17_洞窟と、9代目勇者の話(後編)
昔話が終わる頃には、ふたりは洞窟の前だった。まずはエルが洞窟の入口から、ざっと中の様子を伺う。生き物の気配はあまりなかった。あまり大きくはない洞窟だからか、或いは皆フルーツ集めに出払っているのだろうか。そこまで考えたところで、エルは鼻先を擽ったつんとした血の香り――非常に不快な鉄の香りに、眉を顰めた。
エルは更に目を凝らす。一体この狭い洞窟の奥で何が起こっているのかと、精神を集中させる。場合によって逃げることも選択肢に入れなければと真剣に考えていたところで、エルは暗闇の中できらりと光るふたつの眼とぬるりと蠢く軟体と目が合った。ははあ、なるほどとエルはひとり頷く。それから背後の彼へ向き直ると、にこりと笑顔を浮かべた。
「良かったな、我が弟子。」
「え、何が?」
「初戦はフルーツコウモリだって言ったろう?あれ、訂正だ。」
エルはそう言って洞窟の入口から退くと、彼を先程まで自分が立っていた場所へと促した。わけも分からないままに洞窟の入口に立たされた彼は、訝しげな表情をしながらエルの顔を見つめる。エルは相も変わらずニコニコ笑顔のままだった。――なんか嫌な予感がするなと彼の背中に冷や汗が伝ったところで、エルがどん、と勢いよくその背中を押した。不信感こそあれど、油断していた彼はつんのめりながら勢いよく洞窟の中へと侵入して行く。
「ちょっと師匠、なんですか――。」そこまで口にしたところで、彼の鼻にも嫌な鉄の香りが届いた。そしてその匂いの発生原因であろう、暗闇の中で蠢く何かの存在を察知した。フシュウ、フシュウと壊れかけのポンプのような音を立てながらこちらを睨みつける鋭い瞳と、目が合った。
「………は?」
「というわけで。キミの初戦はフルーツコウモリ改め、キラースネークに決定だ。…頑張ってね?」
「――――いやいやいやいやいや!!!!!」
彼は眼前の魔物――キラースネークと呼ばれる、スネーク種の中でも肉食に該当するであろうそれの動向に気を付けつつ、背後のエルを見遣った。「こんなのひとりで倒せるわけないだろう」「無茶ぶりすぎる」「見なかったことにしたいんですけど?!」――そんな感情を込めた悲鳴にも似た声を漏らしてみたが、エルはそんな彼を尻目に洞窟の前に停めた馬車の荷台に乗り込む。そうして荷台の縁に座り込むと、まるでブランコに腰掛けながら他愛ない話に花を咲かせる乙女のように足をブラブラとさせた。そしてすっかり青ざめた顔の彼に向けて、頬杖をつくとにこりといい笑顔を浮かべながら言い放った。
「まあ、頑張れ。」
その声を合図に、キラースネークが彼に向けてフシャアァ、と牙を剥き出しにしながら威嚇の声を上げた。「……鬼。悪魔。クソババア…!!」彼は目の前の魔物よりかは背後の師匠に向けて恨み言を口にすると、背中に背負っていた剣と盾を抜いた。
剣は彼の父親が譲ってくれた、よく手入れされた鋼の剣だった。数年前、年に数度王都で開かれるバザーに畜産物や農作物を出品する際、たまたま隣になった鍛冶屋から買ったものだという。「なんでもこの剣を作った鍛冶屋の祖先はな、遠い昔、勇者だったらしいぞ。」そう言って嬉しそうに目を細めた父親に、「それ、本当?」と疑わしい目を向けた日のことを、彼は昨日のことのように覚えていた。あの時、彼はやっと歳を数えるのに、両手じゃ足らなくなる頃だった。まさかそろそろ両手を2セット用意しなきゃいけない歳になる頃に勇者が祖先だという鍛冶屋が作った剣を、新たな勇者として握る日が来るとは思ってもいなかった。まったく、運命というのは酷く悪戯だと彼は柄を強く握りしめた。
左手に構える盾も、彼の父親が剣と共に譲ってくれたものだった。但しこちらは王都で買ったものではなく、若い時に彫刻師だった向かいの家のお爺さんが「腕が鈍らないように」と、なんの飾り付けもされていない無愛想な木の盾から作ってくれた上に、彫刻を施してくれた特注品だった。彼の村のシンボルでもある大きな角の生えたヤギと、カボチャと、豊かな緑とが彫刻されたそれは、ただただ美しかった。「そりゃあお前、昔は王家に姫様の髪飾りだって卸したことがあるんだぞ?」と言って豪快に笑ったお爺さんは、彫刻が擦り切れて見えなくなるまで使い倒せと言っては彼の頭を撫でてくれた。
