24_彼と、エルへのプレゼントの話(後編)
「さて。それじゃあ忘れ物はないかい?」
「大丈夫です。師匠は?」
「わたしも大丈夫。……それじゃあ、キミの愛馬を引き取りに行こうか。」
出立の朝。普段よりも早く起床したふたりは、身支度を整えると宿屋の主人に礼と共に心ばかりのチップを上乗せした料金を払うと、まずは彼の愛馬を預かってくれている牧場に向けて出発した。馬宿が併設されていない宿に泊まることになった場合は宿の主人にチップを弾むか、もしくは近くの牧場を頼るといいと、エルは村を訪れてキラースネークの鱗を売り捌いたあと、いちばんに彼に教えた。その上で、「キミの馬なのだからキミが考えろ。」と一見冷たくも思える言葉を吐くと、彼の意思――「慣れない旅は人間も馬も一緒だよな。」という、なんとも心優しい元牧童らしい意見に目を細めて頷くと、最寄りの牧場に預けることにした。
太陽がゆっくりと起き出す時間とはいえ、彼の生まれ育った村同様、村人の多くが農業や畜産業で生計を立てているこの村の朝は早い。ちらほらとすれ違う村の人々に軽く挨拶をしながら、ふたりは宿屋から数えて4軒隣の牧場へと向かった。たった4軒隣ということもあり、あっさりと牧場に辿り着くなりエルは馬の引き取りは彼に任せ、代わりに自身は搾りたてのミルクを買ってくると言い残して消えた。ミルクだけで済めばいいけど、と彼は苦笑してから、厩舎へ向かった。すると案の定、もう仕事に取り掛かっている牧場主を捕まえて馬を引き取りにきた旨と、エルのアドバイス通りチップを渡した。つい数日前、エルのひょんな言葉から思いついた『プレゼント』を含めたチップに牧場主は「坊主。これは流石に弾みすぎだぞ?」と3分の1ほど返そうとする。けれど彼は首を横に振ると、「いえ。無理を言ったのはおれですから。」と言葉を返した。牧場主は「あんなお古にこんな値段をつけたと女房に知られたら、怒られちまうよ。」と笑うと、彼の愛馬を厩舎から連れ出すと馬車を着ける。それから、「待ってな。」と彼に声を掛けるとその馬車に差額分の商品――チーズをふたつと、牧場主の細君がレストランに下ろしている濃厚なミルクと練乳を使ったファッジを2箱、最後に彼の愛馬が美味いうまいと貪りついた特製の人参を1束載せると、「これくらいだな。」と言って大口を開けて笑った。
彼はなんだか却ってこちらが得をしてしまったのでは…と申し訳なさそうに眉を下げるも、大柄な牧場主は彼の背中を思い切りバシバシと叩くと「なあに。おっちゃんから、惚れてる女のために奮発した若者への精一杯のサービスだよ!」と合っているような合っていないような――否、断じてそんなではないと申し訳なさそうな顔から一転、耳まで真っ赤にして否定する彼と、否定すればするほどに「若いっていいなあ?」とニヤニヤとした表情を浮かべる牧場主とを、彼の愛馬は交互に見遣ると退屈そうに欠伸をひとつした。
「どう?引き取れたかい?」
そこに瓶に入った搾りたての、キンキンに冷えたミルクと、あたたかいココアとを両手に持ちながら、エルが合流する。エルは馬の調子を見るよりも先に、馬車にたんまりと載せられたチーズやファッジ、人参の類に気がつくと目を輝かせながら「でかしたぞ、我が弟子。」と頷いた。それから牧場主へ「すまないね。ありがとう、恩に着るよ。」と深々と頭を下げた。牧場主は外見上はうら若き乙女であるエルに頭を下げられると、それに負けないくらいに鼻の下を伸ばして「いいやあ。お嬢ちゃんが可愛いからサービスだよ。」と口にした。すると、エルは「聞いたかい、我が弟子。わたしって可愛いらしいよ?」とニコニコと笑顔を浮かべながら冷たいミルクを一気に煽った。
「……あとでお腹壊しても知らないからな?」
「心配ご無用。そう言われると思って、あったかいココアも貰ってきたからね。」
「………………あ、そう。」
最早何かを言う気も失せるほどに用意周到なエルに、彼は力なく呆れる。彼は「可愛いって得なんだな。知らなかったよ。」とニコニコと嬉しそうに口にするエルと、尚も鼻の下を伸ばしまくっては彼女を持ち上げる牧場主に、まさに知らない方が幸せとはこのことだなとため息をついた。ついでに牧場主の横顔を見つめながら、心の中で「その人が喜んでいるのは可愛いと褒められたことじゃなくて、チーズとファッジと人参を付けてもらったことですよ。」と毒づいた。その間もエルと、エルにデレデレする牧場主とに彼はイライラが募ると、続けて(…めちゃくちゃババアだぞ?)とエルに向けてなのか、それとも牧場主に向けてなのか分からない言葉を頭の中で呟く。それから、ブルルンと嘶いては「どうしたの、ご主人。面白くないの?」と言いたげな目を向けてくる愛馬の頬を撫でた。――決して嫉妬だとか、面白くないだとか、イライラしているだとか、そんなんじゃないんだと自身に再三言い聞かせながら。
「――ほら、師匠。いつまで世間話してるんですか。置いていきますよ。」
「ああ、ごめんごめん。……そんなに怒るなって、我が弟子。」
