彼の名は、アイザック③
「今夜の慰労会、楽しみね」
「アイザックが、旦那様と奥様にお願いしてくれたんでしょう?たまには息抜きも兼ねて、使用人同士で意見交換会をしたいって」
「って言っても、ただの宴会だけどな!それにしても、気が利いてるよアイザックは」
ドアの隙間から、使用人達の楽しそうな会話が聞こえる。
そこに加わる、アイザックの温和な声。
「そんな、大したことないですよ、わたくしは。皆様の頑張りを、旦那様方に報告しただけです」
勉強の時間になった為、書斎へと向かっている途中だった。使用人が使う休憩室から、賑やかな談笑が聞こえてきたのだ。
私は通りすがりに、ちらりと部屋の中を窺う。
メイドや執事が、輪になって会話をしていた。そこから数歩離れた所から、アイザックはその様子を微笑んで眺めている。
が、一瞬だけ。ほんの、1秒だけ。
アイザックは、瞳の光を失った。目を細め、唇を引き結んだ、冷たい表情になる。
しかし。
「なあ、アイザックは何の酒が好きだ?」
くるりと、若い執事がアイザックの方を振り返る。途端、笑顔に戻るアイザック。
「んー、そうだなあ……」
答えを悩んで、視線を彷徨わせている途中、私とパチリと目が合った。
ぱあっと花が咲いたような笑みを浮かべ、
「ガーネット様!」
と、私に手を振る。
私はそれを無視して、目的地へと向かった。
いつも明るい彼が、何故そんな顔をするのか。
気にならないと言えば、嘘になる。だが、私にとってはどうでもよいことだ。
私に出来ることは何もない。そして、彼とこれ以上の関わりを持つこともない。
彼について深く知る必要も、知る機会も、存在し得ないのだから。
彼が以前くれた、ラナンキュラスの花が不意に思い出される。その時の、アイザックの笑顔も。
私の足は、自然と速くなる。拳を強く握り込んでいたことにも、気が付かなかった。
翌朝。
「行ってらっしゃい、アイザック」
「気を付けて帰ってくるんだぞ」
「ええ。お休みを下さって、本当に感謝致します、旦那様、奥様」
両親に言葉をかけられたアイザックはお辞儀をし、ダイニングルームを出るべくドアへと足を向ける。
今日、アイザックは王都へ行くらしい。そのために、1日休みを取ったのだという。
「いいなあ、王都。何しに行くんだろう」
「まさかデート……!?」
「そんなのショック過ぎるわ。きっとお買い物よ。新しい服を買いに行くとかじゃないかしら」
私の後方のメイド達が、ひそひそ話をしているのが聞こえる。
確かに、この屋敷に住み込みで働く若いメイドからすれば、王都は憧れの地に間違いない。
王が住まう宮殿と、その周囲に沢山の店が立ち並ぶ、きらびやかな都だからだ。
屋敷から一生出ることのない私には、関係のないことだけど。
そう思いながら、私は紅茶に口をつける。
しかし、部屋を出る前にわざわざ側に来たアイザックが、満面の笑みで私に話かけるのだった。
「ガーネット様、お土産を買って参りますね。何がよろしいですか?アクセサリーにしましょうか、それとも、お菓子にしましょうか」
無駄に注目を浴びるから、やめてほしい。それに、私には欲しいものなど無い。
だから、
「ええ」
としか、答えなかった。
それなのに、
「承知いたしました。何か、適当な物を見繕って参りますね。楽しみにしていて下さいませ」
と、むしろ嬉しそうに去っていく。
私はその背を見送ることもせず、朝食を取り始める。
そんな私に届く、ほそぼそとした陰口。
「せっかくアイザックが話しかけてくれてるのに、何を考えているのかしら」
「ほんと、人形姫は気味が悪くて仕方がないわ」
────いつものこと。いつものことだ。
気味が悪いのは自覚している。だから、そう言われても構わない。
私は何を思うことも無く、ロールパンを手に取った。
アイザックは、半日かけて、王都へと着いた。
「いらっしゃいませ。新作のドレスは如何でしょうか」
「本日、貴重なワインを数本、仕入れております。寄っていきませんか?」
すたすたと、王宮への大通りを歩くアイザックに、様々な呼び込みがかかる。
が、アイザックはにこりともせずそれらをかわし、真っ直ぐどこかへと向かっていく。
そして、王宮の門をくぐった。誰に止められることもなく、堂々と城の中を進む。
とうとう、重く豪奢な扉を開き、玉座の前へと辿り着いた。
アイザックは跪き、その玉座に腰掛けるにふさわしい人物を待つ。
数分後。
鷹揚とした態度で入室したのは、クロム王国を統べるただ一人。
クロム王だった。
玉座に座り、口を開く。
「アイザック。我が猟犬よ」
そしてクロム王は、アイザックに尋ねるのだった。
「スパイは上手く行っているか?」
と。
お読み頂き、心から感謝致します。慣れないロマンス(それも溺愛系!)ですが、少しでも貴方様の心を動かすことが出来たのなら幸いです。
今後ともぜひ、よろしくお願いします。




