25_『彼』と、エーデルガルトの話(前編)
「これのどこが小川なんですか、師匠。」
「うーん、おかしいねえ。100年くらい前は小川だったんだけど…。」
「100年前の感覚じゃなくて、地図を見て貰えます?」
進路上の村を出て数日。ふたりと1頭は、王都の東に位置する大きな湖から流れ出ている川を渡ろうとしていた。が、エルの記憶とは反対に小川は大河に姿を変えたどころか、ごうごうとした濁流となってふたりと1頭の旅路を足止めしようとしていた。
「……仕方がない、昨日通りかかった村まで戻るよ。」
「戻ってどうするの?」
「舟を出して貰う。それがいちばん早いだろうからね。」
エルはそう告げると「え〜、戻るの?」と不満を口にする弟子の頭を馬上から杖で軽く叩いた。「文句言わない。」「いや、言うよ。師匠がちゃんと地図見ないから…。」そんなやり取りをしながらふたりは踵を返すと、まだ物資は充分だからと敢えて昨日無視した村に向けて歩き出す。エルは杖で叩かれた箇所を押さえながら「権力の乱用だ…。」と呟く弟子を尻目に、再度肩越しに小川であったはずの大河を見遣ると暫し思考する。
(……おかしい。ああ言って誤魔化しはしたが、地図は王都を出る時に最新のものを買った。そもそも、ここまで大きな地形の変化があれば、王家に報告が行くはずだ。王都で話題になるはずだ。
――なのに、わたしは何も聞いていない。幾らわたしが爪弾きものだとしても、少し不自然すぎる。)
エルはそう思考した後、まさか魔王の腹心が――と考えたところで、そんなはずはないと首を横に振った。あれは、魔王のために人間ならば老いも若いも殺しまくる狂人だ。川で遊ぶような可愛らしい奴ではないはずだと、嫌な予感を無理やり理性で抑え込む。――そうだ。殺しにしか興味が無い奴が、わざわざ川を広げるような真似をするものかと、エルは何度も何度も自身に言い聞かせる。
「……でもさ。こういう悪い予感って、何故か当たっちゃうんだよなあ。」
「?師匠、何が?」
「いいや、なんでもないよ。」
エルはそう告げると前を向く。――そうだ。ただの杞憂である可能性だって、まだあるじゃないか。自分の知らないうちに大雨が降って川が氾濫しただけかもしれないし…と思い直すと、不安を打ち消すように綺麗にブラッシングされた馬のたてがみを撫でた。
――――――――――
引き返した村にて。エルだろうが彼だろうが、とにかく「あの川を渡りたいんだけど。」と口にする度に、村の人々はあからさまに視線を逸らした。それでもめげずに声を掛け続けた結果、ついには村中の人が目を合わせてくれなくなった。エルはもちろん、彼さえもこれは何かがおかしいと勘づき始めた。しかしそれを口に出す勇気のない彼は、エルと共に村を流れる小川――こちらは逆に乾涸びそうなほどに小さかった――の傍に座り込むと、黙り込んだ。
エルも何も言葉を発しない。代わりに、彼女は思考を巡らせる。――この村人の反応といい、やはり普通じゃない。何かがある。とはいえ、それを解決して舟を出して貰うのと遠回りして橋を探すのでは、どちらが早いかと頭を捻る。彼の愛馬はそんなふたりを尻目に、川の水を美味しそうに飲んでいた。
「馬鹿だねえ、あんたたち。舟なんて出せるわけないだろう?」
突然背後から掛けられた声に、彼はびくりと肩を震わせる。反対にエルは思考を巡らせながらもこちらへ向かってくる誰かの足音が耳に耳に届いていたためか、身動ぎひとつしなかった。逆に声の主の方へと顔も向けずに、「それはどうして?わたしたちが余所者だから……ってわけじゃなさそうだね?」と問い返した。
ざくり。足音が砂利を踏む。それからその音の発生源たる人物――彼よりも2、3歳ほど歳上だろうか。ショートヘアーに赤いバンダナを巻いて、いかにも快活な村娘といった様相の声の主は「違うよ。まあ、警戒はしてるだろうけど。」と答えると、どかりと彼とエルの間に座り込んだ。
