10_13代目の勇者の話(後編)
「なあ、なんで旅なんてするんだ?」
エルはそのひとことに足を止めると、振り返った。振り返った先には、少し不貞腐れた顔をしながらも自分が馬鹿なことを言っている自覚のある様子の彼――実に職人気質な鍛冶屋の息子らしい率直かつ粗暴な意見にして、横暴ながらも尊敬する父親に反発出来ない人柄の良さを感じると、エルは思わず微笑んだ。それから、こうなった彼はテコでも動かないことを知っているからこそ、仕方なく今来たばかりの道を引き返す。
単に体格が良いだけでなく、父親に幼い頃から鍛冶のイロハを叩き込まれたせいか、同年代の少年少女らと比較してもよく筋肉の着いた彼をエルは見上げると、首を傾げた。
「不満かい?」
「ああ、不満だとも。」
見上げた瞬間、彼はエルから目を逸らした。…いつもこうなのだ。口ではあれこれ文句を言い、時にこうして反抗して見るくせに、そのくせいつまで経っても視線のひとつもかち合わない。エルはそんな弟子にくすくすと笑うと、あらためて「可愛い奴だ。」と呟く。本当は手を伸ばして頭を撫でてやりたかったが、とにかく体格の良い彼に至って平均――といえども、それはエルが生きていた時代の話で。現代人と比べると相当小柄なエルは、どう頑張っても彼の頭に手が届かない。代わりにぺたぺたとその腹筋に触れて撫でてやると、彼は「触んなよ!!」と声を上げた。
「俺は親父の跡を継がなきゃいけねえんだ、悠長に旅なんてしてられるか!!」
「おっ、キミは父親の跡を継ぐんだね?うんうん、いいことだ。今度、わたしの杖の調子も見てもらおうかな。」
「何勝手に納得してんだよ!…ってか見ねーよ!!魔法は専門外だ!」
「うんうん、そうだね。それじゃあ次からはキミのところに持ち込むよ。」
「話を!!聞け!!」
感情的になる彼とは反対に、エルは相も変わらず飄々とした態度で会話を進めていく。「じゃあ、そういうことだから。行こうか。」と彼を促す。が、大きく分厚い手のひらで肩をがしりと掴まれると、エルはやれやれとため息をついた。……どうやら誤魔化しきれなかったらしい。面倒だなあ、とエルは心の中で呟くと、再び彼を見上げる。自分よりもずっと背の高い彼は、見上げるだけで首が疲れてしまう。
けれどそうして見上げた彼の顔は、いつになく真剣だった。彼女を見つめるふたつの瞳は嘘や誤魔化しを射抜く鷹のような鋭い色と形をしていた。本気なんだな、とエルは思った。だからやれやれと再度ため息をつくと、1歩、2歩、後ろに引いた。それから杖を構えると、彼の真剣さに応えるように真面目な口調で告げた。
「わたしを一瞬でも本気にさせたら、教えてあげてもいいよ。」
彼はその言葉に目を見開く。――エルのその言葉は、ここまでの苦難など苦難ではないと告げているに等しかったことを、瞬時に悟ったからであった。現にゴブリンの大軍との乱闘も、ガーゴイルから馬車と民間人を護衛したことも、ドラゴンと死闘を繰り広げたことも――彼女は確かに今、『その時は本気ではなかった』と口にした。彼にとってはそのいずれもが必死で、後になってよく生きていたなと生を実感しては震えたあの出来事を、彼女は全て。本気ではなかったと、宣った。
「ルールは特になし。何でもありだ。そのご自慢の大剣で切りつけてくるもよし、殴りかかってくるのもまた良しだ。わたしを殺す気で掛かってくるといい。」
「……どうする?間違って殺しちまったら。」
「大丈夫。わたし、強いから。」
エルはにこりと笑う。それからその薄い青紫にも見える瞳を細めると、冷たい声で告げた。
「――――それに。どうせキミは、わたしに遊ばれておしまいだからね。」
「……前々から思ってたんだよな。そういうところ……ほんっとうに、ムカつくって…!!」
彼が剣を抜く。力任せに振るったそれを、エルはたった半歩下がるだけの動きでひらりと躱した。エルの身体はもちろん、ドレスの裾はおろか長髪の先を掠りもしない太刀筋に、エルは杖の先で彼の腕を、足を、つつくと先程彼が言った『ムカつく』口調で指導し始めた。
「ほら、怒りに任せるから動きが直線的だ。そんなんじゃ魔王の喉先にも届かないぞ?」
「……っ、うるせえ!!」
「やれやれ。師匠に向かってその態度、その口の利き方――歴代最悪だぞ?……お仕置きが必要だな、我が弟子?」
エルはつい数分前、ぺたぺたと触れた彼の腹筋のあたりに、杖の先――宝玉の埋め込まれた頭を宛てがう。彼が反応するより先に「雷鳴。」と口にすると、先端から微弱な電流が走った。意識を向けなければ剣を握るのが難しいほどの電流、けれど決して耐えれなくはないその刺激に、彼は本当にエルが遊んでいるのだと知る。電流と電圧に震える手でエルを振り払い、杖の頭が離れた隙に彼は一歩後ろに下がる。膝をつき、「……性格悪いぞ…。」と恨めしそうに見上げると、満足そうな笑顔のエルと目が合った。