――だから、例え格上の相手だとしても。覚悟が出来ていなくても。いきなり大蛇を倒せと言い放ったエルが鬼で悪魔でクソババアなのが確固たる事実だとしても、『無理だと師匠に泣きつくのは恥ずかしいし悔しい』という若い青年なりの矜恃以前に、彼には退けない理由があった。とんだ無茶ぶりだとしても、それに応えたいという思いがあった。故に彼はしっかりと剣を握り締め、盾を構えつつキラースネークを睨みつける。狭い洞窟の中に互いの呼吸音だけが反射する中、先に動いたのは魔物の方だった。
長い身体をくねらせながら、キラースネークが彼に向かって突進してくる。彼はそれを素早く避けたつもりだったが、相手の方が上手だった。本人は素早く避けたつもりでも、キラースネークにとっては遅かった。隙だらけだった。故にキラースネークはかろうじて突進を避けた彼に向けて、今度は長い尾で脇腹のあたりに重い一撃を放った。
年齢、経験、地の利――全てにおいて、キラースネークは彼を上回っていた。それもそのはずだろう、キラースネークという種はその凶悪な名前に反して、食物連鎖内ではゴブリン並んでかなりの下位に位置する生き物だ。多くのキラースネークは幼いうちにガーゴイルやウルフ種、パンサー種など獰猛な肉食の魔物に狩られてしまう。
――では、何故キラースネークと呼ばれるようになったか。答えは単純だった。過酷な幼少期を乗り越えたキラースネークは何度も脱皮を繰り返して巨大化する。そして一転して、今度は狩る側に回るからだった。
「……このサイズだと100年モノかな?」
馬車の荷台に積まれた、彼の母親特製の漬物を齧りながらエルが冷静に考察する。大きさといい、敢えて相手に初撃を躱させて油断されたところに重い一撃を喰らわせる狡猾さといい、10年や20年選手でないことは明らかだった。エルは腹に鈍痛が走っているであろう彼に「首とお腹が繋がってれば回復魔法は効くから大丈夫だよ。」と声を掛ける。――つまりは、いつまでも洞窟の岩肌に背中を預けていないできちんと戦えということだろう。彼はそりゃあ言う方は楽だよなあと小さく呟くと、咄嗟に身体を捻って地面に転がる。その巨体で、彼を岩肌に押し付けて潰そうと迫ってくるキラースネークを間一髪で避けると、右手の剣を振るう。
…が、流石は100年モノだった。彼の剣は少しもキラースネークの皮膚に食い込むことなく、呆気なく弾かれてしまった。なんともまあ、可愛らしい抵抗だと言わんばかりにキラースネークは目を細めると、舌をしゅるしゅると動かしながら再度彼に向けて身体を押し付ける。またしても彼は間一髪でそれを避けた。状況は、オールクリア。さっきまでの状況の再演となった。つまりは、まだまだ分が悪いことに変わりはなかった。寧ろ床に寝っ転がるような体勢になってしまった分、先程よりも不利だった。
――嫌な汗が、額と背中を伝う。キラースネークはそれを知ってか知らずか、チャンスとばかりに舌をちろりと覗かせるとギラリと鋭くその瞳を輝かせた。10メートルは優に越すであろう身体における大きく膨らんだ箇所――頭から顎にかけての最も面積がある場所で彼を潰そうと、何度も何度も首に該当する箇所を地面に叩きつける。彼は大きいが故に先程の尾よりかは遅い動きを、半ばパニックになり掛けている脳みそで冷静に判断すると、キラースネークの動きに合わせて右、左、左、右……と転がる。力いっぱい叩きつけているのか、キラースネークが頭を振って首を打ち付ける度に土埃が舞う。小石が跳ねて、頬に当たる。
「ほらほら、そんなんじゃ一向に倒せないぞ〜?」
馬車からエルが野次を飛ばす。エルは漬物に飽きたのか、今度は村を出る前に彼の母親が焼いてくれたふわふわのシフォンケーキを切り分けることなく両手でしっかりと持つと、大きな口を開けてかぶりついていた。彼は視界の端にその姿を捉えると、そんなのわかっているよ、と心の中で毒づく。キラースネークに遊ばれている、もとい上からの叩きつけ攻撃を避ける体力が尽きるのを、今か今かと待ち侘びている様子が嫌という程伝わってくると、彼はまったくどいつもこいつも、と悪態をついた。
