23_彼と、エルへのプレゼントの話(前編)
ふたりはキラースネークを倒した後に立ち寄った村に、約1週間滞在した。少々長すぎるのでは、と彼は眉を顰めたが、無論エルとて馬鹿では無い。「勉強の時間だぞ、我が弟子。」エルはそう言ってにこりと笑うと、彼に幾つか課題を出した。ひとつは今後の旅の役に立ちそうな物品を自分で考え、選ぶこと。ふたつはその物品を自分で買いつけてくること。無論、値切れるだけ値切って買ってくるようにと言いつけた。
そして最後にみっつめ、エルはこれがいちばん大切だと宿屋のベッドに寝っ転がりながら彼に告げた。それは、無理をしないこと。エルはいそいそと布団を被ると「特に初心者というものは知らず知らずのうちに無理をしやすい。ということで、まずは飽きるまで寝ることだな。」と告げるなり枕に顔を押し付けた。(…いや、師匠は初心者じゃないんじゃ…?)と彼が首を捻ったのは、ここだけの話だ。
とにかく、そうして約1週間。彼はエルがキラースネークの鱗を買い取って貰った時の言葉選びや身振り手振りを思い出しながら彼女を真似て雑貨屋や薬屋、商店の類を回った。そうしてまだ未熟な冒険者なりに必要なのではと考えた物品を馬車に詰め込んだ。加えて有識者や旅の商人から、彼らが向かう北の天気や状況についての情報収集も、並行して行った。その結果、彼は天候を考慮し、2日後の早朝に村を発つのがベストだという結論に達した。エルは何も言わず、ただ「そう。じゃあそれで決まりね。」とだけ言った。
「師匠。本当にチェックしなくていいの?」
「身をもって過不足を知るのもまた勉強だよ、我が弟子。」
「……でも…。」
宿屋にて、彼は不安そうにエルにそう尋ねる。というのも天候や出立の日取りといい買い込んだ物品といい、エルはそれらに一切目を通さなかった。無論相談には応じた。時に意見を求められ、それを口にすることもあった。が、彼女は自分の意見を発言することはあれど、答えを口にすることはなかった。故に彼は不安そうに眉を下げる。正解がないという事実が、まるで霞を掴むかのような現実が、これほどまでに恐ろしいとは思いもしなかった。
エルは当初はそれらしいことを口にしては彼を放置していた。が、不意に耳に届いた不安そうな弟子の声に、村の図書館から借りてきた娯楽本――ここ最近の王都の政治事情や流行、はたまた時代を彩るアーティストについて書かれたなんとも下世話な本――エル自身、暇つぶしを兼ねて読んではいるものの、特別楽しいとも感じていないそれから目を離すと、代わりに彼の顔を見た。そうして想像以上に不安そうな彼の表情に気がつくと、ぱたんと本を閉じてベッドサイドのテーブルに置く。それから寝転んでいた身体を起こすと彼のベッドに腰掛けた。次いで彼の隣に並ぶと、その不安に曇る顔を覗き込みながらよしよしと頭を撫でてやった。
「大丈夫さ。仮に足りないものが出来ても、この先にはまだ幾つも村がある。それに、わたしは死なないんだ。少なくとも食料や薬の類は幾らでも切り詰められるよ。上手く使え。」
「……死なないからって、師匠をぞんざいに扱っていい理由にはならないよ…。」
彼の言葉に、エルは少しだけ目を丸くした。素直に、驚いたのだ。まだ村を出てひと月も経っていない彼の口から、そんな言葉が出てこようとは予想だにしていなかった。故に驚いた。嬉しくもあった。と同時に、エルは彼のその優しさが命取りになるのでは、と少し不安にもなった。だからこそ子供のようにわざと足をぶらぶらと動かすと、本当ならば満面の笑みと共に彼を抱き締めて、それから本当に可愛い奴だと頬擦りしたいくらいに嬉しい気持ちを、敢えて皮肉に変換して口にした。それは長く生きすぎたが故の悪知恵であり、自己防衛であり、彼のためだった。
「一丁前だな?」
「……気持ちだけだけどね。」
「いいや、それがいちばん大切なことだ。」
とはいえ、嬉しかったのもまた事実で。エルは相変わらずしゅんとしたままの彼の頭を撫でてやると、「キミはいつだって優しいな。」と口にした。彼はそんなこと…と口にしかけるも、彼女の口にする『キミ』が自分ではなく、自分の前の勇者たちを指していることに気が付くと、エルに背を向けた。