「知ってたかい、我が弟子。魔法使いはね、総じて性格が悪いんだよ。」
「……今、痛いほど実感したっての…。」
「おや、そうかい。じゃあお仕置きついでに、もう一度実感していくといい。」
エルはそう口にすると、その場で軽くくるりと回った。まるで春の訪れを喜ぶ子供のように軽やかにドレスの裾を翻しながら杖を振るう。「これ、捕虜とかにやるやつだから、あんまり趣味は良くないんだけどね。」エルはそう無駄口を叩くも、ふとにこにこと笑うと彼の顔を覗き込んだ。「まあ、いいか。わたし、ムカつく奴だし?――拘束。」明らかに遊んでいる、もとい反抗的な弟子の態度に少しばかり怒りつつ、その短絡さにお灸を据えてやろうとするエルに、彼は一時の感情に任せて口にした言葉を悔いた。が、あとの祭りとはこのことだろう。四肢がずしりと重くなり、自身の意思では到底動かすことも難しいこの状況に、彼は少しばかり遅い反省をすると素直に白旗を上げた。
「――――――悪かった。」
その言葉を口にするのは、勇気が必要だった。特に父親が村一番の頑固者で、その背中を見て育ってきた彼にとっては幾ら相手が規格外の化け物とはいえ、女に謝るなど屈辱だった。屈辱だったが、同時に、これほど強いエルが言うことならば、と素直に信用することも出来た。……要は、彼は少しばかり不安だったのだ。魔法使いと言いながら剣ばかり使い、死なないと口にするくせにバクバクと大食らいで呑気な顔をするエルのことを本当に信用してもいいのか――命を預けるに値する相手なのか、不安だったのだ。けれどそれを上手く言葉に言い表せない性格だからこそ、こうして子供のように当たることでしか伝えられなくて。加えて、それが元で破綻した交友関係もそれなりにあって。変わりたいと思いながらも、どうすれば良いのか分からなくて、もがいて、苦しんで――。
「反省したかい?」
「……ああ、そりゃあもう。痛いほど。」
けれど。彼はようやく、どうすれば良いのかを掴んだ。もうどれだけ生きたかも忘れてしまったと口にする魔法使いから、確かに学んだ。己の未熟さと彼女の成熟さと、それから、この旅の真の目的を。
――技術が、必要だ。時に怒りを抑え、感情を殺し、現状を見抜く瞳が。言い換えるのならばそれは、上手く立ち回るための知恵であり、それを物にするために一歩踏み出す勇気であり、現実にするための力だった。今の彼には、そのどれもが足りなかった。
彼は考える。エルは彼にお灸を据えると言いながらもその実、この『遊び』を通じて伝えたかったこと。それは魔王討伐はただの通過点である、ということなのではないか、と。
勇者としての役割は、魔王を討伐すれば終わる。けれど彼の人生は、その後も続いていくのだ。死ぬまでずっと、続くのだ。その時に生きていくために必要なこと──冷静な思考や感情をコントロールする術を、きっと彼女はこの旅を通じて伝えようとしているに違いない。……でも、どうして、と彼は顔を上げる。するとそこには、彼を優しく見下ろすエルが居た。
「無鉄砲なのも、その実合理主義なのも、全ては若さ故だ。」
エルはその小さな背中を彼の背中に合わせると、そのまま凭れ掛かった。背中合わせのまま口にする言葉に、彼は耳を澄ませる。
「大丈夫。キミは、ちょっと若いだけさ。だから、この旅を終える頃にはいい具合に成熟して、国一番――ううん。世界一の鍛冶屋になれる。わたしが保証するよ。」
「…………その保証、大丈夫なのか…?」
「失礼な。わたしを誰だと思ってるんだい?」
エルは彼の背中から身体を離すと、杖の頭でぽかりとその頭を軽く叩いた。軽くとはいえ固い宝玉がこめかみに当たると、彼は呻き声をあげた。エルはその様子に目をぱちくりと瞬かせると、「そんなに強かったかな…?」と暫しの間、杖を見つめつつ思案した。それから彼の顔を至近距離で見つめると、頭を撫でながら胸を張った。
「わたしは神話を生きる魔法使いで、キミの師匠だぞ。信用するしかないだろう?」
「……っ、はは!…ああ、そうだな。そうするよ、……師匠。」
「うむ、分かればよろしい。」
エルは大きな声を上げて笑った彼に満足そうに目を細めると、拘束の魔法を解除する。「というわけで。これからもよろしくね、我が弟子。」そう言って差し出した手のひらを、彼は再び固く握り締めた。
――きっと。この人に着いていけば、間違いはないと。そう信用するに値する人物だとたった今抱いたばかりの感情のままに、冷たい手のひらを思い切り握り締めた。




