19_35代目の勇者と、姫君の話(中編)
魔王を封印し、旅が終わって10年と少し。エルは大きな街から小さな村まで、人のいる場所から場所のみならず、時には廃墟や洞窟といった人の手が入っていない場所にさえ移りながら、点々と暮らしていた。そのまるで根無し草のような生活には、理由があった。
エーデルガルトという魔女は、人々から恐れられている。それは不死であることや最も強い魔法使いであることに加え、彼女が世の中を知りすぎているが故だった。だからいつもエルは魔王の封印が解けた時だけ、人々から歓迎される。そして魔王を封印した途端に、迫害される。だからエルは35代目の勇者が旅を終え、なんの因果か王家の姫君と結婚する運びとなった頃には、既に王都を後にしていた。それは35代目の勇者たる彼の性格――素直で、ある意味では怖いもの知らずな彼ならば「師匠も結婚式、出てくださいね!」なんて言い出して王家の人々はもちろん、貴族の面々の顔まで凍らせる未来しか見えなかったからだった。
無論、エルはそんな人々の態度には慣れきっていた。今更傷つくだとか、そんなことはなかった。けれどこれから先は王家の一員として生きていく彼のことを思うと、自分はさっさと消えるべきだと思ったのだ。彼が傷つく前に、立場ある人々から煙たがられる前に、不安分子はさっさとお暇しようと、そう思ったのだ。だからエルは国王への魔王封印の報告も早々に、王都を出た。最後にきっともう見ることのないであろう彼の顔をじいっと見つめた後、ふっと笑ってからよく眠っている彼の頭を撫でて、「しあわせになれよ。…それから。頑張れよ、未来の王様。」とぽつりと呟いて、まだ日が昇らないうちに居眠りをしている門番を起こさないように、そうっと王家を後にした。
そうして時に素性を隠しながら、はたまた明かしながら魔物の討伐や用心棒といった、その場限りの仕事をして。必要最低限の荷物を纏めて、そうそうに人の居る場所を後にして。――風の噂で、彼が無事に姫君と結婚したことや子供が生まれたことを知って。その度に、王都のある方角を眺めながら、「良かったね。」と呟いて。それから「キミももう父親かあ。」なんて少し笑いながら、味気ない硬いパンを頬張った。そうやって旅の終わりから10年と少しの間、エルは気ままに生きてきた。
そんな折、エルは偶然食料の補給に立ち寄った村で、火山に凶悪なドラゴンが住み着いたという話を耳に挟んだ。王家直属の討伐隊も手を焼いていること、麓の村の住人は皆親戚の住む村や王都に避難しており、毎日心を痛めているらしいと噂する人々に、エルはなんの疑問も抱かずに腰を上げた。そんなに凶悪な魔物こそ死んでも死にきれない自分が相手をしなくては、とごく自然に思った。だからエルはその噂話を聞いた次の日には、火山地域に向けて出立していた。決して自分を白い目で見る人々を助けるためではない。ただただ『彼』の愛するこの世界を守ってやらなくちゃな、なんて感情だった。――遠い昔に交わした、約束のためだった。
時に陸路で、時には大梟に交渉して空路で、エルは火山地帯へ急いだ。そのおかげか、常人ならばゆうに半年は掛かるであろう道程を2週間で終えたエルは、早速麓の村へ足を踏み入れた。が、そこは噂に聞いていたような場所――人が村を捨てた形跡など、少しもなかった。人々は火山が齎す恵み故の鉱山事業や、畑仕事に精を出していた。エルはもしかしてもう誰かが討伐してしまったのかと首を傾げる。それにしてはあまりにも不自然だと眉を顰めたその時、エルは誰かにがしりと首根っこを掴まれた。そしてそのまま宙に引き上げられた。
――決して、不自然な状況を推察するのに思考を全集中させていたが故に、背後から忍び寄る誰かに気がつけなかったわけではない。その人物がエルの警戒を掻い潜れる程に気心のしれた人物だったというだけだった。そう、つまり――。
「お久しぶりです、師匠!!」
「………………嵌めたな?」
エルは宙ぶらりんのまま、自身の首根っこを掴んだままニコニコと笑う人物――35代目の勇者である彼に、恨み言を放つ。彼はそんなエルなど何処吹く風、変わらずニコニコとしながら「やだなあ。だってこうでもしないと師匠、捕まらないですよね?」と言い放った。ぐうの音も出ないエルは静かに彼を睨みつける。それから、「……要件は?まだ魔王の封印は解けてないだろう?」と口にした。彼は頷きながらもエルを物陰に隠していた王家の紋章の入った馬車に押し込むと、早々に鍵をかける。まるで猛獣か何度も脱獄を繰り返す犯罪者のような扱いにエルはため息を吐いた。
が、流石は元勇者にして次期国王と言うべきだろうか。馬車とは思えないくらいにふかふかのソファと、備え付けの小さなテーブルに並べられた数々の菓子や茶の類に、エルは静かに目を輝かせる。「……で?なんでこんなことしたのさ。」と言葉は普段通り冷静かつ平静を装いながらも、その手は早速クリームとチョコレートがたっぷりと乗った可愛らしいカップケーキを掴んでいた。そして彼が何か言うよりも先に、大きく口を開けてそれにかぶりついた。
――――――――