このキラースネークも、エルも、どうしてこうも自分で遊ぶんだと彼は舌打ちをする。結局村を出るまでに、彼はエルから1本もとることが出来なかった。このキラースネークよりかは抑え気味とはいえ、毎日のように彼女に遊ばれた記憶――後ろから訓練用の木刀で切りかかろうとしたにも関わらずフォーク1本で受け止められた記憶や、背後から脅かしてやろうと足音を忍ばせて近寄ったにも関わらず逆に川に落とされた記憶や、それどころか他者の意識を操作する魔法でヤギの大群をけしかけられた記憶――が、鮮明に蘇ってきた。そうすると、目の前で目を細めながら今か今かと舌を覗かせては自分が力尽きるのを待っているキラースネークがあの時のエルのニヤニヤした顔と重なって、彼は村に居た頃のようになんだか無性に腹が立ってきたのを感じた。
(……どうすれば。どうすれば、こいつを倒せる?)
彼は徐々に鈍くなっていく自身の回避に焦りながら必死に思考を巡らせる。すると疲労を自覚したことに加え、思考に意識を取られたせいか、完璧に右に避けたつもりが左足がキラースネークの顎を一瞬、掠めた。途端、ほんの一瞬の衝突だというのに、足が折れたんじゃないかと心配になるくらいに鋭い痛みが走った。彼は思わず呻き声を上げる。すると見兼ねた、改め流石に無茶振りが過ぎたかと些か反省したエルが、彼に向かって声を掛けた。
「倒そうとするんじゃない。殺そうとしなきゃダメだよ。」
シフォンケーキをすっかり半分以上食べてしまったエルは、たったひとことそう告げる。その言葉に、彼は目を見開いた。目の前が、ぱあっと拓けた気がした。――そうだ。倒そうとするんじゃダメだ。ここは村の外なんだ。相手は人間でもなければ、手合わせでもない。生きるか死ぬか、ただそれだけの真剣勝負なんだと遅ばせながら気が付いた。「そんな身も蓋もない、泥臭い太刀筋じゃ騎士にはなれないぞ?」そう言って剣の太刀筋を指導してくれる父親も、それを「まあ、あなたったら。本当に騎士になりなたい、なんて言い出したらどうするの?」と心配そうに見つめてくる母親も、いない。いないのだ。
「――――――――。」
……もしかしたら。彼は最善かどうはさておき、ひとつ作戦を思いつく。が、舌なめずりするキラースネークを前に、それをどうするか悩む暇なんてなかった。こうなれば自分を信じるしかない。彼は左手で足を庇いながら、真っ直ぐにキラースネークを見つめた。
先程の必死な回避から一転、まつ毛の一本も動かそうとしない彼にキラースネークはようやく観念したのかと舌なめずりをすると、大きく振りかぶった。それからエルがまさに今シフォンケーキに対してそうしているように、彼を頭から飲み込もうと大口を開けた。キラースネークはそのまま上半身を打ち付けていた時の要領で、彼が再び逃げ出そうとしないうちに食ってしまおうと全身で迫ってくる。そうして彼の頭がキラースネークの大きな大きな口に入り掛けたその時、彼は握り締めていた剣を雄叫びと共に思い切りその口内の天井、喉から脳天目掛けて力いっぱいに突き刺した。
「グ、ゥ…ァ、シャアァアアァ――!!」
まさかの反撃に、キラースネークが苦悶の声を上げる。彼の左足をほんの掠めただけで仕留めた外側と違い、彼の思惑通りその内側――口から喉、体内にかけては、酷く柔らかかった。彼はほっと息を吐き出す。それは読みが当たった安堵と、喉と脳天を突刺したのだからこれで倒せるだろういう、若さ故の読みの甘さだった。そしてその読みの甘さに応えるように、思わぬ反撃を食らったキラースネークは、耐え難い痛みに任せて狭い洞窟内で暴れ回る。
頭が、尾が、岩肌に当たる。大きな音を立てながら、洞窟が揺れる。まさか崩れるんじゃと心配する彼を尻目に、キラースネークはそれから最期の抵抗なのかその大きな身体をくねらせると、思うように動けない彼を下敷きした。そしてそのまま、尾をびたんびたんと左右に大きく振る。
(……もしかして、おれ、死ぬ感じ?)
