5:再会の日
穏やかな朝。
今日もいつものようにお父様のお手伝いをしようか、それともお兄様を誘って領都で買い物でもしようか……なんて考えていた頃だった。
「お嬢様、お客様がお見えです」
「お客様?」
侍女の声に、つい訝しげな声が零れる。
私がハモンド侯爵邸に戻ってきていることを知る者は、ごく少数。
かつてハンフリーズ帝国の社交界で付き合いが会った人達の大半は、知らないはずだ。
「一体誰が……?」
「それが……」
恐る恐る侍女が告げた名前。
その名前を耳にした瞬間、懐かしさと愛おしさがこみ上げてきた。
「エドガー!」
「シア!!」
応接室の扉を開けたら、懐かしい姿が私を待ってくれていた。
従兄であり、幼馴染みのエドガーだ。
昔よりも背は高くなったし、筋肉が付いて横幅もがっしりしたようだけれど、深い青色の瞳と整った顔を覆う漆黒の髪は、何も変わらない。
「良かった、ネックレスに掛けた魔法が途絶えたから、何があったのかと……」
エドガーの凜々しい顔が、くしゃりと歪む。
「貴方のおかげで助かったのよ、エドガー」
「叔父上からの文は、俺も拝見した。大変だったろう、シア……」
ぎゅっと、エドガーの逞しい両腕が私を包み込む。
幼い頃は特に意識もしていなかったこんな所作も、成人を迎えた今となっては、少し気恥ずかしい。
でも、それだけ心配してくれていたということなのよね……。
ぽんぽんとエドガーの背を優しく叩けば、ぐすっと鼻を啜るような音が響いた。
「私なら大丈夫よ、エドガー」
「全然大丈夫じゃない!!」
珍しく声を荒らげたエドガーに、彼の腕の中で、ピクリと身を竦める。
「君を、失うところだったんだぞ……」
私の肩を掴んで、じっとこちらを射貫くエドガーの瞳は、苦悩に満ちていた。
ああ、優しい従兄をここまで心配させてしまったんだ……そう思えば、申し訳なさで胸がいっぱいになる。
「ごめんね……ううん、ありがとう、エドガー」
「君が謝る必要はないんだ」
再びエドガーの力強い腕に抱きしめられて、その胸にもたれかかる。
「一番悪いのは、国の為だなんて言って、強引に君を送り出した父上だ。君をたった一人隣国に送り込むなんて……!」
「あら、一人じゃないわ。ベリンダとケヴィンが居てくれたもの」
「それでも!!」
エドガーの言葉を封じるように、彼の唇に人差し指を押し当てたなら、ぐ……とエドガーが言葉を詰まらせた。
「そんな風に言うものではないわ。二国間の平和を思えば、仕方の無いことだし……それに、皇族に不和ありなんて噂されてしまったら、困るもの」
そう。エドガーが言う“父上”とは、我がハンフリーズ帝国の皇帝陛下のことだ。
第二皇子であるエドガーが口にするからには、不敬と罰せられることはないだろうが、それを耳にした民の動揺は如何ばかりか。
「君は優しすぎるよ、シア……」
従兄であり幼馴染みでもあるエドガーは、私が政略結婚で嫁ぐことに、最後まで反対していた。
なればこそ、陛下はエドガーが政務で留守にしている隙に、私をティリット王国へと向かわせたのだ。
エドガーは今でもそれを怒っているのだろう。
「心配してくれてありがとう、エドガー」
「当たり前だろう。俺にとって、君は……かけがえのない人なんだから」
全身を包み込む、エドガーの温もり。
その温もりに、つい甘えてしまいそうになる。
ダメね、こんなことじゃ。
変な噂でも流れては、エドガーが困るというのに。
つい、この腕から離れがたいと思ってしまう……。
躊躇する私の耳に、控えめなノックの音が響いた。
慌ててエドガーの腕から抜け出すと、サファイアと同じ青色の瞳が、僅かに翳る。
ガチャリと扉が開いて姿を現したのは、お父様だ。
「エドガー殿下、お見えでしたか」
「叔父上、お久しぶりです」
エドガーとお父様のやりとりは、どこか余所余所しい。
やはり私をティリット王国に嫁がせたことが、いまだエドガーの中で尾を引いているのだろう。
「陛下の元に文は送ったのですが、まさかそれより先に殿下がお見えになるとは……」
「父上も、詳しい話を聞きたがってはいた。俺としては、ネックレスが割れたことが全てだと思うのだがな」
静かに語るエドガーだが、その瞳の奥には、隠しきれない怒りが燻っている。
「私共も一度帝城に出向く必要があるとは思っておりました。すぐさま、準備いたしましょう」
単なる夫婦喧嘩の延長……なんて風には、誰も受け止めてはくれないわよね。
こうして、この一件はハンフリーズ帝国の皇帝──レナード・ハンフリーズ陛下の預かるところとなった。