第13話 「療養と清算と奇跡の聖水」
セバスがマオを見た。
マオがセバスを見た。
まりっぺが微笑んだ。
「あらあら、ごきげんよう」
セバスがモノクルを拭いた。
「……ごきげんよう、聖女様」
声が、かすかに震えていた。
朝食を食べた。
全員で、静かに食べた。
食べ終わった頃、チトが「温泉卓球というものがあるらしいですよ」と言った。
メルが「卓球?」と聞いた。
チトが説明した。
メルが「やる」と即答した。
ガレットが「おふろはいりにいくーー」とゆっくり立ち上がった。
まりっぺが「あらあら、全身魔導マッサージ機というものがあるそうですわ。試してみますわね」と微笑んだ。
全員が散った。
マオとセバスだけが、食堂に残った。
ティールームの窓際。
お茶が運ばれてきた。
窓の外に湯気が見える。
山の空気がある。
静かだ。
セバスが茶碗を置いた。
「……大体のことは、ヴァルドからの報告とチトからの連絡で把握しております」
「そうか」
「聖女様が各地でご活躍されているとのことで」
「活躍という言い方もできるな」
セバスがモノクルを外した。
拭いた。
戻した。
「しかし、魔王が魔王討伐などと」
「……」
「どうするおつもりで」
マオはお茶を飲んだ。
「まあ、その辺は適当にはぐらかす」
「はぐらかす」
「はぐらかす」
セバスがため息をついた。
「……あと、言いにくいのですが」
「言え」
「先日の山代、城壁代、その他修繕費諸々」
「知ってる」
「繰り返されますと、今後の財政が」
マオは茶碗を置いた。
「本当にすまん」
セバスが少し止まった。
謝られると思っていなかったらしい。
「……いえ、その」
「財政の件は、こちらで手を打つ。アルを紹介するから、打ち合わせしてくれ」
「アル様とは」
「チャラい神だ」
セバスが少し止まった。
「……神様、ですか」
「神様だ」
「チャラい」
「チャラい」
セバスがモノクルを外した。
拭いた。
戻した。
「……わかりました。打ち合わせの件、承ります」
「頼む」
セバスが懐から封筒を取り出した。
「あと、これを」
受け取った。
開けた。
領収書が二枚入っていた。
一枚目。
『男湯入口ドア代』
二枚目。
『客室ドア代』
マオは領収書を見た。
しばらく見た。
「………」
「昨日フロントに届いておりました」
「………」
「宛名がマオ様でしたので」
「………」
マオは領収書を懐にしまった。
ため息をついた。
深い、でも静かなため息だった。
「わかった」
セバスがモノクルを拭いた。
マオは窓を開けた。
「アル」
上空が光った。
窓の外に、ぼんやりとした光が見えた。
『なにー?』
「降りてこい」
『やだ、セバスさんいるじゃん』
「降りてこい」
『えーだってなんか怖い雰囲気じゃん』
「降りてこい」
長い間があった。
『……セバスさん、怒ってる?』
セバスが窓の外を見た。
「……いいえ」
静かな声だった。
穏やかな声だった。
それがかえって怖かったのか。
『……降りる』
ぽすん、と着地した。
白い衣。ゆるいフード。
気まずそうな顔。
セバスと向かい合った。
「アルだ。神様だ」
『どうも……』
セバスがお茶を一口飲んだ。
「……山が消えたことについて」
『あーそれは』
「城壁が半壊したことについて」
『えーとですね』
「各地の修繕費、街道復旧費、馬車弁償費について」
『それは聖女ちゃんが』
「神託でまりっぺ様を勇者に同行させたのはどなたですか」
アルが口を閉じた。
開いた。
閉じた。
「……アル」
『……はい』
「セバスと財政の打ち合わせをしてくれ」
『わかった』
アルが半泣きの顔でセバスを見た。
セバスがお茶を一口飲んだ。
「では、詳しくお話を伺いましょうか」
穏やかな声だった。
アルが、ごくりと飲み込んだ。
マオはお茶を飲んだ。
(まあ、後はよろしく)
その頃。
温泉卓球場。
チトとメルが向かい合っていた。