――拗ねているわけではない。不貞腐れているわけでもない。ただ、自分の知らない誰かの話をされたのが、酷く不快で。勇者というラベルを通してしか自分のことを見てくれないエルが、とにかく不満で。彼は背を向けると、どうにかしてエルに今の勇者は自分だと思い知らせてやる方法はないかなと頭を捻った。エルはよく分からないものの不安そうな表情から一転、難しそうな顔をし始めた彼に「…今度は何考えてるのさ?」と声を掛ける。が、一向に返ってこない返事に痺れを切らすと、彼のベッドに寝転んで下から顔を覗いた。
「キミって忙しい奴だな。不安になったり、難しい顔をしてみたり。見てて飽きないよ。」
下から自身の顔を覗き込んではそんなことを口にするエルと目が合うと、彼は固まった。それは同じくらいの身長の彼女を初めて見下ろしていることに加え、上から見たエーデルガルトという少女の防御力の低さ――危険の少ない場所限定で寝巻き代わりに着ている、普段の分厚いローブのような服の代わり――つまりはかつて彼の村で着ていたような薄手のワンピース、それも丈が短い上に胸元のガードが緩い、改めて意識して見てみると非常に目のやりどころに困る服に気が付くと、反射的に目を逸らした。
それから、必死に自分に言い聞かせる。いやいやいや、この人は何千年も生きてるババアだぞ?!だとか、そもそも女の子に興味なんてないし!?だとか。けれど自分に言い訳すればするほどに、ベッドに寝転がっては彼のことを見上げてくるその瞳に吸い込まれてしまいそうな気がした。それを悟られないように、彼は努めて普段の調子で口を開いた。声は、少しだけ震えていた。
「……ちょっと。ここ、おれのベッドなんですけど?」
「いいじゃないか、ちょっとくらい。」
「良くない!!!」
彼はそう言って頭を抱えると、どうして別の部屋を取らなかったのかと心底後悔した。それくらいに、薄着のエルを上から見下ろした時の威力というものは、凄まじかった。それから、こんな訳の分からない気持ちになるだなんて、おれのばか!!と心の中でこっそり泣いた。ついでに1週間前に戻れるのなら、絶対に「節約出来るところは節約すべきだからね。」と言って1部屋だけ取ろうとするエルに、間違いがあったらどうするのだと詰め寄るのに、とも思った。(いや、間違いて!間違いてなんだよ、おれ!!)と再度彼は頭を抱える。口からは呻き声のような、魔物の断末魔のような声が無意識に零れ落ちた。
――頭を抱えて、首を捻って、言い訳をして。そんなことをする度に、自分の意思とは無関係に心臓が全速力で拍動する。そのせいで顔中に熱が集まるのを感じる。脳には血が昇っているのに、何故か全力疾走した後のような息苦しさやぼんやりとした思考が纏わりついている。頭を抱えたまま、時に首を横に振ってみても一向に離れない。しまいには挙動不審な彼に、エルがけらけらと笑う度にジャスミンのような甘ったるい香りがふわりと広がる。それが鼻に届く度に、またしても彼は悶える。
「――ちょっと、散歩でもしてきます…。」
「なら、帰りに何か甘いもの、買ってきてよ。」
「……なんでおれが…。」
「いいじゃん、おつかいだと思ってさ。…あ、でもプレゼントでもいいよ?」
ベッドから立ち上がった彼は、ふらふらとした足取りで扉のノブを掴む。エルはその背中に呑気に声を掛けると、再びベッドサイドの娯楽本を手に取った。そしてそのまま彼に宛てがわれたベッドの上でゴロゴロし始めた。彼はその様子を肩越しに見遣ると、はあと重いため息を吐く。が、エルの発した言葉――『プレゼントでもいいよ?』の言葉に、身体に電流が走ったかのような閃き――どうすればたくさんの勇者の中のひとりでしかない自分を、自分として見て貰えるかのヒントを得ると今度は意気揚々とした様子でノブを捻り、宿を後にした。その足取りは軽かった。
「……本当。歴代でいちばん見てて飽きないキミかもな?」
エルはその様子に目を瞬かせたあと、ぷっと小さく吹き出すとぽつりと呟く。その言葉が宿を後にした彼に届くことは、なかった。




