それまで養生していくといいと言った。エルはそれを一度は拒んだものの、結局は村人たちの強い勧めに上手く反論出来ず、暫しその村に身を置くことにした。
村での暮らしは、平和だった。村の人々は揃いも揃ってお節介で、皆エルに新鮮な果物や菓子をたっぷりくれた。それから「大丈夫だよ。きっと、兵隊のみなさんはこの村を通るからね。」と優しく励ましてくれた。その甲斐もあってかエルの傷だらけだった身体は、瞬く間に良くなった。何も無かったように綺麗に…とはいかなかったものの、服を着れば何事もなかったかのように見える程度には回復したエルを見て、村の人々は涙した。エルは大袈裟だなと笑いながらも、それが本当は嬉しくて嬉しくて――一度は故郷を失ったけれど、ここを第二の故郷にするのも良いのかもしれない、なんてことを考えたりもした。
エルは怪我が治ると、村人たちに混じって働き始めた。特に魔法が得意で腕の立つエルは、隣の村との交易を一手に任された。その日もエルは村で取れた木の実や作物を背中いっぱいに背負うと、村人の期待を一身に受けて村を発った。途中ちょっかいを出してくる魔物を倒しつつ、昼過ぎには隣村に着いた。そして手馴れた様子で品物を売り捌き、ほくほくになった懐を撫でながらこれだけの金額になればきっとみんな喜んでくれるなと、ニコニコ微笑みながら帰路についた。荷物が軽くなった分足取りは軽く、夕暮れ前には村に帰ってくることが出来た。
が、村の手前にある森まで来たところで、つい最近嗅いだばかりの火の匂いや埃の匂い、それと嫌な血の匂いに気がつくと、まさかと顔を青くしながらエルは急いだ。途中、整備されていないが故のでこぼこ道に足を取られて転んだが、膝から流れる血など知覚していないかのように振る舞うと走って、走って、ひたすらに走って――そうして村の入り口に着いた時、そこにはつい先日目にしたばかりの生まれ故郷と全く同じ光景が広がっていた。エルはどうして、と力なくその場にへたり込む。
――どうして。どうして、この村の人たちまで?彼らは何もしていない。寧ろ死にきれなかった女に対してとても親切に、かつ献身的に接してくれた、ただの善人だったのに、とエルは涙を零す。涙を零してから、故郷の街と同じように生き残りがいないかをしらみ潰しに探したが、やはり生存者はゼロだった。
「…………なんかもう、どうでもいいや。」
特に彼女に良くしてくれていた老婆の遺体を胸に抱いた時、エルの口からそんな言葉が突いて出た。それは諦めとしての「どうでもいいや」ではなく、「お前がその気ならわたしだって容赦はしない」という意味合いの「どうでもいいや」だった。
エルは手早く荷物を纏めると、彼らが無事に死者の国にたどり着けるようにと手を合わせ膝を折り祈る。それから、この村の生存者が居ないように見せかけるためとはいえ、親切にしてくれた人たちに埋葬のひとつもせずに出ることに対して申し訳なさを覚えると、心の中で何度も何度も謝った。それから、埋葬代わりというわけではないけれど、絶対にあの大男を殺すからと心の中で誓いを立てると、村だった場所を後にした。
それから約3年ほど、エルはひとりで世界を彷徨った。あの大男に関する情報を集めながら、魔物を殺した。魔物だけじゃない。あの大男――魔王と呼ばれる存在を信仰する人間さえも、その手にかけた。魔王が彼女の大切な人たちにそうしたように、しっかりと殺した。どうしても、何故も、命乞いも、なにも聞かなかった。聞こえなかった。それくらいに、エルは荒れていた。表面上は穏やかではあるものの、心の中はいつも嵐が吹き荒んでいた。
「――――君が、エーデルガルト…?」
「…………だったら何?」
「いや、話に聞いてたイメージと違って、随分可愛い子だなあって思ってさ。」
――そうしていつしかエーデルガルトという名前が独り歩きを始めた頃、エルはひとりの男に出会った。その男はただの旅人ながらも出会う人という人を夢中にしてしまう究極の人たらしで、剣の腕が立つ青年で、お人好しで、お節介で。それ故に魔王という未知の脅威を恐れた人々によって、勇者と祭り上げられている男だった。そしてそれを馬鹿正直に真に受けては、死ぬのが怖いと泣く子供の頭を撫でながら「大丈夫!おれ、勇者だから!」とにかっと笑って歯を見せるくらいに、愚直な男だった。
「君、魔法の天才なんだろう?で、しかも魔王を倒そうとしてる。なら、おれと目的は一緒だ。手を組まないか?」
そう言って笑った男は、エルに手を差し出すと笑顔で握手を求めた。エルはそれに目をくれずに「嫌。」とだけ答えると、歩き出した。
「えぇ、なんで?!」
「あいつは、わたしがひとりで殺すの。誰の手も借りない。そう誓ったから。」
「頑固なんだなあ、君って。」
「足手まといは要らないって言ってるの。」
男はそう言ったエルにふっと笑うと、言った。「なら、確かめてみる?――その代わり、おれが勝ったら問答無用で相棒だから!」と告げた。エルはやれやれと肩を竦めると、杖を構える。
――――まさか剣士相手に惨敗するとは、その時のエルは知る由もなかった。




