希望と絶望
色の淡い陽光に頬をくすぐられて、目が覚める。
レースカーテンの隙間から差す朝日が、白いシーツの上に緩やかに波を描いているのが見えた。
「おはようございます、ガーネット様」
隣で眠っていたはずのアイザックも起きたのか、そう声をかけてくれる。
いつもより口調が少し緩んでいるのが、愛おしい。
「おはよう、ザック」
一晩を共に過ごしても、まだ私は「ガーネット様」らしい。
そのことについて言及すると、
「わたくしにとって大事なお姫様であることには変わらないので」
と、アイザックは爽やかな笑みを浮かべた。
彼を「愛している」と自覚してから、動悸が収まらない。
感じていた不安や疑問が解消されてすっきりするかと思っていたのに、一層胸の中が掻き乱されている。
でもこの止まらないさざめきは。アイザックを想うと感じるこの痛みは。
「幸せ、ね」
私は、アイザックの髪を撫でる。
さらさらで、指通りの良いそれに、ずっと触れていたい。
そんなことを考えていたからだろう。
上半身を起こしたアイザックに腕を掴まれ、ぐい、と引っぱられた。
アイザックの胸に、飛び込む形になる。
「そんな可愛い顔をしていたら、また襲ってしまいますよ?」
彼の低い声に、背筋が震えた。
でも、
「ええ。……望んでいるわ」
大概だ。
私も、負けていない。
初めて、愛された。
とても満ち足りているけれど、でも。
「まだ、足りないの」
もっともっと、愛して欲しい。
「……っ。わたくしのお姫様は本当にもう……!」
アイザックが、堪らないというように私を強く抱きしめる。
そのまま深く、口付けた。
「追手は……いないようです。さあ行きましょう」
先に城を出たアイザックが近辺を見回り、安全を確認してくれた。
万が一にも、クロム兵や猟犬が待ち伏せていたらアイザックは戦闘を余儀なくされる。
しかし、今日は私もいるから、アイザックも自由には動けない。
故に、慎重に慎重を重ねての行動になったのだ。
アイザックに手を取ってもらい、二人で走り出す。
向かう先は、国境。
このままクロム王国に居ても逃げ場はない。
だから、顔見知りであるセイロン王に事情を話して、ライテル国に一度匿ってもらおうと二人で考えた。
いわゆる、亡命だ。
しかし、私にとってはアイザックがいる場所が帰る所であり、アイザックも既にクロム王国に未練はないようだった。
私の体調を気遣って、合間にしっかり休憩を挟んでくれながらも、アイザックは最短距離を進んで行く。
そうして、ほとんど二日かけてライテル国の関所に辿り着いた。
あともう少しで、二人で一から始められる。
人形姫でも、猟犬でもなく、ただ一人の人間として、二人で。
希望に胸を膨らませて、急く足を建物に踏み入れようとした、
────まさにその時。
「遅かったじゃないか、我が猟犬」
クロム王が、大勢の兵士を引き連れて、関所の影から現れた。
「……っ!なぜ!」
アイザックが、さっと私の前に立ち守りの体勢に入るが、その声音には驚きと焦りが混ざっていた。
それもそのはず。
私たちがカーノヴォン連合国に協力を仰ぐとしても、通るであろう関所はサイドベルツ侯爵国、ライテル国、さらに小さな国と、いくつもある。
それなのに何故、私たちがライテル国を選ぶと知っていたのだろうか。
その答えは、クロム王が自ら教えてくれた。
「ライテル国は武力もほどほどあり、セイロン王も面倒見がいいからな。小国やサイドベルツは頼りにならんとすれば、お前は頼るべきはライテル国だと判断するだろう?私が育てた優秀な『猟犬』だからな」
「くっ……!」
アイザックは苛立ったように、唇を嚙みしめた。
「自分の思考すらも仇相手に操作されているみたいで、気分が悪い」
そう、吐き捨てる。
しかも、アイザック一人に対してクロム王が引き連れている兵士は数百人は居る。
きっと、精鋭の『猟犬』部隊も揃えているのだろう。
アイザックが簡単に倒されると思ってはいないが、物量差がものものしすぎる。
どうしよう。
こんな時、私は本当に何も出来ない。
私は、ぎゅっとアイザックの服の裾を握る。
すると、それを不安の証だと思ったのか、アイザックは鞘から白刃を抜く。
戦う覚悟を決めたのだ。
私ははらはらと、事の成り行きを見守る。
しかし、事態は意外な方へと転じた。
クロム王が、こう言ったのだ。
「アイザック、我が『猟犬』部隊に戻れ。戻ってくれば、お前を捕えたりはせん。そこの女も含めて、な」
「なんだと!そんな条件、誰が呑むか!そんなことをせずとも、ここで全員切り殺してやる!」
すぐさま反発するアイザック。その瞳には、強い憎悪が灯っている。
しかし、クロム王は諭すような口調で言い返した。
「よく考えろ、アイザック。ここで二人で仲良く死ぬか、お前が憎しみを捨てて、二人で幸せに暮らすか。どちらが賢い選択か、お前なら分かるだろう?」
「俺は死なないし、少なくともガーネット様は死なせない!!舐めるな!」
かつての主に、アイザックは真っ向から噛みつく。
平行線だ。
それでも、軍配は上がる。
クロム王の一言によって。
「お前はそれで良いかもしれんが、そこの女はどうだろうな。お前の犠牲を経て、一人で生きることを望むのだろうか」
アイザックは、はっとした顔で私を振り向く。
私は勿論、アイザックの意思を尊重するつもりだった。
アイザックが自身の誇りを大事にするなら、私はその犠牲になっても構わないと思っていた。
でも。
一瞬だけ。ほんの一瞬だけ、考えてしまった。
アイザックの居ない世界を、一人で生きていくのは嫌だと。
これまで一人で生きることなんて、なんともなかった。
でも、アイザックの愛を知ってしまった今は。アイザックの体温を知ってしまった今は。
たった一人で、この世を生きていくのが、怖い。
クロム王の言葉を聞いて、そう思ってしまった。
だから、それが顔に出てしまったのだろう。
「……分かった」
「アイザック!!」
私は、アイザックの背に縋る。
しかし、彼は振り返ってにこっと笑った。
「大丈夫ですよ、ガーネット様。わたくしが、つまらない意地を張らなければ良いだけの話です」
「でも……!」
「わたくしも、ガーネット様と二人で暮らせるなら、それが一番幸せなことなのです。だから心配しないで下さい」
そう言って、アイザックは、王の元へと歩いていく。
そして、ひざまずいた。
「不肖アイザック、『猟犬』副隊長として復帰させて頂きます。ご容赦を」
頭を下げるアイザックの姿に、私は胸を掻きむしりたくる。
私の為に、辛いことをしている。
申し訳なくて、でも、アイザックの決意を無下にはしたくなくて、私は黙っていることしか出来なかった。
「うむ。よかろう」
クロム王も、頷く。
アイザックの気持ちを犠牲にして、それでも平穏は取り戻せた。
もやもやした感情を抱えながらも、私はそっと息をついた。
その瞬間。
ザクッ!!
王の持つ剣が、アイザックの体を、真ん中から貫いた。




