13_旅立ちと、エーデルガルトの話(前編)
旅立ちの朝。エルは朝起きていちばんに彼の愛馬に馬車をつけると、荷物を乗せた。「キミの馬、連れてくから。……ホームシックになったら大変だもんな?」そう言ってニヤニヤ笑ったエルに、少年は目を逸らした。それからなんで分かるんだよ、と心の中で悪態をつく。けれどその気遣いが嬉しくて、少年は素直に「……うん。ありがとう。」と言葉にした。エルはそれを見て満足げに笑った。
暫くは食べられない母親の食事をしっかりと味わった後、少年とエルは最後にもう一度荷物の確認をしてから村と外の世界とを繋ぐ桟橋まで、村の人々を引き連れて来た。「それじゃあ、見送りはここまでってことで。」エルが口にするなり、村人はふたりを囲む。手を握られたり、頭を撫でられたり、抱き締められたり。エルは「どうしてわたしまで…。」と口にしながらも、その実、嬉しそうなのを少年は見逃さなかった。そうして村じゅうの人々に揉みくちゃにされた後、少年の母親が名残惜しそうに彼の頭を撫でながら泣きそうな顔で微笑んだ。
「どうか、身体にだけは気を付けるんだよ?」
「エーデルガルト様、どうか愚息を宜しくお願いします。」
「うん、任せといて。わたし、勝率100%の女だから。」
「……………………。」
我が子を心配する母親と、エルに頭を下げる父親と、胸を張って答えるエルと、何も言えない少年。村人は黙って彼らを見つめる。沈黙が、痛かった。
けれどこの沈黙を逃したら、暫くは村には帰って来れない。みんなの顔が見れない。声が聞けない。幾らエル曰く勝率が100%とはいえ、今回もそうである保証はない。少年はそう考えると、俯いていた顔を上げた。そして声を上げると、気まずい沈黙を打ち破った。
「みんな!おれ、…絶対に生きて帰ってくるから。絶対に、大丈夫だから!……師匠が、いるから!!」
――それはエルが村を訪れた当初、彼女に促されるがままに師匠と呼んでから、久方ぶりに口にする、エーデルガルトという少女を示す記号だった。そして少年がつい今しがたまで頑なに避けていた、記号でもあった。
正直、少年はエルの全てを認めたわけじゃない。特に朝、彼の愛馬も連れて行くと言った時のニヤニヤ顔なんていやらしいったらありゃしないし、それでなくとも結局一本も取れないくらいに強いエルは単純にムカつくし、腹が立つし、イライラもするけれど――それでも、エーデルガルトという人に着いていけば、強くなれると。象徴としての、記号としての英雄ではなく、ひとりの人間として強くなれると、ここまで彼女から歴代の勇者の昔話を散々語られてきた少年には、確信があった。だから少年は、彼女を師匠と呼ぶのは今だろうと。逆に今を逃したら、きっともう一生師匠と呼べないだろうと、そんな気がしていたから、勇気を出した。エルのことを、師匠と呼んだ。
「……ああ、そうだとも。わたしがいるんだ。絶対に死なせない。必ず生きて、この村に帰すよ。」
エルはにこりと微笑むと、そう言って少年の背中を軽く叩いた。昨晩と同じ、優しい手つきだった。
「――準備はいいかい?」
「はい!いつでも大丈夫です、師匠!!」
「……いい返事だ。」
エルは馬の手網を手に取ると、それを引きながらゆっくりと歩き出す。少年も後に続く。
少年――否、勇者は最後にもう一度だけ振り返ると、普段通り変わらない笑顔を浮かべながら村の人々へ向けて手を振った。そこには、早くも少しだけ大人になった息子がいて、彼の両親は顔を見合わせた。
「さあ。記念すべき、冒険の第一歩だ。」
「――――――はい!」
桟橋の先、村に続く森と平原との境目の曲がりくねった道で、エルが彼を促した。ふたりと1頭が足並みを揃えて、外の世界に1歩、踏み出した。
――新しい冒険が、始まった。




