02_7代目の勇者の話(後編)
「それじゃあ、おれ、買い出ししてきますから。大人しくしててくださいね、師匠。」
「……大人しくって、どのレベル?酒場はあり?」
「ベッドで寝るか、本を読むかの2択です。」
「…………つまらない男だな、キミは。」
「つまらなくて結構ですから、絶対動かないでくださいね?もし宿屋から一歩でも外に出たら──、」
「その時は、簀巻きにしますから。」──そんな捨て台詞を吐いてからパタンと、無慈悲に閉められた宿屋の扉とその向こうに消えた背中を、エルは大いに睨みつけた。それもそのはず、愛弟子から告げられた言葉は宿から出るな、大人しくしろのふたつ。加えて、許可されたのは読書だけ。幾ら自身のせいとはいえ、あまりの退屈さとつまらなさにエルは窓を開けると少し寂れた様子の村を見下ろした。
(………しくじったなあ…。)
風に吹かれ、頬杖をつきながら考えるのは彼に怒られた理由ではなく。本来ならば今日中にもうひとつ先の村まで行く予定だったのに、自分のせいでその日程が乱れたことへの心配だった。無論、旅に多少のアクシデントというものはつきものだが、はて、果たしてあんなにも怒り心頭な彼の熱が冷えるまで一体何日かかるやら。エルはやれやれとため息をつくと、先程の戦闘でちぎれた左腕──適当に縫い合わせたそれを、ぷらぷらと動かしてみた。
――何度考えても、咄嗟の判断だった。そして最善の判断だったと、エルは思っている。何よりも誤算だったのは、森を抜ける際にあたり一帯を牛耳っているゴブリンに火薬の知識があったことに他ならない。そも、一般的に肉体のみならず頭までもが弱い魔物に分類される彼らに、そんな知識があるだなんて誰が予想出来ただろうか。………とごちゃごちゃと言い訳を並べてみるも、まあ、要するに予想以上に知恵をつけていたゴブリンに不覚を取られた上、ゴブリン手製の遠慮のない爆弾と爆風から彼を庇った結果、左腕がちぎれてしまった。――要するに、事の顛末と彼の怒りの原因はそこなのだ。
「………まあ、しくじったのは本当だし。しゃーない、言い付け通り大人しく読書でもして待ってますか。」
エルはそう呟くと、荷物の中から前回の彼との冒険で手に入れた分厚い魔導書──こういう時のために、敢えて読まずに取っておいたそれを手に取ると、ゆっくりとページを捲り始めた。
――せいぜい、言い付け通り読書に興じる師匠の姿を見て反省、もとい言いすぎたなと後悔して、酒場くらいは許可してくれるもいいものだな、と考えながら。
――――――――――
宿屋の一室の扉が開いたのは、窓から吹き込む風が少し冷たくなり始めた頃だった。出掛けた時の勢いの良さとは反対に、力なく開け放たれた扉とふらふらとした足取りにエルはああ、なにかあったなと即座に感じ取った。勇者という名目と大義名分のもとに厄介事を押し付けられたか、もしくは村の子供たちの遊び相手か話し合いにでもされか。いずれにしろ、彼がこの数時間どこでなにをしていたのかそれほど興味のないエルは黙々と本を読み進める。時折なるほど、だのふうん、だの小さなリアクションを繰り返しながら本に熱中していると、不意にページを捲る手を彼に抑えられた。
エルは読書の時間を邪魔しようとするその手を無言で押し退けるも、押し退けても押し退けても執拗に読書を邪魔してくる手のひらに漸く顔を上げると、「何?」とぶっきらぼうに問い掛ける。すると彼は、沈んだような興奮したような――とにかく、どちらとも取れる表情と共に、エルに言った。
「師匠…おれ、決めました。」
「何を。」
「おれ、結婚します。」
「ああ、そう。」
エルは短くそう答えると、興味なさげに再び本へと視線を落とす。――実際問題、彼がこうして突拍子もないことを言い出すのは今回がはじめてではなかった。男ばかりの兄弟、それも末端とはいえ騎士の家系に生まれた彼は、とにかく女というものに対して免疫がない。しかもおまけに、彼本来の性質なのか、異様に惚れっぽかった。とどのつまり――『こういうこと』は、7代目の彼との旅路においては、日常茶飯事だったのだ。故にエルはそこまで気にせずに、適当に返事をした。
「誰と?」
「雑貨屋の娘さんとです!」
「ふうん。……そんなことより、ちゃんと値切ってきた?」
興味なさげ――もとい、どうせいつもの一時の感情だと適当に受け流すエルに、彼はムッとすると彼女の手の中から魔導書を引き抜いた。エルは遂に手が出た彼にため息をつくと、ようやく視線を上げた。
「それ、何回目?」
「今回は本気です。」
「前回も全く同じことを聞いたよ。それより、ちゃんと値切ってきた?」
「だから、今回は本気なんですって!…あと、ちゃんと値切ってきましたから!!」
「よしよし、よくやったぞ。それでこそ我が弟子だ。」