「キミは?」
「あんたたち同様、舟を出したがってる馬鹿娘。」
「おっ、馬鹿が増えたね?」
「師匠。喜ぶところ、そこじゃないから…。」
嬉しそうなエルと、それを見遣ると呆れながらそう口にする彼とに、赤いバンダナを巻いた彼女はふたりを交互に見遣った。それから軽快に笑うと、「いいね。あんたたちのこと、気に入ったかも。」と口にした。エルはその言葉に光栄だよと返すと、彼女の顔を見つめた。
「キミが知っていること、教えてくれないかい?」
「もちろん。あたしの分かる範囲でだけど、教えてあげるよ。あんたたち、なんとかしてくれそうな気しかしないし。」
そう告げると彼女は語り出した。「あれはね、今から1ヶ月か2ヶ月か…とにかく、それくらい前の話なんだけど――。」
――その日、彼女はいつもの通り川を挟んで向かいにある村に向かおうとしていた。理由はいつもの通り、向かいの村に居る恋人に会うためだった。ふたりは村同士公認の恋人同士だった。どれくらい公認かと言えば、お互いの村の村長が「ふたりがもっと頻繁に会えるように」と、互いの村と村との最短距離にあたる場所に簡素ながらも橋を掛けてくれるくらいには、公認だった。故に、彼女はその日もいつものようにその簡素な橋を渡って、彼に会いに行こうとした。
いつものようにバスケットに果物とお菓子とお茶とを詰めて、家を出た。村を出て、あの簡素な橋に向かおうとしたところで、彼女は気づいた。否、気が付かない方がおかしかった。村を出てほんの5分か10分ほどのところを流れているはずの小川は、一晩にして濁流が命を奪おうと息巻く大荒れの大河へと姿を変えていた。当然、あの橋も落ちていた。
それでも、彼女はあの橋が出来る以前に使っていた石造りの橋――王家が公共事業の一環として作ってくれた橋があることを思い出すと、気を取り直した。随分歩くことにはなるがあるにはあるのだと、石造りの橋目掛けて歩き出した。すると石造りなおかげか、その橋は残っていた。残っていた、が――。
「居眠りドラゴンが居眠りをしていて通れなかった、と。」
「そういうわけ。」
彼女はエルの言葉に頷くと、再度口を開いた。
「だからあたしは舟を出そうと思ったんだ。…はじめはさ、みんなも賛成してくれてたよ。うちの村、彼の住む村のさらに向こう側にある大きな街に、よく羊毛とか魚とか卸してるから。収入がなくなるのは困る、ってね。」
「――じゃあ、どうして…?」
そう疑問を口にした彼に、彼女はふっと鼻で笑うとただひとこと、短く告げた。「魔物だよ。」そう言って嘲笑だとか諦めだとか、はたまた自分ではどうしようもない現実に一周まわって笑いながら、彼女は続ける。「ここらへんでは一生お目見え出来ないような、凶悪な海の魔物まで住み着いちまった。」そう言って彼女は小川に小石を投げ入れる。ぽちゃんと音がして、小石が川底に吸い込まれていく。その拍子に水面が揺れて、ぶれて、震えて――魚が驚いて逃げるのが、見えた。
「傭兵を雇おうとか、王家に訴えようとか、そういう話も、最初はあった。でも、じゃあ誰をどれくらいの金額で雇うんだとか、訴えたところで王家は本当に動いてくれるのかとか、そういう疑問にぶち当たる度にまたひとり、またひとりって、みんな少しずつ消極的になっていった。」
彼女はそう言って寂しそうに笑う。彼はその笑顔が時折エルが見せる笑顔――歴代の勇者との思い出話を語る際に見せる、どこか遠い場所を見つめているかのようなあの顔と被って見えると、ちくりと胸が痛んだ。それから、エルの笑顔――不意に泣き出しそうな、なのに懐かしむような笑顔と被ることを抜きにしても、なんとかしてあげたいと感じると、彼はちらりとエルを見つめた。エルはその視線に気が付いた上で気がついていない振りをすると、「なるほどねえ。」と間の抜けた声を上げる。それから、彼に同意を求めるようにこう言った。