瓶のミルクを空にした後、手にしていたマグカップに注がれた熱々のココアに息を吹きかけては冷ましつつ飲んでいたエルが「ありがとう、美味しかったよ。」と言って牧場主に瓶とマグカップとを返した頃を見計らって、彼は彼女に声を掛けた。エルは知らず知らずのうちに眉間に皺が寄っている彼の顔に苦笑いしながらも軽く謝ると、「それじゃあ行こうか。」といつものように手網を引こうと馬車の後ろから馬の前へ移動しようと歩き出した。
――その拍子に、今まで馬車に隠れて見えなかった馬の背につけられた鞍に目を丸くすると、思わず足を止めた。それから、言葉少なく「……これ…、」と彼の顔と牧場主との顔を交互に見遣る。サプライズが成功した男ふたりは顔を見合わせると、朝の気持ちの良い空にふたりぶんの笑い声を響かせた。
「おれからのプレゼントです、師匠。今日から早速乗ってください。」
彼は信じられないといった様子で瞬きするエルに、そう声を掛ける。するとエルは嫌味でもなんでもなく、つい数ヶ月前の彼の態度を思い出しながらぽつりと芽生えた疑問を口にした。
「……わたしがキミの馬に乗るの、嫌がってなかったっけ?」
「それは、……まあ、若気の至りというか…。」
「若気の至りって…つい3ヶ月前のことだぞ?」
彼はエルの疑問や至って全うな主張にうぐ、と声を上げる。呻き声にも似たそれは、カエルが馬車の車輪で潰される時の音によく似ていた。彼は一体どういう心境の変化なんだと言いたげなエルに向かって、「『男子三日会わざれば刮目して見よ』とも言うから!とにかく、そういうことだから!!」と告げると、半ば強引に馬に乗るようにその小さな背中を押した。エルは呆れたような、けれど心底嬉しそうな表情を浮かべながら鞍に触れる。それから「そのことわざ、隣の家のお爺さんの口癖だったね。」と告げると、緩く微笑んでから左足を鐙に掛けた。次いで慣れた右手で手つきで鞍の後橋を掴むと、続けて前橋に手を移す。そうして静かに鞍に腰掛けると、最後に右足を鐙に掛ける。彼の愛馬は彼が乗る時――と言っても、村に居た頃に何度かヤギを追い掛けるのに乗られたのみだが――と違い、丁寧かつ経験を感じるエルの乗馬に、主人の時とは一転してリラックスした様子で欠伸をひとつすると、そのたてがみを靡かせた。
「……うん、いいね。最高のプレゼントだ。」
「だろう、だろう!中古とはいえ、何しろ兄ちゃんの全財産だからなあ!」
「ちょ、それは言わないでってば!!」
まだ若い彼の愛馬では、かつて『彼』の背中越しに見た高さには、まだまだ届かなかった。けれど遠い昔の『彼』が彼女にそうしてくれたように、なんの記念日でなければお祝いでもないのに、ごく自然にこんな自分を大切にされたこと――他の誰でもない、自分を思ってプレゼントを贈ってくれたというその事実に、エルは彼の愛馬同様朝の爽やかな風にその長い髪を靡かせながら率直な感想を口にする。
――歴代の勇者たちも、皆エルに様々なものをプレゼントしてくれた。それは旅の思い出だったり、その後のほんの50年ほどとはいえ誰にも糾弾されない心穏やかな時間だったり、最後の一欠片のパンだったり。あるいは彼女が美味しいと褒めた料理の数々だったり、はたまた王族の家庭教師という揺るぎない地位だったり。どれもが彼らなりの親愛に満ちた、大切な贈り物だった。かけがえのないものだった。
けれどかつてはあんなにも馬に乗らせることを嫌がったくせに、わざわざ鞍を用意してその発言を撤回するような勇者もいなければ、祝い金として渡した初の収入を丸ごとプレゼントに使うような勇者も、居なかった。――つまるところ、これほどまでに親愛と献身と少年らしい後先考えない無鉄砲さと、「大事に使うんだよ。」と言った金の使い道を少し間違えているプレゼントというのものは、初めてだった。
「……ありがとうね、我が弟子。」
エルは目を細めると、眼下の彼に礼を述べる。彼はエルと目が合うとうっすらと頬を染めた後にふいと目を逸らした。エルはその様子に、大それたことをするわりには全く素直じゃないなあ、と笑う。彼は「うるさい。」と短く口にした後に、ちらりとエルを見上げると照れくさそうに口にした。
「…………次はさ。もっと凄い魔物仕留めて、新品買うから。」
「そいつは楽しみだ。」
エルはただそう答えると、馬の腹を軽く蹴って歩き出すように指示を出す。エルはゆっくりと動き出す馬と馬車とその隣を歩く彼の足音とに耳を澄ませながら、「馬鹿な子ほど可愛いっていうのは本当だったね。」と呟く。彼は苦虫を噛み潰したような顔をしながら、「男に可愛いとか馬鹿とかやめてくれない?」とまるで村にいた頃のように反抗する。エルはその様にけらけらと笑った後に右手は手網を握ったまま、彼女の左側を歩く彼に向けて左手で投げキッスを贈るとぱちりとウインクした。
「じゃあ訂正。愛してるよ、我が弟子。」
「………………だから!!」
「何さ。これ以上、何が不満だって言うのさ。」
頭を抱える彼を尻目に、エルは涼しい顔をする。なんとも対極的なふたりに彼の愛馬――まだ若い牝馬は、やれやれと言わんばかりに鼻を鳴らした。