エルは両腕を組むと満足そうによしよしと頷いた。それから、立ち上がると丸テーブルに置かれた荷物をガサガサと漁る。薬の類いに、携帯食料に、燃料類――。少なくとも本来立ち寄る予定だった村での補給は必要なさそうな物品と数に、再度頷いた。これから先、どんな事態が待ち受けているか分からない以上は節約出来るものは節約するに越したことはないというのが彼女の持論であり、同時に彼も同意したふたりの間の共通認識だった。
「ちょっと、何腕使ってるんですか。ダメですよ、大人しくしててください。」
「大丈夫大丈夫、もうくっついたから。」
「………………本当ですか?」
「うん、本当。明日にでも出ようか。」
平然と腕を使って荷物を漁るエルに、彼は渋い顔をした。それもそうだろう。なにしろつい数時間前、彼の目の前で師匠たる彼女の腕はそれはもう綺麗に吹き飛んだのだから。おまけに師匠の腕がちぎれたことに動揺する彼とは反対に、その師匠本人は「うん、今のは我ながら良い判断だった。」と満足そうだったのだから、彼はほとほと自分が情けなくて堪らなかった。と同時に、やはり彼女は自分とも世界中の人々とも違う――呪われた身なのだと実感して、少し、恐ろしくなってしまった。
一体、人生においてどんな出来事があれば、腕がちぎれても平然としていられるのだろうか。呆然とする弟子に、「無事でよかった。」と言って、手を差し伸べられるのだろうか。もし、もし自分が彼女の立場だったら――?そんなことを考えては沈んでしまった彼の心を優しく照らしてくれた存在こそが、この村の雑貨屋の看板娘だった。
艶やかな黒髪と、少し緩く編まれた三つ編み。あどけない緑色の瞳は、彼の実家の庭に植えられているどんな草花よりも綺麗だった。そのうえ、広場のベンチでひとり沈む彼を気にかけて、「どうかなさいましたか?」と。そのひとことをかけるためだけに、わざわざ店を開けて隣に座ってくれたのだから、ただでさえ惚れっぽい彼が運命を感じてしまうのも無理はなかった。
加えてもう少し安くならないかと値切ろうとするよりも先に、「旅人さん、落ちんでるみたいだから…特別ですよ?」と言ってこっそり値引きしてくれた、あのいたずらっ子の笑顔。――気がついた時には、彼は少女の手を握って、「あの、おれと結婚してくれませんか?」と口にしてした。それくらい、彼は看板娘の少女に恋をした。否、愛を知ってしまった。
「ダメです。あと1週間は養生してください。」
「へえ。そんなにわたしが心配?」
「当たり前でしょう。…というか、明日ここを出る方が怪しまれますよ。師匠、血塗れだったんですから。」
「ああ、そうだった。……となると、それも一理あるね。」
彼はもっともらしい理論でこの村での滞在期間を引き伸ばした。とはいえ、エルのことが心配だったのも本当だった。いくら彼女が呪われている身──魔王に『死なない呪い』を掛けられているとはいえ、腕がちぎれた直後にあまり無理はさせたくなかった。何より、エル自身が少しも無理をした自覚がないことが痛ましくて、悲しかった。とどのつまり、これは彼のエゴだった。
「……と見せかけて、その心は?」
「この1週間で絶対に口説き落とす。――って、何言わせるんですか師匠!!」
「んー?いやあ、若いっていいなと思って。」
エルは彼を揶揄ってから、1週間も滞在するならば、と荷物の中に紛れていたキャラメルの包装を開けると口に放り込んだ。恐らくは非常食兼、どうにもやる気が出ない時の彼女を釣るためのご褒美だったであろうキャラメルは素朴な味の中に優しい甘さがあって、エルは舌鼓を打った。それから、エルは口の中のキャラメルが溶けきらないうちにふたつ、みっつと包装を剥いでは口の中に放り込む。少しばかり食い意地の張った、けれどこの贅沢な食べ方が、エルは子供の頃から好きだった。
彼は賢者らしい立ち振る舞いから一転、子供のようにキャラメルを頬張るエルに苦笑すると、仕方がない人だとキャンディも差し出す。それから、もしかするとこれは彼女なりの冷やかしと、その冷やかしを受けて熱くなった頬を冷ますための無邪気な振りなのではと、そんなことを不意に思った。
「師匠は、いい人とか居ないんですか?」
「居ないねえ。」
「探さないんですか?」
「探さないねえ。」
あっという間にキャラメルを半分近く食べてしまったエルは、今度は口直しに隠し持っていたクッキーを頬張りながら、なんでもないように答える。彼は左手にクッキーを持つエルに眉間に皺を寄せると、「左手は使わない。」と注意した。が、エルはその注意など聞こえていないような振りをして、彼女のいちばんお気に入りのナッツの入ったココアクッキーを彼の口元に差し出すと、頬杖をつきながら言った。
「だから。わたしの分までしあわせになるんだよ、我が弟子。」




