2:殺されかけた日
食事時、私は護衛騎士ケヴィンが引いてくれた椅子に腰を下ろした。
広い食堂で食事を取るのは、今日も私一人だけ。
ロバート殿下は言うまでもなく、客人であるネリー嬢さえもここには現れない。
王子妃である私の席は、常に空虚で、孤独で──まるで存在そのものが無視されているかのようだ。
淡々と食事を終え、食後の紅茶をいただく。
湯気の立ち上る琥珀色の液体を口に含んだ、その瞬間。
「……っ」
喉を焼くような熱さとは違う、異様な苦みが舌に広がる。
同時に、胸の奥から何かがせり上がってきた。
「え……?」
次の瞬間、胸元で「パキン」と硬質な音が響く。
視線を落とすと──常に身に付けていたサファイアのネックレスに、蜘蛛の巣のような亀裂が走っていた。
「なぜ……?」
掠れた声が喉から漏れる。
咳き込んで口元を押さえると、掌は真っ赤に染まっていた。
「妃殿下!」
ベリンダが悲鳴を上げ、ケヴィンがすかさず紅茶を運んできた使用人を取り押さえる。
その光景を、霞がかかったような視界で見つめながら、私はただ戸惑っていた。
──どうして。
どうして従兄のエドガーが贈ってくれた大切なお守りが割れているの?
青い宝石は、彼の瞳と同じ色。
私の心を支える唯一の品だったのに。
「毒だ! この者の懐から毒薬が出てきた!」
ケヴィンの怒声が遠くで反響する。
毒……?
私は今、殺されかけたのだろうか。
政略結婚だから、愛されることは諦めていた。
夫が恋人を愛していることも、使用人から嘲られることも、耐えるしかないと思っていた。
──でも。
私を“邪魔者”だと思うあまりに、命まで奪おうとしたというの?
「妃殿下ぁ……っ」
涙声のベリンダが、私を抱きしめる。
けれど、私の瞳は乾いたまま。
もう涙も浮かばない。
冷たい虚しさだけが残り、静かに心を凍らせていく。
「……そうまで、私が疎ましいのなら」
こふっ、と乾いた咳と共に、再び赤い飛沫が散る。
「こんな婚姻、解消して差し上げます」
唇から零れ落ちた言葉は、意外なほど澄んでいた。
恐怖や悲嘆よりも先に訪れたのは、確かな決意だった。
その夜、私は二通の親書を書き残した。
一通は夫ロバート殿下に宛てた離縁状。
もう一通は義父であるティリット国王陛下に宛てたものだ。
──もう、こんな場所には一刻たりとも居たくない。
そう心に誓い、私はベリンダとケヴィンを伴って、王子宮を抜け出した。
目指すのは、ただ一つ。
私の故郷──ハンフリーズ帝国だ。