「……本当にやるとは思わなかったのじゃ」
「やると言いましたから」
「妾は負けん」
「どうぞ」
ラケットを構えた。
メルの球が、低く速く飛んだ。
チトが返した。
メルが打った。
チトが返した。
「……速いのじゃ」
「情報屋は反射神経が命ですので」
「ほう」
メルが目を細めた。
本気になった。
男湯。
ガレットが入った。
どぼん。
湯が溢れた。
ガレットがぬぼーっと浸かった。
「きもちいいーー」
足湯になった。
気にしなかった。
全身魔導マッサージ機のある部屋。
まりっぺが座っていた。
機械が動いていた。
「あらあら」
肩を揉まれていた。
「あらあら」
背中を押されていた。
「あらあら」
満足そうだった。
機械が、少し軋んだ。
「あらあら」
機械が、止まった。
まりっぺが首を傾げた。
「あらあら、壊れてしまいましたわ」
ティールームの窓際。
アルがセバスと向かい合っていた。
半泣きだった。
セバスは帳簿を広げていた。
穏やかな顔だった。
「先月分から参りましょうか」
『……はい』
「山の現状回復費から」
『……はい』
「山は戻りませんので、現金換算で」
『……そうですね』
「聖金貨で何枚になりますか」
アルが計算した。
顔が青くなった。
マオはその場を離れた。
(後は頼む)
夕方。
宿が騒がしくなった。
女将が飛び込んできた。
「大変でございます」
「何があった」
「女湯の湯が、奇跡の聖水になっております」
マオは止まった。
「……聖水」
「はい。色が変わっておりまして、これを飲んだ宿泊客の持病が治ったと大騒ぎで」
「……そうか」
「いったい何が」
マオはまりっぺを見た。
まりっぺが首を傾げた。
「あらあら、わたくしが入ったからでしょうか」
「そうだろ」
「あらあら」
女将が目を丸くした。
「……聖女様がご入浴されたのですか」
「そうだが」
女将が深く頭を下げた。
「奇跡でございます」
まりっぺが微笑んだ。
「あらあら、お役に立てて何よりですわ」
マオはため息をついた。
(城壁は吹き飛ばして、湯は聖水にする)
(なんなんだこいつは)
チトが小声で言った。「……旅館側、大喜びですね」
「そうだな」
「ドア代と魔導マッサージ機代、相殺できますかね」
「……聞いてみるか」
チトが女将のところへ行った。
しばらくして戻ってきた。
耳がぴんと立っていた。
「……相殺どころか、足が出ました」
「足が出たか」
「聖水のおかげで今後の集客が見込めるとのことで、逆に宿泊代を払っていただけるそうです」
マオは止まった。
「……いくら」
「大金貨三枚」
マオはしばらく黙っていた。
「……まりっぺ」
「はい?」
「よくやった」
まりっぺがにこりとした。
「あらあら、お役に立てて何よりですわ」
夜。
部屋に戻った。
アルが疲れ果てた顔で帰っていった。
セバスが帳簿を閉じていた。
「……打ち合わせ、終わったか」
「はい。アル様が補填の手配をしてくださることになりました」
「そうか」
「……大変そうでしたが」
「まあ、神様だ。なんとかなるだろ」
セバスがモノクルを外した。
拭いた。
戻した。
「マオ様」
「なんだ」
「……お体に、お気をつけて」
それだけ言って、頭を下げた。
マオは少し間を置いた。
「お前もな、セバス」
セバスがかすかに表情を動かした。
笑ったのか、どうか、判別がつかない動き方だった。
布団に入った。
窓の外に湯気が見える。
山の空気がある。
チトが「いい宿でしたね」と言った。
ガレットが「またきたいーー」とゆっくり言った。
メルが「卓球、チトに負けた」と悔しそうに言った。
まりっぺが「あらあら、また参りましょうね」と微笑んだ。
静かになった。
マオは天井を見た。
財布の中身が、少し増えた。
請求書が、少し片付いた。
セバスと話した。
アルが詰められた。
湯が聖水になった。
(……色々あったな)
まあ、それだけでも。