退かそうにも彼の何倍もあるキラースネーク、それも正気を失っている大蛇は、ちょっとやそっとでは動かせなかった。なんとかもがいてはその身体の下から抜け出そうとするも、まるでそれを阻止するかのように彼の頭上を長い尾がひゅっと音を立てながら掠めていくのだから、もうどうしようもなかった。それでもなんとかキラースネークの腹の下から脱出しようともがく彼に、いつの間にかシフォンケーキを食べ終わったエルが馬車を降り、杖を片手に彼とキラースネークに近寄って行った。
エルという援軍の登場に、口からダラダラと血を流しているキラースネークは決死の抵抗なのか、それともタダでは死なないという矜恃なのか、エルに向けてフシャアァと威嚇の声を上げるとその長い尾を振るう。「師匠、危ない――!」そう叫んだ彼に、エルは「うん、いいね。初戦にしては上出来だ。…さて。仕上げはお母さんならぬ師匠、だな。」とにこりと笑うと、杖を構えた。
「――閃光。」
エルがそう呟いた途端、眩いばかりの閃光が一直線にキラースネークを射抜いた。頭から尾にかけて、すぱんと。まるで柔らかな地面に尖った小石で線を引くかのように、杖の先から放たれた光線がキラースネークを射抜いた。そして何が起こったか理解するまでもなく、キラースネークは頭からゆっくりと地面に崩れ落ちた。キラースネークを一直線に貫いた跡からは、ゆっくりと血が流れ落ちる。エルはそれを暫く見つめたあと、杖の先で開いたままの瞳をつつくと「よし。」と頷いた。
「……ありがとうございます、師匠。」
「なあに、流石のわたしも鬼や悪魔の類ではないからね。」
力なく横たわるキラースネークを、自身に筋力増強の魔法を掛けたエルが動かす。そうして弟子に手を差し伸べながら、ちくりと刺した。「……聞こえてました?」「ああ、バッチリ聞こえてた。」恐る恐る尋ねる彼とは反対に、エルは顔色ひとつ変えずにそう返す。嫌味こそ口にすれど怒っている様子のないエルに彼が安心したのも束の間、エルは彼に懐から取り出した小刀を差し出す。そうしてにこり、彼女らしからぬ満面の笑みで告げた。
「素材。キミが剥ぎ取ってね。牙と鱗と可食部。」
「…………あの、師匠。おれ、多分、左足折れてるんですけど。」
「うん、知ってるよ。」
エルはいつも通りしれっとそう言い放ち、彼に小刀を半ば無理やり押し付けると自身は洞窟の奥、フルーツコウモリが集めたフルーツの山へと歩いて行った。それから今しがた運んできたばかりの新鮮な果物はもちろん、綺麗に乾燥されたドライフルーツに歓喜の声を上げると両手いっぱいにそれらを抱え、馬車へと駆け出していく。ドライフルーツは荷台に、ジューシーなフルーツは早速口にしながらも約束通り彼の愛馬にも分け与える様子に、彼ははあ…と重いため息をついた。
その拍子にずきりと痛んだ左足に、彼は今更溢れてくる涙を堪えながら、のろのろと小刀片手にキラースネークの死骸に向き合った。