「……というわけで、うちの子の家庭教師をして欲しいです。お願いします、師匠!この通りです!!」
馬車に揺られつつ、次々と出される菓子を片っ端から平らげているうちに、エルは気がつけば城の応接間に通されていた。そこでも変わらずに菓子だの軽食の部類だのを絶え間なく出してくる彼に、エルは悔しいながらも自分の扱い方をよく分かっていると感心さえした。そしてもう10年以上顔を合わせていなかったにも関わらず、自分の好みを覚えていてくれた彼に少し嬉しくなった。
……が、それはそれ。ただでさえ王家はエルを目の敵にしている、もとい誰よりも恐れているのだ。現に先程から給仕の度に茶菓子や軽食を運んでくるメイドの顔が青ざめていることにとっくに気がついていたエルは、彼に「いなにがというわけで、なの?普通に嫌だけど。」と答えると最後のひとつのカナッペを口の中に押し込んだ。ただのメイドでさえあの震え方なのだ。城に住む王族や貴族達の反応など、確かめるまでもなかった。それに加えて仮に承諾したところで今度は彼が城中の人々から白い目で見られることは火を見るより明らかだった。だからそこ、エルは素早く断るともう話は終わりとばかりに立ち上がった。それは頼ってくれたことこそ嬉しいが、自分は彼のしあわせの障害にしかならない――そのしあわせを邪魔したくないという、エルなりの決意でもあった。
「そこをなんとか!!俺と師匠の仲ですよね?!」
「もう終わった仲だから。」
「終わって!!ないです!!」
が、彼がエルの感情を知る由などない。彼は素早く向かいのソファから立ち上がると、エルが動くより先に扉の前を陣取った。そして子供のように駄々を捏ねると、扉の前でギャンギャンワアワアと騒ぎ立てる。そんな彼にエルは困ったなとため息をついた。
それから仕方がない、ならば窓から出るしかないと窓の方に向けて歩き出す。しかし窓に手を掛けた途端に、指先がぱちんと弾かれた。エルは城全体に掛けられた防護の類の魔法だと即座に感じ取ると、指先に魔力を集中させる。これならものの数秒で解錠出来そうだと頷くエルに、彼は「いやいやいや!ダメ!ダメですから!!」と声を上げながら駆け寄ると再びエルの首根っこを掴んで宙に引き上げた。
「……しつこくない?」
「そりゃあしつこいですよ!」
彼は少しだけ怒った口調でエルにそう告げた。エルは相変わらず宙ぶらりんのまま、やれやれと肩を竦める。それから彼に、揺るぎようのない事実を告げた。
「あのさ。わたし、魔女。それも王家からは目の敵にされてる。…わかる?」
「分かりますよ、それくらい。子供じゃないんですから。」
「そんな魔女に姫の家庭教師なんて頼んだら、今度はキミが白い目で見られる。キミの大切な人――細君も、娘も、白い目で見られる。……わかる?」
「いや、それはちょっと分からないです。」
「なんでさ。」
エルは静かに頭を抱える。何故前半の道理が分かって、後半の道理が分からないのだ。昔から少し頭のネジが緩い子だとは思っていたが、まさかここまでとは。エルははあ…と重いため息をつく。彼はそれを見つめた後、「だって、」と首を傾げながら口を開いた。
「俺、知ってますよ。師匠がすごく良い人だってこと。ただみんなは何千年も生きている魔女だとか、不死の魔法使いだとか、そういうレッテルやレイヤーを通してしか師匠のことを知らない。だから勝手なイメージを抱いて、勝手に恐れてる。
――でも、それってつまり。逆に裏を返せば、師匠がどんな人かを知る機会さえあれば、みんな俺と同じことを思ってくれるってことでもあるんですよ!!」
なんとも彼らしい、前向きかつ楽観的な言葉に、エルは「………………どうだかね。」と呟いた。それは、そんなに上手く事が運ぶだろうかという悲観的な気持ちと、そうであったらどんなにしあわせだろうと思う切ない気持ちと、もし彼の思う結末と違ったら?と恐れる気持ちとが混ざりあった、肯定でも否定でもない相槌だった。長く生き過ぎたが故の、臆病さだった。けれど彼はエルのそんな臆病さごと笑ってみせた。笑ってみせた上で、言い放った。
「善い人間じゃなくちゃ、ドラゴンをひとりで討伐しになんて来ませんよ。………その行動が、思考が。それがあなたの全てです、師匠。」
その言葉に、エルは目を伏せる。いつも誰かを褒めておだててばかりだった彼女が、久しぶりに誰かに褒められた瞬間だった。認められた瞬間だった。遠い昔、『彼』にそうやっておだてられて、宥められて、重い腰をあげてから実に数千年ぶりの、ただの少女になった瞬間だった。エルは「……ずるいなあ。キミは、いつもそうだ。」とぽつり、呟く。それか観念したように両手を上げると、薄く笑った。
「…………それもそうだね。」
「――――――よっしゃ!!なら決まりですね!?!」
「好きにしたまえ、次期国王陛下。」
嫌味と、冗談と、親愛を込めて。エルはそんな言葉を口にした。けれど彼は相も変わらずニコニコ笑いながら、「俺は死ぬまで――いいえ。死んでも師匠の弟子ですよ。」だなんて言ったものだから、エルも釣られて笑ってしまった。