「でも、そんなのただの旅人のわたしたちには関係ない話だよね。なあ、我が弟子?」
「……師匠。それはあまりにも酷いって。」
「だって関係ないもん。」
エルはムッとした様子で突っかかってくる彼に、少々ぶりっ子気味に言葉を返す。そのやり取りを見ていた赤いバンダナの彼女は、寂しそうに「そりゃそうだよ。」と呟くと、足元の草を抜きながら「なら、旅人さんたちは遠回りするんだね。居眠りドラゴンが居眠りしてる橋の先、かなり遠回りにはなるけどもう一本、橋があるから……。」と努めて明るい声で道案内をしようとした。その声は震えていて、ただただ可哀想だった。けれどエルが反対している手前、勝手に承諾出来ない彼はやきもきしながらエルを見つめる。するとエルは徐に立ち上がると、尻についた草や土埃を払ってから「行くよ、我が弟子。」と彼に声を掛けた。彼は渋りながらも師匠であるエルには逆らえずに、そうっとその場から立ち上がる。視線は赤いバンダナの彼女を見つめたままだった。
「師匠!!」
「だって仕方がないだろう?わたしたちに関係ないのは本当のことだ。ましてやこの旅は急ぐ旅なんだそ?キミはまさか、困っている人を全員助ける気か?」
エルの冷たい言葉に、彼は眉間に皺を寄せる。それから「――――師匠って、思ったよりも薄情なんだな。見損なった。」と口にすると、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。その一方でエルはいつものように飄々とした態度で、「見損なってくれて結構だよ。」と軽口を叩く。彼はその言葉に、前々からエーデルガルトという少女のことはどこか気に食わないとは思っていたものの、まさかこんなにも一発殴りたい気持ちになるとは、と奥歯をぎりりと噛み締める。エルはそんな弟子を置いてさっさと歩き出す。が、不意に足を止めると今にも泣きそうな顔を俯いて隠している赤いバンダナの彼女へ、声を掛けた。
「ああ、そうだ。伝言、頼んでもいいかい?」
「……いいよ。誰に?」
「村一番の大工に。」
エルはそう口にすると、俯く彼女へ「大急ぎで橋を作る準備をしとけって。よろしくね。」と声を掛けた。その言葉に赤いバンダナの彼女は顔を上げる。次いでエルを尊敬から一転、軽蔑さえしていた彼もまた、驚きに顔を上げる。エルはそんなふたりのことなど気にも留めずに彼の愛馬に跨ると、「何してるの。行くよ、我が弟子。」と声を掛けた。彼は赤いバンダナの彼女を見つめた後、笑顔で「じゃあ、そういうことだから!」と手を振りながら駆け出すとエルに近寄る。そうして背中に背負った剣に指先で触れながら、照れくさそうな笑顔を浮かべた。
「師匠、最高じゃん!」
「別に。……確かめたいことが出来たからね、そのついでだよ、ついで。」
「とか言って、本当はあの子が可哀想になったんでしょ?」
「……あのなあ――。」
彼のその言葉に、エルは少しだけ言葉を切る。それから、思考する。『可哀想』、その言葉が不意に、ずしりとエルの胸に重くのしかかった。恋人に未来永劫会えないかもしれないと嘆きながらも笑う彼女は、確かに可哀想だったかもしれない。でも、それよりももっとずっと可哀想なのは――――――。
「………………可哀想なのは、キミの方だよ。」
エルはぽつり、口の中でそう呟いた。自分なんかに関わってしまったがばかりに、永遠に勇者として運命に縛り付けられることになった彼の方が。それを知りながらもここまで封印するのが精一杯で、討伐など一度も成功していない自分に付き合わされている彼の方が。ずっとずっと、残酷なくらい可哀想だとエルは目を伏せた。
(……でも、それでも。)
あの日、『キミ』と交わした約束を果たすためだけに、わたしはきっと何度でも、何があっても、エゴまみれの旅を繰り返すのだろうとエルは嘲笑すると、静かに馬の腹を蹴った。




